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2017年1月31日

読書日記「俳句の海に潜る」中沢新一、小澤實著、株式会社KADOKAWA刊)


俳句の海に潜る (角川学芸出版単行本)
KADOKAWA / 角川学芸出版 (2016-12-26)
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 このブログにもUPした「アースダイバー」「大阪アースダイバー」の著者で人類学者の中沢新一と、読売俳壇の選者などを務める俳人の小澤實が、俳句ゆかりの地を何度か訪ねながら対談や講演をした。

   月刊「俳句」(角川文化振興財団刊)で随時掲載されていたのが、1冊にまとまった。中沢新一ファンとしては、読まないわけにはいかない。この人の話しは、あまりに感覚的過ぎて、スーと頭に入ってこないのが難点といえば難点だが・・・。

  「アースダイバー」というのは「カイツブリが海の底からくわえてきた土のかけらが陸地を作った」というアメリカ・インディアンの神話。この本の表題である「俳句の海に潜る」は、この神話から取ったらしい。

 中沢が、アースダイバー論を、そして「俳句はアニミズム(精霊信仰)である」と滔々とぶつのに対し、6歳年下の小沢が謙虚に教えを乞うように見える異色の俳句論である。

 「アヴァンギャルドと神話」と題した第4章では、2人は諏訪を訪ねている。

 諏訪大社発祥の地と言われる前宮に行き、「水眼」の清流を見て、縄文時代からの聖地を感じる。山梨で少年時代を過ごした中沢は、周りの大人たちから「甲斐から諏訪の周辺は縄文時代から変わらないのだよ」とよく言われたという。

 小澤も山梨出身の俳人、飯田蛇笏の「採る茄子の手籠にぎゆアとなきにけり」という句を取り上げ「茄子が単なる野菜ではなく、精霊そのものになっている」と話す。

 中沢は「現代は俳句の危機の時代」だという。

 
 俳句の主題はモノ。この非人間なるものにどうやって「通路」を作っていくかが俳句という芸術の本質。和歌、短歌は人間の世界、しかも根幹は文化だから、都市なんです。ところが、俳句は都市に非ざる世界が必ず広がって、人間ならざる世界と回路を作っていく。そういう芸術だから、むしろ抱えている危機は深い。


 小澤は答える。

 
 切字、文語とか、今の若い人には届きにくい。短歌はそれをほとんど捨ててしまって、若者が飛びつくような詩になっている。・・・切字、文語を使いこなせるようになるまでには、時間がかかってしまう。でも、俳句は切字、文語をどうしても捨てたくない。言霊的なふしぎな力がそなわっている。


 2人が諏訪に旅をした2か月前に、中沢は「俳句のアニミズム」と題した講演をしている。この講演の前に、中沢は小澤に「アニミズムらしい俳句」を10句選んでもらい、講演ではそのいくつかを論評している。

  凍蝶の己が魂追うて飛ぶ 高浜虚子

 「これをアニミズム的な詩と呼ぶことはできますが、じつは近代的なアニミズムです。魂が抜けて凍蝶になってしまった。宗教学の定義にしたがったアニミズムで、私としては面白くない」

  蟋蟀が深き地中を覗き込む 山口誓子

 「喩表現によって動物の人間化をおこそうとしています。しかし人間が自分の心の『深き地中』を覗き込むときには、人間は逆に蟋蟀に変化していくことによって、人間と非人間に共通する生命の深淵を覗き込むことになります」

  何もかも知ってをるなり竈猫 富安風生

 「猫は犬に比較すると人間の感情や思考に対して無関心で、その分より原始的な生き物だと言えます。その猫が『何もかも知ってをる』のですから、おそろしく原始的な知性に見つめられているわけです。平凡なようでこわい句です」

  泥鰌浮いて鯰も居るというて沈む 永田耕衣

 「地霊→鯰→泥鰌という、深から浅に向かう象徴的思考の運動の背景にあって、神話論的にじつに豊かな俳句だと感じます。泥鰌は水底に近く暮らす魚ですが、どこかトリックスターなひょうきんさがあって、水底と水面のあいだをいったりきたりします。その泥鰌が「底のほうには鯰もいるよ」と報告して、また身を翻して水底に戻っていきます。この鯰が地霊と組んで、地震をおこすのです」

