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2019年4月25日

上越妙高へドライブ旅行(1) 4月17日

なぜこの時期に日本海に近い、上越の妙高へ行こうと思ったか。それは、会員になっている「休暇村」から送られてきたブックレットの新潟県妙高市にある「休暇村 妙高」のページに、「斐太歴史の里」の「カタクリの群生地」が紹介されていたからだった。チョウ好きはカタクリの花=ギフチョウと連想してしまう。
 4月17日、マイカーで朝6時に自宅を出発した。東名、圏央道、関越、上信越道と走り、途中、高坂と松代で休憩を取り、11時少し前に「斐太歴史の里」に到着した。ナビで斐太神社を目的地に入れていたが、そこから「斐太歴史の里」へどう行くのかわからない。厚かましくも斐太神社の社務所の戸を叩き、教えを乞うた。親切な奥さんが丁寧に説明してくださった。
 「斐太歴史の里」の案内所で、カタクリの群生地はどのあたりにあるのか、また、ギフチョウは飛んでいるのかを尋ねてみた。ここの女性も丁寧に教えてくれ、「鮫が尾城跡」に上がれば、乱舞しているとのことだった。「やった」と思い、「鮫が尾城跡」への急な道を上り始めた。カタクリの花はいたるところに咲いているが、ギフチョウは現れない。「鮫が尾城跡」に登りついて、しばらく待機したが、いっこうに姿を現してくれない。キアゲハが2頭、占有行動をしていて、他のキアゲハが飛来するとスクランブルをかける。越冬したヒオドシチョウも日当たりの良い草の上に止まって、キアゲハが近づくと追いかけまわしていた。
 残念な思いをしながら、案内所まで戻り、お茶をごちそうになりながら、先ほどの女性に、ギフチョウはいなかったと伝える。「そうですか。昨日は自分も見たし、さっき下りてきた人たちも、上で乱舞していたと言っていたのだけど」とのこと。それはキアゲハのことではないのかと思ったのだが。
 午後2時近く、さらに日本海寄りの上越市にある高田城跡公園へ桜を見に行ってきた。ここの桜はもう散り始めていた。
 今夜の宿である「休暇村 妙高」に到着し、ゆっくりと風呂に入り、「村上牛懐石」と名がついた夕食にする。乾いた喉を潤すビールは久しぶりに旨いなと思った。
 「斐太歴史の里」のカタクリ群生は見事だったが、残念ながらギフチョウには会うことができなかった。

1.松代SA
雪に覆われた浅間山を眺め、アルプスを遠望するドライブは快適だった。上信越道の柘植JCTを北上してすぐの松代サービスエリアで2度目の休憩となった。四阿山(2,354m)の眺めが素晴らしい。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4.5 1/1000秒 62mm ISO100 ) 露出補正 なし
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2.斐太歴史の里
上信越道を中郷ICでおり、斐太神社に着いたのは11時ころだった。斐太神社の社務所で斐太歴史の里への行き方を聞いて、そこの案内所で、カタクリの群生は何処で見られるのか、ギフチョウのいそうなところは何処か、など教えていただいた。ギフチョウは鮫lヶ尾城跡に上ると飛んでいるという。わくわくしながら、山道を歩き始めた。鮫lヶ尾城は標高183mの山の上にあった山城だ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/640秒 9mm ISO100 ) 露出補正 なし
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3.トキワイカリソウ
標高は低いが、鮫lヶ尾城跡への登りはなかなかだった。ギフチョウが飛来しないかと気を配りながら、息をを切らせて足を運ぶ。初めて見るような花も咲いていた。本州(東北地方〜山陰地方の日本海側)の多雪地の山野の林内に生える。 イカリソウ(錨草)の名は花の形が四本爪の錨に似ているところから付けられたものである。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 9mm ISO100 ) 露出補正 なし
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4.オオイワカガミ
イワウメ科イワカガミ属の常緑の多年草だそうだ。高山植物の一種ではあるが、実質的には低山帯から高山帯まで幅広く分布するという。生育地によって植物体の大きさに変異があり、コイワカガミ、イワカガミ、オオイワカガミという名があてられている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 168mm ISO100 ) 露出補正 なし
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5.キアゲハとカタクリの花
30分ほどで鮫lヶ尾城跡に着いた。カタクリが咲き、桜も咲いている。そのカタクリにキアゲハが吸蜜に来ていた。キアゲハには申し訳ないが、ギフチョウなら良いのにと思う。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/640秒 220mm ISO100 ) 露出補正 なし
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6.キアゲハ
また、キアゲハがきて、葉が出てきた小枝の先に止まった。とても新鮮な個体である。これはこれで美しい。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 220mm ISO125 ) 露出補正 なし
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7.ヒオドシチョウ
鮫ヶ尾城跡の小高い草地には、越冬明けのヒオドシチョウが陣取って、縄張りを張っていた。キアゲハが傍に富んでくると緊急発進して追い払っていた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/800秒 220mm ISO100 ) 露出補正 なし
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8.鮫ヶ尾城跡からの眺め -1
鮫ヶ尾城跡から 北東の方角に上越市が眺められた。日課のようにして鮫ヶ尾城跡に登ってこられている地元の方は、澄んだ空気の晴れた日には佐渡が見られるという。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/800秒 25mm ISO100 ) 露出補正 なし
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9.妙高山
来る途中、車の中からも眺めることができた妙高山(みょうこうさん)は、見る場所により形を変える。新潟県妙高市にある標高2,454mの成層火山で、北信五岳の一つであり、その中では最高峰。日本百名山に選定されており、妙高戸隠連山国立公園に属している。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f6.3 1/1000秒 178mm ISO100 ) 露出補正 なし
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10.鮫ヶ尾城跡
wikipediaによれば、鮫ヶ尾城跡は築城年は分かっていないが、永正から天正年間に上杉氏(長尾氏)による北国街道の防御を兼ねた街道整備の一環として、春日山城直近の最前線要塞の意味合いで築城ないし大規模改修がなされたと伝わる。また、鮫ヶ尾城は上杉謙信の急死後の後継者争いである「御館の乱」の際に、敗れた上杉景虎が自刃して果てた城として知られているという。今や三郎景虎ファンが集まる聖地として、ダイナミックな遺構が城好きを虜にしている。城跡は2008年(平成20年)7月28日に国の史跡に指定された。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/640秒 9mm ISO100 ) 露出補正 なし
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11.テリを張るキアゲハ
戦国時代の山城は、曲輪と呼ばれる平坦面と尾根筋を分断する堀切を主体に構成されている。鮫ヶ尾城跡の山頂は曲輪であり、通称本丸跡と呼ばれ、今は東屋があるカタクリが咲く草地になっている。この季節はまだ一面緑にはなっていないが、あまり広くはないその草に、キアゲハが舞い降りて、日向ぼっこをし、他のキアゲハが近づくと飛び立って追い払っていた。写真中央の下の部分にキアゲハが見える。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
絞り優先オートで撮影 ( f11 1/500秒 36mm ISO640 ) 露出補正 なし
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12.カタクリの花 -1
カタクリの花はちょうど見ごろであったが、ギフチョウはいない。

