読書日記「キャパになれなかったカメラマン ベトナム戦争の語り部たち 上・下」(平敷安常著、講談社)
キャパになれなかったカメラマン ベトナム戦争の語り部たち(上)
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平敷 安常
講談社
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写真という名の言葉−歴史の語り部達−一気に読んだ!ベトナム戦争世代じゃなくても読みやすい。
新聞記者を辞めて、もう何年もたつのに・・・。現役時代には、たいした仕事もしなかったのに・・・。ジャーナリズム関係の本を見ると、つい手にとってしまう。
表題にある「キャパ」とは、もちろん 「ちょっとピンボケ」の著書でも有名な戦場カメラマン、ロバート・キャパのこと。
著書の終りに近いところで、著者はこう述べる。
ベトナム戦争でキャパになりそこなった戦争カメラマンは、新しい戦争の中で、もう一度ロバート・キャパをめざす
自分のことらしい。しかし私には「キャパになれなかった」というのは、ある種の反語であるような気がする。この本にあるのは、ベトナム戦争などを取材したカメラマンや記者たちの勇猛果敢かつ壮絶な報道ぶりや悩み、苦しみなどの詳細な記録だ。
"キャパに近づきたい"と願い続け、見事に"キャパになりきれた"「語り部たち」の姿が鮮やかに浮かび上がってくる。
小競り合いがあった現場に急ぐ軍曹に同行した時のこと。山道の曲がり角で北ベトナムの兵士と鉢合わせする。兵士の手りゅう弾より、軍曹の小銃の引き金が一瞬早かった。戦死した北ベトナム兵士が持っていた日記には「私は悲しい。空腹だ。故郷に戻りたい」と書かれてあった。同行したベトナム記者は、同邦の若者の死を悼み、深く悩む。
ベトナム兵を撃った軍曹は、間もなく休暇でハワイに行き、婚約者とデートをする予定だった。だが、数日後の戦闘で片脚を失う。
NBCのハワード・タックナー記者は、弾が飛び交う戦場で、真っ直ぐ立ってカメラに向かって状況説明をすることから、伝説上の人物だった。しかし、ベトナム戦争が終わって5年後に48歳の若さで自らの命を絶った。
「戦争に疲れ果てたという見方もされた」
「安全への逃避」 という作品でピュリッツアー賞をとった、日本人カメラマンの沢田教一が、あの川面の家族を撮って数々の栄誉に輝いた時、著者は同じ現場で16㍉ムービー・カメラを回していた。
同じシーン、同じ対象を写したのに差が出たのは、名カメラマン沢田教一と私の『カメラ・アイ』の差であったかもしれない
「冴えたカンと的確な身のこなしが抜群だった」その沢田も、プノンペンから30数キロの国道2号線で殺される。ベトナム戦争取材で死んだ報道マンは172人にも達っした、という。
岡村昭彦は、南ベトナム政府から入国禁止処分を受けていた。6年前にジャングルのベトコン解放区に潜入、南ベトナム解放戦線の指導者に単独インタビューしたせいだった。
1971年2月、南ベトナム政府軍は、電撃的にラオス国内に侵攻した。その2日後、ベトナムに戻れなかったはずの岡村が突然姿を現した。数日後には、報道陣がだれも入れなかったラオス領内に一番乗りして、続けざまに特ダネをものにした。
アメリカ軍補給基地で、アメリカ軍将校と話していた岡村は、目の前に停まった南ベトナム軍の輸送トラックに乗り込む。あまりに堂々としていたので、南ベトナム兵士はアメリカ軍将校が許可を与えたのだと勘違い。ラオス領内奥深くまで岡村を運んだそうだ
この本を評した2008年11月16日付け産経新聞で、報道写真家の中村梧郎氏は、こう書いている。
命がけの取材があったからこそ、世界は戦争を知りえた。・・・米国はベトナムでの敗北をメディアのせいにした。その後、取材の自由が奪われた。だから、今もイラク、アフガンで毎日出ているはずの犠牲者の姿は見えにくい
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R.キャパ
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読み物としても面白い上に、キャパがやっぱりカッコいいフォトジャーナリストを目指す若者に
死と隣り合わせの職業、ジャーナリズムとは
人間くさく生きること
やっぱ、キャパは凄い!