検索結果: Masablog

Masablogで“小出 裕章”タグの付いているブログ記事

2012年9月13日

読書日記「光線」(村田喜代子著、文藝春秋刊)、「原発禍を生きる」(佐々木孝著、論創造社刊)



光線
光線
posted with amazlet at 12.09.13
村田 喜代子
文藝春秋
売り上げランキング: 75468

原発禍を生きる
原発禍を生きる
posted with amazlet at 12.09.13
佐々木 孝
論創社
売り上げランキング: 564776


 福島第一原発にからんだ本を続けて読んだ。

 「光線」の 著者の本について、このブログで書くのは、 「あなたと共に逝きましょう」 「偏愛ムラタ美術館」以来、3回目。

 「あなたと共に逝きましょう」は夫が大動脈瘤に患うことがテーマだったが、今度は、妻(著者)が子宮体ガンになってしまう。
 しかも、その病魔は、奇妙なタイミングでやってきた。「あとがき」にこうある。

 
二〇一一年の三月がきて、突然、東日本の大地が揺れた。いや、海が揺れた。海を持ち上げて海底の地殻が揺れた。そしてじつはその一ケ月前くらいから私の身体にも変動が起きていて、地震の数日後にガンの疑いが現われたのだった。


 著書に収められているのは8つの短編集だが、このうち「光線」「原子海岸」は、ガンになった妻を見守る夫・秋山の立場で書かれている。

 
思えば治療前に撮ったPET画像のガンは、妻の下腹部で鶏卵大のオレンジ色の炎のようにあかあかと燃えていた。・・・
 それが、鹿児島で行われていることを知った治療法でガンは消えてしまった・・・。(原子海岸)


 
放射線治療で妻の子宮体ガンが消えたとき、秋山は焚き火の燃えた後の灰を見るような気がした。日曜祭日なし連続三十日間の四次元ピンポイント照射で、ガンの焚き火は鎮火したのだ。(同)


 
自分の妻が乳ガンや子宮ガンに罷ったら、男はどういう気持ちになるだろうかと秋山は思う。病気の軽重ではない、臓器の部位だ。妻の乳房や子宮は結婚以来長い年月かけて付き合ってきたもので、肺や胃や腸などとはまた違う。妻が病院で検査を受けるのも無惨な思いがする。(光線)


 この治療法でガンを克服した患者たちの"同窓旅行"の席上、秋山の妻は院長に思わず聞いてしまった。

「あのう、私たちがかけられる放射能って、原発で出来るのですか」。・・・周囲の人々もにわかに静かになって院長を見る。(原子海岸)


 日々、東北の人々を苦しめている原発への恐怖と放射能に助けられたという思いがないまぜになって、思わず出てきた素朴な質問だった。

私のガンが見つかったのは三・一一の明くる日でした。もう日本中がどんどん放射能に震えののし上がっていった頃です。大きな鬼が暴れまくつているときに、日本中がその鬼を憎んで罵って 石投げてるときに、車一台買えるくらいのお金を持って、その鬼の毒を貰いに行ったようで、何とも言えない気分だったの。(同)


放射線治療をして助かった者だけじゃありませんよ。この時期はきっと、手術で助かった人も、抗ガン剤で助かった人も、ガンとは別の病気で命を取り戻した人も、事故で命拾いした人も、子どもが就職できた人もです。大学受かった人も、何か良いことがあった人、幸福を得た人はみんな今度のことではそんな気持ちじゃないでしょうか。良かったって言えない。叫べない。みんな、どこかで苦しいんじゃないですか。(同)


私ね、治療から帰ると途中から放射線宿酔が始まるので、帰り着くとベッドに倒れ込むの。それで毎日毎日見たくないのにやっぱりテレビを見てしまうの。ほら、もうすぐ煙が出る。私は布団をずり上げて眼を覆うの。あそこから出る見えない光線と、今自分の下腹にかけられてるものが、混ざり合ってしまう。あっちのと、こつちのとは、同じじゃないのに、なぜか同じになってしまうの。(同)


   「あとがき」は、こんな言葉で結ばれている。

 
その頃、鹿児島の桜島は年間の観測史上最高となる爆発回数を記録し、私が滞在中の四月と五月の噴火は百六十人回を数えた。市内には黒い灰が臭気を伴って降り積んでいた。地球の深部は放射性元素の崩壊が行なわれている。核分裂の火が燃えているのだ。人間世界の動きから眼を空に移すと、太陽は核融合する巨大な裸の原子炉だ。そして地上では人間の手で造られた福島原発の炉に一大事が起こつている。
 私が鹿児島の火山灰の舞う町で日々めぐらせた思いは、これもまた一つの3・11に続く体験というしかない。原発への恐怖と、放射線治療の恩恵と、太陽を燃やし地球を鳴動させる巨き世界への驚異である。