Nikon D5300 TAMRON AF90mm f/2.8 Di macro
絞り優先オートで撮影  ( f4 1/500秒 90mm ISO200 ) 露出補正 なし
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13.白いカタクリの花
白い花のカタクリを撮りに来ている人に会い、教えていただいた。白いカタクリの花は花びらに色素が形成されない(又は極めて少ない)ために白い花を咲かせる白花変種というのだそうだ。つまり、カタクリの白花型(白花種)であり、突然変異というのではない。 アルビノ と混同されることが多いが、性質は異なるそうだ。白いカタクリの花は自生するものは非常に稀で、100万本に1本の確率で咲くという。少しピントがずれてしまった。

Nikon D5300 TAMRON AF90mm f/2.8 Di macro
絞り優先オートで撮影  ( f4 1/1600秒 90mm ISO200 ) 露出補正 なし
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14.鮫ヶ尾城跡の桜
鮫ヶ尾城跡には数本の桜がある。ソメイヨシノのようだ。今が満開である。向こうに見える山の名前はよくわからないが、方向からすると、妙高山の北側になるので火打山(2,482m〉だろうか。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
絞り優先オートで撮影 ( f11 1/100秒 30mm ISO100 ) 露出補正 なし
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15.鮫ヶ尾城跡のカタクリの花
いたるところにカタクリの花が咲いていた。まさしく群生である。1時間以上鮫ヶ尾城跡でギフチョウの飛来を待ってみたが、とうとう現れてくれなかった。下の案内所の女性が言っていた「山頂は乱舞ですよ」はいったい何だったのだろうか。やはり、キアゲハのことだったのではないかと思わざるを得ない。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/640秒 9mm ISO100 ) 露出補正 なし
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16.ミチノクエンゴグサ
登りは東登上道を上がってきたが、下りは北登城道を下りる。ミチノクエンゴグサが咲いていた。

Nikon D5300 TAMRON AF90mm f/2.8 Di macro
絞り優先オートで撮影  ( f4 1/1000秒 90mm ISO200 ) 露出補正 なし
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17.紅白のカタクリの花 -1
よく見ると花の色だけでなく、雄蕊(おしべ)とその花糸の色も違っている。

Nikon D5300 TAMRON AF90mm f/2.8 Di macro
絞り優先オートで撮影  ( f4 1/640秒 90mm ISO200 ) 露出補正 なし
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18.紅白のカタクリの花 -2
前の写真と同じ花だが、カメラを換えて撮った。この白いカタクリの花はとても美しい。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 136mm ISO160 ) 露出補正 なし
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19.キクザキイチゲ
漢字で菊咲一華と書き、キクに似た花を一輪つけることからこの名がついたそうだ。wikipediaによれば、春先に花を咲かせ、落葉広葉樹林の若葉が広がる頃には地上部は枯れてなくなり、その後は翌春まで地中の地下茎で過ごすスプリング・エフェメラルの一種。山梨県など複数の都道府県で、レッドリストの絶滅危惧I類や絶滅危惧II類などの指定を受けている。瑞々しい美しい花だ。

Nikon D5300 TAMRON AF90mm f/2.8 Di macro
絞り優先オートで撮影  ( f4 1/320秒 90mm ISO200 ) 露出補正 なし
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20.カタクリの花 -2
上から見ることが多いのであまり目立たないが、花被片のつけ根の部分にはW字形をした濃い紫色の斑が入る。

Nikon D5300 TAMRON AF90mm f/2.8 Di macro
絞り優先オートで撮影  ( f4 1/500秒 90mm ISO200 ) 露出補正 なし
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21.カタクリの花と葉
カタクリの葉には、斑紋があることが多い。この株の葉には白い斑紋があったが、濃紫色の斑紋のあるもの、白と濃紫色の斑紋があるもの、また、全く斑紋がないものもあるそうだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/500秒 9mm ISO100 ) 露出補正 なし
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22.カタクリの花 -3
登山道に沿って、カタクリが群生する。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.4 1/500秒 9mm ISO160 ) 露出補正 なし
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23.ツクシ
スギナ(杉菜)は、シダ植物門トクサ綱トクサ目トクサ科トクサ属の植物の1種。日本に生育するトクサ類では最も小柄である。浅い地下に地下茎を伸ばしてよく繁茂する。 栄養茎をスギナ、胞子茎をツクシ(土筆)と呼び、ツクシの方は食用とされる。根が深いという。このツクシはとても美味しそうに見える。

