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2009年1月20日

「五島列島・教会めぐり紀行① 福江島」(2009・1・4~7)


 昨年5月に島原、長崎、平戸、佐世保のカトリック教会をめぐりの旅をした。この旅のことは後述するとして、長崎の教会群などがユネスコの世界遺産に暫定登録されていることを知った。

 五島列島には50もの教会群があり、そのうち6つが世界遺産に暫定登録されている。五島列島への思いが、正月3が日明けにやっと実現した。

 大阪・伊丹から福岡経由で福江島の空港に着いた時は午後2時すぎ。伊豆の大島と並ぶ椿群生地の開花には少し早かったが、南国らしい暖かい日だった。

クリックすると大きな写真になりますクリックすると大きな写真になりますクリックすると大きな写真になります 最初に行ったのは、1912(明治45年)に完成された「楠原教会」。イギリス積みという方式で積まれた正面玄関は、男性的な力強さを感じる。子どもたちは学校の帰りに煉瓦運びを手伝い、老人を含めた信徒の総力で作り上げたという。お堂本体も、レンガ壁だが、天井部分は薄クリーム色に塗られた木造の囲いの上に日本瓦が載っている。なんだか、日本家屋の匂いが残る教会だ。
 内部に入ると、静ひつとしていながら温かみのある雰囲気に圧倒される。白い木の柱が支えているのは、リブ・ヴォールト天井 と呼ばれるアーチ状の白い木張りの天井。茶色のはり(これをリブというらしい)に4分割された小さな白いドームの連なりが入口から祭壇まで続く。

 タクシーの運転手さんは「こうもり天井」と呼んでいたが、はりや板の曲りぐあいが見事だ。「船大工さんの技術だろうか」。同行の一人が言っていたが、外国人宣教師の指導で、初めて立てるこの教会を、西洋様式に少しでも近づけたいと願った日本人大工の意気込みが伝わってくる。宣教師の指導を受けながら建てたのは、日本人大工の鉄川与助といわれる。

 この福原は、五島藩の要請で外海「旧・外海町、現・長崎市」から移住してきたキリシタンが最初に開墾した土地の一つ。「五島崩れ」と呼ばれる厳しい迫害のすえに、やっと建設を許された教会だっただけに、その意気込みが今でもレンガの壁に輝いているようだ。教会のすぐ近くに、キリシタン迫害に使われた「楠原牢屋跡」が復元されていた。

クリックすると大きな写真になりますクリックすると大きな写真になりますクリックすると大きな写真になりますクリックすると大きな写真になります 海辺に、白いレースを組み上げたように建っている「水の浦教会」は「貴婦人の教会」と言われる。1880(明治13)年に建てられた最初の教会が長年の潮風にさらされて解体された後、1938(昭和13)年、すでに代表的な教会建築家になっていた鉄川与助によって建てられた。ロマネスク、ゴシック、和風建築が混合され、現存する木造教会としてはわが国最大規模だという。
 内部も、簡素なデザインのステンドグラスと白いリブ・ヴォールト天井のコントラストがすばらしい。
 ここでも、移住してきたキリシタンが厳しい迫害に会っており、近くの丘には牢屋跡地のレリーフや五島出身の聖職者たちの墓地が広がっている。

クリックすると大きな写真になりますクリックすると大きな写真になりますクリックすると大きな写真になります 行き交う人や車が少ない。正面の十字架がなければ普通の民家と見まちがう「宮原教会」へ向かう道の周辺には、荒れた田畑が広がる。「あの家も、この民家も空き家」。タクシーの運転手がつぶやく。漁獲量が減り、農業だけでは食べていけないため、離島していく人が絶えないらしい。
 「あれ、評判が悪いのだなあ」。運転手さんが指さした小聖堂風の建物は、なんと五島市が建てたトイレ。ちなみに、左側が男性用入口であります。

クリックすると大きな写真になりますクリックすると大きな写真になります そのすぐ先、エメラルドグリーンの内海が側面に広がり、正面に外海を見据えた広場に、レンガ造りの「堂崎教会」は、どっしりと構えていた。
 1908(明治41年)、イタリアから運ばれた赤レンガでゴシック様式に仕上げられたこの教会は、長年五島布教の中枢だった。ミサの30分前には、近くの修道院のシスターがホラ貝で知らせたという。五島で最初のクリスマス野外ミサが行われたのも、この広場だった。
 県の指定文化財に指定されており、現在はキリシタン資料館になっている。館内には、マリア観音、納戸神など隠れキリシタンの遺品や「ド・ロ木版画」と呼ばれる聖教木版画、聖ヨハネ五島の聖骨などがある。正面前の広場には、五島出身ただ一人の聖人である「聖ヨハネ五島」など、いくつかの銅像が並んでおり、キリシタン殉教の厳しさを訴えてくる。

クリックすると大きな写真になります 「浦頭教会」は、1968(昭和43年)に再築された五島では初めてのコンクリートの教会。正面に、ローマの聖ペトロ寺院をまねたのか、聖ペトロとパウロの彫像が並んでいたのにびっくりした。
 昭和20年代には約4千人いた信徒は、今では約5百人にまで減ったが、当時の漁師たちは土曜の午後と日曜日は網を入れず、教会に集まったと聞いた。



P1040284.JPG  福江島で最後に訪ねた「福江教会」は、福江市内の中心街にある。1962(昭和37)年4月に現在の教会は建てられたが、その年の9月未明、周辺を総なめにした福江大火で、この教会だけは奇跡的に焼失をまぬがれた、という。