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2021年5月23日

三ツ沢公園と豊顕寺 5月15日

緊急事態宣言が発出されているし、天候も今ひとつだ。今日あたりは、裏高尾へでも初夏のチョウを撮りに行きたいところだが、もう一つ意気が上がらない。かといってじっと家にいるのも飽きてしまう。
 しばらく行っていなかった三ツ沢公園から 豊顕寺(ぶげんじ)を歩いてみることにした。数年前までは時々歩いていたのだが、最近はしばらく行っていない。三ツ沢公園までは自宅からは登り坂になり、ゆっくり歩いて30分はかかる。
 道に迷ってしまって、仕方なく国道1号線の岡沢町の交差点へ出た。ここには、以前通っていた鳥小屋(ゴルフ練習場)があったが、それが立派な有料介護老人ホームになっていた。
 そこからは右方向に。大分遠回りをしてしまったが、ニッパツ三ツ沢球戯場に出た。花が植えられているところもあるのだが、チョウの姿はない。そこから、横浜市戦没者慰霊塔へ行き、豊顕寺市民の森へ行った。そこには、江戸時代三澤壇林という、いわば仏教寺院における僧侶の養成機関があった。1720年(享保5年)に老中久世重之の力などで法照山豊顕寺に江戸幕府の許可が下ったため、檀林が設置された。 豊顕寺市民の森の藤棚のある辺りで、豊顕寺と三澤壇林を結んでいたと思われる坂道の参道に出る。いったん右へ坂を上り切り、参道の石段を下る。しばらくすると豊顕寺の山門(赤門)が見えてくる。
 豊顕寺から、国道1号は近い。帰りは三ツ沢上町から横浜市営地下鉄に乗り、横浜駅からはバスで帰宅した。11,000歩、大したことないが、アップ・ダウンがあったので少々疲れた。

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三ツ沢公園マップ 横浜市緑の協会公式サイトより

1.ビワの実
自宅から車で第三京浜へ出る道を歩き始めた。車だとなんということはないが、歩くと結構な上り坂だ。途中に古くから住まわれている家もあるが、その庭にビワの木があって、沢山の実が付いていた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 9mm ISO125 ) 露出補正 なし
001_210515003 X800 近所のビワ RX10M4.jpg
  2.ヤマトシジミ
カタバミ(ヤマトシジミの食草)が生えているところを、行ったり来たりしているヤマトシジミがいた。  

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/500秒 9mm ISO100 ) 露出補正 なし
002_210515006t X800 ◎近所 カタバミ RX10M4.jpg
3.平沼亮三さんの銅像
裁判所通りに出る。ここから右へ入って、次を左へ行くところを間違えてしまった。見覚えのない住宅地を歩き、また、裁判所通りに戻ってしまった。仕方なく、国道1号線の岡沢町のバス停に出て、そこから右へ上がっていく。しばらく進むと、三ツ沢競技場の脇に出た。実業家であり政治家、また、アマチュアスポーツ選手で、衆議院議員(憲政会、民政党)、貴族院議員(同成会)、そして横浜市長を務め、日本における市民スポーツの父と呼ばれる平沼亮三さんの像があった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/1000秒 9mm ISO100 ) 露出補正 なし
003_210515015 X800 平沼亮三像 RX10M4.jpg
4.ニッパツ三ツ沢球戯場
ニッパツ三ツ沢球戯場は、1964年(昭和39年)の東京オリンピックのサッカー会場として使用されたほか、現在では、サッカーJリーグや全国高校サッカー選手権の会場として使用されている球技場で、横浜F・マリノスがホームゲームを多く開催している。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/800秒 9mm ISO100 ) 露出補正 なし
004_210515017 X800 ニッパツサッカー場 RX10M4.jpg
5.横浜市戦没者慰霊塔
テニスコートの脇を通って、首都高を歩道橋で渡る。横浜市馬術協会の馬場を見ながら北へ上がって行くと横浜市戦没者慰霊塔が見えてきた。 横浜市戦没者慰霊塔は、2本の塔と安置堂からなり、昭和28年3月に建立され、戦後50周年にあたる平成7年に改修されている。西南戦争から第2次世界大戦までの戦没者2万余柱の御霊を安置しているそうだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/800秒 9mm ISO100 ) 露出補正 なし
005_210515019 X800 〇戦没者慰霊塔 RX10M4.jpg
6.豊顕寺市民の森