Nikon D5300 TAMRON AF90mm f/2.8 Di macro
絞り優先オートで撮影  ( f4 1/500秒 90mm ISO200 ) 露出補正 なし
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24.斐太神社
斐太は「ひだ」と読む。平安時代に編纂された「延喜式」にも名前が残る古い神社である。上杉謙信からも厚く信仰されていたと伝えられる。この手前に石段があり、その下に社務所がある。着いた時、そこで斐太歴史の里への車での行き方を聞いた。もちろん、拝礼して、お礼のお賽銭を供えた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 22mm ISO1600 ) 露出補正 なし
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25.高田城跡公園へ
午後2時になった。桜の名所として名高い上越市の中心部にある高田城址公園へ行ってみた。駐車場に車を停め、堀に沿って歩き、堀にかかる極楽橋を渡って、城郭に入る。写真は堀の手前から撮った復元された高田城三重櫓である。桜は満開で、散り始めていた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
絞り優先オートで撮影 ( f11 1/500秒 43mm ISO1000 ) 露出補正 なし
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26.極楽橋
極楽橋は徳川家康の六男、松平忠輝が慶弔19年(1914年)に鷹匠を構築した際に、二の丸から本丸に通じる木橋として設けられた。明治41年(1908年)には高田城に入場した陸軍第13師団によって土塁が切り開かれ、堀を埋め立てて陸続きとなった結果、極楽橋は姿を消した。現在の橋は高田公園の開場50周年、および市政30周年を記念して平成14年に復元された。堀には錦鯉が泳ぐ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
絞り優先オートで撮影 ( f11 1/500秒 22mm ISO800 ) 露出補正 なし
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27.極楽橋の脇から
極楽橋を渡って、桜とまだ雪が残る連山を眺める。 大きく見える山は青田南葉山(949,3m)のようだ。その左奥が、火打山、妙高山と思う。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
絞り優先オートで撮影 ( f11 1/500秒 22mm ISO800 ) 露出補正 なし
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28.堀
極楽橋を渡って、本丸跡を左に行くと復元された三重櫓が建っていた。その先の堀には橋が架かり、堀には、散り始めた桜の花びらが漂っている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
絞り優先オートで撮影 ( f11 1/500秒 15mm ISO640 ) 露出補正 なし
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29.三重櫓
高田城は天守はなく、1614年に3重3階の三重櫓を建てて天守の代用とした。明治以降、旧陸軍第13師団の駐屯地司令部として使用するために大規模な土塁の撤去、堀の埋め立てが行われ、旧城地の東半分は旧状をとどめていない。本丸を含めた西半分には堀、土塁の一部が残されており、現在は公園として整備されている。上越市のホームページによれば、高田城三重櫓は、本丸南西隅の土塁上に構築され、当時は「後三階櫓」と呼ばれて天守閣にかわる城の象徴になっていたが、廃城後、明治19年(1886年)頃取り壊された。平成5年に復元されたこの三重櫓は、資料調査と発掘調査の成果を十分にふまえて再建されたもの。内容は三層三階で、東西5間(約9.1メートル)、南北6間(約10.9メートル)を基底とし、高さ15メートル程で外観は御殿風造りを基調としている。屋根は1層・3層が入母屋、2層が寄棟形式で、1層・3層に切妻屋根の出張りを付けている。1階・2階は展示室で、3階は展望室になっているが、中には入らなかった。櫓の東側に付随して50メートル程の塀も同時に再建された。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
絞り優先オートで撮影 ( f11 1/500秒 9mm ISO1000 ) 露出補正 なし
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30.休暇村妙高
さて、今夜の宿である休暇村妙高へ向かう。上越高田で上信越道に乗り、中郷ICの手前の新井PAで一休みし、16時過ぎに休暇村妙高に到着した。部屋は最上階、と言っても3階だが、窓からの眺めはスキーゲレンデが広がり、正面に妙高山2,454mが聳えていた。風呂に入り、ゆっくり食事をしたい。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
絞り優先オートで撮影 ( f11 1/500秒 11mm ISO800 ) 露出補正 なし
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2015年12月18日

江戸城ウォーキング (2) 12月1日

「江戸城歴史ウォーキング」の一行32名はガイドさんの案内に従って中之門跡から御殿の領域にに入った。中之門跡【江戸城内最大級の巨石】・・・大番所・・・中雀門【本丸に通じる最後の門】 ・・・本丸御殿跡【大奥があった】・・・​展望台・・・​富士見櫓【現存する唯一の三重櫓】・・・松之大廊下跡【元禄赤穂事件発生の場所】・・・富士見多聞【長屋造りの武器庫】・・・石室・・・​天守台【天守閣跡】・・・汐見坂​(遠望)​・・・北桔橋門【東御苑の出入口】・・・北の丸公園・・・田安門と進む。
 途中になってしまったが環境省のホームページにあった皇居外苑案内図を参考にさせていただいたので転載させていただく。

ガイドさんが2本の大きな木を指さして、「ここからが本丸です」と教えてくれた。眼の前には本丸御殿のあった広い芝生が広がっていた。今上天皇が即位されたときは平成2年(1990年)11月12日に即位の礼が皇居正殿で行われ、11月22日から23日に大嘗祭が行われている。大嘗祭のための祭場である大嘗宮は、この広大な芝生の本丸跡に5日間で建てられ、祭後ただちに撤去された。トイレ休憩を兼ねて立ち寄った本丸休憩所には、その大嘗宮の模型が置いてあったがそれは立派なものだった。
  江戸城にはなぜ天守閣がないのかなど、今まであまり疑問に思ったことはなかったが、そのことについてもガイドさんは要領よく説明してくれた。
  北桔橋門で大手門でもらった入場証をお返し、東御苑の外に出る。そのまま歩いて北の丸公園へ行く。一旦、その出口である田安門まで行き、その説明を聞いて、再び北の丸公園の芝生へ戻ってきた。そこでなだ万のお弁当を配られ、思い思いのところで昼食をとって自由解散となった。九段下駅へで出て半蔵門線に乗り、渋谷経由で横浜に戻った。