  おおかみに蛍が一つ付いていた 金子兜太

 「まさに『東国』のアニミズム感覚です。蛍はお尻を光らせ、その蛍を体につけたおおかみは、目の力をもって存在の光をしめします。・・・私たちの中には、おおかみの目の光の記憶があるように思えます。たぶんこの目の光は、『東国』の自然の放つ霊妙な原始的エネルギーの化身なのでしょう」

 
 こういう目で俳句を見ていますと、俳句とアニミズムが根源的なところでつながっているということがよく分かります。アニミズムと言語の比喩的本質が強く結びついているような。古代的な芸術を残している民族は他ではあまり見かけません。しかもそれが前衛性(アヴァンギャルド)への道も開いている。


2013年1月11日

読書日記「大阪アースダイバー」(中沢新一著、講談社刊)


大阪アースダイバー
大阪アースダイバー
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中沢 新一
講談社
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 一昨年の11月に、このブログで著者が書いた縄文時代から説き起こす東京論 「アースダイバー」についてふれた。その時にも少し書いた「大阪アースダイバー」が、昨年10月にやっと単行本になった。予想通りの人気で、図書館で借りることができたのは、昨年暮になってしまった。

 中沢は、江戸時代に大阪・道頓堀の芝居小屋で始まったと言われる「とざい、とうざい」という 「東西声」には、単に芝居前の口上ではない「もっと重い大阪的意味がこめられている」と、思いもよらない切り口で大阪都市論を始める。

 現代の大阪の街では、南北を走る「筋」という道が自動車道路などとして優先されている。しかし、実際に徒歩で大阪の街を歩き、古地図を見ても東西に走る「通り」のほうが、大阪の街の成り立ちとして重要だというのが、著者の"第六感"。

東京のように皇居(江戸城)を中心とした権力思想の都市でも、京都のように中国から輸入された観念論的に設計された都市でもなく、・・・大阪は太陽が動く東西の軸を基に設計する「自然思想」が都市の土台になっており「古代人のような自然なおおらかさと、人間の野生が都市の構造に組み込まれている」・・・


この大阪の東西方向を走るその見えない軸を、著者は自然と野生を象徴するものとして「 ディオニュソス軸」と名付け、大阪の深層をこの軸上に描き出そうとする。

 縄文の昔、人々は 河内湖(現在の大阪平野)という巨大な潟の岸辺近くにムラをつくり、生駒山の自然と河内湖のもたらす幸に恵まれて生活していた。
 人が住むことができる土地は、生駒山麓とその対岸の細長い半島(現在の 上町台地)のような地面しかなかった。

map1;クリックすると大きな写真になります ネット検索で見つけた 画像①(左)に見られるように二千年ほど前には、大阪平野は、河内湖の底にあり、上町台地の東西に広がる西成と東成も水の底にあった。天満も船場も・・・軟弱な土砂層の上にあって海水に洗われていたし、ミナミなどは影も形もなかった。

 ウメダも、 前述したように同じ状態。梅田は埋田の異名もあり、かっては海の底だったのだ。

 大化の改新(7世紀)の後、皇徳天皇は、上町台地の突端に近い高台に難波宮を建設した。この都の中央には 朱雀大路が、そのまた南には「難波大道」が続いていた。

map2;クリックすると大きな写真になります 著者は、この軸線を「生命力が美しい形と威力をもって立ち上がる『アポロンの軸』」と呼ぶ。軸沿いには、画像②(右)に見るように、四天王寺、住吉大社、古墳群など「死に関係するスポット」が連なっていった。

   この南北の軸に対抗して生駒山地から発する東西の軸が、目には見えない「ディオニュソス軸」。

 この2つの軸を「自分の骨格のうちに強力に組み込むことによって、ほかの都市とは違う『大阪』となった」と、著者は主張する。
 権力思考の「アポロン軸」に対し、民衆的な野生の思考軸のせめぎあいが、大阪の活力を支えてきた、という論法だ。

 「ディオニュソス軸」上に育まれてきた「 船場の商人道は、我が国の資本主義の発祥となった」

ナニワの商人世界は、まさに敗者のオンパレードである。船場に屋敷を構えた有名どころを調べてみても、鴻池家は滅亡した尼子氏の出、住友家は秀吉に滅ぼされた柴田勝家の家臣として、立派な敗軍の将であった。関ケ原の戦いで西軍方について戦って、破れた武将の関係者も多い。淀屋、心斎橋筋の大丸下村家の大文字屋呉服店など、静々たる豪商の多くが、戦場で戦って破れた敗北者を先祖としている。
 そうした敗者にたいして、大阪は聖徳太子以来の寛容さをもってふるまった。


