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2019年3月25日

作並温泉 2泊3日の旅(2) 作並温泉と仙台駅周辺を歩く 3月15日

前日、作並駅に到着したときは、雪が降っていて、とても寒かった。作並温泉は古くから仙台の奥座敷といわれ、仙台市と山形市を結ぶ国道48号線(作並街道・関山街道)沿いに位置し、歴代仙台藩主の隠し湯として伝えられている。肌に優しい泉質と豊富な湯から「美女づくりの湯」と言われているそうだ。わたくしたちが泊った宿の風呂も広い大浴場と、いくつかの露天、岩風呂があった。確かに湯量は豊富であり、この日は泊まる人も少ないのか、夕食後に入ったためか、大浴場は人も少なく、気持ちよく、ゆっくりと温泉に浸かることができた。
 昨夜の夕食の際、かみさんと今日の行動について相談したが、作並温泉はそぞろ歩きする温泉街もない。近くに、極楽山西方寺とか鳳鳴四十八滝などはあるが、歩いては行けない。タクシーを呼ぶと30分は待たなくては来てくれないという。仙山線の3駅先には山寺(立石寺)があるが、そこへは以前に行ったことがあった。
 ニッカウィスキーの仙台工場(宮城峡蒸留所)へは宿から送迎バスがある。そこへは明日行くことにして、今日は作並駅まで宿の送迎バスで行き、仙台に出て、「るーぷる仙台」という、横浜でいわば「赤いくつ」のような市内観光循環バスに乗り、瑞鳳殿と青葉城跡などを見ようということになった。  朝食もバイキングだったが、まあまあ良かった。作並駅 9:41 発の仙台行き仙山線に乗ることにし、間に合うように宿の送迎車に乗った。
 宿を出発する前に、唯一、近くにある湯神神社へ行ってみる。特にどうということのない小さなお社だった。そこから広瀬川沿いに歩くと作並橋という橋があり、その橋の上から渓谷が眺められた。橋を渡るともう一つの大きな宿である「一の坊」があった。
 仙山線は国道48号線と並行するように走り、途中、秋保温泉への入り口である愛子(あやし)駅を経て、仙台まで30分少々の所要時間だった。乗客は思ったより多く、愛子で空席がなくなった。

