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2009年5月 9日

読書日記「土に書いた言葉 吉野せいアンソロジー」(山下多恵子編・解説、未知谷刊)

土に書いた言葉―吉野せいアンソロジー
吉野 せい
未知谷
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なんというエネルギッシュさ、力強さだろう。言葉のひとつ、ひとつがドスン、ドスンとぶつかってくる。
 けっして、流麗な文章ではない。粘土質のねばっこい土を力いっぱい投げつけ、投げつけ・・・。やっと作り上げられた塑像を見るような、あらくれた裸の言葉の持つすごみ。

 この本は、自らを「百姓バッパ」と称した開拓農民・吉野セイの作品を集めたアンソロジー(選集)である。

 福島県いわき市に生まれた吉野セイは、夫で詩人の三野混沌(本名・吉野義也)と結婚して開墾生活に入る。開墾地周辺の自然描写に引き込まれる。

 長年の夢だった故郷の水石山に登り、阿武隈山脈を眺める。
 遠目には濃藍一色にしか見えなかったそれが、実に複雑な起伏、色、線、幾重もの厚み、直、曲、斜線のからみあいもたれあい、光と影の荘厳な交錯、沈黙の姿に見えていて地底からの深い咆哮・・・。(水石山)


 
待ちわびた初秋の雨が一昼夜とっぷりと降りつづいて、やんだなと思うまもなく、吹き起こった豪快な西風が、だみだみと水を含んだ重い密雲を荒々しく引っ掻き廻した。八方破れのおおまかな乱断ち。忽ち奇矯なかげを包んだ積乱雲の大入道に変貌しはじめたと見る間に、素早く真白い可愛い乱雲の群小に崩れて寄り添い、千切れてうすれ、まっさおな水空の間あいを拡げながら、東へ東へと押し流されて、桃色がかったねずみ色の層雲が、まるでよどんだようにでんとおさまった。(いもどろぼう)


 少女時代は小説家になるのが夢だった、詩作にのめりこみ、農地解放運動没頭する夫・混沌を憎み、愛しながら地に這いつくばって開墾を続ける。
 夫の友人だった草野心平に勧められて執筆活動を始めるのは、夫が死んだ直後の73歳の時だった。

心平は鋭い眼でセイを射すくめて言う。
 「あんたは書かねばならない・・・」
 「いいか、私たちは間もなく死ぬ。私もあんたもあと一年、二年、間もなく死ぬ。だからこそ仕事をしなければならないんだ。生きてるうちにしなければーーー。わかるか」(信といえるなら)


 その一年後に、息子を題材にした作品「洟をたらした神」を発表。それが大宅壮一ノンフィクション賞、田村俊子賞を受ける。

 息子のノボルはある日、ヨーヨーを買いたいと2銭を母にせがみ、断られる。しかしその夜、ノボルは見事にヨーヨーをつくりあげる。
 古い傷口」が癒着して上下の樹皮がぼってりと、内部の木質を包んでまるくもり上がった得難い小松の中枝がその材料であった。枝の上下を引き切り、都合よく癒着の線がくびれている中央にぐるり深くみぞを彫り込み、からんだ糸は凧糸を切って例のあぶらぼろで磨いて・・・。どうやらびゅんびゅんと、光の中で球は上下をしはじめた。それは軽妙な奇術まがいの遊びというより、厳粛な精魂の怖ろしいおどりであった。


 老いについて、セイはこう書く。
まといついていた使い古しの油かすのような労苦、貧困、焦燥、憎怨、その汚れた生活の一枚ずつを積み重ねて、紅蓮にやきただらした火の苦悩は、打ち萎えた私の体力に比例して尻込みしながらじりじりと遠ざかってゆくようだ。私は指先のあたたまるようにほのぼのと嬉しい。両肩が軽い。(老いて)


 1977年(昭和52年)永眠。享年78歳。