 「原発禍を生きる」は、 「フクシマを歩いて ディアスポラの眼から」( 徐京植著、毎日新聞刊)を読んで、知った。

  著者・佐々木孝は、福島第一原発から約25キロ、屋内非難地域に指定されている南相馬市で「私は放射能から逃げない」と、認知症(元・高校教師)の妻と暮らす反骨のスペイン思想研究家。永年、 ブログ「モノディアロゴス」を書き続けてきたが、大震災後1日に5000件ものアクセスが集中、単行本化された。

 著者は、緊急避難地域、屋内非難地域といった政府の方針に翻弄され、発表される放射線測定に不信感を強めた住民の多くが「避難民化」している状況について「三月十九日午後十一時半」付けブログで、こう書く。

 
だれも言わないのではっきり言おう。いま各地の避難所にいる避難民(!)のうち、おそらく一割は、例えば南相馬市からの避難者のように、家屋も損壊せず電気や水道も通っている我が家を見捨てて過酷な避難所生活に入っているのである。もっとはっきり言えば無用な避難生活を選んでしまった人たちなのだ。・・・私の知っている或る人は、この無用の生活を選んでしまった。高齢で病身であるにも拘らず、そして家屋損壊もなく、電気・水道が通っている我が家を離れ、たとえば30キロ圏外をわずか逸れた町の体育館で不便きわまりない避難生活をしている。・・・その人が避難生活を送っている場所は、この南相馬市より放射線の測定値が六倍もある場所なのに。


  一方で、国家命令に毅然として立ち向かった「東北のばっぱさん(4月十二日付け)」のことが忘れられない。

 
時おりあのおばあさんの姿が目の前にちらつく。双葉町だったか、10キロ圏内ながら迎えに行った役場の人に向かって避難することを丁重に断って家の中に消えたあのおばあさんである。・・・「私は自分の意志でここに留まります」といった意味の老婆の言葉に、困惑した迎え人がつぶやく、「そういう問題じゃないんだけどなー」
いやいや、そういう問題なんですよ。君の受けた教育、君のこれまでの経験からは、おばあちゃんの言葉は理解できるはずもない。ここには、個人と国家の究極の、ぎりぎりの関係、換言すれば、個人の自由に国家はどこまで干渉できるか、という究極の問題が露出している。


 「人類を破滅の危険に晒されることになった」原子力を「早急に封印する方向に叡智を結集すべきではなかろうか」と書く一方で、被災地に住んでいると、こんな発言にも違和感を持つ。

 このブログでも書いた 小出裕章・京大原子炉実験所助教は、5月の参議院員会で「もし現在の日本の法律を厳密に適用するなら、福島県全体と言ってもいい広大な土地を放棄しなければならない。それを避けようとすれば住民の被曝限度を引き上げなければならない...これから住民たちはふるさとを奪われ、生活が崩壊していくことになるはずだと私は思っています」と述べ。その 動画がWEB上でおおきな話題を読んだ。

 これに対しても著者は「被災者目線 五月二十六日」という一文で、ズバリ被災地住民の怒りを率直にぶつける。

「ふざけんな、と言いたいね。代議士先生たちを前に滔々と歯切れよく演説をぶったつもりだろうが、てめえは被災者が今どんな気持ちで毎日を送っているのか少しでも考えたことがあるのか聞きたいね。てめえが全滅と抜かしおった福島県で、こうして元気に生きているし、これからだって生き抜いてみせるぜ。ただちに健康に被害はない、と言われる放射線の中で、ちょうど酷暑や極寒、旱魃や洪水にも耐え抜いてきた先祖たちに負けないくらいしたたかに生き抜いてやらーな」


 怒りをぶつけながらも、被災地で認知症の妻を抱える現状をユーモラスにさえ描く「或る終末論 四月十一日付け」という一文に、読む人は釘づけになる。

妻は言葉で意志表示ができません。ですから便器に坐らせても、それが大なのか小なのか、分からないのです。空しく十分くらい待って、結局何も出ないことだってあります。だから耳を澄ませて、あっ今は小の音だ、あっ今度のは大が水に落ちる音だ、と判断しなければなりません。そのときの喜び、分かります?・・・私にとって、一日のうちの大仕事がそのとき無事完了するのであります。・・・ 先日も便所の中に一緒に居るときに揺れが始まりました。一瞬、ここで死ぬのはイヤだ、と思いましたが、でもここで終末を迎えるのは時宜にかなったことかな、とも思ったのであります。地震よ、大地の揺れよ、汝など我ら夫婦の終末に較ぶれば、なんぞ怖るるに足らん!


