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2019年12月27日

江ノ電に乗って 12月3日 ④鎌倉に寄り安国論寺と八雲神社へ(終)

長谷での予定は終わった。まだ、時間も早い。鎌倉駅から逗子のほうへ向かったところに安国論寺という寺院があり、鎌倉市観光協会の紅葉情報では「見ごろ」になっていたので、行ってみることにした。かみさんは途中にある「スワニー」という洋装生地屋さんに残していく。
 安国論寺までは鎌倉駅から歩いて20分くらいかかった。参拝者は私以外に一人二人しか居らず、落ち着いた境内だった。しかし、「見ごろ」と期待した安国論寺の紅葉は、残念ながら既に葉が落ち始めていて、期待外れだった。
 安国論寺を辞して、鎌倉駅へ戻る途中の右側に八雲神社入り口と書かれた路地があったので、入ってみた。鎌倉最古の厄除け神社という。
 「スワニー」へ寄ってかみさんをピックアップし、鎌倉駅へ戻る。良く歩いた。家に帰ってスマホの歩数計を見ると15,000歩を越えていた。

66.安国論寺山門
安国論寺は日蓮が鎌倉での修行、布教の拠点とした草庵跡に建立された。「立正安国論」を著した窟もある。日蓮は本論で、相次ぐ災害の原因は人々が正法である妙法蓮華経(法華経)を信じずに浄土宗などの邪法を信じていることにあるとして諸宗を非難し、法華経以外にも鎮護国家の聖典とされた「金光明最勝王経」なども引用しながら、このまま浄土宗などを放置すれば国内では内乱が起こり(自界叛逆難)、外国からは侵略を受けて滅びる(他国侵逼難)と唱え、邪宗への布施を止め、正法である法華経を中心「立正」とすれば国家も国民も安泰となる「安国」と説いた。(wikipedia)

Nikon D750 Nikon 28-105mm f3.5-f4.5
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 48mm ISO720 ) 露出補正 なし
  191203_066.jpg
67.安国論寺 山門から参道
安国論寺の開山は日蓮とされるが、弟子の日朗が文応元年(1260年)に、日蓮が前執権北条時頼に建白した「立正安国論」を執筆した岩穴(法窟)の側に安国論窟寺を建てたのが始まりであるという。

Nikon D750 Nikon 28-105mm f3.5-f4.5
プログラムオートで撮影 ( f4 1/320秒 50mm ISO3200 ) 露出補正 なし
191203_067.jpg
68.本堂ともみじ
このもみじが 鎌倉市観光協会の紅葉情報で「見ごろ」 とされていた。しかし、ご覧の通り葉は大分落ちてしまっていた。

Nikon D750 Nikon 28-105mm f3.5-f4.5
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 48mm ISO2500 ) 露出補正 なし
191203_068.jpg
69.サザンカ
安国論寺の本堂左手に樹齢350年といわれるサザンカの古木があった。白い花が咲いていた。江戸時代のツバキとの交配種と伝えられ、市天然記念物に指定されている。

   Nikon D750 Nikon 28-105mm f3.5-f4.5
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 48mm ISO2800 ) 露出補正 なし
191203_069.jpg
70.石仏
本堂の手前右側に写真のような石仏があった。とても美しい石像と思い、インタネットで検索を試みたが、由緒はわからなかった。

Nikon D750 Nikon 28-105mm f3.5-f4.5
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 50mm ISO3200 ) 露出補正 なし 
191203_070.jpg
71.石畳の参道
ここは良いアングルだったと思う。イチョウの落ち葉に風情はあるが、それにしても紅葉したカエデの葉が淋しかった。

Nikon D750 Nikon 28-105mm f3.5-f4.5
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 50mm ISO2000 ) 露出補正 なし
191203_071.jpg
72.安養院
安国論寺を後にして、かみさんを残してきた「スワニー」へ向かう。途中、右側の石段を上がったところに安養院があった。案内板には「尼将軍と称される北条政子が、夫である源頼朝の冥福を祈るために佐々目ガ谷に建立した祇園山長楽寺が前身であると伝えられます。その後鎌倉時代末期に善導寺の跡(現在地)に移って安養院 になったといいます。安養院  は北条政子の法名です。延宝8年(1680年)に全焼したため、頼朝に仕えていた田代信綱がかって建立した田代寺の観音堂を移します。こうして祇園山安養院田代寺となりました。」と記されていた。中には入らなかった。浄土宗の寺院だそうだ。  

Nikon D750 Nikon 28-105mm f3.5-f4.5
プログラムオートで撮影 ( f4.5 1/500秒 85mm ISO360 ) 露出補正 なし
191203_072.jpg
73.上行寺
今度は左側に上行寺という寺があった。上行寺は、日蓮宗寺院で、山号は法久山、院号を大前院という。創建は正和2年(1313年)で、開山は日範上人。本尊は三宝祖師。本堂は1886年(明治19年)に名越の妙法寺の法華堂を移築したものといわれており、堂内には日蓮上人像や開山の日範上人像、水天像などが安置されているほか、格天井には花鳥の絵、欄間には十二支の彫刻が施されている。山門には左甚五郎作といわれる竜の彫物が、本堂の表欄間や梁などには熊本藩の大名細川氏による竜の彫物があるという。由緒ある寺のようだ。

