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2011年2月14日

読書日記「それでも、日本人は『戦争』を選んだ」(加藤陽子著、朝日出版社)

それでも、日本人は「戦争」を選んだ
加藤 陽子
朝日出版社
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 歴史学者の加藤陽子・東大文学部教授が、鎌倉・栄光学園の歴史研究部の中高生20人弱を対象にした5日間の講義をまとめた本。教授は、世界大不況から始まる1930年代の外交と軍事が専門、という。
 なんどか図書館で借りながら返却期限が来てしまっていたが、3度目の正直でやっと読み終えた。加藤先生の視点も"目から鱗"だったが、中高校生とのやりとりもすこぶるおもしろい。

 最終5章の「太平洋戦争」から読み始めた。

 このブログでも、この戦争に昭和天皇がどうかかわったかについて書かれた本についてふれた。
 加藤教授によると、この戦争に踏み切るかどうかのポイントは「英米相手の武力戦は可能なのか、この点を怖れて開戦に後ろ向きになる天皇」を、軍首脳がどう説得できるかにかかっていた。

 そこで軍が持ち出したのが、なんと大坂冬の陣だった。
 永野修身軍司令部総長は、1941年9月6日の御前会議でこういった。

 避けうる戦を是非とも戦わなければならぬという次第では御座いませぬ。同様にまた、大坂冬の陣のごとき、平和を得て翌年の夏には手も足も出ぬような、不利なる情勢のもとに再び戦わなければならぬ事態に立到(たちいた)らしめることは皇国百年の大計のため執るべきにあらずと存ぜられる次第で御座います。


 「このような歴史的な話しをされると、天皇もついぐらりとする。アメリカとしている外交交渉で日本は騙されているのではないかと不安になって、軍の判断にだんだん近づいてゆく」
 「戦争への道を一つひとつ確認してみると、どうしてこのような重要な決定がやすやすと行われてしまったのだろうと思われる瞬間があります」

 4章「満州事変と日中戦争」では、新聞写真などでよく見る国際連盟脱退を宣言退場していった松岡洋右全権のイメージが変わる事実が明らかになる。実は松岡全権が脱退に反対、強硬姿勢を改めるよう首相に具申していた電報が紹介されているのだ。

 申し上げるまでもなく、物は八分目にてこらゆるがよし。いささかの引きかかりを残さず奇麗さっぱり連盟をして手を引かしむるというがごとき、望みえざることは、我政府内におかれても最初よりご承知のはずなり。・・・一曲折に引きかかりて、ついに脱退のやむなきにいたるがごときは、遺憾ながらあえてこれをとらず、国家の前途を思い、この際、率直に意見具申す。


 ところが、陸軍が満州国で陸軍が軍隊を侵攻させたことが国際連盟の規約に違反、世界を敵に回すことが分かり、日本は除名されるよりはと、脱退せざるをえなくなってしまう。

 これも「目から鱗」。日中戦争が始まる直前の1935年に「日本切腹、中国介錯(かいしゃく論)を唱えた中国の学者が紹介されている。北京大学教授で、1938年に駐米国大使になった胡適だ。

「(日中の紛争に)アメリカやソビエトを巻き込むには、中国が日本との戦争をまずは正面から引きうけて負け続けることだ。・・・その結果、ソ連がつけこむ機会が生まれ、英米も自らの権益を守るため軍艦を太平洋に派遣してくる」
 以上のような状況に至ってからはじめて太平洋での世界戦争の実現を促進できる。したがって我々は、三、四年の間は他国参戦なしの単独の苦戦を覚悟しなければならない。日本の武士は切腹を自殺の方法とするが、その実行には介錯人が必要である。今日、日本は全民族切腹の道を歩いている。


 「歴史の流れを正確に言い当てている文章」を聞いた栄光学園の受講生たちも、一斉に「すごい・・・。」

 これには続きがある。あの南京・傀儡政権の主席だった汪(おう)兆銘が、35年に胡適と論争しているのだ。
 「『胡適のいうことはよくわかる。けれども、そのように三年、四年にわたる激しい戦争を日本とやっている間に、中国はソビエト化してしまう』と反論します。この汪兆銘の怖れ、将来への予測も、見事あたっているでしょう?」

 第2の章の「日露戦争」では、この戦争の「なにが新しかったか」について、ロシア側で若き将校として戦ったスヴェーチンという戦略家の著書を慶応大学の横手 慎二教授の研究成果として紹介している。