27.大番所
中之門跡を過ぎて右側に大番所がある。本丸の中にあり、大判所の役割は極めて大きかった。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f6.3 1/640秒 30mm ISO200 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
28.中雀門跡の石垣
本丸御殿に通じる最後の門。日光門主と徳川御三家もこの門で乗り物を降りて徒歩で本丸御殿に向かったという。この石垣の黒い石は元々 家光が造営した三代目天守台の石(伊豆石)を、天守炎上後さすがにボロボロになったのでバラして中雀門の石垣に再利用したとか。そしてこの中雀門も、幕末の大火で燃えてしまい、この伊豆石は二度の大火に見舞われたことになる。焼けて表面が剥がれているのが見える。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f6.3 1/2500秒 18mm ISO200 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
29.本丸御殿入口
目の前に広い芝生の広場が広がる。ここが本丸御殿の跡で手前に見える2本の大きな木が本丸御殿の入り口だとガイドさんが説明してくれた。かってここには、大奥・中奥・表からなる 本丸御殿が建ちならんでいた。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f6.3 1/1250秒 50mm ISO200 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
30.汐見坂
二の丸跡が展望台になっている。台所櫓があったところだそうだ。ここから白鳥濠、その向こうに汐見坂が見える。あの坂から海が見えたそうだ。かって二の丸には将軍の世子やその他の御殿があった。たびたび火災に遭い慶應3年(1867年)からは再建されていない。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f6.3 1/1400秒 56mm ISO200 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
31.10月桜
本丸御殿跡の芝生広場のそばに本丸休憩所があり、そこで小休止となった。その前にはちらほらと10月桜が咲いていた。

Canon PowerShot G12 f2.8-4.5 6.1- 30.5 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f8 1/​2000秒 ​6​mm ISO​1000 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
32.本丸御殿跡
1863年に本丸御殿が焼けた。wikipediaによれば最初の本丸御殿は1606年(慶長11年)に完成、その後1622年(元和8年)、1637年(寛永14年)(同16年焼失)、同17年(明暦の大火で焼失)、1659年(万治2年)(1844年(弘化元年)焼失)、1845年(弘化2年)(1859年(安政6年)焼失)、1860年(万延元年)(1863年(文久3年)焼失)と再建・焼失を繰り返している。5回も再建された本丸御殿だが、文久の焼失以降は再建されずに、その機能を西ノ丸御殿に移している。

Canon PowerShot G12 f2.8-4.5 6.1- 30.5 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f8 1/​2500秒 ​7mm ISO​1000 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
33.本丸跡果樹園
皇居東御苑に江戸時代の品種である果樹を植えれば,訪れる人々に とっても興味深いことではないかとの(今上)天皇陛下のお考えを受けて、皇居東御苑本丸地区に果樹古品種を植栽した果樹園が整備された。これは柿の一種のようだ。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f6.3 1/500秒 70mm ISO200 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
34.富士見櫓
1863年の明暦の大火で本丸御殿が焼けたあと、4代将軍家綱が天守閣を再建しようとしたが、3代将軍家光の異母弟で、家光と4代将軍家綱を輔佐し幕閣に重きをなした保科正之に天守閣再建より江戸市民のために金を使えと意見され、それに従った。当時千住大橋しかなかった隅田川に両国橋を造った。家綱はこの富士見櫓を天守と思えとふれたとガイドさんは説明してくれた。現在の富士見櫓は明暦の大火の後、1659年(万治2年)に再建されたもので、高さは15.5mある。関東大震災で倒壊したが、主要部材に旧材を用いて修復されたものが残っている。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f6.3 1/400秒 50mm ISO200 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
35.イロハモミジ
南西の角にある富士見櫓を見てまた戻ってくる。東御苑にはイロハモミジの木があったがまだ緑のままだった。これはこれで美しい。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f6.3 1/400秒 140mm ISO560 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
36.お茶の花
茶畑があった。「ツバキ科チャノキ」という札が差してあった。チャノキの花は10月~12月に咲くが少しだけ残っていた花をガイドさんが教えてくれた。