 「アポロン軸」の西にあるミナミの繁華街・ 千日前界隈は、中世までは海の底だったところが砂州となり、陸地になった場所。かっては墓地、刑場があり、火屋(火葬場)もあった。そこが整地され、寄席、見世物小屋、芝居小屋が雨後のタケノコのように出現した。

座席の下には、二百数十年もの間、営々と埋葬され続けた人骨が眠り、その上で吉本の芸人たちが演ずる・・・芸に、人々は笑い転げてきた。・・・
 まったくここにはむきだしの人類がいる。まるで、カラカラと歯を鳴らして、白骨が笑っているように、人々が笑っている。日本中を席巻し続けてきた大阪ミナミの笑いは、このような ネクロポリス(死者の都)の上に、比類のない成長をとげてきたのである。


  漫才も「このネクロポリスで誕生」し、上町台地の 生玉(生國魂)神社の境内で「最初の落語と言われる「『彦八ばなし』が演じられた。
 「芸能の王とは、なにあろう死なのである」  著者はあとがき「エピローグにかえて」のなかで、こんなことを書いている。

東京で「アースダイバー」をやった後に、つぎは大阪でやると私が言いましたら、それはまずできないでしょうと、おもに関西出身者たちから言われました。なぜかといえば、アースダイバー的に力の強い場所を探っていきますと、大阪ではかならず微妙な問題にふれていくことになる、早い話が差別に関わる微妙な問題に抵触せざるを得ないから、東京でやったみたいに気楽な気持ちではできないよと、その人たちは忠告してくれるのです。


 しかし著者は、「あいりん地区」「コリア世界」、そして「被差別発祥の地」という「ディープな大阪」に果敢に切り込んでいく。

 おもしろいのは「大阪のおばちゃん」の原点を、朝鮮・ 新羅の女神に見つけようとしていることだ。

 この神話はけっこう有名らしく、先日の出雲旅行の際にも聞いた覚えがある。

その昔、新羅のアグ沼のほとりで、一人の若い女がしどけない格好で昼寝をしていた。その様子を太陽の神が見て、うれしくなった。太陽神は一筋の日光に身を変えて、目の前に広げられた女の股間にまっしぐら、光はみごと女陰への侵入を果たした。妊娠した女は不思議なことに、一つの赤玉を産み落とした。赤玉は美しい少女に姿を変え、成長して、新羅の王子である「アメノヒボコ(天之日矛)」の妻になった。つまり彼女は母親と同じように、あるいは母親とは違う意味で、「太陽の妻=ヒルメ=ヒメ」となったのである。・・・
 ヒルメ(日妻)となった彼女が、ある日突然、自分の故郷はここではなく、日本列島にあると言い出したのである。これには新羅の王家も困った。いくら説得しても聞く耳もたない彼女は、ついに小舟に乗って船出をして、日本にたどり着き、北九州を経てついに大阪湾に入り、・・・上町台地に上陸したのである。『古事記』には、「このお方こそがナニワの ヒメコソ神社にいまします アカルヒメである」と善かれている。


 「太陽の妻」の子孫である「大阪のおばちゃん」というという存在の背後には「恐ろしいほどに深い歴史の真実が隠されている」と、著者はおばちゃんたちに喝采を送る。

 そして「エピローグにかえて」の最後で、こんなことまで書く。

大阪の空洞化をさらに加速しようとしているのは、 新自由主義的グローバリズムです(その通り!)。・・・そういう問題に維新の会はどう対処しているのでしょうか。橋下市長と維新の会の背後に、私はどうしても新自由主義を語り続けて来た人々の野望を感じ取ってしまいます。・・・  しかし問題は、現在大阪に疲弊をもたらしているものが、これまでの大阪の ポピュリズムを突き動かしてきたものとは、異質な原理であるという点です。・・・  しかしどうも最近「大阪のおばちゃんたち」はそのことに少し疑問をいだきはじめているように感じます。・・・もう少し時間が経てば、かならず強靭な「大阪の原理」「大阪の理性」が再び働き始めるはずです・・・。