1.湯神神社 鳥居とお社
宿の前を走る国道48号線を渡って、50mほど登ったところに湯神神社のお社があった。小さな地味な神社である。私たちが泊っている「鷹泉閣 岩松旅館」のお湯の神様だそうだ。白蛇が奉られているという。縁結び、子宝安産、商売繁盛、などを願う地元の人から親しまれている、知られざるパワー・スポットだそうだ。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1000秒 9mm ISO160 ) 露出補正 なし
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2.湯神神社 社殿
2っの鳥居を抜けて少し高くなったところに、小さな社殿があった。作並温泉一帯にあった神社は明治時代以降、愛宕の諏訪神社に合祀され正式的には無くなった。この湯神神社はその後、勧請されたもので比較的に新しいものと思われると。昨日降った雪が残っていた。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1000秒 9mm ISO320 ) 露出補正 なし
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3.広瀬川の渓流
国道を渡って、宿に戻ろうとしたところ、その先に「一の坊」という旅館に下りていく道があったので、ぶらりと行ってみた。川の音がしてきて、「一の坊」は広瀬川の対岸に建てられていた。立派な旅館である。橋を渡って行ってみたが、橋の上から流れる広瀬川の渓流は、季節がよければきれいだろうと思う。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.2 1/1000秒 14mm ISO125 ) 露出補正 なし
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4.「一の坊」
わたくしたちが泊った宿は「鷹泉閣 岩崎旅館」というところだが、「一の坊」は広瀬川の少し上流にあった。作並温泉は広瀬川に沸いたといわれる。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/1250秒 14mm ISO125 ) 露出補正 なし
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5.作並橋
広瀬川にかかる作並橋。絞りは f2 と開放に近いが、広角端では被写界深度は深い。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2 1/1250秒 9mm ISO125 ) 露出補正 なし
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6.作並駅
9時20分に宿を出発する送迎バスに乗せていただき、5分ほどで作並駅に着いた。仙台行きの列車は 9:41 発だ。この季節作並駅は、どこかのおばさんがひとりベンチに座っているだけで、ひっそりとしている。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2 1/1250秒 9mm ISO125 ) 露出補正 なし
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7.作並駅のプラット・ホーム
仙山線は単線である。駅は上りのホームと、下りのホームに分かれる。仙台寄りの先頭車両の前にあると渡線踏切を渡って、上り線ホームに行く。仙台方面からの観光客を迎えるこけしが立っている。しかし、いわゆる作並系こけしの特徴とちょっと違うように感じた。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 20mm ISO125 ) 露出補正 なし
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8.仙台行き入線
9:41発の仙台行きの4両編成のE721系電車が入線してきた。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/1250秒 37mm ISO125 ) 露出補正 なし
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9.仙台駅周辺
10:21 に仙台につぃて、乗車する場所を探すのに少し時間がかかったが、「るーぷる仙台」という観光地循環バスに乗った。1日乗車券で620円である。そして、瑞鳳殿と仙台城跡で下車して見て歩き、仙台に午後2時に戻ってきた。これから、仙台駅周辺のアーケード街を歩いてみようと思う。瑞鳳殿、仙台城跡については、後ほど。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4.5 1/1250秒 12mm ISO125 ) 露出補正 なし
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10.仙台駅周辺アーケード街
50年以上も前のことになるだろうか、学生時代に仙台に来た時には、「東一番丁」という立派なアーケード商店街があった。懐かしいので是非行ってみたいと歩きはじめた。確かその「東一番丁」は仙台駅から500mほど離れて南北に広瀬通、青葉通りと交差するアーケード商店街だったと記憶していた。 今回行ったときは、もちろんアーケード街はさらに立派になっていたが、仙台駅の北側から東一番丁へ出るまでの縦、つまり東西の通りが発展していた。それらは、「パビナ名掛丁」、「クロスロード」「マーブルロードおおまち」という名称になり、愛宕上杉通、国道286号線と交差し、「藤崎」という老舗の百貨店のあるところで「東一番丁」の通りにぶつかる。この仙台市青葉区一番町3丁目の東一番丁通との交点から、同区中央1丁目の駅前通との交点まで至る東西の道の通称は中央通りと呼ばれる。現在はこの中央通りが仙台アーケード商店街りのメイン・ストリートなのだ。かって「東一番丁」と呼ばれた通りは、「サンモール一番町」、「ぶらんどーむ一番町」などと名前が付け替えられていた。写真は「マーブル通りおおまち」。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.2 1/1000秒 13mm ISO160 ) 露出補正 なし
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11.三瀧山不動院
クリスロード商店街に三瀧山不動院というのがあった。真言宗智山派(総本山智積院・京都市東山区)に属する加持祈祷の専門寺院だそうだ。そこでは福の神として仙台四郎が奉られている。仙台四郎は民間信仰であるため本来寺社とは関係ないが、 仙台駅西側の都心部には寺が2つしかなく、真言宗の当寺がアーケード街では唯一であるので、奉られるようになったようだ。少し長くなるが、wikipediaによれば、仙台四郎は 江戸時代末期(幕末)から明治時代にかけて、現在の宮城県仙台市に実在した人物の「人神」としての名称。知的障害があり会話能力は低かったが、明治期に「四郎自身が選んで訪れる店は繁盛する」との迷信が南東北のマスメディアを巻き込んで流布し、売上増を企図する店舗等が四郎の気を引こうと厚遇した。没後の大正期に入ると、仙台市内のある写真館が「四郎の写真を飾れば商売繁盛のご利益がある」と謳って写真販売を始めた。商売繁盛のご利益は、存命中においては四郎の意志に依拠したが、写真による偶像化以降、(死没した)四郎の意志とは無関係になり、グッズを購買すればご利益が得られると転換された。すると1920年(大正9年)からの戦後恐慌以降、繰り返し発生する不景気において四郎のブームが度々発生し、商業神の稲荷神やえびす、あるいは、土着の松川だるまを凌駕して仙台で信仰され、さらには全国的に知られる福の神として定着した。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/250秒 9mm ISO3200 ) 露出補正 なし
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