Canon PowerShot G12 f2.8-4.5 6.1- 30.5 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/​320秒 ​6mm ISO​1000 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
37.竹林 キッコウチク
皇居東御苑にある竹林は13種の竹が植栽されている。竹林というより、竹の種毎の坪庭のようだ。それらは、天皇陛下のご意向で、お印が若竹(わかたけ)であった昭和天皇の時代に献上され、皇居吹上御苑で増えた株を分け、移植したものだそうだ。 この竹はキッコウチクという亀の甲のような節をしている。一般財団法人国民公園協会 皇居外苑のホームページに自然歩きマップというのがあったので載せさせていただいた。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f6.3 1/250秒 32mm ISO3200 ) 露出補正 なし
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38.竹林 キンメイモウソウ -1
節を挟んで交互に竹の肌の色模様が異なる。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f6.3 1/250秒 32mm ISO3200 ) 露出補正 なし
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39.竹林 キンメイモウソウ -2
ネットで調べてみたところ、モウソウチク(金明孟宗竹)の稈が黄金色になり、芽溝部に淡緑色の縦縞が節毎に交互に出現している珍品とある。国の天然記念物に指定されている。この種は突然変異によって発現するため、時には普通のモウソウチク林から突如発生するという珍事が起こるそうだ。 キンメイモウソウは普通のモウソウチクと同様に大変生活力が旺盛なことから、庭園用に栽培されている。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f6.3 1/250秒 18mm ISO2500 ) 露出補正 なし
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40.タチバナ
皇居東御苑には、実に数百種の植物が管理され育てられているという。武蔵野の 多くの野草、雑木が各所で見られる。.日本に古くから野生していた日本固有の柑橘であるタチバナがあった。果実は滑らかで、直径3 センチメートルほど。キシュウミカンやウンシュウミカンに似た外見をしているが、酸味が強く生食用には向かないため、マーマレードなどの加工品にされることがあるという。どなたかが「食べられるのですか?」と聞いたところガイドさんの答えは「食べられますよ。でも、食べると大変なことになりますよ。」だった。1937年に制定された文化勲章は橘をデザインしている。wikipediaをみると昭和天皇の意向で意匠が橘花とされたとする説があるという。タチバナは永劫悠久の意味を有してゐるものであり、その悠久性永遠性は文化の永久性を表現するのに最も適するものとの聖慮と拜察されるとあった。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f6.3 1/250秒 140mm ISO2500 ) 露出補正 なし
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41.天守台
高さ11mほどの天守台が残っている。江戸城の天守は慶長度(1607年)・元和度(1623年)・寛永度(1638年)と三度築かれているそうだ。家光の天守は60mあった。1657年にその寛永度天守が焼失した後、ただちに再建が計画され、現在も残る御影石の天守台が前田綱紀によって築かれたという。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f6.3 1/1000秒 22mm ISO200 ) 露出補正 なし
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42.紅葉
紅葉している木は多くはなかったが、この天守台近くの紅葉は赤く色づいていた。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f6.3 1/800秒 105mm ISO200 ) 露出補正 なし
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43.天守台から本丸跡を眺める
本丸御殿跡の東側を歩いて、松之大廊下跡、富士見多聞石室を見て天守台が見えるところまで来た。天守台は本丸御殿の北側にある。本丸御殿は表・中奥・大奥が南から北にこの順で存在していた。表は将軍謁見や諸役人の執務場、中奥は将軍の生活空間であるが、政務もここで行っていた。大奥は将軍の夫人や女中が生活する空間である。大奥は表や中奥とは銅塀で遮られていたそうだ。大奥と言えば春日局だが、ガイドさんの説明では、春日局は女性の地位を向上させ、大奥取締りを設け、老中と同等の給料にしたそうだ。また大奥に仕える女性は最低でも今のお金で約200万円の年収があった。年金制度も作ったという。明暦の大火では神田が火元で高さ60mの天守閣が燃え、本丸も燃えた。この時将軍家綱以下幕閣は西の丸に移ったという。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f6.3 1/1250秒 35mm ISO200 ) 露出補正 なし
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44.天守台の石垣と桃華楽堂
桃華楽堂は、昭和41年2月に完成し収容人員200名の音楽堂で、音楽好きの昭和天皇の皇后である香淳皇后(こうじゅんこうごう)の還暦記念として建設された。屋根は、テッセンの花弁を形どっている。八つある壁画は、各画とも大きく羽ばたく鳥を中央に、それぞれ日月星、松竹梅、楽の音などをイメージした図柄が陶片で描かれている。香淳皇后のお印の「桃」にちなんで命名されたそうだ。東京の建築遺産50選の一つで建築家今井兼次氏の基本設計。ここで行われる音楽会の会場に入ることは困難なようだ。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f6.3 1/1600秒 56mm ISO200 ) 露出補正 なし
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45.天守台石垣
ただただ立派な石垣と感心する。使用された石は伊豆石から御影石に変えて、より精緻な切石で積まれたそうだ。もとの伊豆石の石材のうち、再利用できるものは中雀門前の石垣に転用された。東京五輪に合わせて江戸城天守閣を再建しようという話がある。再建には300億円、いや500億円かかるそうだ。江戸城再建を提案するのは、認定NPO法人「江戸城天守を再建する会」(理事長 小竹直隆氏)だ。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f6.3 1/320秒 26mm ISO200 ) 露出補正 なし
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46.大手濠 北桔橋門を出る
天守台を見た後 北桔橋門で入場証を北桔橋門の守衛さんに返却して城外に出る。北桔橋門は本丸の背後に位置し、本丸御殿に至近の地点であったので、はね橋であり、その濠は深く石塁は堅固であった。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f6.3 1/320秒 27mm ISO200 ) 露出補正 なし
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47.江戸城米倉
現在毎日新聞本社のあるところは江戸城の米倉だったと説明があった。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f6.3 1/1250秒 52mm ISO200 ) 露出補正 なし
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48.北の丸の主 大銀杏
北桔橋門を出て、真っ直ぐ北の丸公園へ行く。途中北の丸の主と言われる大銀杏があった。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f6.3 1/320秒 23mm ISO200 ) 露出補正 なし
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49.田安門
北の丸公園を抜けて田安門に来た。ガイドさんの説明はここが最後だ。田安門は江戸城で一番古い門でおよそ380年前に建てられた。門名の由来は、門内には田安台といって、はじめ百姓地で田安大明神があったので門名に称としたといわれている。田安門は、寛永13年(1636)に建てられたと考えられ、昭和38年には解体修理が行われた。北面する高麗門(一の門)とその西側に直交する渡櫓門(二の門)からなる枡形門である。これはその渡櫓門の手前から石垣の上に見える弥生慰霊堂を見たところ。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f6.3 1/500秒 66mm ISO200 ) 露出補正 なし
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50.枡形門の田安門高麗門
これは田安門の北側、つまり九段下の方へ下りる最後の門である。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f6.3 1/250秒 34mm ISO220 ) 露出補正 なし
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51.職人の残した文字
高麗門の扉の蝶番に「寛永十三・・・」と掘られた製作に携わったと考えられる職人の文字があった。確かに380年近く前だ。ガイドさんに教えてもらわなければわからなかった。たまたま通りかかった近所の年配の方がこのガイドさんの説明を小耳にはさみ「毎日のようにここを通っているが知らなかった。勉強になった。」と言っていた。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f6.3 1/250秒 95mm ISO4500 ) 露出補正 なし
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52.田安門を振り返る
昭和38年に解体修理が行われたという渡櫓門を高麗門側から見た。ここから再び北の丸公園の芝生まで戻り、お弁当が配られた。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f6.3 1/250秒 18mm ISO450 ) 露出補正 なし
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53.北の丸公園の芝生前でお弁当
弁当を食べていると、スズメ、カラスが傍にくる。まだ1時を過ぎたばかりなのに冬の日差しは傾き始める。プログラムオートで撮っているがG12の動作がおかしい?気付かぬうちに何かダイヤルを動かしてしまったらしい。