 地元紙「福島民報」の9月11付け 記事に掲載された夫婦の相寄る写真がいい。 本の帯び封に載った愛する孫との3ショットもいい写真だが、被災地での壮絶な生活ぶりを浮かび上がらせる。

 

2011年6月11日

読書日記「放射能汚染の現実を超えて」(小出裕章著、河出書房新社刊)


放射能汚染の現実を超えて
小出 裕章
河出書房新社
売り上げランキング: 104


 先日、神戸の書店・ジュンク堂本店をのぞいたら、震災、原発関連の本を100冊近く集めたコーナーが特設されていた。
 それだけ「これからの日本、人々の生き方を変える」かもしれない震災、原発事故への関心が高いということだろう。

 原発関係では、前回のブログでふれた反原発学者の小出裕章・京大原子炉実験所助教の著書も何冊か並んでいた。ただ、これらは小出さんの考えもあり、復刊されたり、過去の論文を編集者が本にしたりしたものばかりのようだ。
 表題の著書も、20年前の1992年に出されたのを、この5月に復刊したものだ。

 旧ソ連チェルノブイリ原子力発電所で世界にまき散らされた放射能に人々がどう立ち向かうべきかが主な内容だが「今回の福島原発事故で放射能汚染された水と空気が次々と噴き出している」現実が目の前にあるだけに、身が震えるような記述になっている。

 小出氏が、チェルノブイリ事故によるソ連・ヨーロッパ地域のセシウム汚染の被害予測をしたところ、約80万人強がガンで死ぬという予測が出た。データがなかったため予測ができなかったヨウ素やルテニウム、ストロンチウム、プルトニウムを入れると「100万から200万の人が、今後ガンで死ぬ」という予測をしている。
 しかも、そのほとんどが発ガンの危険度が高い幼児、とくに0歳児に集中するという。

 チェルノブイリ事故による放射能汚染は、ソ連とヨーロッパだけではない。
 8千200キロも離れた日本にも風に乗ってやってきて、牛乳や野菜、母乳まで汚染していることを、小出氏は検査結果で示している。

 当時、知人から送られてきた有機農法の玄米のデータを調べて、小出氏は″仰天″した。「有機農法米に含まれていたセシウム137濃度が化学肥料米の30倍もあったのだ。
 ところが、小出氏がセシウム汚染の寄与度を調べてみると、チェルノブイリ事故の寄与は全体の6%しかなく、残りは世界各地で行われてきた核実験の結果でもあることも分かった。

 セシウムと同じような「化学的挙動をする」カリウムでつくられる肥料は、地中深く眠っている岩塩からできている。
 ところが「(放射能で汚された)地表で育った作物をもう一度堆肥にして、何度かまたそれを再循環させていく」有機農法は、放射能汚染から逃れようがないのだ。

 国内産の食糧だけではない。現在でも放射能で汚染された輸入食糧が、政府の「根拠のない規制値」のせいで、どんどん入ってきている。
 しかし、その規制を強化することは「汚染食糧が原発から生みだされる電力の恩恵をまったく受けていない発展途上国に向かうということを意味する」と、小出さんは釘をさす。
 「原発の恩恵を受けている国は、汚染も受け入れ(汚染食糧を食べる)べきだ」「被爆に
安全量はない。・・・消費者が汚染された農産物・海産物を拒否すれば、農業と漁業は崩壊する」

 小出さんの主張は、福島の事故であわてふためく我々に、鋭い刃を突き付ける。

 なにより心配なのは、これから生きていくこどもたちのことである。

 子供たちの被爆被害が少ないことを祈りながら、今回の"フクシマの灰″でさらに汚染された静岡や千葉産のお茶を飲み、汚染牧草をはんだ牛肉、東北沖から回遊してきた魚を食べ続けるしかない。

 週刊誌の「AERA」(6・13号、朝日新聞出版)が「放射能とがん」という特集を組んでいた。
 スウエーデンのマーチン・トンデル博士の言葉が気になった。
 「日本での堆積量は、チェルノブイリ以上かもしれません。政府が福島県内の学校での屋外活動を制限する放射線量を年間20ミリシーベルトに上げたのは、それだけ被爆量が多いという証拠。深刻な問題です」
 博士が日本について懸念するのは、スウエーデンよりもはるかに人口密度が高いからだ、という。

