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2011年11月30日

読書日記「本の魔法」(司修著、白水社刊)


本の魔法
本の魔法
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司 修
白水社
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 表題にひかれて図書館で借りたが、予想外のもうけものの本だった。

 著者は、装丁家と知られる人らしいが、同時に画家、絵本作家として多彩な活躍をし、川端康成賞を受賞したり、芥川賞候補になったりしたこともある小説家でもある。

 目次を開くと「藍」「朱」「闇」など画家の表現らしい1文字の下に、15人の作家の名前と作品が並んでいる。
 司修が装丁した本を引用し、それをどう読んで装丁を思いつき、作者とどう付き合い、自分自身の人生を深めていったかを綴る稀有のエッセイである。あとがきによると「本の魔法にかかって、びりびりと感じたもの記録である」という。

 取り上げられている作家と作品は、古井由吉「杳子・妻隠」、武田泰淳「富士」、埴谷雄高「埴谷雄高全集」、島尾敏雄「硝子障子のシルエット」「死の棘」、中上健次「岬」、江藤淳「なつかしい本の話」、三島由紀夫「癩王のテラス」、森敦「月山」、三浦哲郎「白夜を旅する人々」、真壁仁「修羅の渚―宮沢賢治拾遺」、河合隼雄「明恵 夢を生きる」、松谷みよ子「私のアンネ=フランク」、網野善彦「河原にできた中世の町」、水上勉「寺泊」、小川国夫「弱い神」。

 いずれも、戦後を代表する文学作品だという。読んだ作品はいくつもないので、最初はとまどいがあったが、知らない間に司修の描く魔法の世界に魅了されていった。

 武田泰淳「富士」の項では、作家と付き合いを重ねているうちに、夫人の武田百合子のファンになってしまい、夫人が武田泰淳の死後書いたエッセイ「富士日記」の何か所かが引用されている。以前に、この ブログでもふれたが「富士日記」は私の何年も前からの愛読書でもある。

 司修は、こう書く。
 
乱暴な、無謀ないい方をすれば『富士』は、武田さんにとって百合子さんを知りつくすために、書かれたといえるかもしれない。人間の謎を解こうとするにはあまりに近く大きく存在していた百合子さんのために、遠回りして。


読んでアッと思った。作家の心に深く入り込もうとした装丁家は、そこまで読めるのか・・・。

 江藤淳「なつかしい本の話」の項では「単行本の装幀や装画と相まってわかってくる本の魅力について」江藤の著作を引用している。

 
本というものは、ただ活字を印刷した紙を綴じて製本してあればよい、というものではない。
 ・・・沈黙が、しばしば饒舌より雄弁であるように、ページを開く前の書物が、すでに湧き上がる泉のような言葉をあふれさせていることがある。その意味で、本は、むしろ佇んでいるひとりの人間に似ているのである。


 
かって私の心に忘れがたい痕跡をのこし、そのままどこかに行ってしまった本のことを考えていると、表紙のよごれや、なにを意味しているのかよく分からなかった扉の唐草模様、それに手にとったときの感触や重味などが、その本の内容と同じくらいの深い意味を含んで蘇って来る。


 森敦「月山」の項では、装丁を巡る装丁家と編集者の丁々発止のやりとりが続く。

 
装幀は、何も語らず、物語のいっさいを伏せて、知らん顔して、しかし深く入り込むほうがいいし、「月山はこの眺めからまたの名を臥牛山と呼」ぶ姿を、実際の月山の写真やスケッチではなく、牛の背であらわせたら最高だ、と思った。
 ぼくの持っている『世界素描全集』の中に、日本の墨絵が素描として扱われ、作者不詳の、形のいい牛があるのを思い出した。本棚から取り出してみると、「月山」のために待っていたかのような牛の絵は、「モウワタシイガイニアリマセン」といっていた。


 しかし「こんな簡単に装幀が完成してしまっていいのか」と、司はじくじたるものを感じる。「月山」を読み返しながら、装丁のイメージを何度となく描いてみる。

 やって来た(編集者)の飯田さんと午後4時ごろから酒を飲む。飯田は、示した装丁原稿が気に入らないらしい。飲み続けて午前零時を回ったころ、司はたまらず素描全集の「牛の絵」を開く。

飯田さんは「歌舞伎役者のごとく膝を打って、「これです」と絶叫した。ぼくは装幀者として、何の作業もしないデザインを恥じていたのだと思う。
 飯田さんは、酔い方もしゃべり方も変わり、躍り出さんばかりだった。・・・無言の闘いが解決すると、彼もぼくもハイになり、・・・


