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2010年5月20日

読書日記「天地明察」(冲方 丁著、角川書店刊)


天地明察
天地明察
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冲方 丁
角川書店(角川グループパブリッシング)
売り上げランキング: 48
おすすめ度の平均: 4.5
4 水戸のご老公から保科正之、関孝和の和算も登場!
5 数学萌え!天文学萌え!の江戸男子
3 宣伝の力は忘れて読んでください
4 暦と数学
5 夢中の人、天を掴む


 こんなにおもしろいエンタテーメントを読むのは、久しぶりのような気がする。
 474ページを一気に読み進み、読了が近くなったのがおしくなって、読むペースを落としたり、序章を読み返したり、巻末の参考文献に目を凝らしたり・・・。残念ながら、この本には著者の「あとがき」はない。

 代わりに、この本を紹介する角川書店のWEBページで著者自身が著書のあらすじなどを語る動画コーナを見つけた。

 (江戸時代)将軍・家綱の治世の時代、碁所(碁の指南役)の家に生まれ、江戸城に出仕する渋川春海 (安井算哲)が数学や天文にも興味を持ち、いつしか日本独自の暦を作るという大願を持つ。
時の権力者たち(保科正之徳川光圀ら)も支援を惜しまない。
 生涯ひたすら挫折を繰り返しながら課題を乗り越え、最後の最後に(大願を)達成する。人間、これほど挫折を続けながらでも、夢を追い続けることができるのです。
 「日本人独自の信仰、感性の底には、暦というものがあるのではないか」。そう思ったのが、渋川春海を取り上げた理由だという。

 本の帯封に、いくつかの読後感が載っている。
 「『こういう生き方って、いいよね』という率直で朗らかなロールモデルの提示」(内田樹・神戸女学院大学教授)
 「この小説を読んで、学問って」最大のエンターテイメントだと思った」(TBSテレビ「王様のブランチ」ディレクター)


 渋川春海の暦への興味は、800年以上も使われてきた宣明暦が、実際の1年の観測より2日も誤差を生じていたことを知ったことから始まる。
 そして保科正之の支持で、改暦事業に着手、中国・元の時代に作られた授時歴の採用に動くが、朝廷から「授時歴は不吉」と一蹴される。

 挫折のなかで春海は妙案を思い付く。
 「勝負だ。宣明暦と授時歴を、万人の前で勝負させるのだ」


 3年間にわたって、2つの暦が予想した日蝕と月蝕の日時が正しいかどうかを公開していく。宣明暦は次々と予測をはずし、改暦の機運が盛り上がった矢先、悪夢が起こる。
 授時歴が、日蝕の予報を外した。・・・改暦の機運は消滅した。


 失意のなかで、和算(数学)の権威、関孝和に叱責される。
 「よもや、授時歴そのものが誤っているとは、思いもよらなかったと、そう言うかツ!」


   中国と日本の緯度の差から、授時歴をそのまま使うと、若干の誤差が生まれていたのだ。
春海が考案した、わが国初の暦、大和歴(後に貞享歴と改称)が、誕生した瞬間だった。

 江戸時代、算術の塾で互いに考え出した問題を張り出し、解答が正しければ「明察」と作者が書き込む風習があった、という。「ご明察」の明察である。

 2010年本屋大賞第1位。第31回吉川英治文学新人賞受賞作品。

▽最近読んだ、その他の本
  • 「四十九日のレシピ」(伊吹有喜著、ポプラ社刊)  2010年本屋大賞受賞作品第2位。同じく出版社のWEBページにあるあらすじを引用させてもらう。
     熱田家の母・乙美が亡くなった。
     気力を失った父・良平のもとを訪れたのは、真っ黒に日焼けした金髪の女の子・井本。
     乙美の教え子だったという彼女は、生前の母に頼まれて、四十九日までのあいだ家事などを請け負うと言う。
     彼女は、乙美が作っていた、ある「レシピ」の存在を、良平に伝えにきたのだった。

