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2013年1月26日

読書日記「昔日の客」(関口良雄著、夏葉社刊)


昔日の客
昔日の客
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関口 良雄
夏葉社
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 朝8時からのNHK第1ラジオを聞きながら家事をこなすのが習慣だったが、突然女性2人がそろってかん高い声を出すというとんでもない番組に変わってしまい、静寂の朝が続いていた。それでも、なにかのついでにスイッチを入れてしまった時に飛び込んできたのが、この本を出版した 島田潤一郎さんへのインタビュー。

 たった1人で 夏葉(なつは)社という出版社を立ち上げ、出版から営業までこなす島田さんは、世の中で埋もれた絶版本を再版するのをテーマにしてきた。この本も絶版になって以来、たまに古書店に並ぶと1万5000円という値がつく古書ファンには垂涎の本だったらしい。同社が1000部を再版したところ、すぐに3版にまでなった、という。

 このへんの事情は、島田さんは自分のブログに 一文を書いている。「文学を尊敬する人を尊敬する。そういった佇まいが、本から香ってきて、たまらない気持ちになった」そうだ。

 さっそく図書館で借りてきてビックリした。「なんだ、この本読んだことがある!」

 図書館窓口業務のボランティアをしていた時に、ある日チームを組んだNさんから「この本おもしろいよ」と教えられたことを思い出した。
 その時は、なんとなく読み流して終わったが、今回、読み返してみると、古本屋の亭主と近くの 「馬込文士村」と呼ばれた地区に住む作家たちとの交流がなんともゆったり、陶然としていて心がなごんでくる。

 本を読む時の雰囲気、心の持ちようで、文字が目に飛び込んでくる感覚がまったく違ってくる。本とは、そういうものなのかなあと思ったりした。

 戦後、東京・大森で古書店「山王書房」を開いた 関口良雄は、ある日正宗白鳥の初版本20数冊を落札した。最初から自分の蔵書にし 売るつもりはなかった。

 その当時、正宗の作品は「この世から消え失せん事を希われている」状態だった。手に 入れた著書の1部を2つの風呂敷に包み、矢も盾もたまらず、正宗の自宅である赤い屋根の洋館を訪ねた。

 台所から非常に粗末ななりをした正宗夫人らしい老婆に「先生の古い本を沢山持ってきたので見て頂きたい」と頼む。とても署名を頼める雰囲気ではなく、関口は「一寸しょげた振りをして風の中に立っていた。夫人も黙って立っている」

 
そのうちに私の事を可哀想にでも思ったのか「それでは私が一寸みましょう。こちらへ」と言う。私は何処へ連れられて行くのかと思っていると、鶏小屋の前に連れて行かれた。さあここへと言って、夫人は鶏小屋のトタン屋根のガラクタを両手で払いのけた。私は一寸戸惑ったが言われるままに風呂敷包みを拡げた。
 正宗先生の初期のものばかり三十冊、それも本が実にきれいなので夫人は瞬間一寸驚かれた様子、「よく貴方はこんなにきれいな本ばかり集められたですねー」と私は正宗先生に期待していた言葉を正宗夫人から聞いた。嬉しくなって「私は家にはまだこの三倍位あります。この本を買うには二万円以上の金を出しました」と言うと「ヘー二万円、貴方はお金持ちですねー、偉い方ですねー」と盛んに褒めてくれる。


 古本屋亭主としての失敗談もおもしろい。

 4ヶ月前から客の1人に 「虫のいろいろ」の初版本を欲しい、と頼まれていた。
暢気眼鏡・虫のいろいろ―他十三篇 (岩波文庫)
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振手の前には戦後の仙花紙ザラ紙の雑本が三、四十冊も積まれた。一山にして 売るのだ。
 「サア、いくら」ときた。
 「五十円ッ」と、最初の声が飛んだ。
 「七十円ッ」「八十円ッ」と、小きざみにセリ上がって行く。
 私もその山をヒョイと見た。
 「虫のいろいろ」が入っている。
 私は期を見て「三百円ッ」と飛んだ。こういう場合よほどのライバルがいない限り、一声で仕止めることが出来るものだ。仲間達が値を飛ばれてハッと思い、追いかけようか、どうしようかととまどっているうちに、本が落ちてしまうのだ。三百円の山は私に落ちた。・・・
 その夜遅くまでかかっで、仕入れできた古本の整理をした。楽しいひとときである。・・・
 そしてもう一度「虫のいろいろ」を手にとつて、驚いた。なんと、てっきり「虫のいろいろ」と思って買ってきた本は「虫のいどころ」という昭和六年に出た民謡の本であった。


