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2009年6月11日

読書日記「時が滲む朝」(楊逸著、文藝春秋刊)

時が滲む朝
時が滲む朝
posted with amazlet at 09.06.11
楊 逸
文藝春秋
売り上げランキング: 12450
おすすめ度の平均: 3.0
3 中国人が書いた日本語小説というジャンル
3 こなれてないのが味わいに
2 芥川賞とブンガクの劣化、ここに極まる
2 申し訳ないが、率直な感想
4 けりがつけれないけど、時が流れる


 ちょっと、ブログを書く時間が空いてしまった。風邪気味が続いた(新型ではありません)こともあるが、何冊か読んだ本はどうしてもブログに書く気にならず、他の本を探したくても情報源の芦屋市立図書館が新型インフルエンザ対応や所蔵図書の整理とかで休館続き。

 しかたがなく、居間のワゴンに1年近く積読してあったこの本に手が伸びた。しかも読んだのは、表題の単行本ではなく「芥川賞受賞全文掲載」と銘打った文藝春秋2008年9月特別号(790円)。JR芦屋駅近くの書店に在庫として残っていたのを「安いからマーいいっか」と買っておいたものだ。

 読み終えたのは、たまたま天安門事件20周年の前日だった。著者楊逸(ヤン イー)さんインタビューに答えて「あの事件(天安門事件)のことを書きたいと思いました」と答えている。中国の民主化運動というテーマに取り組んだ重―い本と思ったが、中国の若者の生きざまと苦悩を描いた青春小説だったのは意外だった。

 1980年代に中国西北部の農村に育った主人公は、親友と一緒にあこがれの大学で入学。日干し煉瓦で造られた家でなく「階段のある家に住みたい」という憧れは、大学の宿舎に入って実現する。しかし部屋は4組の2段ベッドだけでいっぱい。学生たちは、夜明けとともに公園のベンチで勉強、友人が持ち込んだテープから流れるテレサ・テンの「甘く切ない」"ミー・ミー・ジー・イン(中国語でみだらな音楽の意)"に感動し「口のなかに大量分泌された唾を思い切り飲み込んだ」りする。

 なにか明治か大正時代の小説を読むような、ういういしい青春風景である。

 有志で作った文学サロンで、北京の学生の間で始まった民主化運動を知る。

 
「民主化って何ですか?」
 「つまり、中国もアメリカのような国にするってことだよ」
 「アメリカみたいな国?どうして?」
 「今、官僚の汚職が多いからでしょ・・・」


 市政府前広場での連日の「集会、デモ行進、時には座り込み、ハンスト・・・」
 
「これからは、政府にどんな要求をするのですか」

 「もちろん民主化するように」

 「どうすれば、そうなれるんですか?」

 「欧米国家みたいに与党があって、野党があること。互いに監視しあい牽制するからこそなれるんだ、一党支配のままじゃ独裁国家だ」

 ・・・

 「へえ」皆初耳だったが、納得した気になった学生たちの目からは、気だるさがすっかり消え、希望が満ちてきた。


 しかし、天安門事件が起こる。主人公はやるせない思いで酒を飲みに出かけた食堂で労働者とけんかをし、大学を退学になる。

 残留孤児の娘と結婚して来日するが、北京五輪に反対運動をしても周りに受け入れられず、苦い挫折が続く。

 日本語を母語としない作家が芥川賞をとったのは、初めてだという。前作の「ワンちゃん」よりは、かなりいい日本語になったらしいが、文中にはちょっと気になる記述がみられる。

 夜空に雲をくぐりながら、楽しそうな表情の三日月に見つめられているとも知らずに。ひたすら前に進むと、風と水とが奏でる音が聞こえてきた。

 大きな澄み切った目は、山奥の岩石の窪みに湧いた泉のようで、黒い眸は泉に落ちた黒い大粒のぶどうの如くに、しっとりとして滑らかである。


 「白髪千丈」の国の人が日本語を書くとこういう表現になるのかと、いささかあ然としてしまう。

 月刊・文藝春秋2008年9月特別号には、選考委員による「時が滲む朝」の「芥川賞選評」が載っている。
 石原慎太郎は「単なる通俗小説の域を出ない」と酷評し、村上龍は「日本語の稚拙さは・・・前作とほとんど変わりがない」と受賞に反対している。宮本輝も「表現言語への感覚というものが、個人的なものなのか民族的なものなのかについて考えさせられた」と書く。
 一方で夏澤夏樹は「中国語と日本語の境界を作者が越えたところから生まれたものだ」と評価している。

 著者は、芥川賞受賞記者会見(動画)で「好きな日本語は」と聞かれ「土踏まず」と答えている。足の裏のあのくぼんだところだ。

 おもしろい感覚と思う。これまでの日本語表現を越えたジャンルを切り開いていくのかもしれない。

 ▽余録・村上龍が語る「時が滲む朝」受賞裏話VTR(右下の楊逸さんの写真をクリック)