     スイスイと流れるように読んでしまう不思議な文体だ。でも、なんだか物足りないのは、書かれているレシピが少ないせいだろうか。食いしん坊!
     産経新聞のWEBページでは、執筆のきっかけについて、こう語っている。
     「最近は、自分の葬儀のやり方を、生きているうちに自らプロデュースして書き残す人が増えてきていると聞いたのと、レシピという言葉には料理の作り方のほかに処方箋(せん)という意味があるのを知って」タイトルがひらめいた。

     なるほど、この本は「死」について考えるものでもあるのだ。最近、そんなたぐいの著書を読む機会が多くなったような気がする。


  • 「青春は硝煙とともに消えて ある戦没画学生の肖像」(木村亨著、幻冬舎ルネッサンス刊)
     図書館ボランティアでカウンターに座っていて、返されてきた本の題名を見て「無言館の話ですか」と、思わず聞いてしまった。
     無言館にも遺作が残されている戦没画学生、久保克彦。25歳で戦死した短い一生を甥の著者が自費出版した。
          
           俺は、死にたくねえ
           俺は、絵が描きてえ
           俺は、ペンを捨てたくねえ

    東京西荻窪の姉の家で悲痛なうめき声を漏らしながら、描いた東京芸術大学の卒業作品「図案対象」(その年度の最優秀作品として東京藝大が買い上げ)を描きあげるまでが主軸になっている。
    生き残る可能性があった航空隊行きを断り、一番死と近かった中国の第一線に見習い士官として出征していった達観の死。ここまで若者を追い詰めた歴史の非情さ。


  • 「クラウド時代と<クール革命>」(角川歴彦著、角川グループパブリッシンング)

     これからのネット社会の中心になるといわれる「クラウド・コンピューティング」の時代に向けて、これからの日本は「GDPならぬ、GNC(グロス・ナショナル・クール)に優れた国になるべきだ」というのが、著者の主張。
     「クール」とは、洗練されたかっこよさ。NHK衛星放送の人気番組「クール・ジャパン」の受け売りかと思ったが、そうでもないらしい。
     江戸時代の浮世絵・屏風・絵巻物から現代のマンガ、アニメ、ゲーム、ファッションに加えて日常生活に根付いている回転寿司や日本食など・・・。独自文化の数々が混然一体となり、「クール・ジャパン」現象と映る。

     「ポップ・カルチャー」「サブ・カルチャー」で、落ちる一方と言われる日本の国力が維持されるのなら、それはそれでけっこうなことだとおもいながら・・・。眉につばをつけて読み流す。


  • 「人生、しょせん気晴らし」(中島義道著、文藝春秋)
     図書館の司書ボランティアで時々コンビを組むNさんから「かわった人の本ですよ」と聞かされ、思わず借りてしまった。
     「戦う哲学者」という異名を持つ著者は、かなり変人のようだ。
     ただ、著書に書かれた「半隠遁の思想」なんかは、現在の私の気分に合う(こちらは"全隠遁だが・・・)。
     「人生相談」という気晴らし、という章がおもしろい。
     「母親の介護で、自分自身が壊れてしまいそうです。父、兄、弟がいますが、まったく面倒をみません」という質問の答えは「『いい人』をやめて、『ろくでなし』になりなさい」
     ご明察!気分爽快になること、間違いなし。

    四十九日のレシピ
    四十九日のレシピ
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    伊吹有喜
    ポプラ社
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    おすすめ度の平均: 5.0
    5 久しぶりにいい本に出会いました
    4 思わず、自分の言動と重ね合わせてしまいました。
    5 感想
    5 泣きました。
    5 心が温まる作品。

    青春は硝煙とともに消えて
    木村 亨
    幻冬舎ルネッサンス
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    クラウド時代と<クール革命> (角川oneテーマ21)
    角川 歴彦
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    おすすめ度の平均: 3.5
    4 期待しないで読んだら力作なのでびっくりしました
    4 クラウドに遅れている日本への警鐘
    3 勉強したことをまとめただけ
    2 いったいなにが言いたいの?
    3 日本版「クラウド」の必要性を説くが

    人生、しょせん気晴らし
    中島 義道
    文藝春秋
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    おすすめ度の平均: 5.0
    5 自分に逃げないためのエッセイ集
    5 本当にその通りです