2012年10月17日

旅「東北・三陸海岸、そしてボランティア」(2012・9・30―10・6)・下



 大船渡市市赤崎町に住む金野俊さんという元中学校の校長先生に出会った。

 話しているうちに、金野さんの口からこんな言葉が飛び出した。「私は、日本人とは思っていません。 縄文人 弥生人が"和合"した子孫です」

 金野さんの話しは、東北・ 蝦夷征伐の英雄、 坂上田村麻呂と蝦夷(アイヌ)の指導者、アテルイの抗争と和解にまで及んだ。

 東北の地は1万年に及ぶ縄文文化にはぐくまれてきた土地であることに気づかされた。

 大船渡港に入るさんま漁船などが目標にするという尾崎三山。その南端の岬にある 「尾崎神社」に行ってみた。縄文人の流れをくむアイヌが神事に使う 「イナウ」に似たものが宝物として納められている、という。海岸の鳥居を抜け、揺拝殿までの境内は、このブログでもふれた 中沢新一の「アースダイバー」に書かれた縄文の霊性の世界。そんなパワー・スポットだった。

 たった3日間だけだったが、 カリタス大船渡ベース「地ノ森いこいの家」 で御世話になりながらのボランティア活動中も、縄文の昔からの「地の力」とそこで震災と闘い続ける「人の力」を不思議な思いで受けとめた。

 大船渡ベースは、カトリック大阪管区が管轄しており、管区の各教会の信者が交替でボランティアに来ているが、東京などから週末の連休を利用して来る若いサラリーマンも多い。

 初日の3日は、牡蠣の養殖をしている下船渡の漁場で、舟のアンカーや養殖棚の重しに使う土のう作り。60キロ入りの袋に浜の小石を詰め、運ぶ作業はけっこうきつい。軽いぎっくり腰になったのには参った。
 午後は、仮設住宅の草抜きをしていた女性グループと合流、堤防のすぐ後ろにある漁師の方の住宅跡の草抜き。腰をかばうのか、反対の膝まで痛くなり、裏返したバケツに座って作業をする始末。まさに「年寄りの冷や水」

 2日目は、漁師さんたちが住む末﨑町・大豆沢仮設住宅へ。倉庫を作る資材を運び上げたが、すぐれ(時雨=しぐれ)が降りだし、台風も近付いているというので、作業は中止。仮設の集会場で、仮設に住む人たち(老人が多い)の世話をする支援員の人たちと「お茶っこ(お茶飲み会)」。パソコンの写真を見せがら津波直後の話しがほとばしるように出てくる。瓦礫の山を避けて、山によじ登りながら家族や知り合いを必死に探した、という。
 午後はベースに帰り、リーダーの深堀さんが買ってきた材料キットで仮設の住民が使うベンチ作り。これも慣れない作業だったが、比較的短時間で完成し、皆でバンザイ。

 3日目は、再び大豆沢仮設住宅で、再度、倉庫造りに挑戦した。といっても、仮設住宅支援員の永井さん、志田さんの指示に従って砂利土を掘り下げてコンクリートの土台を埋め、床材を組み、支柱を打ち込み、床にベニア板を張る・・・。電動ドライバーの使い方にやっと慣れたころ、その日の作業は終了となった。

 午後の「お茶っこ」の時間に、女性支援員の村上さんが「最近ゆうれいが出る、という話しをよく聞く・・・」と言いだした。男たちは「そんなバカな」と笑いとばしたが、まだ行方不明になっている親類や知人を抱えている人は多い。「ここは多くの方が亡くなられた鎮魂の土地なのだ」と、改めて気づかされた。

「大船渡魚市場」でサンマの仕分けをしていた 鮮魚商「シタボ」の村上さん(61)は、末﨑町の家と店舗を流された。テント張りの店を再開しながら、近くの仮設住宅に来るボランティアやNPOの世話役も買って出ている。たくましい笑顔を絶やさない人だったが、津波でスーパーに勤めていた24歳の娘さんを亡くしたことを、他の人から聞くまで一言ももらさなかった。

元中学校長の金野さんが、ホテルに1枚のDVDを届けてくれた。
 地元の新聞社「東海新報社」が、社屋近くの広場から津波が襲ってくる様子を撮影したものだった。「湾内から脱出できず、転覆して亡くなった方の船も映っています。その場面では手を合わせていただければと思います」。そう書かれた手紙が添えられていた。

 「いこいの家」に常駐しているシスター(カトリックの修道女)の野上さんから「ここに来た若い方がたは、不思議に変わって帰られます」という話しをきいた。
  「ああ、アウシュヴィッツにボランティアとして来るドイツの高校生と同じだな」と思った。