戦没者慰霊塔を背にさらに進むと豊顕寺市民の森の入口があった。この時季は花もなく、薄暗い感じがする。豊顕寺市民の森は面積2.3haほどで、広さの点では少々こぢんまりとしているが、市街地の中にあってひっそりと緑豊かな空間を保っており、散策を楽しむ人も多い。桜の名所として知られている他に、秋の紅葉や初夏のアジサイなども見事だと聞く。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1250秒 12mm ISO1250 ) 露出補正 なし
006_210515020 X800 豊顕寺市民の森 RX10M4.jpg
7.藤棚広場
豊顕寺市民の森の入口を入って少し歩くと藤棚広場というところがあった。藤棚があったが、フジはもう終わってしまっていた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 16mm ISO800 ) 露出補正 なし
007_210515022 X800 豊顕寺市民の森 RX10M4.jpg
8.豊顕寺本堂へ下る石段
藤棚広場を進むと豊顕寺への石段(参道)へ出る。下ると豊顕寺という寺があるが、その参道をいったん右へ上がる。そこに八幡広場という広場があり、四阿が設けられている。この八幡広場のあたりが豊顕寺市民の森の南端部と言ってよく、抜け出ると南には三ツ沢公園が隣接している。この辺りが三澤壇林だったところだろうか。享保5年(1720年)に壇林として学舎5棟、学寮25棟を建設、その後も再建、増築をし宏大宏大な規模になったが、明治時代になり火災による焼失、大正期には地震による倒壊によって壇林は廃絶したといった内容が、横浜市教育委員会文化財課、財団法人横浜国際観光協会による豊顕寺の説明板に記されていた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 67mm ISO3200 ) 露出補正 なし
008_210515024 X800 豊顕寺 参道 RX10M4.jpg
9.赤門
その石段(参道)を下りきるところに朱に塗られた門があった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 30mm ISO3200 ) 露出補正 なし
009_210515026 X800 豊顕寺 山門 赤門 RX10M4.jpg
10.赤門を振り返る
その赤門をくぐると左手に豊顕寺境内が見える。赤門の説明板には、豊顕寺の山門は弁柄という赤色の顔料で塗られていたことから、赤門と呼ばれ、檀林の門と呼ばれ親しまれてきた。門を赤く塗るのは幕府のお墨付きが無ければできないことで、三澤壇林は幕府の許可を得て創設されたことから、赤門の建立が許されたと考えらる。赤門は壇林の廃止後も戦火を免れ、豊顕寺の山門としてこの地を守り続けてきた。この歴史ある赤門を後世に残すべく平成27年の豊顕寺開創五百年慶讃記念事業の一環として保全工事が行われた。といったことが書かれていた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/500秒 10mm ISO1600 ) 露出補正 なし
010_210515029 X800 豊顕寺 山門 赤門 RX10M4.jpg
11.豊顕寺境内への門
赤門をくぐり、小さな石段を下りると、すぐ左側に豊顕寺境内への門があり、本堂が見える。これが山門かと思っていたが、当山と書かれた赤門の説明板には、豊顕寺の山門は赤門と呼ばれたとある。この門は何と呼ばれるのかと疑問を持った。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/500秒 10mm ISO1600 ) 露出補正 なし
011_210515032 X800 豊顕寺 境内 RX10M4.jpg
12.本堂と寺務所
その門の正面に本堂があった。右側には立派な寺務所らしき建物がある。境内はそう広くはない。本堂は、昭和42年(1967年)建立の鉄筋コンクリート造りだそうだ。屋根瓦には、「井桁に橘」と「三つ鱗」の紋が見られた。本堂の正面は閉ざされていた。豊顕寺は法華宗陣門流の寺院である。山号は法照山。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/500秒 9mm ISO100 ) 露出補正 なし
012_210515038 X800 豊顕寺 境内 RX10M4.jpg
13.日蓮上人像
日蓮上人は鎌倉時代の仏教の僧で、鎌倉仏教のひとつである日蓮宗、法華宗の宗祖である。日蓮上人が宗祖である日蓮宗と法華宗の違いはどうなのかと、ちょっと検索してみたが、一口では言えない。法華宗(陣門流)は総本山本成寺(三条市)を中心とする教団で、日蓮宗は久遠寺(身延町)を中心とする教団であることは分かった。訪れた各地のお寺で日蓮上人像を見ることがある。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/500秒 9mm ISO200 ) 露出補正 なし
