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2012年9月21日

読書日記「風の島へようこそ」(アラン・ドラモンド著、松村由利子訳、福音館書店刊)「ロラン島のエコ・チャレンジ」(ニールセン北村朋子著、野草社刊)



風の島へようこそ (福音館の科学シリーズ)
アラン・ドラモンド
福音館書店
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ロラン島のエコ・チャレンジ―デンマーク発、100%自然エネルギーの島
ニールセン北村朋子
新泉社
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 2冊とも、風車などで「自然エネルギー100%自給」を実現したデンマークの島の話しである。

 「風の島へようこそ」は、変形版40ページの絵本。舞台は、デンマークの首都コペンハーゲンから西100キロの海峡にある面積114平方キロ、人口4300人の小さな島、 サムソ島だ。  
あるとき、デンマーク政府が1つの計画を思いつきました。
 どこかの島をえらび、そこでつかうエネルギーをすべてその島でつくろうという計画です。そして、いくつかの島の中から、わたしたちの島がえらばれたのでした。


 この計画のリーダーになったのが、この島で生まれ育ち、島の中学校で環境学を教えていた ソーレン・ハーマンセンさん(現サムソ・エネルギー・アカデミー代表)(52)。
 ソーレンさんの提案に、こどもたちはわくわくした。「でも、おとなたちがわくわくしはじめるには、もうちょっと時間がかかりました」  
ある日、電気工のブリーアン・ケアさんが、ハーマンさんをよびだしました。
 「うちに中古の風車をとりつけたいと思うんだ」


 ある夜、激しいみぞれまじりの雪が降り、停電になった。  
でも、ケアさんの家には、あかりがついていました。「停電なんてへっちゃらだ!」
 ケアさんは大きな声でいいました。「家の風車は動いている!電気をつくっているんだ」
 小さな風車は、ぶんぶんとたのもしい音をたててまわっていました。


 これがきっかけで、島民たちの自然エネルギー熱に火がついた。銀行から融資を受けて大きな風車を建て、法律による電力の固定価格買い取り制を使って電力を電力会社に売る人が出てきた。農場に太陽パネルを並べて電力をまかなう人、ナタネから採った油でトラクターを動かす人・・・。島にたっぷりある藁や木片を燃やすバイオマス暖房プラントが立ち上がり、環境保全に目覚めて電気自動車や自転車に乗る人が増えた。  現在、島には1メガワットの風力発電が11基稼働しており、島内の全電力需要をまかない、洋上にある2メガワットの風力タービン10基も、売電で年率6-7%の利益を生み出している。

 今や、サムソ島は「エネルギーの島」として世界的に有名になり、日本のNHKなどの取材が絶えない。

 ソーレン・ハーマンセンさんも、福島原発の事故以降しばしば訪日し、講演やインタビューなどをこなし「自然エネルギー100%」を推奨している。

 「ロラン島のエコ・チャレンジ」の舞台となっているロラン島は、サムソ島と同じ「自然エネルギー100%自給の島」。 著者は、ロラン島にデンマーク人の夫、小学生の息子と住む日本人環境ジャーナリストだ。

 この島は、約1200平方キロ、人口約6万9000人とサムソ島に比べるとかなり大きく、可動橋で結ばれている東隣の ファルスタ島と合わせると風車は陸上、洋上を合わせて550基以上もある。つくられた電力の一部は、首都コペンハーゲンまで供給されている、という。

 著書には、1973年のオイルショックで政府は一時、原発推進を決め、ロラン島も原発2つの建設予定地の1つだったことが書かれている。しかし、島民など国をあげてての根強い草の根運動で政府は原発を断念、それがデンマークを再生可能エネルギーの先進国にしたきっかけになった。

 大きかったのは、政府が「原子力政策推進」のために設置したはずの「エネルギー情報委員会(EOU)が、原発建設論議で公平な活動を貫いたことだった。

 著者は、こう書く。  
EOUの事務局長であったウフエ・ゲアトセンが、インタビューで語ってくれた言葉が、私たち日本人にとってはとても心に響く。
 「日本は今、エネルギー問題について考える重要な岐路にある。日本にとって大事なことは、公平な第三者委員会を立ち上げて正しい情報を提供、共有し、原発やそれ以外のエネルギーや社会について、国民と共にホリスティックに議論することだ。そこで重要なのは、見識者、専門家は 『独立した』『政府や権力の息のかかっていない』『中立的な立場』 の人選をすること。それなくして、公正な議論は成り立たない」
 はたして、今の日本は、そういう選択ができているだろうか。