2010年1月16日

読書日記「偏愛ムラタ美術館」(村田喜代子著、平凡社刊)

偏愛ムラタ美術館
偏愛ムラタ美術館
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村田 喜代子
平凡社
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  このブログにも書いたことがある芥川賞作家の村田喜代子が、小説を書く時の「栄養剤」として"偏愛"している絵画の数々を独断と偏見で書き綴った、なんとも凄みのある本である。

「大道あや」という画家を、この本で初めて知った。「しかけ花火」という絵について書くなかで、聞き取り「へくそ花も花盛り」という本に書かれた大道あやの言葉を引用している。あやの夫は経営していた花火工場が爆発して死ぬ。

 主人は焼け焦げとりました。でも誰も主人を運び出してくれようとせんのです。(中略)じゃから、私が主人の頭を抱くように抱え、弟が布を添えて足のほうを持って、運び出した。そしたら、主人の頭がパカッと割れて、脳味噌がドロッと落ちました。倉庫にあった茶箱に白い布を敷いて、主人を入れ、脳味噌も、こんなところに一滴でもおいていけんと思うて、みんな手ですくうて、紙につつんで、シーツにつつんで茶箱に入れて、家に帰りました。


 その事故の2年後に「しかけ花火」は描かれた。さく裂し、崩れ落ちる花火の間を魚が泳いでいる・・・。すべてのものでカンバスを埋めつくさずにはおられない「巨大な空間に対する圧倒的な畏怖の念」を著者は感じる。

 村山槐多「尿する裸僧」について著者はこう書く。

 これは彼のもう一つの自画像だろう。彼が死んだあばら家の壁は落書きだらけで、その中に男が放尿する絵も幾つもあったらしい。槐多の絵の放尿はまるで「爆発」だ。思いっきりの射精であり、エネルギーの放出であり、それから何だろう。まるで滝だ。人体のなかに滝を落下させている。


 この絵は信州上田市の「信濃デッサン館」にある。昨年、近くの「無言館」を訪ねた時に、時間がなくて行きそびれたのが、なんとも残念だ。

   著者は、大分県湯布院町の老人ホームに隣接している「東勝吉常設館」を訪ね「由布岳の春」など、デフォルメされた独特の絵を飽きずに眺める。
 東勝吉は長年木こりを生業としてきたが、老人ホームに入ってから院長に勧められて83歳で初めて絵筆を握り、99歳で死ぬまで絵を描き続けた。

 人間というのは、つくづくびっくり箱だと思う。何十年も生きているうちに、ある日ひょいと、とんでもないものが飛び出してきたりする。

 19世紀から20世紀にかけて素朴派と呼ばれる画家たちがいた、という。普通の生活をしていた人たちが、70歳を過ぎてから絵筆を握っている。

 そうか、年を取るというのは、身軽に自在になるということだったのか・・・。


 私でも遅くないかなと、思ってみたりする。

 まだまだある。著者はロバート・ジョン・ソーントンの奇怪なボタニカル・アートに引き込まれ、このブログにも書いた河鍋暁斎の想像力に「負けないでいこう」と、わが身を奮い立たせる。

 数々の「受胎告知」の作品のうち、私も何年か前のイタリア巡礼で見たフイレンツエ・サン・マルコ修道院にあるフラ・アンジェリコの壁画について、こう書く。

 微光に包まれたような柔らかさが好きだ。・・・

絵は完全飽和なのだ。アンジェリコの「受胎告知」は受諾と祝福で飽和して、一点の矛盾も不足もない。満杯である。


▽参照
    平凡社のこの本の紹介WEBページ

▽その他、最近流し読みをした本
  • 「林住期を愉しむ 水のように風のように」(桐島洋子著、海竜社刊)
     「林住期」 といえば、2007年に発刊された五木寛之 の著書 がベストセラーになったが、なんとこの本は1998年の刊である。 図書館の返却棚に並んでいるのを見つけて、思わず借りてしまった。この著者 のエッセイは、その明るさが好きでいくつか読んだが、相変わらず生活力と活動力にあふれたタッチがいい。ほかにも「林住期が始まる」「林住期ノート」という著書もあるようだ。

