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2018年2月22日

読書日記「ジーノの家 イタリア10景」(内田洋子著、文春文庫)「対岸のヴェネツイア」(同、集英社刊)


ジーノの家―イタリア10景 (文春文庫)
内田 洋子
文藝春秋 (2013-03-08)
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対岸のヴェネツィア
対岸のヴェネツィア
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内田 洋子
集英社
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 著者は、イタリア在住のジャーナリスト。長年、日本にイタリアのニュースを届ける仕事を続けてきた。

内田洋子.JPG

 著書「ジーノの家」のあとがきに、こんなことを書いている。
 
イタリアで暮らすうちに、常識や規則でひとくくりにできない、各人各様の生活術を見る。
 行き詰まると、散歩に出かける。公営プールへ行く。中央駅のホームに座ってみる。書店へ行く。海へ行く。山に登る。市場を回る。行く先々で、隣り合う人の様子をそっと見る。じつと観る。ときどき、バールで漏れ聴こえる話をそれとなく聞く。たくさんの声や素振りはイタリアをかたどるモザイクである。
 名も無い人たちの日常は、どこに紹介されることもない。無数のふつうの生活に、イタリアの真の魅力がある。瓢々と暮らす、ふつうのイタリアの人たちがいる。引き出しの奥を覗いては、もっとコレクションを増やしたい、と思う。


 そして、名も無き人を取材するために、イタリア各地で引っ越しを続ける。

 ミラノのバールで、パトロールでコンビを組む男女の警察官と知り合った。
 ミラノには〈黒いミラノ〉と呼ばれる無法地帯があるらしい。2人がついこの間まで、その地区の担当だったと聞き「よほど私は〈しめた〉という顔つきをしたらしい」
 「物好きねえ」と呟いた中年婦人警官のアイデアで、借りた警察犬を暗黒地区の保健所に予防接種に連れて行くという設定になった。

 賑やかな運河地区から徒歩15分の距離というのに、昼下がりの街に人影はない。広場の背後の古びた高層公団住宅のベランダにある錆びついた物置の扉がきしんだ音をたてている。「広場のシャッターの閉まったゴミの山が悪臭とともにむっくりと動き「金をくれないか」と言った。ゴミは、イタリア男だった。

 地区の情報交差点だからと、2人に奨められたバールに飛び込む。店長に出身を聞くと、 カラブリアの出身という。シチリアのマフイア、ナポリのカモッラと並ぶ犯罪組織の拠点だ。

 
一瞬息をのむ私を確認した後、店長は言った。「もし何か困ったことがあったら、頼りになる友人を紹介しますよ」。視線はこちらだが、焦点は空を泳ぎ、その奥は白々と冷えきっている。
 店を出る。早足。小走り。全力疾走。・・・早く帰ろう。犬よ、走れ。
 気ばかり急いて。しかし足はもつれ、なかなか先へは進まなかった。・・・しばらくの間、エスプレッソを飲むたびに、あの日見たミラノの閉ざされた世界の寒々しい様子が目の前に現れて、胃が縮むのだった。


 1年を通して曇りの日が多く、半年は冬の寒さが残るミラノから引っ越そうと、南国・ インペリアの海を一望できる赤い屋根と白壁の小さな家「ジーノの家」を借りた。シチリア、ナポリにも移り住み、ついには定年退職者が海から引き揚げた古式帆船に6年も住んでしまう。

 この本は、ベストセラーになった 「『考える人』は本を読む」 河野通和著、角川新書)で取り上げられていた。

 河野通和は「ジーノの家」の項の巻末で、こんなコメントがつけている。

 「2011年、本作で日本エッセイスト・クラブ賞、講談社エッセイ賞をダブル受賞。近年私の出会った中でも、著者はもっとも噛(か)み応えのある書き手の一人です。行動力、観察力、記憶力、構成力、文章力......すぐれた特長はいくらでも挙げられますが、イタリアかぶれとは対極の彼女が、イタリア人のありふれた暮らしになぜ引き寄せられてしまうのか ――そのプロセスと謎が、読む者の心を騒がせます」


 「対岸のヴェネツイア」は、内田洋子の最新作。今度はヴェネツィアに引っ越すと伝えると、ミラノの人々エッと驚いた。

 
たいていの人は一瞬押し黙った。ミラノからは近いけれど、遠い町。住めることならぜひ、と誰もが夢見る一方、実際に引っ越す人はたしかに稀かもしれない。うらやましいわ、でもなぜ引っ越したの、家はどのあたり、住み心地はどう、酷い湿気でしょう、冠水は大丈夫なの・・・。


 著者が選んだのは、なんと水草の浮島に建つヴェネツイアと運河を挟んだ対岸にある離島、 ジュデッカ島だった。
 そこから水上バスでせっせと"水の都"に通い、名も無い人に会い続けた。

 
「〈マンマ(母)〉を十個、お願いね!」
 逞しい腕を上げて岸壁に係留している小舟の舟主に、中年女性が注文する。アーティチョークの〈尻〉こと萼(がく)は、そのどっしりした外観からか〈マンマ〉と呼ばれている。

マンマ.jpg

「ざく切りにしてパセリ、ニンニクといっしょに炒める。・・・これ食うと、ああヴェネツィア、という気がするもんよ」
 ほんとほんと、郷土料理の肝心要、そのとりよぇ、と岸壁側の主婦たちは頷いている。


 ただ「心配なことがある」と、内田洋子は, WEB版週刊誌「考える人」(新潮社)で警告している。観光客が殺到しすぎて、ヴェネツィアの都市機能がマヒしようとしているのだ。

 
「裏の路地の隅は、公衆トイレよ」
 「酔っ払ってリアルト橋から下着で運河に飛び込んで泳いだ若者がいたし」
 「サンマルコ広場の回廊にテントを張ろうとした外国人観光客もいたな」

リアルト橋         サンマルコ広場
リアルト橋.jpg  サンマルコ広場.jpg


   「昨日、リアルト橋手前で羊にリードを付けて引いていた男の人を見たよ」
  夏になると、ビーチサンダルにショートパンツ、上半身は裸もしくはビキニ姿も増える。
 老舗は格と歴史を失うまい、と価格をさらに引き上げる。より多く払える客が品格ある客、ではないのに。
 ・・・
 「2017年2月1日までに、過剰な観光客のせいで住民の日常生活が脅かされている現状を打開するための策が講じられないようなら、世界遺産認定を取り消し、『危機にさらされている世界遺産』として登録する」
 昨年7月、ついにユネスコがヴェネツィア市に対して警告を公示した。
 ・・・
 さてどうなる、ヴェネツィア。