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2014年12月15日

読書日記「ランドセル俳人の五・七・五」(小林 凛著、ブックマン社刊)「冬の薔薇立ち向かうことを恐れずに」(同)




冬の薔薇 立ち向かうこと 恐れずに
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 小林 凛君の第2句集「冬の薔薇立ち向かうことを恐れずに」を本屋で見つけたのは数か月前のことだ。

 第1句集もパラリとめくったことはあったのだが「ランドセル俳人・・・」という表題に老人としてはいささかの抵抗感があって敬遠していた。だが「冬の薔薇・・・」を読んですぐに第1句集も買いに走った。

 朝日俳壇の選者の1人である金子兜太さんが「冬の薔薇・・・」の巻末で「凛君のように、抵抗しているものを自分の内面で消化し表現できる子は、辛くても(いじめに)耐え抜ける」という巻末語に引かれたのだ。

 いじめに会って自らの命を絶ってしまう子供が多いなかで、凛君はどうしていじめに耐え抜けたのか?

 「ランドセル・・・」の冒頭で、凛君自身が、こう語っている。

 この日本には、いじめられている人がたくさんいる。
 僕もその中の1人だ。いじめは一年生から始まった。
 からかわれ、殴られ、蹴られ、時には「消えろ、クズ!」とののしられた。それが小五まで続いた。僕は生まれる時、小さく生まれた。「ふつうの赤ちゃんの半分もなかったんだよ。一キロもなかったんだよ」、とお母さんは思い出すように言う。
 だから、いじめっ子の絶好の標的となった。危険ないじめを受けるたびに、不登校になってしまった。そんな時、毎日にように野山に出て、俳句を作った。
 「冬蜘蛛が糸にからまる受難かな」
 これは、僕が八歳の時の句だ。
 「紅葉で神が染めたる天地かな」
 この句は、僕のお気に入りだ。
 僕は、学校に行きたいけど行けない状況の中で、家にいて安らぎの時間を過ごす間に、たくさんの俳句を詠んだ。僕を支えてくれたのは、俳句だった。不登校は無駄ではなかったのだ。いじめから自分を遠ざけた時期にできた句は、三百句を超えている。
 今、僕は、俳句があるから、いじめと闘えている。


 凛君は、離婚した教師の母と祖母の3人と大阪府岸和田市で暮らしている。

   「僕のお気に入り」という「紅葉で神が染めたる天地かな」という句は、2010年12月、小学校3年(8歳)の時に朝日俳壇に初めて投句して入選したものだ。

 朝日俳壇の選者の1人である金子兜太は、著書「語る兜太」(岩波書店)のなかで「毎週5,6000もの投句があり、入選するのは新聞俳壇のなかで最難関だろう」と語っている。俳句を生きがいにしている人々に伍しての初入選だった。
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 凛の最初の投句では「紅葉や」となっていたが、選者の長谷川櫂さんが「紅葉で」と添削した。「なぜ直されたのだろう」。母子は、俳句の入門書を買い、季語や切字、五七五といった俳句の基本を学んでいった。

 朝日俳壇での入選は続いた。

 
 「影長し竹馬のぼくピエロかな」(9歳、金子兜太選)
 「黄金虫とりどりの動く虹」(10歳、長谷川櫂選)
 「ブーメラン返らず蝶となりにけり」(10歳、長谷川選)
 「万華鏡小部屋に上がる花火かな」(金子選)
 「コルク栓夏の宴の名残かな」(10歳、金子選)
 「迷い来て野鳥も授業受ける夏」(13歳、長谷川選)
 「枯葉舞う名も無き樹々の手紙かな」(13歳、長谷川選)


 朝日俳壇では、入選者の句は5週間空かないと再掲載されないというから、すごい入選率だ。

 幼稚園の時に初めて俳句を知った凛君が俳句の世界に本格的に入ったのは、冒頭の凛君の言葉にあるように通っていた小学校ですさまじいいじめに会い、不登校になったからだった。

 入学して1週間目。突然後ろから突き飛ばされて顔の左を強打、目が開けられないほどの腫瘍を作った。水頭症の疑いがある凛君には致命的になりかねない。腎臓の上の腹部に大きな皮下出血があるのを母親が見つけたこともあった。

 「僕、学校に行きたくない。〇〇が僕の顔を見るたびに空手チョップをするねん、僕、机の下に隠れるねん」「先生は僕がいじめを訴えても"してない、してない"と受け付けてくれない」「〇〇が両手の人指し指を後ろからお尻に突っ込んで、毎日僕にカンチョーする」―――。

 2年生になってクラスが変わると、新たないじめが始まった。いきなり後ろから来て両足首をつかんで転ばせようとする。熱い給食の鍋を当番と2人で運んでいる時、突然教室から出てきて足を蹴る。

 「どうして命の危険を感じながらも、毎朝地獄に送り出さなければいけないのか」。母親は自主休学という選択をした。

 中学に進む時、いじめが尾を引くこと懸念がある地域を避けて、電車で通う私立中学に合格した。しかし、ここでもこれまでにない危険な悪ふざけが始まった。顔の前でペンを振り上げる。「凛太郎(凛君の本名)を殴って来い」と命令された子が来たこともあった。

 中学の管理職は、こう言った。「相手の子はしていないと言っています」「西村君、することが遅いので回り子がイライラしています」・・・。母親は3週間で転校を決意した。

 凛君は現在、市内の公立学校に元気に通っている。

 校庭に捨てられていた子猫が翌日死んでいるのを見つけ、先生方とお墓を作った。

 
「猫の墓師と手向けたるすみれ草」


 「彼の俳句も、成長と共に変化を見せてきた。季節の移ろいや生き物を詠む自然詠の句から、心の心情を詠むようになった」。母親の史さんは、第2句集のあとがきで記している。

 凛君の身長は、母親の「背を越した」

 
「空蝉のひとつひとつに魂こもる」
 「紅雨とは焼かれし虫の涙とも」
 (いずれも12歳、第2句集より)