小川国夫「弱い神」の項では、2人が「もう1軒「「もう1軒」と飲み歩き、飲みつくすエピソードが何回も登場する。そこには、司修の小川国夫への深い敬慕の念が満ちあふれている。 

昔のことです。春の明け方の、光や音がよく澄んだ冷たい坂道を、小川さんとぼくが酔っぱらって歩いている。三日三晩ぶっつけで、目覚めると酒場に行き、小川さんを慕う若い男女が集まってくると、小川さんの小説の中の恋愛について語り、そのなりゆきにそれぞれの経験を重ねて語り明かしました。といいても、たあいないものです。しかし酔うほどに真剣度は増していきました。


(奄美大島の酒場で)小川さんは島の男に捕まって、文学論をふっかけられていました。小川さんは怒らない人ですから、丁寧に返事をしていました。ぼくは困ったなと思い、その文学談義をやめさせようとして、その場に入って行って、何やらめちゃくちゃなことをいっておりましたら、小川さんが「あんたばかか」といったんです。ぼくは、ああ、これだな、叱られてうれしくなるってのは、と思いました。


小川国夫の作品は、この ブログでもふれたことがあるが、私には小川国夫はカトリックとプロテスタントの「共同訳聖書」の編者として活躍した敬虔なカトリック信者だったという印象しかなかった。
それが、この破天荒ぶり。なんだか、うれしくなる。

『弱い神』の装幀を考えていたぼくは、戦死者が国旗に包まれるように小川さんを十字架で包もうと思いました。・・・ぼくは『弱い神』という本を、小川さんの御棺と考え、青い十字架の旗で包んだのでした。


この本の装丁は、表紙に描かれた15のワクのなかに、登場する15の作品の装丁が並んでいる、という仕組みである。
ところが、下段真ん中の2つのワクの上に、図書館のバーコードシールが貼ってあり、せっかくの装丁を見ることができない。
「このシールをかきむしりたくなる」。そんなことを書いているブログをWEBで見つけて、フッと笑ってしまった。

読んだ後、その本の表紙をそっとなで回したくなる。そんな「魔法」にかかってしまったようである。

2010年12月24日

読書日記「司馬遼太郎が書いたこと、書けなかったこと」(小林竜雄著、小学館文庫)、「三島由紀夫と司馬遼太郎 『美しい日本』をめぐる激突」(松本健一著、新潮選書)


司馬遼太郎が書いたこと、書けなかったこと (小学館文庫)
小林 竜雄
小学館 (2010-09-07)
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 「司馬遼太郎が書いたこと、書けなかったこと」を新聞の小さな書評で見つけ、図書館のボランティア中に検索したが、在庫なし。ところが、図書館員のMさんが、本館書庫にある「司馬遼太郎――モラル的緊張へ」(中央公論新社、2002年刊)という単行本を文庫化したものであることを見つけてくれた。ベテラン司書のすばらしい検索能力である。

 読んでみたいと思ったのは、このブログでも書いた半藤一利の「昭和史」(平凡社刊)のなかで、司馬遼太郎自身がノハンモン事件を「(書きたいと思ったが)実は書けないんだ」と語っていた部分があったからだ。

 小林竜雄の著書の「幻の小説『ノハンモン』の挫折」という章には、半藤が語ったことにもふれながら、司馬遼太郎がノハンモンを書けなかった理由がくわしく書かれている。

 司馬(に)は<明治前期国家>までの日本人は「おろか」ではなく、<明治後期国家>以降の軍人たちと大衆が「おろか」だったという結論に至る。


 司馬は、幕末が舞台の「竜馬がゆく」のなかで、すでに昭和史に触れている。
 (昭和史は)幕末史とも比較して「愚劣で、蒙眛(もうまい)」と徹底して(批判して)いる。ここには、昭和前期の歴史を台無しにした「陸軍軍閥」への憎悪がある。


 どうしてノハンモン事件のような軍事のことには政府の介入ができず、参謀本部の中だけで決めることができたのだろうか。・・・
 それは軍部には「魔法の杖」のような万能の力があったためだ。この「魔法の杖」とは司馬の比喩だが<統帥権>のことである。


   そこで「司馬は、<明治後期国家>を収斂するかたちで、ノハンモン事件を題材とする長編小説を構想していた」。そして、司馬は事件の膨大な資料を集め、関係者の取材を始める。
 なかでも、魅力的な人物がノハンモン事件当時の連隊長だった須見新一郎・元大佐だった。