 私も、少しは変われたろうか。縄文時代から培われた「地と人の力」、そして「鎮魂の思い」に揺り動かされ続けたたったの1週間だったが・・・。

 ※参考にした本
 ▽ 「白鳥伝説」 (谷川健一著、集英社刊)
 東北には、白鳥を大切にする白鳥伝説が伝えられている。その伝説を探りながら縄文・弥生の連続性を探った本。大船渡「尾崎神社」にもページを割いている。

 ▽「東北ルネサンス」(赤坂典雄編、小学館文庫)
 東北学を提唱している 赤坂典雄の対談集。
 このなかで、対談者の1人、 高橋克彦は「蝦夷は血とか民族ではなくて、・・・東北の土地という風土が拵(こしらえ)るもの」と話している。
 同じ対談者の1人の 井上ひさしは、岩手県に独立王国をつくる 「吉里吉里人」という小説を書いた意図について「我々一人ひとり、日本の国から独立して自分の国をつくるれぞということをどこかに置いておかないと、また兵隊をよこせ、女工さんをよこせ、女郎さんをよこせ、出稼ぎを言われつづけける東北になってしまうのではないか」と書いている。
 「原発の電気をよこせ」の一言は書かれていない。

尾崎神社;クリックすると大きな写真になります 鮮魚商の村上さん;クリックすると大きな写真になります 大船渡魚市場;クリックすると大きな写真になります
森閑とした尾崎神社。市内には、国の史跡に指定された縄文時代の貝塚も多い サンマの仕分けをする鮮魚商の村上さん。今年は、三陸沖の水温が高く、北海道産しか、あがっていない カモメが群れ飛ぶ大船渡魚市場。市場が古くなり、新市場を隣に建設中だが、完成まじかに震災に見舞われた
地ノ森いこいの家;クリックすると大きな写真になります 60キロの土のう;クリックすると大きな写真になります 仮設住宅の倉庫作り作業;クリックすると大きな写真になります
「地ノ森いこいの家」。ボランティア男女各8名が2食付き無料で泊れる 60キロの土のうを計66個。いや、きつい! 仮設住宅の倉庫作り作業。電動ドライバーも、慣れた手つきで?


付記・2012年11月21日

 ▽読書日記「気仙川(けせんがわ)」(畠山直哉著、河出書房新社刊)

 岩手県陸前高田市出身の写真家である著者が出した写真集。

 ちょうど、陸前高田市の隣の大船渡市のボランティアに行く準備をしていた9月中旬。 池澤夏樹の新聞書評でこの本のことを知り、図書館に購入申し込みをし、先週借りることができた。

 不思議な迫力で迫ってくる本である。前半は、著者が「カメラを持って故郷を散歩中にふと撮りたくなった」カラー写真が続く。
 ところが、ページの上半分は空白。下半分に載った風景は、もう見ることができない三陸の普通の風景・・・。戦慄が走る。

 写真の合い間に、著者が家族の安否を確認するためオートバイで故郷に向かう文章が挟み込まれている。これも、上半分は空白である。

「いまどこ?」「山形県の酒田。雪で進めなくて」「あたしは角地(かくち)。これから母さんと姉さん捜しに行くから」「え、一緒じゃないの?」「なに言ってるの」「だって避難者名簿に出てたんだから、末崎の天理教に三人一緒にいるつて」「宗教なんて信じちゃ駄目よ」「いやそうじやなくて」「後ろに待ってる人がいるから、じやあね」。あ、待って、切らないで。くそったれ。じゃあ、あれは存在する結果ではなかったのか。固い床の上で寄り添って、毛布を被っている三人なんて、いなかったというのか。あの情景を、いまさら僕の頭から消せというのか。


 真白な1ページをはさんで、写真は一変する。空白はない。

 津波が引き上げた跡の陸前高田市。瓦礫が積み重なり、民家の屋根だけが残り、杉林に自動車の残骸が押し込まれ、陸橋が浜辺の砂に埋まっている。

 これは、同じ場所の写真なのだろうか。この10月に見ただだっぴろい平野にコンクリートの建物と民家の土台だけが残っていた陸前高田市。

 しかし、行った時には切り倒されていた一本松も、大きな水門も、「幽霊が出る」といううわさが消えないホテルも、橋が流出して渡れなかった気仙川も、確かに写っている・・・。

 写真集の後半部には、文章はない。

「あとがきにかえて」には、こう書かれている。

あの時僕らの多くは、真剣におののいたり悩んだり反省したり、義憤に駆られたり他人を気遣ったしたではないか。「忘れるな」とは、あの時の自分の心を、自分が「真実である」と理解したさまざまを「忘れるな」ということなのだ。


気仙川
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