013_210515041 X800 豊顕寺 境内 RX10M4.jpg
14.大イチョウ
本堂前から、いま境内に入ってきた門を見る。門の右側に大きなイチョウの木が見える。樹齢600年ということだが、樹高はそれほどでもない。豊顕寺の大イチョウの名がある。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels プログラムオートで撮影 ( f2.4 1/500秒 9mm ISO125 ) 露出補正 なし
014_210515042 X800 豊顕寺 境内 大イチョウ RX10M4.jpg
15.大イチョウの幹
推定樹齢600年だそうだが、回り込んで幹を見ると、樹皮が剥がれてしまっている。樹齢1千年といわれ、神奈川県の天然記念物に指定されていた鎌倉の鶴岡八幡宮の大イチョウが、2010年(平成22年)3月10日未明、強風で倒壊したのを思い出した。頑張って欲しい。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.4 1/320秒 9mm ISO3200 ) 露出補正 なし
015_210515044 X800 豊顕寺 境内 大イチョウ RX10M4.jpg
16.法照山豊顕寺 総門
入り口の門で一礼して、境内を退出する。国道一号線、そして横浜市営地下鉄の三ツ沢上町駅入り口への道にある総門を出て、振り返る。右の門柱に法照山、左に豊顕寺とあった。赤門が見える。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/500秒 9mm ISO640 ) 露出補正 なし
016_210515046 X800 豊顕寺 総門 RX10M4.jpg
17.せせらぎ緑道 門前橋広場
国道1号線に向かって歩くと、右側にせせらぎ緑道門前橋広場と彫られた石版がはめ込まれた石畳の散策路があった。河川の浸食によって形成された崖線沿いを、ここ門前橋広場を少し西へ行った水門広場から、東へ三ツ沢下町手前の上田橋跡までの、総延長1kmほどの緑道で、もともと反町川(滝の川)という川が流れていた場所に湧水を使ったせせらぎが流れている。このせせらぎは地下鉄三ツ沢上町、三ツ沢下町両駅に湧き出ている地下浸透水を水源に利用した珍しいものであるらしい。改めてこの 三ツ沢せせらぎ緑道 を西の入り口の水門広場から上田橋跡迄歩いてみたいと思う。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.4 1/500秒 9mm ISO160 ) 露出補正 なし
017_210515047 X800 三ツ沢せせらぎ緑道 RX10M4.jpg
18.せせらぎ緑道のせせらぎ
50mほどせせらぎ緑道に入ってみた。せせらぎの水は澄んでいる。「三ツ沢せせらぎ緑道」は昭和56年から工事が始められ、完成したのは昭和63年(1988年)だったそうだ。せせらぎに下りることが出来、右側にある門前橋をくぐることが出来るようになっていた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 23mm ISO2000 ) 露出補正 なし
018_210515049 X800 三ツ沢せせらぎ緑道 RX10M4.jpg


2019年1月29日

保土ヶ谷歴史散歩 (後編) 1月20日

月見台周辺はなかなかの高級住宅街である。瀟洒な家が立ち並んでいた。しかし、バスの便はあるにしても少々不便に感じる。マイカーの利用が多いのだろが、道は狭い。
 2車線のバス通りを西へ、桜ケ丘の方向に歩く。桜台中学校の手前を左へ、今度は下り坂だ。岩崎ガードへ下りた。ここは舞岡公園へ行くときに良く通る道だし、横横道路を程塚で下りて、自宅へ帰るときも利用するJR東海道線の線路の下をくぐる道だ。
 国道1号へ出て西へ、東海道線沿いに保土ヶ谷方面へ歩く。途中、踏切を渡った線路の反対側に、高野山真言宗の大仙寺があった。参拝のあと、再び、国道1号に戻り、保土ヶ谷本陣跡を左へに曲がって旧東海道を歩く。金沢横町道標4基があるところで、C.保土ヶ谷宿と洋館巡りコースは終わりだ。
 保土ヶ谷駅西口へ出て、星川駅を通るバスに乗った。時間は午後1時20分。3時間ちょっとの保土ヶ谷歴史散歩だった。

24.I 邸 -1
月見台のバス通りに到着した。これからは左(西)へ行くのだが、その前に、右手にある I 邸を見る。昭和11年建築木造2階建ての洋館付き住宅である。昭和60年までは内科・小児科 I 医院が開業されていた。洋館部分を待合室として使用し、地域に親しまれていたそうだ。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1000秒 9mm ISO125 ) 露出補正 なし
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25.I 邸 -2