 上林暁を阿佐ヶ谷の質素な自宅に訪ね、やはり旧著に署名を依頼したこともあった。

 
先生は快く承諾され机に向かった。私は署名の間、部屋の隅々に置かれた本箱や床の間の本箱にぎっしりつまってしる明治・大正の文学書を眺めていた。
  背中の黒ずんだそれらの文学書は 純粋な文学一途に生きてこられたこの孤独な文学者のつつましいお部屋に、高雅な調和を保っているように思われた。「これでいいですか」と先生は筆をおかれた きちんとした正しし字で「本を愛する人に悪人はない」と誌してあった。
 瞬間私は、こりゃあ悪人にはなれないぞと思った。
 私は先生にお別れして帰る途すがら、ほんとうの文学者に会ったという感動で胸が一杯になり、何回も何回も署名本に見入った。


 42歳で急逝した野呂邦暢は、若いころ関口の家の近くに部屋を借り、上野のガソリンスタンドに住んでいたことがあった。よく店に本を買いに来た。
 家の事情で勤めをやめ郷里に帰ることになったが、野呂は筑摩書房から出たばかりの「ブルデルの彫刻集」がどうしても欲しかった。1500円したが、旅費のことなどを考えると千円位しか都合がつかない。関口は「それなら千円で結構です」と言った。

 昭和四十九年2月。関口は野呂の芥川賞授賞式に招かれた。2,3日して娘の嫁入り道具を運び出す日に、野呂夫妻が店に訪ねてきた。野呂は「素早く上衣を脱ぎ、次々と荷物を運んで下さった」

 
話の途中で野呂さんは、何かお土産をと思ったけれど、僕は小説家になったから、僕の小説をまず関口さんに贈りたいと言って、作品集「海辺の広い庭」を下さった。  その本の見返しには、達筆な墨書きで次のように書いてあった。

 「昔日の客より感謝をもって」 野呂邦暢

海辺の広い庭 (角川文庫)
野呂 邦暢
角川書店


(付記:2013/3/12) 同じ夏葉社の「冬の本」を読んだ。
 84人の人に、冬に関する本についてたった2ページの随想を書いてもらった「小さな本」だ。

冬の本
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天野祐吉 佐伯一麦 柴田元幸 山田太一 武田花 友部正人 町田康 安西水丸 穂村弘 堀込高樹 ホンマタカシ 万城目学 又吉直樹 いがらしみきお 池内 紀 伊藤比呂美 角田光代 片岡義男 北村薫 久住昌之
夏葉社
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 そのなかに、ミュージシャンの直枝政広が「昔日の客」を題材に書いている。題して「関口良雄の葉書」

 
大森にあった山王書房主人であり、最近復刊された名著『昔日の客』の著者、関口良雄の旬入りの葉書が「オークションに出ている」との連絡を長男の関口直人さんから受けた。「いいですねー」と返信すると「もし気に入ったのならあなたが落札してください」と言う。邦楽CDl枚程度の金額だったし、気楽にかまえていたら縁あって落札できた。
 商品情報で伏せられていた葉書の宛名を直人さんに知らせると「開店して間もなくから の常連さん」とのこと。もう少し調べてみると稀覿本の研究本を執筆された方と同姓同名でもあるようで、その熱心な本マニアの方が手放したか、何らかの理由で市場に流れたものと思われる。この句は関口良雄『銀杏子句集』(三茶書房)にも収められていない。
 「冬川の果て○心が流れけり」銀杏子
 その「果て」のあとの○の字が特殊でわからないので直人さんに聞いてみたら大昔の「を」の変体仮名ということもわかった。
 葉書を写真立てに入れ、作業場に飾って眺めることにした。
  「冬川の果てを心が流れけり」銀杏子
 とてつもなく静かだ。ピンと張りつめた冬空が浮かび、地平の果てからシンとした一昔が聴こえてくるようだ。この句には気持ちを落ち着かせる効用がある。
 ヵーネーション『swEE→岩MANCE』の作業の問はこの句がいつも傍らにあった。
 作詞で煮詰まった時にはよくこの葉書を眺めた。時空を超えたいくつかのサジェッションあったのかもしれない。珍しく作詞で悩む事はなかった。
 
 この額を心の中で「良雄さん」と呼ぶようになった。・・・