 ロラン島はかって造船で栄えた街だった。それが、日本などに追われて造船業が衰退、周辺地域も含めて地形がバナナに似ていたため、長く「腐ったバナナ」と呼ばれていた。それが、廃業した造船所跡に風力発電機メーカーを誘致、自然エネルギーのメッカになることで「グリーン・バナナ」と名前を換えた。

 しかし、今回の金融危機や中国など新興国の追い上げで、人件費の高いデンマーク経済は苦境に陥り、風力発電機メーカーも大幅な工場閉鎖、人員閉鎖に追い込まれた。

 しかしロラン島自治体は、2つのプロジェクトで「自然エネルギー先進国」の看板をさらに推進しようとしている。  1つは、風力発電機メンテナンスの専門技術者を育てる職業訓練学校を設立するなど環境関連ビジネスの推進、もう1つは燃料電池で熱と電気をまかなう水素プロジェクトの開発だ。

 在デンマーク日本大使館の 住田智子さんのレポートによると、バルト海に浮かぶ デンマーク・ボーンホルム島でも「ブライト・グリーン・アイランド戦略」というプロジェクトを展開、「カーボン・ニュートラル」を目指している。

 日本にも 「エネルギー自給100%を目指す島」がある。

 対岸の原発建設計画に反対し続けている瀬戸内海、 祝島の住民が、 「祝島 自然エネルギー100%プロジェクト」を推し進めている、という。

 「エネルギー自給100%を目指す」のは、小さな島でしかできないのだろうか。

 絵本「風の島へようこそ」に、こんな1節がある。  
ちょっと考えてみてください。
 地球は、宇宙にうかぶ、とても小さな島みたいなものです。
 だから、あなたがどこの国の人であっても、
 わたしたちと同じように「島にすむ人」だと考えていいと思います。
 地球という島を守るために、あなたのできることがあるはずです。


 日本も、地球に浮かぶ島の1つ。そして揺れ動く岩盤と活断層の上の薄い地表に、 54基もの原発を建ててしまった。

 もし原発のメルトダウンが再度、起きたら 「日本沈没」 ディアスポラ(民族離散)・・・。

 ※参考にした本
 ▽「グリーン経済最前線」(井田徹治、末吉竹次郎著、岩波新書)
 共著者の1人、井田徹治さんは、表題の絵本「風の島へようこそ」でも、巻末解説を書いている。
 サムソ、ロラン島をはじめ「21世紀に目指すべき自然環境と調和した新しい『グリーン経済』への胎動を紹介している。
グリーン経済最前線 (岩波新書)
井田 徹治 末吉 竹二郎
岩波書店
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   ▽画集「井上よう子作品集」( 井上よう子著、 ギャラリー島田刊)
 兵庫県西宮市在住の画家だが、長年デンマークに滞在していた。その作品の多くに風車が描かれる。深くすんだ青い色調のなかにとけこんだ風車がなんとものびやかで、たくましくみえる。
 この6月にギャラリー島田で開かれた 展覧会に出かけた。作品はとても買えなかったが、求めた画集を時々めくりながら、1昨年、デンマークで聞いたのと同じ風車の音が聞こえてきたような気がしている。

2012年1月 9日

読書日記「ディアスポラ」(勝谷誠彦著、文藝春秋刊)


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勝谷 誠彦
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 日本人の精神構造を大きく変えてしまった「3・11」。文学の分野でも、これから「フクシマ」をテーマにした様々な作品が発表されていくのだろう。

 川上弘美の 「神様 2011」については、このブログでもふれた。この小説もポスト「フクシマ」の1つだろうと思って手にしたが、10年前に書かれたものと知っていささか驚いた。随所に故・小松左京の名著「日本沈没」に似た予見があふれている。

著者の勝谷誠彦のことはまったく知らなかったが、ちょっと破天荒な経歴を持つコラムニストだったことも、ちょっとした驚きだった。

「事故」とだけ呼ばれる出来事で日本列島は居住不能になり、日本人は世界中に設けられた難民キャンプに散っていく。
主人公の「私」は国連職員。チベットの首都・ラサから2000キロも離れた奥地・メンシスに「日本人難民状況巡回視察官」として派遣されて来る。

キャンプで人々がランプの灯火の下ひそひそと話す夜、ただ「事故」と呼ばれる出来事、私たちが有史以来くぐり抜けてきた災厄など語るほどのことですらないと思われる、あの出来事・・・。
 (灯)の背後の闇にこそ、会うべき人々がうずくまっているのである。東海に浮かぶ恵まれ過ぎた島に、ぬくぬくと何十万年も抱かれていた人々が、裸で、むつきもされぬ赤子のように。