後年に洋館を囲んで増築して2階建てとなり、敷地内に最も目立つランドマークとして洋館部分を見せている。洋館部分の屋根は半切妻施軸フランス瓦葺きだ。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/1000秒 16mm ISO320 ) 露出補正 なし
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26.桜台小学校
月見台から西へ桜ケ丘に向かってバス通りを歩くと、桜台小学校があった。横浜市立桜台小学校は 1955年、周辺地域の児童数増加により保土ヶ谷小学校と岩崎小学校から学区分離して、桜丘高校移転跡地である当地に開設された。学区の中心が桜ヶ丘で、学区に台の付く地名が多かったため、校名を「桜台」とした。 創立時の児童数は808名で、1970年代には900名を超えたこともあったそうだ。学校教育情報サイト「Gaccom」によると2017年度の児童数は461人だそうだ。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1250秒 16mm ISO125 ) 露出補正 なし
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27.保土ヶ谷カトリック教会
バス通りから桜台小学校の手前を左(南)へ曲がる。下り坂をしばらく行くと工事中の足場が架けられた保土ヶ谷カトリック教会があった。この日は日曜日である。礼拝に来られている方々が多い。教会の前には、信者の方々が乗ってこられた車がぎっしり停められている。早く来て一番奥に停めた車は、帰りは最後まで待たなければ出られない。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f5 1/1250秒 16mm ISO125 ) 露出補正 なし
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28.保土ヶ谷カトリック教会のマリア像
パリ外国宣教会フランス人のシェレル神父らが、私財を投じてフランスからステンドグラスなどを取り寄せてに建てた教会であると伝えられ、様式はロマネスク風であり、外壁はモルタル塗りで仕上げた質素な意匠で、細かいところまで手の込んだ美しい建物であるとされる。この教会は保土ヶ谷「被昇天の聖母マリア」教会とも呼ばれる。駐車されている車の間を抜けてマリア像の傍まで行った。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f6.3 1/1250秒 16mm ISO125 ) 露出補正 なし
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29.M邸 門扉
保土ヶ谷カトリック教会から再び桜ケ丘のバス通りに戻るのだが、その前に近くのM邸に寄った。昭和11年に建てられた木造2階建て洋館付き住宅である。立派な門扉があった。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4.5 1/1250秒 9mm ISO125 ) 露出補正 なし
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30.M邸 玄関上部
かって貿易関係業を営んでいた現当主の祖父により建てられた。写真は玄関の上部であるが、玄関の洋風扉は木が茂っていて見えない。一部が中2階建ての珍しいスキップフロアー構成になっているという。玄関の奥には洋風の応接間があるそうだ。右手に広がる和館部分は2間続きの座敷を配し、秀逸な書院造で創建時の形を良く留めていると言われる。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/1000秒 15mm ISO125 ) 露出補正 なし
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31.IS邸
桜ケ丘まで戻りバス通りを西へ歩く。いよいよ最後のC.保土ヶ谷宿と洋館巡りコースである。ここからは上り坂はなさそうだ。しばらく行くとバス通りに面して右側に IS邸があった。昭和9年建築の木造2階建て洋館付き住宅である。洋館部分は切妻を正面に見せず横向きとした配置が珍しいという。内部は2畳の玄関前室の脇に、造りの良い二間続きの部屋を設けている。広縁の天井には戦時中の焼夷弾の跡が残っているという。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4.5 1/1250秒 20mm ISO125 ) 露出補正 なし
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32.K邸