Canon PowerShot G12 f2.8-4.5 6.1- 30.5 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f8 1/​1250秒 ​6mm ISO​1000 ) 露出補正 なし
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54.常燈明台
高麗門を出て靖国通りに下りる。靖国通りに出て右へ行き東京メトロの九段下駅に出るのだが、左手を見るとこの石造りの塔が見えた。千代田区観光協会のホームページによれば、この石塔は靖国神社正面の常夜灯として明治​4​年(​1871​)に建設され​​た​とのこと。靖国神社(当時は東京招魂社)に祭られた霊のために建てられたといわれて​いる。​。正式には高燈篭と​いうのだ​が、常燈明台ともいわれて​いる。当時、九段坂の上からは、遠く筑波山や房州の山々まで見渡すことができ、品川沖を行きかう船にとっては大変良い目印として灯台の役目も果たし​たそうだ​。当初は靖国通りをはさんで反対側に建てられていたが、道路の改修に伴い昭和​5​年(​1930​)に現在地に移転した。午後2時に九段下から地下鉄半蔵門線に乗り、渋谷経由で横浜に帰り着いた。

Canon PowerShot G12 f2.8-4.5 6.1- 30.5 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f7.1 1/​1250秒 ​6mm ISO​1000 ) 露出補正 なし
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2015年12月14日

江戸城ウォーキング (1) 12月1日 

ある旅行会社が企画した「江戸城歴史ウォーキング」というコースに参加した。 ​ ​JR東京駅丸の内中央口(9:​5​0)集合・・・和田倉門​左折​・・・​皇居外苑・・馬場咲門右折・・・正門石橋・・・二重橋・・・​坂下門・・・桔梗門、桜田二重櫓・・・大手門【江戸城の正門】・・・ 大手三の門【同心番所】・・・百人番所・・・中ノ門跡【江戸城内最大級の巨石】・・・大番所・・・中雀門【本丸に通じる最後の門】 ・・・本丸御殿跡【大奥があった】・・・​展望台・・・​富士見櫓【現存する唯一の三重櫓】・・・松之大廊下跡【元禄赤穂事件発生の場所】・・・富士見多聞【長屋造りの武器庫】・・・石室・・・​天守台【天守閣跡】・・・汐見坂​(遠望)​・・・北桔橋門【東御苑の出入口】・・・北の丸公園・・・田安門​・・・そこから再び北の丸公園に戻って[なだ万]謹製のお弁当が配られた。​
 江戸城のことは普段いろいろ見聞きすることはあるものの実はその歴史の多くは理解していない。​ ガイドの方が付いてくれて説明をしてくださった。なかなか解り易い説明で​とても有意義な半日だった。

1.東京駅北口ドーム
東京駅には9時20分ごろに着いた。北口改札を出ると朝の光が差し込んだドームの天井があった。 ​

​Canon PowerShot G12 f2.8-4.5 6.1- 30.5 10.0 Mega Pixels​
プログラムオートで撮影 ( f4 1/​160​秒 ​6​mm ISO​8​00 ) 露出補正 なし
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2.丸ビル
集合場所は東京駅の「丸の内中央口を出たところ」だった。集合時間になると点呼がとられ、ガイドさんが紹介された。32名が参加している。まず、ガイドさんから、丸ビルは32万石の岡山藩池田家の上屋敷があったところだと説明された。​

Canon PowerShot G12 f2.8-4.5 6.1- 30.5 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f5 1/​1250秒 ​6​mm ISO​8​00 ) 露出補正 なし
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3.旧国鉄本社 現在は丸の内オアゾ
このビルは旧国鉄本社のあったところ。熊本細川家54万石の上屋敷のあったところで、このあたりにあった江戸藩邸として最も大きい大名だったという。ちなみに前田家の江戸藩邸は東大本郷キャンパスにある。東大赤門は旧加賀藩主前田家上屋敷の御守殿門であり、1827年に第12代藩主前田斉泰が第11代将軍徳川家斉の第21女、溶姫を迎える際に造られたそうだ。国の重要文化財とのこと。東京国際フォーラムのあるところは坂本龍馬の藩である土佐藩山内家の江戸藩邸があったそうだ。