  • ・「バブルの興亡 日本は破滅の未来を変えられるか」(徳川家広著、講談社刊)
     著者 は徳川将軍家直系19代目にあたるエコノミスト。
     エコノミストの経済予測ほどいいかげんなものはないと読まないことにしているだが、結構評判がよかったので、昨年10月の発刊直後に図書館に予約を入れて、先日借りることができた。
    昨年9月の政権交代直後に書かれたが「史上最大の予算出動」など、けっこう当たっている。「バブルが発生するのは、だいたい危機の二年後」「その規模は空前の巨大規模」「そのバブルも崩壊して廃墟経済がやって来る」「バブル期には金の価格が下がる」・・・。小気味のよい予想は続く。マー、まゆつばで流し読みも一興。

  • ・「ぼくたちが聖書について知りたかったこと」(池澤夏樹著、小学館刊)
     フランスなどに長く住み、聖書の知識なしにはヨーロッパ社会を理解できないことを知った著者 が、父の母方の従弟である聖書学者の碩学、秋吉輝雄 に、自らの深い教養から出てきた疑問を投げかける稀有の本。
    聖書についてより、ユダヤとユダヤ人について多くのページがさかれるが、国境を持たない国に生きてきたユダヤ人への理解がなかなか進まない。聖書とユダヤについて、なにも知らなかった自分に気づかされる。



林住期
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五木 寛之
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3 団塊世代向け
4 平易さを侮ってはいけない
5 人生観が変わるかもしれません。
5 人生設計を考えるにあたり非常に参考になる考え方
3 備えよ常に。

ぼくたちが聖書について知りたかったこと
池澤 夏樹
小学館
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おすすめ度の平均: 5.0
5 『聖書』をひもとき歴史にひらく


2009年10月19日

読書日記「ナガサキ 消えたもう一つの『原爆ドーム』」(高瀬毅著、平凡社)、そして「信州・無言館」



ナガサキ 消えたもう一つの「原爆ドーム」
高瀬 毅
平凡社
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おすすめ度の平均: 5.0
5 ナガサキの「苦悩」は、長崎だけのものではない
5 ミステリーを読むように一気に読めます
5 日本人として知っておくべき事実
5 アメリカはどうしても...


 数か月前だっただろうか。ふと手にした週刊誌のグラビア欄に、戦後すぐに撮られたらしい長崎・浦上天主堂の廃墟の写真が載っていた。

 今年の初めに浦上天主堂を訪ねたが、正面に首が取れたり、黒こげになった聖人像やレンガ壁の一部が残されている。教会内には焼けただれた「マリア像」も保管されており、爆心地から500メートルしか離れていなかった教会が壊滅状態になったことが分かる。しかし、廃墟になった天主堂は、現在の敷地内には残っていない。

再建された浦上天主堂:クリックすると大きな写真になります  長崎原爆資料館ホームページ廃墟となった天主堂の写真が載っているが、週刊誌には同じアングルの廃墟の前で縄跳びをして遊ぶ少女たちや、よじ登ってハンマーで廃墟を打ち砕く人たちの姿が掲載されていた。

 なぜ、被爆した天主堂は消えてしまったのか。その疑問に挑戦したのが、この本である。

 著者は、長崎生まれの元放送記者。長崎の放送局が制作したテレビ番組を見て「天主堂の廃墟が残っていたら、・・・原爆について考える大きなきっかけを与えるものになったに違いない」「広島に原爆ドームがあるのに、どうして長崎に浦上天主堂の廃墟は残っていないのか」という問いを膨らませていく。そして、地元取材だけでなく、アメリカの国立公文書館などで調査を続ける。

 この本を一挙に読んだ感じでは、著者はこの疑問への明確な答えは得られなかったようだ。しかし、いくつかの事実に突き当たる。

 1つは、当時の田川長崎市長が、当初は天主堂の保存を公言し、市長の諮問機関も保存の答申をしていたのに「心がわり」し、市議会で「浦上天主堂の残骸が、・・・原爆の悲惨を物語る資料として適切にあらず」と答弁、廃墟の取り壊しに賛成に転じたこと。