 よく理解できなかったが、こどもたちが公園に行けば、それだけ被爆の機会が増えるということと同じ理屈なのだろう。

 本格的な夏に向かって、プールに入れず、校庭や公園でも遊べないこどもたち・・・。
 そんな状態を招いてしまったのは、原発を容認し、その恩恵を受けてきた我々の責任でもある。

 同じ小出さんの著書隠される原子力 核の真実」(創史社刊)に「原子力から簡単に足が洗える」という気になる章がある。

     
日本では現在、電力の約三〇%が原子力で供給されています。そのため、ほとんどの日本人は、原子力を廃止すれば電力不足になると思っています。
 しかし、発電所の設備の能力で見ると、原子力は全体の一八%しかありません。その原子力が発電量では二八%になっているのは、原子力発電所の設備利用率だけを上げ、火力発電所のほとんどを停止させているからです。・・・それほど日本では(火力)発電所が余ってしまっていて、年間の平均設備利用率は五割にもなりません。
 過去の実績を調べてみれば、最大電力需要量が火力と水力発電の合計以上になったことすらほとんどありません。
 極端な電力使用のピークが生じるのは一年のうち真夏の数日、そのまた数時間のことでしかありません。かりにその時にわずかの不足が生じるというのであれば、自家発電をしている工場からの融通、工場の操業時間の調整、そしてクーラーの温度設定の調整などで十分に乗り越えられます。


    
今なら、私たちは何の苦痛も伴わず原子力から足を洗うことができます。


 もう一度、表題の著書「放射能汚染の現実を超えて」に戻る。

 
いま大切なことは、一刻も早くエネルギー浪費型の社会構造を廃止させることであり、いかにすればエネルギーを浪費せずに、なおかつ快適な生活ができるかを、社会の構造自体にたちかえって検討し直すことである。
 米国では、すでに一九七九年から新規の原発の発注が一基もなく、・・・ コジェネレーションと再生可能なエネルギーによる発電計画・・・の総量は六三〇〇万キロワットにのぼっている。現在の日本の原子力発電所の総出力が三八基、二九〇〇キロワットであることと比べれば、米国はすでにその倍以上のエネルギーをコジェネレーションや再生可能エネルギー源に求めようとしているのである。




2011年5月28日

読書日記「チェルノブイリ原発事故(原題・故障)ーーある一日の報告」(クリスタ・ヴォルフ著、保坂一夫訳、恒文社刊)


チェルノブイリ原発事故 (クリスタ・ヴォルフ選集)
クリスタ ヴォルフ
恒文社
売り上げランキング: 37071


 「朝日の文化欄(5月18日付け)で、大江健三郎がこの小説を取り上げている」。友人・Mに教えられ、さっそく図書館のホームページで予約、書庫に収まっていたのをすぐに借りることができた。

 大江健三郎は、こう書いている。「福島原発の事故にあたって、私自身が見聞すること、家族の話すことの多くに、これは覚えていると既視感(デジャヴ)を抱いた根拠がこの本にあると気付いて・・・」
「デジャヴ」というのは、あまり聞いたことがなかった言葉だが、フランス語が語源らしい。辞書には「初めての経験なのに、かつて経験した感じがするような錯覚」とある。

 著者は、旧東ドイツを代表する女性作家。
 邦訳の表題は、えらく直截的な表現になっているが、東ドイツに一人暮らしをしている女性作家が、離れた場所で脳腫瘍手術を受けている弟を気遣いながらチェルノブイリ原発事故のニュースを聞いている、というのが小説のあらすじ。「破局的現在に至った文化の過去を反省する一日の報告」(訳者あとがき)だという。

 しかし読み進むうちに、福島原発事故の後、日本人の多くが味わったであろう″既視感(デジャヴ)"に出会い、ギョッとしてしまう。

 
いつもの習慣で歩きながら、毎日の昼食のサラダ用に、小さな、やわらかいタンポポの葉を摘んできたのですが、それはやはり棄てることにしました。別々の局に合わせてある小型ラジオも大型ラジオも、時報ごとに声を合わせて、生野菜は食べるな、子供に新しい牛乳を与えるな、と言い続けていますし。・・・中にはとんでもないことを考える人もいるもので、ある放送局のある町では、きのうのうちに、町じゅうのヨウ素錠剤の在庫がすっかり買い占められたそうです。


はっと気づいて、急いでベルリンへ電話しました。・・・きのうの午後は、もちろん子供たちと砂場へ行ったわよ。くやしいのは、そのあと身体を洗ってやらなかったこと。そう、お母さん、聞かなかった?子供が外から帰ってきたら、シャワーを浴びせるのよ。お風呂は皮膚をやわらかくし、毛穴が開くから、放射能をわざわざ体内に入れてやることになるの。考えすぎかしら?それならいいんだけど。


