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2016年8月30日

読書日記「おひとりさまの最期」(上野千鶴子著、朝日新聞出版刊)「上野千鶴子が聞く 小笠原先生、ひとりで家で死ねますか?」(上野千鶴子、小笠原文雄著、同刊)

おひとりさまの最期
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上野千鶴子が聞く  小笠原先生、ひとりで家で死ねますか?
上野千鶴子 小笠原文雄
朝日新聞出版 (2013-02-20)
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 ほぼ1年前の出版で、一読した後、何度かパラパラめくっては放置していた。 元東大名誉教授の有名な社会学者の 著書にしては、ルポと自分の論理が入り組んで、なんだか読みづらいのだ。

 ただ、妻に先立たれ、3人の子供たちも東京に永住しそうな独居老人として、病院や施設でなく、自宅での「おひとりさまの最期」が迎えられたらと思っている。今後の参考になろうかと、再読してみた。

 著者は、前著 「おひとりさまの老後」(文春文庫)で、独居老人に子どもらが同居を申し出てくるのは「悪魔のささやき」と表現。子どもに「わがまま」と言われてもあくまで一人暮らしを貫くのが、幸せな最後を迎えられる最善の道と強調する。
おひとりさまの老後 (文春文庫)
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 同居したばかりに、老後のプランを乱されることがあまりに多く、最後は「介護に疲れた」「自分の時間も持てない」など、子ども側の勝手な?都合で施設や病院に送り出されてしまう。

 しかし、病院は「死は敗北」と考える場所である。救急病棟の延命治療で心臓が止まりかけたかけた心肺を蘇生しようと無理な圧迫して、意識もない老いた患者の肋骨を折ってしまうこともある。しかも家族は ICUから遠ざけられ、呼吸停止を医師が確認して「ご臨終です」と通告されるまで会えない。食欲がなくなれば、無理にでも生かそうとして意識のない患者の胃に穴を開け、栄養物を流し込む。

 施設も、死期が近づくと、高額を払って入った自室から出され、介護居室に移されるか、 病院に搬送されるケースが多いらしい。

 しかし、施設看取り160例を経験した石飛幸三医師の 「『平穏死』のすすめ 口から食べられなくなったらどうしますか」(講談社文庫) によると、「終末期に痛み緩和のためのモルヒネを使用したことは一度もない」という。
「平穏死」のすすめ 口から食べられなくなったらどうしますか (講談社文庫)
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 末期になると、脳から麻薬物質のエンドルフインが出て、モルヒネと同じ作用をするそうだ。だから苦しくないそうだとか。これが「老衰の大往生です」。

 政府も、在宅看取りの方向に重点を移し出した。病院や施設の新設を抑え、在宅診療の医師にわずかながら加算を認める方針を打ち出した。増え続ける医療費削減の一環だ。

 
 一方で「死ぬのは病院で」という「常識」を打ち破ったのは。・・・まず患者たちでした。そんな、無茶な、という「常識」をくつがえして、家に帰った患者たちは、死にかけているのに食欲を取り戻して元気になった、とか、あと数日と思われていたのに何か月も生きるとか、寝たきりだったのに歩き出したとかの「奇跡」を次々と起こしています。
 医師たちが自分たちの及ばない住宅の効果、・・・に目覚めていくのは、そういう経験の蓄積を通じてでした。


 しかし、ここで著者は、大きな疑問符を示す。

 これまでの住宅看取りは、家族の介護力があってのものでした。住宅医療を実践する頼もしい医師たちはようやくあちらこちらに増えてきましたが、・・・家族のいないおひとりさまのわたしのような者は、どうしたらよいのでしょうか?


 在宅医療を実践している専門家たちは、在宅看取りのための4つの条件の1つとして、「介護力のある同居家族の存在」を必ず挙げるという。
 それも老老介護(高齢者が介護する)や認認介護認知症者が介護する)でない、元気な妻か夫、嫁か娘、息子が在宅に同意してくれること、だという。

著者は「(この)条件では、わたしのようなおひとりさまには、やはり在宅死のハードルは高いのか、とがっくり」と言いながら、こう続ける。

 これまで、在宅介護と家族介護は同義に語られてきました。ですが、第一にこれだけ単身世帯が増えると、お年寄りが家にいたいというのはかならずしも家族と共にいたい、という意味と同じではないこと、第二に嫁ではなく娘や息子による介護が増えると、家族介護と言っても別居顔族が通勤介護にあたる例が増えてきたことで、在宅介護=家族介護=同居介護という等号が崩れてきた事実があります。主たる家族介護者といっても、同居介護者とは限りません。単身世帯に別居家族が通勤介護できるなら・・・そこに他人が入っても同じ。


 結論からいえば、在宅ひとり死の条件は、(1)24時間対応の巡回訪問介護、(2)24時間対応の訪問看護、(3)24時間対応の訪問医療の多種連携による3点セット。これさえあれば可能です。


 こういうしくみを事業にしてしまったのが、定時巡回・随時対応型の短時間訪問介護です。一日4回とか必要なら6回、15分から20分までの短時間訪問で巡回し、それに加えて緊急コールがあれば24時間対応します。
 滞在時間がいかにも短いと感じられるかもしれませんが、15分あれば手際よくおむつを換えて体位交換し、後片付けして退去できます。・・・施設でやっていただける介護をおうちに配達する・・・ようなもの。


 終末期になれば、定時巡回のあいまに、息を引き取ることもあるだろうが「ひとり暮らししてきたのだから、ひとりで逝くのはいっこうにかまわない」と思えたら「在宅ひとり死は可能です」。

 ただ、在宅看取りを実践してきた小笠原医師によると「ふしぎなことに、ひとり暮らしのひとがひとりのときに逝くことはめったにない」のだそうだ。後半では、在宅医や訪問看護ステーションが増えない理由を分析しているが、私がネット検索したところ、複数の医師を置き、24時間訪問医療を実施しているところが、複数あった。

 「上野千鶴子が聞く 小笠原先生、ひとりで家で死ねますか?」は、前著の約年半前の著作。上野千鶴子が、日本在宅ホスピス協会会長である小笠原に、一問一答形式で、在宅おひとり死についてきめ細かく聞き出している。

そのなかで小笠原医師は、睡眠薬の力を借りて夜間に深い眠りに入る「夜間セデーション」、尿道留置カテーテルなどのノウハウを紹介している。

そして同医師は、医学教育そのものを変えて行かなければならない、と小笠原医師は著者の質問に答えて強調している。

「高度医療を施すべき患者と、自宅でゆっくり過ごして人生の質を高めてもらったほうがいい患者をきちんと分け、どちらの大切さも教えていかないとだめだと思います」