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2008年3月10日

読書日記「世界一の映画館と日本一のフランス料理店を山形県酒田につくった男はなぜ忘れ去られたのか」(岡田芳郎・著、講談社)

 1か月ほど前に本屋で見つけ、さっそく図書館に問い合わせたが蔵書にはないという。このフランス料理店のことは以前に読んだり、聞いたりしていたので、なんだか気になった。

 数週間して再度検索してもらったら、新刊本コーナーにあり、すぐに借りれた。しおり紐も、折れたままはさんであったから、多分、私が借り入れ第一号だろう。お世話になります、芦屋市立図書館さん。

 白い表紙カバーの表面いっぱいに赤字で、背表紙には3行にわたって書かれた長い表題で、本の内容は一目瞭然。山形県酒田市の名家の御曹司である佐藤久一が、映画評論家に「世界一」と評価された映画館をつくりながら、酒田大火の火元になって失う。その後、日本中の食通をうならせたフランス料理店の運営に全身全霊を傾けるものの、放漫経営の責任を取らされて愛する店を追われてしまう。失意のうちに食道がんを患い、67歳で没する。そんな波乱の人生を一気に読ませる迫真のドキュメンタリー作品だ。

 あの淀川長治に「世界一だ」と言わしめた映画館「グリーンハウス」の支配人に久一がなったのは1950年(昭和25年)、20歳の時。繁華街の路地裏にあったダンスホールを父親が買収して開業したものの、これといった特色もなく興行成績も不振だったため、頼まれて東京の大学を中退して引き受けたのだ。そして、これまでにないアイデアを次々と実行していく。

 東京や大阪のホテルにしかなかった回転ドアを押して入ると、ダブルのスーツ、蝶ネクタイ、白手袋で正装した白髪の案内係に迎えられる。水洗式で高級感あふれた女子トイレでは、座り込んで弁当を食べる人もいたほど。

 ロビー内の喫茶店には、酒田の詩人たちが集い、二階にはガラス越しにスクリーンを見ることができる特別室、和風の家族室。座席数を減らしてでも、観客の快適さを優先するというコンセプトを徹底させた。

 様々なイベントにも先見性を発揮、1960年には、映画「太陽がいっぱい」を東京・スカラ座との同時ロードショーするのに成功、酒田市民の自慢の種を増やした。

 久一はその後、東京・日生劇場食堂課に勤めてフランス料理のすばらしさを知り、1967年、酒田市内にレストラン「欅(けやき)」をオープンさせる。フランス料理研究家の辻 静雄やフランス人シェフ、ポール・ボキューズの薫陶を受け、地元の食材を生かした新しいフランス郷土料理を創造する。百貨店やホテル内に新店舗「ル・ポットフー」も設け、酒田市民だけでなく、作家の開高 健、山口 瞳、写真家の土門 拳、評論家の草柳大蔵、落語家の古今亭志ん朝ら、食通の舌をうならせて評判になる。

 作家の丸谷才一は「食通知ったかぶり」(文春文庫、1979年)で、この店を「裏日本隋一のフランス料理」と絶賛している。食べた料理と酒は。

  •  そば粉のクレープとキャビアの前菜
  •  アカエイの黒バターかけ
  •  最上川の鴨のステーキ
  •  赤川寄りの砂丘で獲れた雉(きじ)のパテ
  •  チョコレートのスフレ
  •  冷えた「秘蔵初孫」(久一の実家である造り酒屋自慢の逸品
  •  サドヤ(甲府市のワインメーカー)のシャトーブリアン(赤ワイン)

 グルメ雑誌編集者の森須滋郎は「食べてびっくり」(新潮文庫、1984年)で「こんな土地で、こんな料理を、こんなに安く出して、ソロバンがとれるのだろうか」と、久一に率直に尋ねた、と書いている。

 久一はこう答えている。「四階、五階、それに六階の一部は、みんな結婚式と披露宴用のフロアー。これで採算がとれて、この三階のレストランは、私たちの道楽――よういえば生き甲斐なんです」

 久一の、こんなこだわりがいつまでも続くはずがない。慢性的な赤字経営でレストランを追われ、最後はガンを患い、老齢の父に看取られて死んでいく。

 しかし、久一の薫陶を受けたシェフたちによって「レストラン欅」「ル・ポトフー」は、今でもしっかり酒田の地に根をおろしている、という。

 この本に引き込まれたもう一つの理由が、著者・岡田芳郎が書く「エピローグ(後書き)」にある。

 「広告代理店を定年退職し、何をするでもなく暗い家の底でうずくまるような生活を送っていた私(岡田芳郎)」は、姉の家で久一の妹に紹介され、取材を始める。そこには「私の惑い多き日々とは正反対の光輝く人生があった」

 著者はこう結ぶ。「久ちゃん、どうやら私の中にあなたが棲みつき始めた」

 素材を生かしたフルコースを一気に味わった後に出たデザートに、ちょっと顔がほころぶ感がする。

 参考本:「美味礼讃」(海老沢泰久、文藝春秋、1992年)
 久一が師事した辻調理師学校創設者、辻静雄の半世紀。帯封に「彼以前は西洋料理だった。彼がほんもののフランス料理をもたらした」とある。
世界一の映画館と日本一のフランス料理店を山形県酒田につくった男はなぜ忘れ去られたのか
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5 「美食」と「理想」
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