Canon PowerShot G12 f2.8-4.5 6.1- 30.5 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f8 1/​12500秒 ​9mm ISO​8​00 ) 露出補正 なし
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4.和田倉門交差点
一行32名がぞろぞろと行幸通りを真っ直ぐに進んで、和田倉門の交差点に出る。和田倉門はかって江戸城の守衛のために築かれた内郭門の一つだそうだ。橋を渡ると皇居外苑側には枡形石垣があり、橋と一体で門を構成している。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f5.6 1/500秒 38mm ISO200 ) 露出補正 なし
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5.コサギ
​和田倉橋​を渡るとコサギがいた。​和田倉橋の左側は馬場先濠。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f5.6 1/800秒 140mm ISO200 ) 露出補正 なし
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6.和田倉濠と石垣
江戸城の石垣の構造は打込み接ぎ(はぎ)と切込み接ぎとがある。打込み接ぎは表面に出る石の角や面をたたき、平たくし石同士の接合面に隙間を減らして積み上げる方法である。関ヶ原の戦い以後、この手法が盛んに用いられた。野面積みより高く、急な勾配が可能になる。一方、切込み接ぎは方形に整形した石材を密着させ、積み上げる方法である。慶長5年(1600年)以降、隅石の加工から徐々に平石にまでわたるようになり、江戸時代初期(元和期)以降に多用されるようになったそうだ。石材同士が密着しているので排水できないため排水口が設けられる。江戸城の石垣は切込み接ぎが多く用いられているが、この積み方は時間を要する。ここは打込み接ぎだ。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f5.6 1/400秒 32mm ISO200 ) 露出補正 なし
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7.切込み接ぎの石垣
こちらは切込み接ぎの石垣だ。隙間がなく形を整えられた石が積まれている。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f5.6 1/1250秒 32mm ISO200 ) 露出補正 なし
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8.皇居前広場
​皇居前広場は​芝生と黒松が植わっている広場​で、珍しいとガイドさんは言う。​皇紀2600年を記念して​今のような姿になった​そうだ​。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f5.6 1/1000秒 75mm ISO200 ) 露出補正 なし
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9.丸の内のビル街
皇居前広場からは丸の内や日比谷のビル街が眺められる。この写真の後ろ側は内堀通りが縦貫する。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f5.6 1/500秒 26mm ISO200 ) 露出補正 なし
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10.二重橋と伏見櫓
私は二重橋を見たことがない。写真などで見るめがねのような橋が二重橋とばかり思っていたが、本当の二重橋はその奥にある橋だという。その向こうに見えるのは伏見櫓で江戸城築城の第二期(三代将軍家光の時)の寛永五年(1628年)に京都伏見城から移築したものと伝えられている。それ以来燃えたことがないとガイドさんが話してくれた。東日本大震災の時白壁をつくりかえた。別名で「月見櫓」とも呼ばれており、皇居で最も美しい櫓と言われ櫓の高さ約13.4メートルあるそうだ。もっと先の正面石橋の近くまで行けるようなので行ってみたかったがガイドさんは右へ曲がってしまった。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f5.6 1/1000秒 140mm ISO200 ) 露出補正 なし
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11.ほんとの二重橋
これが二重橋と思っていた石の橋の向こう側に鉄の橋が見える。堀が大変深く、江戸時代には補強のため橋桁を上下二重に組んで橋の上に橋を作っていたので二重橋と呼ばれていたそうだ。明治になって鉄製になったので「正門鉄橋」が正式名称になっているという。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f5.6 1/1640秒 66mm ISO200 ) 露出補正 なし
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12.正門石橋
私はこのメガネのような橋を二重橋とばかり思っていた。一般的にはそうだと思う。しかし、これは「めがね橋」でも、「二重橋」でもなく正式名称を「正門石橋」というそうだ。しかし、今朝配られた「江戸城歴史ウォーキング散策マップ」には二重橋となっている。手前の「正門石橋」と奥の「正門鉄橋」を合わせて二重橋が通称になっていると記されていた。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f5.6 1/640秒 40mm ISO200 ) 露出補正 なし
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13.正門石橋と正門鉄橋
この位置から見ると正門石橋と正門鉄橋が良くわかる。もっと先まで行けるようなので行ってみたかったが。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f5.6 1/1250秒 45mm ISO200 ) 露出補正 なし
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14.坂下門
内堀の前を歩いて坂下門に出た。手前の橋は皇居外苑から皇居(旧江戸城西の丸)に通じる土橋で坂下門橋という。門内の近くに宮内庁がある。坂下門は江戸城西の丸造営直後に造られたと伝えられていて西の丸大奥に近く、西の丸の通用門として利用されていたが、今は宮内庁の出入口となっている。文久2年(1862)1月、老中安藤対馬守がこの門外で水戸浪士に襲われたのが「坂下門外の変」だ。この中には入れない。正月・天皇誕生日の一般参賀の際の出口のひとつとして指定されており、一般人が通れるのはこの機会以外にはないそうだ。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f5.6 1/1250秒 100mm ISO200 ) 露出補正 なし
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15.坂下門と宮内庁
坂下門を左手に見ながら桔梗門(内桜田門)へ歩く。左手は蛤濠だ。宮内庁の建物が見える。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f5.6 1/800秒 52mm ISO200 ) 露出補正 なし
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16.桔梗門(内桜田門)
三の丸への出入り口だそうだ。かってこの門の瓦などに太田道灌の家紋である桔梗の紋が施されていたことから桔梗門と呼ばれる。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f5.6 1/1250秒 42mm ISO200 ) 露出補正 なし
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17.桜田二重櫓(巽櫓)と内桜田門 その奥に富士見櫓