難民キャンプのあるチベットの地は、世界最大級の高原が広がる自然豊かな土地だった。しかし、今やいたるところで腐臭が漂う場所になってしまった。

コンクリートで造られた階段を上がると、四角に切られた穴が並ぶのだが、そこまでたどり着くのが苦行なのだ。人糞の散乱は階段から始まる。なんとか踏まずに昇っても、穴の横には足を置く場所がない。大便の主は、すべからくここで漢人と呼ばれる中国人だ。チベット人たちは遊牧民の誇りとして、便所などというものは使わない。


キャンプの近くの湖には、苛性ソーダが飽和状態ぎりぎりまで溶け込んだぬめぬめとした異臭を放つ水が寄せている。プラスチックやガラスの砕けたものなども累々と重なりあっている。
このことは漢人の宿痾(しゅくあ)としか私には思えない。彼らは、いかなる美しい風景の中にも平気でゴミを投げ捨てるのである。


こんな描写で、著者は、 チベット自治区という名のもとに中国がこの地域を支配、チベット人はすでに"難民"になっている現状を浮かび上がらせる。

この地域の日本人難民キャンプを統括しているユダヤ人の国連職員・ダヤンが登場してくることで、表題の 「ディアスポラ」の意味が分かってくる。

 
「私たちは二千年間、世界に散らばっていました。紀元七三年 マサダという砦に立てこもっていた最後のユダヤ国民がローマに滅ぼされてから、再び建国に成功するまで。その出来事を私たちは民族離散、ディアスポラといいます」


 
ディアスポラ。今日からここにいる(日本の)人々の生には未来永劫、禍々しい影のように、その言葉が寄り添うに違いない。


 ユダヤ(イスラエル)人のダヤンの口を通して、国連、世界は日本人に終わることのない放浪を強いようとしていることが示される。

 実は「私」は、国連職員としての仕事以外に、かって日本を支配していた「組織」の人々から"密命"を受けている。

 
もし、また日本人たちがどこかで土地を得て集まろうとする時に、はたして求心力たりうるものがあるのかどうかということを、あの人々は考えているのである。・・・
 世界中に散った、日本人たちの集団の中に、新たなる「核」が生まれつつあるのか。「組織」の彼らは、少なくともそれを知りたいのだ。


 しかし難民キャンプにいる日本人の一部は、チベットの風土に同化する道を選ぶ。

 高山病に苦しんでいた中年の主婦が、不法就労で働いていた店で殴られたのがもとで死ぬ。夫と娘は火葬でも土葬でもなく、 鳥葬を選ぶ。「お母さんを風に還すの」と、娘はつぶやく。

 娘の友人であるチベット人・ナムゲルは、こう説明する。
「まず、魂を抜く。あとの肉体は、モノだ。それでも天上に送るために、鳥に食べさせるのだ。専門の処理人が、鋭いナイフなどをつかって、遺体を切る。細かく、細かくだ。小麦粉を混ぜ込むこともある。それを、岩の上に置く。すると、鳥たちがあつまってきて、食べていく。あっという間。おしまい」

 鳥葬場までは遺体と処理人しか行くことを許されていない。最後のわかれの儀式は、峠で行われた。僧たちの読経が終わった後、列席した日本人たちが歌い出す。
 うさぎ追いし、かの山
 小鮒釣りし、かの川・・・ 


 やって来たユダヤ人・ダヤンがしたり顔で講釈する。
 
「家族や民族はどうしても、二つのことにこだわるんだよ。名前と、肉体の始末だ」
 「しかし、そんなものはとどのつまり、どうでもいいことだ。・・・魂は名前を持たず、魂は肉体を持たない」
 「けれども、そのこだわりが、家族や民族のよりどころじゃないのか」
 「ヘッ」
 ユダヤ人は、足元の石を蹴る。・・・
 「名前のかわりに番号を刺青され、影も形もなくなるまで、バーナーで燃やされ、いや、それどころか髪の毛で、スーツ、脂(あぶら)で石鹸を作られても、彼らはユダヤ人だった」


 母を見送った娘は、チベット人の青年の手にしっかりと握られて、高原のなかに消えていった。

 読み終えて、あまりに長い歴史を持つ 「ホロコースト」を思い、「3・11」以降"沈みゆく"列島のなかでもがいている日本人の「核」はなになのか・・・と問いかけてみる。