2008年10月 7日

読書日記「やさしいため息」(青山七恵著、河出書房新社刊)


 この小説は、こんなトーンの文体に終止する。
 風呂を沸かすあいだ、ベッドに腰かけ前かがみになって、膝の上に頬杖をついてみる。お湯が湯船にたまっていく音が聞こえた。頼りがいのある音だった。ほかほかの湯気の中をまっすぐに落ちていくお湯の柱が目に見えるようだ。数分後には、わたしはいい匂いのするあたたかいお湯の中にいる


 昨年の芥川賞を「ひとり日和」(同社刊)を受賞した著者の第2作の購読申し込みを芦屋市立図書館にしたのは、朝日新聞の書評欄に作家の阿刀田 高がこんな文章を書いていたからだった。
 小説家は"人が歩き、犬がほえ、車が走る"というただそれだけのことを書いても文章に巧みさが、おもしろさが光る、と私は信じているが、この作家の筆致には、それが漂って、読み心地がよい


 OLである主人公のところに、4年間音信不通だった弟が転がり込み、姉の観察日記をつけ始める。しゃべる日常が、あまりに平凡、平穏なので、時々うそをまじえて話す。ただ、それだけのあらすじ。

 もう少し引用してみる。
 疲れていたけれども、まだ歩きたいと思った。そうやって歩いていると、わずらわしいものからどんどん遠のいていけるようで、生活がどうとか人生がどうとか、そんなことより何か陽気で楽しい考え事ができるような気がしてくるのだ

 マグカップから、オレンジ色の液体が喉を通り、胸とお腹の境目くらいに流れ着く。上半身を揺らしてみると、そのあたりのなまぬるいところを冷たいものがさわっていく。冷たいものはわたしのなまぬるさを含んで、だんだん消えてなくなって、お腹の中が少し重い感じがするだけになる。わたしはジュースのことなど忘れてしまったように、もう次の行動を始めている。流しにたまったコップや皿を洗う。風呂を沸かす

 分からないようで、分かるような感覚。阿刀田 高は書評で「40~50代の読者は『このヒロイン、なにを考えているんだ』と鼻白むかもしれない」と書いているが、60歳後半に突入したじじいの読後感は、そう悪くはなかった。

 あえて言えば、こんな感じ。
 淡いパステル画のちょっと引かれる展覧会をざっと見た昼過ぎ、レストランで季節野菜のパスタを注文する。いつもはフルボディの赤ワインだけど「今日は、軽めのグラスワインに。なんだか頼りないけれど、まあ、おいしかった」

 ついでに、芥川賞受賞の「ひとり日和」も借りてみた。本館にはなく、打出分室の一般書棚に並んでいたのを、すぐに借りることができた。昨年の受賞作が、小さな分室に1冊しかなく、借りる人もなく書庫に残されているのは・・・。

 東京の遠縁の老女の家に同居し、老女とそのボーイフレンドとなんとなく交流し、自分の恋人には、ふられたり、ふられかけたりする。時々、周りの人のつまらないものを盗んで、秘密の小箱にしまい込む20歳のOL。

 著者によると、最後に自立へのきっかけをつかむから「ひとり日和」なのだそうだ。受賞決定の記者会見で、選考委員の石原慎太郎は「都会のソリチュード(孤独)が一種のニヒリズムに裏打ちされ・・・」と講評していたが、この作品にニヒリズムを感じるとは、さすが大作家。

 図書館で「年をとって、初めてわかること」(立川昭二著、新潮選書)という、えらくたいそうな題がついた本を借りてみたらなんと、この本の選評が載っていた。

 本表紙裏の著者紹介には「生老病死を追求する北里名誉教授」とあり、老いに関する小説を中心に論評している。

 「ひとり日和」は、第六章「老若の共生」のなかにあり、こんな一節を引用している。
 『あたしこんなんでいいと思う?』。吟子さんは答えなかった。静かな視線が、わたしの顔や、肩や、胸や足の上に筆を当てるように、順に動いていった。そのたびに、淡い色をのせられていくような感じがした

 まもなく死んでいくものと、これから生きていかなければならないもの同士の淡く、温かい心のふれあい。

やさしいため息
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おすすめ度の平均: 4.0
4 『ひとり日和』の続編かも

ひとり日和
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青山 七恵
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おすすめ度の平均: 3.5
3 買いですが・・・。
2 書き方が乱暴
4 海面はベタ凪でも、潮の流れは・・・
3 大して面白いとは・・・
4 淡々と‥4


年をとって、初めてわかること (新潮選書)
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