桜田二重櫓(巽櫓)は江戸城に残る唯一の隅櫓だそうだ。明暦の大火のあと1659年以来焼けていない。本丸から見て巽の方角にあるので巽櫓桜田二重櫓(巽櫓)ともいう。関東大震災で損壊したのちに解体して復元されている。歩いてきた内桜田門の奥に三重櫓である富士見櫓が見えた。天守閣が明暦3年(1657年)の大火で焼失した後は復旧されなかったので、富士見櫓が天守閣に代用されたと伝えられている。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f5.6 1/1250秒 27mm ISO200 ) 露出補正 なし
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18.桜田二重櫓(巽櫓)
石落としが備わっており、実戦的な櫓としてつくられたという。直角に曲がる桔梗濠には藻(アオコ)が生えている。お堀の水はどう流れているのだろうか?ネットで検索してみる。江戸時代から明治時代の中頃までは、お濠は江戸の六上水の一つである「玉川上水」と接続しており、玉川上水は最も水位の高い半蔵濠、千鳥ヶ淵に流れ込んで、各濠の水門を順繰りに下りながら、最も低位の日比谷濠から江戸湾(東京湾)に流れ出るという「きれいな水の循環」が作られていたという。ところが時代は過ぎ、1965年(昭和40年)、それまでお濠に流れ込んできていた玉川上水が完全に廃止され、きれいな水の供給は途切れ、お濠の水はほとんど雨水に頼らざるを得なくなった。水たまりになったのだ。それに加えて、外苑濠には長年にわたり周囲からの落葉等が流れ込んでくる。このような状況を受け、濠を管理する環境省では、平成7年から濠水浄化施設の運用を行うなどの対策を行ってはきた。平成25年4月から運転を開始している「新濠水浄化施設」という新しい浄化施設は、「高速凝集沈殿方式」という方式を採用したもので、浄化性能が高く、一日当たり最大2万トンの濠水を浄化する能力があるという。詳しく皇居外苑の濠水浄化施設についてという「国民公園協会 皇居外苑」のwebサイトにでていた。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f5.6 1/2000秒 34mm ISO200 ) 露出補正 なし
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19.大手門
桔梗濠に沿って歩いていくと大手門が見えてきた。大手門は城と城下町をつないだ江戸城の正門だ。1万石以上の大名と役高500石以上の役人以外は大手門の手前で乗り物を降り供回りは数人に制限されたという。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f5.6 1/1600秒 52mm ISO200 ) 露出補正 なし
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20.皇居東御苑への入り口 大手門
桔梗濠と大手濠の間にかかる土橋の向こうに枡形になった大手門の高麗門(正門)がある。一行32名はここで守衛さんから入場証をいただき中に入った。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f5.6 1/640秒 32mm ISO200 ) 露出補正 なし
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21.大手門と渡櫓門
高麗門を入って枡形になった右手に石垣で囲まれた立派な入母屋造りの渡櫓(わたりやぐら)を持つ大きな櫓門がある。枡形門は、敵の侵入を防ぎ、味方の出撃を容易にする構造となっている。一の門(高麗門)は狭くて多勢では入れず、入ると三方の石垣から弓、鉄砲の攻撃ができるようになっていた。江戸時代も火災・震災のたびに再建されてきた。1957年の明暦の大火の際も10か月で再建された。1923年の関東大震災でも大破、2年後に渡櫓を解体し両側の石垣を築き直す大修理が行われた。太平洋戦争末期の1945年4月13日、渡櫓は全焼。1965~67年にかけて復元工事を行った。一方、高麗門はほぼ江戸時代の様子をとどめているそうだ。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f5.6 1/1600秒 27mm ISO200 ) 露出補正 なし
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22.旧大手門渡櫓の鯱
1945年(昭和20年)4月、太平洋戦争戦災で焼失した旧渡櫓の屋根に飾られていた鯱。頭部に「明暦三丁酉」と刻んであることから明暦の大火(1657年)で焼失したのち再建された時に作られたと推定される。今の大手門渡櫓は1968年(昭和43年)に再建されたものと説明書きがあった。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f5.6 1/500秒 56mm ISO200 ) 露出補正 なし
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23.矢穴
大手門の石垣に残る矢穴である。矢穴とは石垣の石を切り出す際に大きな岩にミシン目のように穴を穿ち、鉄の矢を打ち込んだ穴だそうだ。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f5.6 1/400秒 75mm ISO200 ) 露出補正 なし
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24.大手門の門扉
大手門渡櫓門の門扉。蝶番を見てもとても古いようだ。戦災で全焼したときにはこの門扉も焼けたろうと思う。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f5.6 1/250秒 27mm ISO200 ) 露出補正 なし
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25.東御苑 同心番所
大手門の渡櫓門を出て左に歩いていくと右手に同心番所があった。城の奥の番所ほど位の上の役人が詰めていた。ここ同心番所は同心が詰め主として登城する大名の伴の監視にあたっていたという。この同心番所の手前が大手三之門の跡だそうだ。御殿の入り口であり、ここでで御三家(尾張・紀州・水戸の3徳川家)を除くすべての大名・役人は、駕籠をおりて徒歩にて入門した。この先左手に百人番所があり、右に中之門跡の石垣がある。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f6.3 1/250秒 18mm ISO500 ) 露出補正 なし
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26.中之門跡
ここから江戸城の雰囲気が変わるとガイドさんが説明してくれた。ネットの竹橋ガイドというサイトによると、この中之門の石垣は1638年(寛永15年)にその原形が普請され、1657(明暦3)年の明暦の大火で焼け、1658(万治元)年に熊本藩主・細川綱利により再構築され、1703(元禄16)年に起きた地震でも被害を受け、翌年に鳥取藩主・池田吉明によって修復された。その後、明治政府によって取り壊されたという説と、関東大震災で大破したまま再建されなかったという説を聞いたが、確認できいないとのこと。傍に建てられていた説明札では、皇居内の石垣は特別史跡「江戸城跡」に指定されている。「本丸中之門石垣」修復工事は平成17年8月~平成19年3月にかけて行われた。石垣は江戸城の中でも最大級の巨石が使われ布積みという技法で積まれている。この中之門石垣には本丸御殿への登城口として渡櫓門が配置されていたと解説されている。また、石垣は白い花崗岩と黒い安山岩とで築かれていて、白い花崗岩は瀬戸内の犬島か小豆島あたりから、黒い安山岩は東伊豆から運ばれたものであるそうだ。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f6.3 1/640秒 26mm ISO500 ) 露出補正 なし
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