IS邸の少し先にK邸があった。見かけより古く、昭和6年の建築だそうだ。木造平屋建ての洋館付き住宅である。子供の就学を機に南区の六ッ川より現地に移築された珍しい経歴を持つ建物と言われる。屋根は切妻と入母屋の複合型で、瓦成形スレート葺き。洋館の内部は6畳間で天井壁とも漆喰仕上げ、蛇腹付き天井廻り縁となっているようだ。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f5.6 1/1250秒 15mm ISO125 ) 露出補正 なし
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33.S邸
岩崎中学校の手前を、バス通りから離れて左へ下りる。急な下り坂だ。岩崎小学校の手前にこのS邸があるのだが、少々探しづらかった。美しい門扉のある家だった。昭和9年の建築の木造2階建て洋館付き住宅である。現当主によって建てられたが、地盤改良のため松杭を約50本打ったという。門の上に見える洋館屋根は切妻でコロニアル葺きである。築80年経つが狂いもほとんどなく、大工や左官職人が腕を振るった傑作建築であるといわれる。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/1250秒 9mm ISO125 ) 露出補正 なし
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34.岩崎ガード
国道1号線から星川へ抜けるのに便利な岩崎ガードである。この日は徒歩で車道の脇に付けられている歩行者用の道をくぐって東海道(国道1号)に出た。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/1250秒 13mm ISO125 ) 露出補正 なし
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35.蠟梅
岩崎ガードを抜けて、車が行きかう国道1号線を保土ヶ谷に向かって歩く。「復元した一里塚と松並木・上方見つけモニュメント」と保土ヶ谷宿の旅籠として残る「旅籠本金子屋跡」というポイントがあるのだが、見つけられなかった。通り道に蠟梅の花が咲いていた。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.2 1/1250秒 12mm ISO125 ) 露出補正 なし
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36.大仙寺
しばらく行くと左側に東海道線、横須賀線の線路を大仙寺へ渡る踏切があった。大仙寺は高野山真言宗の寺院である。かっては東海道(現国道1号)まで参道が続いていたが、明治19年に国鉄が参道を横切るかたちで開通し、現在は踏切が設置されている。本堂は寄棟造り、銅板葺きで切石の基壇に基礎石を据えている。内部の中央室と仏間は格天井となっているそうだ。山門は切妻屋根、瓦葺の四脚門。屋根裏中央の肘木組物や虹梁の絵は元禄の頃のものであると想定されている。寛文10年(1623年)2月に火災により本堂と山門を消失したが、元禄14年(1701年)に再建されているとのこと。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1250秒 9mm ISO125 ) 露出補正 なし
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37.大仙寺 寺務所
昨年、高野山へ参拝した時にも見てきた高野山開創千二百年記念大法会イメージキャラクターの「こうやくん」が置かれていた。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/1000秒 14mm ISO125 ) 露出補正 なし
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38.南無大師遍照金剛
真言宗で唱える一番短い「お経」である御宝号(ごほうごう)が彫られた高野山開創千二百年参拝記念の像が立っていた。平成27年4月2日から5月21日までの50日間執り行われた高野山開創千二百年記念大法会では、日本中から多くの僧侶たちが、空海への感謝の気持ちをもって集まったという。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/1250秒 14mm ISO125 ) 露出補正 なし
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39.大仙寺踏切
国道1号に戻ろうと大仙寺踏切を渡り切ったところで、上り列車が来た。 大仙寺踏切は保土ヶ谷区内でピーク時の遮断時間最長が52分になっているそうだ。、

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/1250秒 32mm ISO125 ) 露出補正 なし
