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2013年12月 3日

読書日記「土と生きる 循環農場から」(小泉秀政著、岩波新書)

土と生きる――循環農場から (岩波新書)
小泉 英政
岩波書店
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 半年前ほどから、長野県小川村から有機野菜のダンボールの小さな箱が2週に一度届くようになった。おかげで独居老人の食生活が大きく変わりつつある。

 これまでは、冬は鍋物、夏は炒め物などでごまかしていたのだが、最近はカブの甘酢漬け、ニンジン、ジャガイモ、サラダ菜と軽く炒めたベーコンのサラダ、カボチャと鶏肉のクリームスープ、大根と厚揚げ、ゴボ天の炊き合わせ。冬瓜は大きく切りすぎて豚肉との炒め物はちょっと失敗。先週届いたビーツには、ウーン!どう向かい会うか・・・。

 届けてくれるのは、いとこの娘さん夫婦。なんと、ご主人は大手建設会社をあっさり辞めてしまい、3人の子供を含め家族で数年前に信州に移住してしまったのだ。
 いとこによると「かっこいいシティボーイだったが、すっかり農家の主人らしい顔になってきた」

 1948年生まれの著者は、成田国際空港建設反対運動に参加したのをきっかけに千葉県成田市三里塚に移住、地元農婦の養子になった。「循環農場」と称する里山の落ち葉などを使った微生物農法で有機野菜を消費者に産地直送する「ワンパック(セット詰め)」販売のさきがけとなって30年になる。

 ダイオキシン、ゴミは出したくないと、ビニールハウスやトンネル、ポロマルチを使わなくなって10年にはなる。

 苗床は、落ち葉に水をかけながら踏み込んでいき、その発酵熱を利用する。ある日、落ち葉の上にかぶせた古い毛布をめくってみると、ミミズたちがニョロリと顔を出し、落ち葉はミミズたちに分解されてボロボロ状態のいい堆肥になっていた。

 
「これは大発見! ミミズが山からやって来た」


 茅ぶき屋根の建物が解体される聞き、大型トラックに山盛り7台分ほどの茅を運んでもらったことがある。

 近所の農家の人には「堆肥になるには3年はかかるぞ」と言われたが、出荷の度に出るネギや里芋のひげ根、葉物の枯れっ葉などの野菜くずをコンテナ3杯ほど茅の上に乗せていたら、1年もかからずに茅の堆肥ができた。
 ほかにも、三軒分の茅屋根からでた茅が大きな堆肥の山となっており「ポカポカと湯気をだし、循環農場の未来を温めてくれている」

 猛暑の夏の時期、近所の畑ではスプリンクラーがフル回転し、軽トラックで水が運ばれる。しかし、著者は野菜の生命力を信じ、水を与えない農業を続けてきた。

 照り続ける太陽に、サニーレタスは外葉から枯れていき、モロヘイヤの苗も力なくうなだれていた。
 不安な日々が何日も続いた後、わずかに残ったサニーレタスの中心の葉に赤味がよみがえった。

「地中にある命の水をつかみとったという知らせだった」


モロヘイヤの苗も息を吹き返してきた。植えた時と大きさは変わらないが、強じんな姿をしている。

 
「野菜は強い、すごい、どこにそんな力を秘めているのだろうか。・・・ありがとう野菜たち」


 10数年も耕作していない畑を借りることにした。農薬の残留がない安全な土地で、特に化学物質過敏症のユーザーのための畑に適していると思ったのだ。
 できた葉物や里芋を、化学物質過敏症の人に送った。その人は、届いた箱をあけるなり、入っていた小松菜にかじりついたという。「これは無肥料畑で育ったのです」というメモは食べた後で見た、という便りが届いた。

「メモより何よりも、その小松菜が化学物質過敏症の方に飛びついていったのだ」


ある本から学び、トラクターの耕運を控えることにした。重量のあるトラクターを畑に入れる事によって、畑は踏み固められ、更に煩雑に土をかき混ぜることによって、土の中の世界を壊してしまうことになる。トラクターの使用を最低限に抑え、それに代わるものとして、軽量の管理機の活用、さらに除草の道具の開発が目標になった。次に、落ち葉、あるいは落ち葉堆肥で、土の表面を覆うことだ。地表を裸にしない事によって、土壌に生きる土壌生物、微生物、菌類達は活発に働くことが出来る。・・・米ぬか発酵肥料の量を少な目にし、落ち葉堆肥主体の栽培に持っていく。

そんな畑を実現させようとした矢先、福島の原子力発電所の大事故が起きた。

「ここから地続きの場所で起こっている痛ましい惨状、目に見えない放射能物質に対する恐れと不安。・・・野菜を会員の人々にいいものかどうか、迷う日々が続いた」


菜っ葉やキャベツなどの検査では、検出限界5ベクトル/kgで不検出だったが、東北から関東一帯、汚染されていることは事実で、安心、安全という言葉は使えなくなった。

妊娠されている人や育児中の人々など、会員をやめざるをえない人々が続出した。

「電話の向こうで涙を流される若いお母さんもいて、何もできなかったことを申し訳なく思った」


 原発事故以前に集めた落ち葉堆肥の山が、間もなく使い終わる。

 秋から春にかけての、野菜の出来が思わしくない。・・・踏み床温床用に集めた落ち葉を、ある程度腐熟させてから測定してみたら、330ベクトル/kgだった。国の指針では堆肥として使用できる範囲内の数値ではあるが、まだ使用しようという気にならない。

「被災地の方々が語る『一歩ずつ』という言葉が、とても身にしみる冬だった。失ったものは多いけれど、ここから一歩ずつ、気のついたことを一つずつ進めていくしかない。この夏、その続きの秋、冬を目ざして」