 
深夜、泣き声がしました。わたしはびっくりして、とび起きました。完全な怪物だ!と叫んでいます。・・・しばらくたってから、ようやく気づきました。それはわたしの声でした。わたしはベッドに座って大声で泣きました。・・・わたしは大声で叫びました。
 この地球に別れを告げることになるのでしょうか?そうなったら。あなた、さぞ、つらいことでしょうね。


 図書館でボランティアをしていたとき。返ってきた「ぼくとチェルノブイリのこどもたちの5年間」(菅谷昭著、ポプラ社)という本を思わず借りてしまった。

 チェルノブイリ事故によって、原発のあるウクライナ共和国だけでなく、北隣りのベラルーシ共和国は国土の20%が大きな被害を受けた。季節風で放射能の灰の半分が風下のベラルーシに運ばれたからだ。おかげで、小児性甲状腺ガンが増え続けるという悲惨な状況になった。

 筆者の甲状腺専門医である菅谷さんは、ベラルーシで暮らしながら、現地医師の訓練とこどもたちの甲状腺ガン手術に取り組んだ。

 
(入院しているこどもの)面会に来ている親たちが、悔やんでも悔やみきれない思いを抱えていることをぼくは感じます。
  あのとき、外で遊ばせなければ・・・。
  あのとき、キノコを食べさせなければ・・・。
  あのとき、イチゴをとりに森に連れていかなければ・・・。


 
事故が起きた当時、お母さんはまだ一歳にならないターニャを連れ、(チェルノブイリから50キロしか離れていない)自分の実家でジャガイモの植え付け作業を手伝っていました。よちよち歩きを始めたばかりのターニャは、広大な畑の隅っこで、春の陽ざしをいっぱいに浴びながら、無邪気に遊びつづけていたのです。もちろんこのとき、原発史上最悪の爆発事故が起こったなどという情報は、村人のだれひとりとして知りませんでした。
 しかしその数カ月後、この村はあまりに高度に汚染されたため、政府の命令でただちに埋められ、地図の上からも消されてしまったのです。
 ・・・埋葬しなければならぬほどの村で、ターニャは遊びつづけていたのです。


 小説「「チェルノブイリ原発事故」の巻末には、反原発学者と知られた元原子力資料情報室代表の故・高木仁三郎氏の寄稿が掲載されている。

 
私の頭を悩ますのは、・・・各国政府やIAEAは、あの事故のことは過去の出来事と済ませてしまって、以前と基本的に同じような原子力計画をつづけていることである。・・・核の時代のツケがさまざまな形で混乱と霧を広がらせ、「次のチェルノブイリ」を予感させるような事例はいくらでもあげることができるが、ほとんどは世界全体によって見て見ぬふりをされているといってよいだろう。


 その高木さんが、16年前に書いた学術論文「核施設と非常事態――地震対策の検証を中心に―」(日本物理学会誌、Vol.50No.10,1995) が、今回の福島第一原発事故をピタリと予言していてネット上で話題になっているようだ。

「(地震とともに津波に襲われたとき) 原子炉容器や1次冷却材の主配管を直撃するような破損が生じなくても、 給水配管の破断と緊急炉心冷却系の破壊、非常用ディーゼル発電機の起動失敗といった故障が重なれば、メルトダウンから大量の放射能放出に至るだろう」


 もうひとつ。友人の岡田清治氏が、自分のホームページに書いていたように、福島事故発生直後にメルトダウンを予想した反原発学者の京都大学原子炉実験所助教・小出裕章氏が、今月23日の参議院行政監視委員会で参考人として陳述した。この 録画動画 の内容には戦りつさえ覚える。

 それを"文字起こし"した内容は、このブログに載っている。

 
失われる土地というのはもし、現在の日本の法律を厳密に適応するのなら福島県全域といってもいいくらいの広大な土地を放棄しなければならないと思います。
 それを避けようとすれば住民の被曝限度を引き上げるしかなくなりますけれど、そうすれば住民たちは被曝を強制されるという事になります。
一次産業はこれからものすごい苦難に陥るようになると思います。農業・漁業を中心として商品が売れないという事になる。そして住民達は故郷を追われて生活が崩壊していくという事になるはずだと私は思っています。


 福島のこどもたちが、甲状腺ガンの原因になる放射性ヨードを浴びないことを、そして放射能が風に乗って孫らのいる関東地域に広がらいようにと、ひたすら願う。