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2011年7月26日

読書日記「津波と原発」(佐野眞一著、講談社刊)


津波と原発
津波と原発
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佐野 眞一
講談社
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 東日本大震災からもう4か月あまり。そろそろ関連の本から離れたいと思うのだが・・・。

 「津波と原発」というあまりに直截的な表題。読むのをいささかちゅうちょした。しかし、さすがにピカイチのノンフィクション作家、冴え冴えとした月光が、瓦礫に下にまだ多くの遺体が横たわっているはずの無人の廃墟を照らしている。
 それは
ポール・デルボーが描く夢幻の世界のようでもあり、上田秋成「雨月物語」の恐怖と怪奇の世界が、地の果てまで続いているようでもあった。
 骨の髄まで凍てつく不気味な世界だった。いま見ているのは黙示録の世界だな。これは、きっと死ぬまで夢に出るな。建物という建物が原型をとどめてないほど崩落した無残な市街地の光景を眺めながら、ぼんやりそう思った。


新宿ゴールデン街「ルル」の元ママの"おかまの英坊"を大船渡の避難所で探しあてた。
 
「いま、火事場ドロボーみたいな連中が、あちこち出没しているらしいの。五,六人の集団が車で乗りつけて、無人の家の中に入り込んで金目のものを盗んでいるらしいの。・・・津波で流された車からガソリンなんかも抜き取るそうよ。だからここでは、いま夜間パトロールしているのよ」


 
私は地震直後、東京新聞に寄稿した短文に「これほどの大災害に遭いながら、略奪一つ行われなかった日本人のつつましさも誇りをもって未来に伝えよう」と書いた。
 だがこの話しを聞いて、そんなナイーブな考えも改めなければならないかもしれない・・・。この未曾有の大災害は、人間の崇高さも醜悪さも容赦なくあぶり出す。


 宮古市の田老地区を訪ねる。津波は二重に設けられた高さ十メートルの防潮堤を楽々と越え、見渡す限り瓦礫の荒野にしてしまっていた。
しかし、どんな大津波も海の上では陸地を襲うほどの波の高さはないという。だから、仮にその上を船が走っていても、揺れはほとんどないらしい。このため、三陸地方には、古くから多くの怪異譚が伝わっている。
 
漁から帰ったら、村が忽然と消えていた。そんな信じられない光景を見て、一夜にして白髪になった漁師がいた。なかには、恐怖のあまり発狂した漁師もいた。
 帰って見ればこは如何に 元居た家も村もなく 路に行きあう人びとは 顔も知らない者ばかり・・・と童謡に歌われた浦島太郎の話しは、こうした津波伝説から生まれたといわれる。


 花巻市で、日本共産党の元文化部長で在野の津波研究家の山下文男氏を見つけ出す。陸前高田市の病院4階で津波に襲われ、窓のカーテンを腕にぐるぐる巻きにして助かった、という。「津波が来たら、てんでバラバラに逃げろ」という意味の 「津波てんでこ」という本を書いている。

 
「田老の防潮堤は何の役にも立たなかった。それが今回の災害の最大の教訓だ。ハードには限界がある。ソフト面で一番大切なのは、教育です。海に面したところには家を建てない、海岸には作業用の納屋だけおけばいい。それは教育でできるんだ」
 「日本人がもう一つ反省しなきゃならないのは、マスコミの報道姿勢だ。家族の事が心配で逃げ遅れて死体であがった人のことを、みんな美談仕立てで書いている。これじゃ何百年経っても津波対策なんてできっこない」


 立ち入り禁止区域の浪江町や富岡町に畜舎に潜入した。あばら骨が浮き出た死体のそばで、肩で息をしている牛がいた。豚も折り重なるように死んでいた。腐敗臭がすさまじく「共食いされたのだろうか、内臓がむき出しになった豚もいた」。

 農業法人代表取締役の村田淳氏は、立ち入り禁止の検問をかいくぐって、牛たちに水トエサを与えてに通っている。
 
「瀕死の状態の牛を安楽死させるっちゅうのは、仕方ない。でも元気な牛を殺す資格は誰にもねえ。平気で命を見捨てる。それは同じ生き物として恥ずかしくねえか」
 「(東電に言いたいのは)ここへ来て、悲しそうな牛の目を見てみろ。・・・それだけだ」


いわき市内では福島第一原発で働く労働者に会った。
「起床は朝の五時です。(旅館で)身支度をして東電のバスで Jヴィレッジに向かいます。朝食はJヴィレッジで食べます。ジュース、お茶、カロリーメイト、魚肉ソーセージ、みそ汁、真空パックのニシンの煮つけ、クラッカーなど好きなものが食べられますが、冷たいものが多くてあまり食指は動きません。
 原発に向かうバスに乗り込む前は、必ずタバコを一服します。心を落ち着かせるためですが、一服していると、これが最後の一服か、と思う瞬間がありますね」


 炭鉱の労働者からは「むやみに明るい『炭坑節』が生まれた」。「炭鉱労働が国民の共感を得たことは、東映ヤクザ映画に通じる『川筋者』の物語が数多く生まれたことでもわかる。その系譜は斜陽化した常磐炭鉱を再生する 「フラガール」の物語までつながっている。

 
だが、原発労働者からは唄も物語も生まれなかった。原発と聞くと、寒々とした印象しかもてないのは、たぶんそのせいである。原発労働者はシーベルトという単位でのみ語られ、その背後の奥行きある物語は語られてこなかった。


 
それは、原発によってもたらされる物質的繁栄だけを享受し、原発労働者に思いをいたす想像力を私たちが忘れてきた結果でもある。原発のうすら寒い風景の向うには、私たちの恐るべき知的怠慢が広がっている。