 もう1つは、教会を司る当時の山口司教が廃墟の保存を望まなかったらしいという事実だ。

 この2つの事実の裏には、原爆の遺産保存を望まないアメリカの周到なソフト戦略があると、著者は見る。

 田川市長がまだ天主堂廃墟の保存に前向きだった1955年(昭和30年)、アメリカ・セントポール市から突然、長崎市に姉妹都市提携の話しが持ち込まれた。日本では初めての唐突な"縁組"申し込みだった。
 翌年、田川市長は渡米、セントポール市だけでなく、シカゴ、ニューヨーク、ワシントン、ニューオルリンズ、サンフランシスコ、ハワイまで回り、国務省関係者などの歓迎を受ける。「米国から帰国した田川市長は、渡米前とは明らかに態度がかわっていく」
 1958年の臨時議会で、市長はこう答弁する。「浦上天主堂の残骸が原爆の悲惨を物語る資料として・・・適切にあらず・・・」

 同じころ、カトリック教会長崎司教区の代表である山口司教も、教会再建の資金集めのために10か月にわたって米国各地を訪問している。
 著者は、現地の新聞紙上での山口司教の発言や教会関係者への取材から、廃墟を撤去することが、アメリカ側の資金提供の条件であったらしいことを浮かび上がらせていく。

 教会が浦上という土地に教会を再建したいと願ったもう一つの理由にも、著者は言及している。浦上四番崩れに見られるように「何代にもわたった弾圧に耐え抜いた浦上の信徒にとって(原爆という)現在の『絵踏み』が行われた忌まわしい場所の上に天主堂を建てることは、部外者にはうかがいしれない重みがあるのかもしれなかった」

 西日本新聞にこんな記事が載っている。「五八年春、廃墟の天主堂は姿を消した。逆に広島はその二年後、急性白血病で亡くなった被爆少女の手記をきっかけに原爆ドームの保存運動がスタートする」(2003/08/03朝刊)。

  無言館:クリックすると大きな写真になります 先週、信州に"小さな秋"を見つけに出かけ、ある「鎮魂ドーム」を訪ねる機会があった。上田市にある「無言館」だ。

「無言館」の内部:クリックすると大きな写真になります  この美術館は、先の大戦で戦死した画学生を慰霊するため、近くで「信濃デッサン館」を開設している窪島誠一郎氏 が、東京芸術大学の野見山暁治・名誉教授と協力して集めた戦没画学生の遺作を展示している。

 コンクリート打ちっぱなしの建物のドアを押すと、薄暗いなかに画学生が残した作品が次々に浮かび上がってくる。「生きたい」「生きたかった」という叫びが聞こえてくるような、異常に静かな空間だ。

 家族や恋人、自宅近くの風景画が多い。横に短い文章が添えられている。没年、22歳、27歳、33歳・・・、フイリッピン・ルソン島、中支、沖縄・・・。あまりに若く、あまりに遠い無念の死だ。

 「無言館」にある絵の一枚 「あと5分、あと十分、この絵を描きつづけたい。・・・生きて帰ってきたら必ずこの絵の続きを描くから・・・安典はモデルをつとめてくれた恋人にそういいのこして戦地に発った」

「無言館」にある絵のもう一枚
「『ばあやん、わしもいつかは戦争にゆかねばならん。そしたら、こうしてばあやんの絵も描けなくなる』」
「きよしがつぶやくようにいうと『なつ』はうっすらと涙をうかべただけで何もいわなかった」  

無言館第2展示館:クリックすると大きな写真になります「第2展示館』の前にあるモニュメント:クリックすると大きな写真になります 平成8年に開館した「無言館」の近くに、最近「第2展示館」も完成した。

 「屏風絵 茄子」(小野春男)という日本画に引かれた。
 「先生の絵の茜色は亡き息子さんの鎮魂の色ですか」「父竹喬(文化勲章を受章した日本画家・故小野竹喬)はなにも答えなかった」

 ※参照:「生誕120年 小野竹喬展」