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40.脇本陣(大金子屋)跡
国道1号が右へ鎌倉方面へ行く環状1号と分岐するT字路の少し手前にこのような柱が立っていた。保土ヶ谷宿には本陣1軒、脇本陣3軒、それに1軒の茶屋本陣があり、大名、旗本、幕府の役人等がこれらの宿泊施設を使用していた。脇本陣は本陣だけでは収容できない場合に使用されるものであったが、後には諸侯の内でも万石以下、旗本等は脇本陣を利用していたようだ。一般の旅行者は旅籠屋を利用していた。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/1250秒 17mm ISO125 ) 露出補正 なし
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41.保土ヶ谷本陣跡
信号を渡った国道1号の反対側に保土ヶ谷本陣跡があった。これはその説明の案内板である。wikipediaによれば、「保土ヶ谷本陣・苅部氏の祖先は後北条氏の家臣で、武蔵国・鉢形城の城代家老を務めていた苅部豊前守康則。 1590年(天正18年)北条家が豊臣秀吉に敗れた時に、康則の子・苅部出羽守吉里も戦死、吉里の子・吉重は先祖の菩提を弔うため信州の善光寺に止まるが、1601年(慶長6年)吉重の二男である初代苅部清兵衛が幕府の命で先祖の領地・保土ヶ谷に戻され、保土ヶ谷宿の本陣・名主・問屋の三役を拝命、1870年(明治3年)に本陣が廃止となるまでの約270年11代にわたり三役を務め、歴代当主が苅部清兵衛を名乗ってきた。」とある。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/1250秒 9mm ISO125 ) 露出補正 なし
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42.保土ヶ谷本陣 通用門 -1 現在は写真のとおり通用門だけが残っているが、当時は建坪が270坪もあり部屋数18、畳数140は東海道の本陣の中でも十指に入っていたといわれている。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1000秒 9mm ISO500 ) 露出補正 なし
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43.保土ヶ谷本陣 通用門 -2
脇から見た通用門跡。苅部家は、問屋・名主を兼ねるなど、保土ヶ谷宿 における最も有力な家で、安政6年(1859年)に横浜が開港する際、当時の当主清兵衛悦甫 が総年寄に任ぜられ、初期の横浜町政に尽くしたという。明治3年(1870年)に軽部姓に改称し、現在に至っている。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1000秒 9mm ISO160 ) 露出補正 なし
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44.脇本陣(藤屋)跡
同じ側を少し戸塚方面へ戻ったところに、保土ヶ谷宿に3軒あった脇本陣のひとつ、藤屋の跡がある。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.2 1/1250秒 9mm ISO125 ) 露出補正 なし
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45.保土ヶ谷宿本陣跡 石碑
「(1601~1870)江戸時代に幕府が諸大名に参勤交代をさせるため、東海道五十三次の宿場ごとに本陣を置いたもの 横浜開港 東京遷都のころまでありました。1965 横浜市長 飛鳥田一雄 記」 と彫られている。保土ヶ谷宿を歩いてみたが、その史跡はほとんど残っていなかった。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1000秒 9mm ISO160 ) 露出補正 なし
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46.金沢横町道標4基
国道1号線が鎌倉方面へ行く環状1号線と別れ左へ曲がるひとつ手前の信号を左へ旧東海道へと曲がる。ここは金沢や鎌倉への分岐点だった、角に道案内の石碑が4基並んでいる。その中に「程ヶ谷の枝道曲がれ梅の花」と杉田梅林への道を示す俳句を詠んだ碑がある。石碑は右から円海山之道、かなざわ かまくら道、杉田道、富岡山芋大明神社の道を示している。何故ここを金沢横町というのかなと思っていたが、かなざわ道への分岐ということのようだ。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1000秒 9mm ISO125 ) 露出補正 なし
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