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2008年12月 6日

読書日記「切羽へ」(井上荒野著、新潮社)

 友人に勧められたが、人気作家の直木賞受賞作品なので図書館で借りられるまで半年近くかかった。

 書き出しから、恋愛小説だと分かる。

 「明け方、夫に抱かれた」「大きな手がパジャマのなかにすべり込んできて、私の胸をそうっと包んだ」

 主人公のセイは、島の小学校の養護教員。

 夫が留守なのを島の主婦に言い当てられて恥ずかしくなる。そして、隣人にもらった花見の時の写真に、しゃべっている私を「眺めている」夫が写っているのを見つけ「夫を待ち焦がれている」自分に気がつく。

 ところが、新しい恋愛の相手が現れる。新任音楽教師の石和(いさわ)だ。
 セイは、どんどん石和に心が引かれていく。その心の揺らぎが、物語の筋を作っていく。

 盆踊りの夜。「人波の中に、石和を思い起こさせる後ろ姿を見つけると、私はとっさに目を逸らし、一瞬後、そっと窺った。そうして、石和でないことをたしかめられると、小さな針が体から押し出されるような溜息が洩れた」

 しかし、二人の間にはなにも起こらない。

 今年7月2日付け読売新聞の書評欄「本よみうり堂」に、著者へのインタビューをもとにした解説記事が載っている。
作品を着想したのは7年前、結婚したばかりのころ。最愛の男性と暮らす幸福感と安心感の中で『いつかこんなに好きな夫を愛せなくなる日がくるかもしれない。ふとそう思ってこわくなった』。その思いが作品の根底にあるという

特に意識したのは『二人にキスもさせない、何も起こらない小説にする』こと。『たいていの恋愛小説は、男女が出会い、何かが起こる。けれど、表面上は何も起こらない中で、心の中を描きたかった』


 石和が島を去ると告げた時、セイは古い炭鉱の採掘トンネルに案内する。
トンネルを掘っていくいちばん先を切羽(きりは)と言うとよ。トンネルが繋がってしまえば、切羽はなくなってしまうとばってん、掘り続けている間は、いつも、いちばん先が、切羽

 セイが全身全霊をかけて告げた思いの言葉である。

 石和を最後に見送ったのは、夫だった。その日、夫は(祝杯の)コップ酒を重ね「ひどく酔っ払った」

 小説の舞台になっている島のモデルは、父・井上光晴の故郷である長崎県崎戸島

 「セイの母がトンネル跡で木彫りのマリア像を見つける」という記述があり、ここがキリシタンの島であることが分かる。

 そんな風土と長崎弁、そしてあっけらかんと"性"と直面する老婆・・・。たおやかで、しっとりした華やかさのなかで醸し出される"心の揺らぎ"。そんな筋立てを堪能させてくれる小説である。

切羽へ
切羽へ
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井上 荒野
新潮社
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おすすめ度の平均: 4.0
4 愛する妻を見守る夫の物語
3 トンネルでの位置
5 久々に"美しい"と思える恋愛小説でした
4 美しい作品
4 まずまず楽しめる作品