 日本の計画の核心は、異なるカテゴリーの軍、つまり陸軍と海軍を協調させることに向けられていた。この協調によって、なによりも、大陸戦略の基本となす、軍の力の同時的利用という考えを拒否することになった。日本軍の展開は同時的なものではなく、階梯(かいてい)的で、陸と海の協調を本質とするものであった。


 旅順の攻防戦で、日本陸軍の第三軍司令官だった乃木希助に、海軍秋山真之(さねゆき)は毎日のように手紙を送り、頼み込んだ。

 実に二〇三高地の占領いかんは大局より打算して、帝国の存亡に関し候(そうら)えば、ぜひぜひ決行を望む。[中略]旅順の攻防に四、五万の勇士を損するも、さほど大いなる犠牲にあらず。彼我(ひが)ともに国家存亡の関するところなればなり。


 のべで十三万人いた第三軍は戦死者が七割にのぼる大損害を受け「結局、秋山の願いとおり、・・・日本海海戦に間に合わせることができた」

 「序章」で加藤教授はまず、2001年に9・11事件と、日中戦争開始後の1938年に近衛文麿首相が出した「国民政府を対手(あいて)とせず」という声明には共通点がある、と切り出す。

 「9・11の場合におけるアメリカの感覚は、戦争の相手を打ち負かすという感覚よりは、国内社会の法を犯した邪悪な犯罪者を取り締まる、というスタンスだったように思います」
 「日中戦争期の日本が、これは戦争ではないとして、戦いの相手を認めない感覚を持っていた」

 「時代も背景も異なる二つの戦争をくらべることで、三〇年代の日本、現代のアメリカという、一見、全く異なるはずの国家に共通する底の部分が見えてくる。歴史の面白さの真髄は、このような比較と相対化にあるといえます」

 ウーン、確かにおもしろい!

 ▽最近読んだその他の本
  • 「錨を上げよ 上・下」(百田尚樹著、講談社)
     上、下巻合わせて1200ページという膨大な本を飛ばし読みした。著者の本を、このブログでふれるのは5冊目(「永遠の0」  「聖夜の贈り物」(文庫化で「輝く夜」に改題)  「影法師」  「ボックス」)にもなったが「永遠の0」以外は、なんとなく図書館で目の前にあったものばかり。
     この本、なんと「幻の小説第1作がベース」(2010年11月30日付け読売夕刊)だという。駆け出し時代に書いたが、思いもよらない長編になってしまい「ベストセラー作家にでもならんと発表できんな」と屋根裏にしまいこんで忘れていたらしい。道理で、他の著作に比べて作風が違う。
     自伝風青春小説なのだが、とにかくなんでもあり。ガキ大将が、落ちこぼれの高校に入って初恋をしてふられ、発奮して関西学院大学に入るが、嫌気がさして中退して東京へ。やくざの下働きから逃げ出して、根室で密漁船の船長に。放送作家として幸せな結婚をするものの、妻の不倫で離婚、女性を日本に送り込む仕事を頼まれタイに渡るが、麻薬売買に巻き込まれそうになり、ほうほうのていで大阪へ・・・。
     とにかく、主人公の限りないエネルギーと、女性にほれっぽい真剣さに感服。今年の本屋大賞の候補になったようだが、さて?
    錨を上げよ(上) (100周年書き下ろし)
    百田 尚樹
    講談社
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  • 「パタゴニアを行く――世界でもっとも美しい大地」(野村哲也著、中公新書)
      「BOOK」データベースから、この本の紹介を引用する。
     パタゴニアは、南米大陸の南緯40年以南、アンデス山脈が南氷洋に沈むホーン岬までを含む広大な地だ。豊かな森と輝く湖水が美しい北部、天を突き破らんばかりの奇峰がそびえ、蒼き氷河に彩られる南部、そして一年中強風が吹き荒れる地の果てフエゴ島...。変化に富む自然に魅せられて移住した 写真家が、鋭鋒パイネやフィッツロイ、バルデス半島のクジラ、四季の花や味覚、そして人々の素朴な暮らしを余すところなく紹介する。

     パタゴニアについては「パタゴニア あるいは風とタンポポの物語」(椎名誠著、集英社文庫) でも少しは知っていたが、これほど多くの自然がそろっている土地であるとは。
     「行きたい」「この年で・・・」。そんな思いが消えては浮かんでいくなかで繰っていくページにあふれるカラー写真がすばらしかった。
    カラー版 パタゴニアを行く―世界でもっとも美しい大地 (中公新書)
    野村 哲也
    中央公論新社
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