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2007年10月19日

シルクロード紀行② 「天山北路を行く・下」


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 天山北路は、国境に通ずる交通の要路でもある。

 行きかう車は、ほとんどが、日本でもほとんど見かけない超大型トラック。西に向かう中国ナンバーは、大きなダンボールをこぼれるように積み上げている。中味は、中国製の衣類や食品だろうか。西から来る車は、鋳鉄の塊や鋼鉄管を載せている。

 国境の街・コルガスの街に入る手前の検問所で、若い中国人民軍兵士がバスに乗り込んできてパスポートをチェックした。カメラを向けたら、厳しい目で阻止された。

 国境の駐車場は、通関待ちの大型トラックで一杯。国境を守る兵士の横にある標識の石には「312国道 4825」と赤く刻まれていた。終着点・上海まで4825キロという意味らしい。

 国境は、目の前の枯れた河。カザフスタン側には、鉄さくだけで人影は見えない。記念撮影の観光客でごったがえす国境に緊張感は見られない。

 しかし、秦の時代から、この天山北路では、遊牧民と漢民族の間で厳しい戦いが繰り返されてきた。19世紀、清の時代には、ロシアがイリを占領、その後の交渉で締結された「イリ条約」で、現在の国境が決められた。

 第二次世界大戦後に長く続いた中ソ対立で、東西の交流はほとんど途絶え、人々は長年、この国境を越えてシルクロードを西に行くことはできなくなった。交易が再開できるようになったのは、ソ連崩壊以降だという。

 コルガスの街で見つけた国道312号線の道路標識には「亜欧(YAOU)路」とあった。亜細亜から欧州に通じる路という意味だろう。 国境を越えて北アジアから地中海に通じる砂漠とオアシスの路・天山南路と草原の北路、そして南方の東南アジアからインド洋、紅海にいたる南海路。この三つのシルクロードは、古代ローマの時代から、絹織物や陶器を運び、東に向かえば唐の首都・長安(現在の西安)から朝鮮半島、そして日本の奈良・正倉院の収蔵品に、その足跡を残している。 中国は今、急激な高度成長。カザフスタンも豊富な石油資源で、いずれも年間10%を越える経済成長に潤っている。 二つの国を貫く現在のシルクロードを行き交う人とモノの群れは、悠久の太古に始まった交易の歴史を引き継いで、新しい盛り上がりを見せている。

2007年10月16日

シルクロード紀行① 「天山北路を行く・上」

 九月の中旬から、神戸にあるNPO「黄河の森緑化ネットワーク」の植樹ワーキングツアーに同行して、中国・天山北路を訪ね、黄土高原・蘭州での植樹ボランティアに参加させてもらった。酷暑の日本とは様変わり。あこがれのシルクロードは爽やかな冷気に満ちていた。


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 中国の最北にある新疆ウイグル自治区は、中国全土の六分の一、日本の約四倍もの広さがある。その中央に、長さ2000キロ・メートル、幅400キロ・メートルと、日本の青森から鹿児島をすっぽり入ってしまう巨大山脈、天山山脈が、東西に延々と連なっている。

 飛行機の窓から見ると、9月というのにもう山頂に雪を抱いていた。木が一本もない、山塊だけの風景が一時間以上も続く。 この天山山脈の北側を走るのが、「草原の道」と呼ばれる天山北路。シルクロード三幹線の一つだ。 国境に近い街・イリ(伊寧=イーニン)ら隣国・カザフスタンに向かう天山北路、現在の国道312号線の主人公は、トウモロコシの黄色い帯と茶褐色の羊の群れだった。

 朝8時にホテルを出た貸し切りバスは、トラック、荷馬車、人の群れでごった返す街中で警笛を鳴らし続ける。少し郊外に出て、やっとスピードを上げた。

 歩道だけでなく車道にまではみ出して、収穫したばかりのトウモロコシを広げて乾燥させている黄色い帯が、断続的に続いている。なんと、いくつかの帯の上には鉄製の簡易ベッドが載っている。ベッドで、まだ布団をかぶっている人がいる。徹夜で、トウモロコシの番をしていたのだろう。すでに粉にしたものをクワでひっくり返して乾燥させる作業に追われている人もいる。天山山脈北側の比較的温暖な気候とはいえ、年間降雨量が260ミリ前後と少ないからこそできる“離れ業”だ。

国道に入る道路となると、トウモロコシは遠慮会釈なく道一杯に広げられている。

 14世紀に、この地を支配したモンゴル族の王の陵墓を見学するためわき道に入った時には、トウモロコシの皮をむきながら、無邪気な笑顔でバスの窓を見上げる子どもたちの横を、ようやくすり抜けることができた。

 もっと離合に苦労したのが、冬の間の飼料に使う枯れ草を満載した荷車や三輪車。その山は、車体の3,4倍。枯れ草は、車体から数メートルははみ出している。沿道の農家の軒先には、屋根より高く枯れ草が積まれていた。

 バスが時々、急にスピードを落とす。前を見ると、羊や牛の群れが道一杯に広がってやってくる。警笛を鳴らしながら、ゆっくり進むと、羊の群れは悠々と少しだけ道を空ける。後方で馬に乗ってムチを持っている羊飼いらは知らん顔だ。

 羊や牛、時には馬の群れは、いつも西、天山山脈のふもとからやってくる。山の草原にもそろそろ雪が降るため、ふもとにある“秋の牧場”への引越しラッシュなのだ。

 沿道の草原にポツポツとあるパオ(遊牧民の移動式テント)の横では、蜂蜜のビンを並べて売っていた。しかし、蜂の巣箱は、もう片付けられて、ほとんど見られない。周辺の高山植物は、まだ枯れてはいないが、花はすっかり散っている。

 草原の道・天山北路の冬支度は、真っ盛りだった。