 須見の、上官とくに参謀に対する批判の舌鋒は鋭かった。
 須見は司馬に、ノハンモンは戦後の今も続いている、といって折しもトイレットペーパーの買い占めに走った商社のことを話題にした。そしてきっと課長クラスが指示したのだと類推して、それを辻正信に擬してみせた。
 須見は戦後の日本社会の中にいつもノハンモン事件の影を見ていたのだった。


 しかし、司馬が「文藝春秋」で元大本営参謀だった瀬島龍三と対談したことで、須見は絶縁状を送りつける。
 「よくもあんな卑劣なやつと対談して。私はあなたを見損なった」


 主人公のモデルと思っていた須見を失って、司馬遼の「小説ノハンモン事件」は幻に終わった。

「三島由紀夫と司馬遼太郎」は、最初の本を読んでいる最中に図書館で借りた。
 著者は、この本の冒頭でちょっと不思議なことを書いている。

 二十五年にわたって書き継がれた「街道をゆく」シリーズには、<天皇の物語>がない、・・・


 この本は「『天皇陛下万歳』と叫んで自決した三島由紀夫と、自決直後に始まった『街道をゆく』シリーズに<天皇の物語>を書こうとしなかった司馬遼太郎」の考えの相違を分析したものだ。筆者は、2人の間に「美しい日本」をめぐる対決があった、とみる。

 司馬遼太郎は、絶筆となった「風塵抄――日本に明日をつくるために」(産経新聞、1996年2月12日)で、バブル経済についてこう書いている、という。
 こんなものが、資本主義であるはずがない。資本主義はモノを作って、拡大生産のために原価より多少利をつけて売るのが、大原則である。(中略)でなければ亡ぶか、単に水ぶくれになってしまう。さらには、人の心を荒廃させてしまう。


 「バブル経済に奔走した日本を、はげしく批判せざるをえなかった」司馬遼太郎の死を、著者は「憤死に近いものだった」と分析する。

 「ノハンモン事件を書けなかった」以前から持ち続けてきた"美しい日本を取り戻したい"という思いがはたせなかったすえの憤死だったのだろう。

▽最近読んだ、その他の本

  • 「老いの才覚」(曽野綾子著、KKベストセラーズ)

    著者は、のっけから最近の老人のなさけなさ、才覚のなさに、プンプン怒っている。
    「駅に行くと、同行者が切符を買ってくれるのが、当然のように・・・。切符を渡されたら『席はどこ?』と切符の文字さえ読もうとしません。バックから老眼鏡を出すのが億劫なんですね」
    「『(配偶者やこどもが)・・・してくれないと始終口にしている人がいる。・・・ひそかに『くれない族』と呼んでいる・・・」  

     実績のある人だから言えるのだろうが「私ならこうする」と、老人を叱る高飛車な言い方がいささか鼻につく。関西弁で言うと"なんか、えらそうに・・・"。
     ただ、このブログでも以前に同じ著者の本「戒老禄」(祥伝社)のことを書いたが、老人への厳しい提言はそれなりの含蓄があることは事実。

     それと、著書で引用されている言葉が、いつもながらよい。
     この本でも最後に、ブラジルの詩人、アデマール・デ・パロスの「神われと共に」(別名・浜辺の足跡)のことを書いている。ちょっと長すぎるので、引用をちゅうちょしていたら、WEBページで、全文を書かれているのを見つけた。
     この詩の結びには、こうある。
     友よ、砂のうえに一人の足跡しか見えない日、それは私(神)が君をおぶって歩いた日なのだよ


  • 「影法師」(百田尚樹著、講談社)  
     時代小説を読むのは「火群のごとく」以来だ。この本は、児童文学者のあさのあつこが初めて挑戦した時代小説だったが、今度はあの「永遠の0(ゼロ)」の著者の初時代小説。

     出版社の担当者から「百田さんの書く『かっこいい男』を読みたい」と言われて、頭に浮かんだのが時代小説だったそうだ。
     確かに、下士の出でありながら筆頭国家老にまで上り詰める主人公の名倉彰蔵も、脱藩して寂しく死んでいくおさななじみの磯貝彦四郎も、徹底してかっこいい。

     まさか――いやそうだ。彦四郎は、俺にすべての手柄を与えるために、わざと斬られたのだ。見切りの技を使い、森田門左衛門に背中をわずかに斬らせたのだ。そして俺が森田と戦っている時に刀を投げた。その刀により一瞬の隙が生まれたことで、俺は勝てた――。


老いの才覚 (ベスト新書)
曽野 綾子
ベストセラーズ
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影法師
影法師
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百田 尚樹
講談社
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