Nikon D750 Nikon 28-105mm f3.5-f4.5
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 50mm ISO750 ) 露出補正 なし
191203_073.jpg
74.癌封じの寺
上行寺は癌封じの寺として知られるが、境内には万病、特に癌に効があるといわれている瘡守稲荷堂がある。「癌」という文字が大きく書かれていて、歴史のある寺とのバランスが取れないように思える。 

Nikon D750 Nikon 28-105mm f3.5-f4.5
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 50mm ISO160 ) 露出補正 なし
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75.八雲神社
さらに「スワニー」に向かって歩くと、右へ入る路地に八雲神社があった。創建は永保年間(1081~1084年)。主祭神は須佐之男命、稲田姫命、八王子命という。もと鎌倉祇園社や祇園天王社などと称したが、明治維新に際して現社名に改称した。裏山は衹園山ハイキングコースの起点となっており、神社脇にハイキングコースの入口がある。  

Nikon D750 Nikon 28-105mm f3.5-f4.5
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 50mm ISO250 ) 露出補正 なし
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76.厄除け開運神社
此の地で疫病に苦しむ民の姿を見た新羅三郎義光が京都の祇園社(八坂神社)を勧請したのが始まりとされている。地元では厄除け開運の神社としても知られておりそうだ、「八雲さん」や「お天王さん」などと呼ばれ親しまれているそうだ。  

Nikon D750 Nikon 28-105mm f3.5-f4.5
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 48mm ISO2000 ) 露出補正 なし
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77.境内社(末社)
右手に見える白い説明板には、右から諏訪神社、稲荷神社、於岩稲荷社と書かれている。於岩稲荷はもともと田宮家の庭にあった屋敷社で、四谷怪談で有名なお岩さんが信仰篤く、そのおかげで田宮家は復活した、と言う話はたちまち評判になり、近隣の人々はお岩さんの幸運にあやかろうとして、屋敷社を「於岩稲荷」と呼んで信仰するようになったという。

Nikon D750 Nikon 28-105mm f3.5-f4.5
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 28mm ISO500 ) 露出補正 なし
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78.天水盤
社殿の前に天水盤というのが置かれていた。天水盤とは防火用水として雨水をためるための容器だが、説明板には「武州鋳物師 鈴木文吾氏により惣型法にて鋳造さる。東京オリンピック聖火台も同氏が鋳造した」と書かれていた。さて、そろそろかみさんに約束した時間になるので「スワニー」に向かった。かみさんは少々時間を持て余していたようだった。今日の鎌倉散歩はこれで終了だ。

Nikon D750 Nikon 28-105mm f3.5-f4.5
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 28mm ISO450 ) 露出補正 なし
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2011年12月23日

鎌倉散策 その1 12月12日 妙本寺から安国論寺へ


 紅葉の鎌倉へも出かけようと思っていたが、いろいろとすることがあり、紅葉のピークには少し遅くなってしまった。横浜に住むようになってから、何度か鎌倉に出かけているが、すでに海蔵寺のある鎌倉駅の北西側、瑞泉寺、報告寺など東側、そして北鎌倉で下車して、円覚寺、東慶寺、建長寺を見て歩いた。また、紫陽花の季節には江ノ電沿線の長谷寺や極楽寺へも行った。そこで今回は南東側の妙本寺、安国論寺を巡ってみようと計画した。

1.朝9時半の鎌倉駅
三日続きの快晴である。横浜から横須賀線で鎌倉に着いたのが9時半だった。鎌倉駅を背に真っすぐ進むと材木座海岸から鶴岡八幡宮へ向かっている大通りへ出る。私が北鎌倉に住んでいた頃(昭和43年から7年間)には、駅のロータリーに面して左側に西武百貨店があったが、今はない。振り返って駅舎を撮る。

Nikon D5000 Σ17-70mm F2.8-4.5G
プログラムオートで撮影 ( F8 1/1000秒 70mm ISO400 ) 露出補正 なし
朝9時半の鎌倉駅;クリックすると大きな写真になります
2.ぼたもち寺
地図を見ながらまず、今日の目的の一つである妙本寺へ向かう。見当をつけて細い道に入ったら、解からなくなった。庭の落ち葉を掃除されていた年配の男性に「おはようございます。妙本寺はどちらでしょうか?」と尋ねたところ、親切に「ここをまっすぐ行くと、ぼたもち寺へ出ますから、そこを左へ行くと妙本寺です」と教えてくださった。そのぼたもち寺であるが、正しくは常栄寺といい、慶長11年(1606年)に創建された日蓮宗の寺院。文永8年(1271年)に、日蓮上人が瀧の口法難にあって刑場に引かれていく時、ここに住んでいた桟敷尼が「ぼた餅」を捧げたので、その様に呼ばれるようになったそうだ。

Nikon D5000 Σ17-70mm F2.8-4.5G
プログラムオートで撮影 ( F8 1/250秒 29mm ISO400 ) 露出補正 -0.7段
ぼたもち寺;クリックすると大きな写真になります
3.妙本寺総門
妙本寺も、日蓮宗の寺院であり、日蓮宗妙本寺派の本山。山号は長興山という。本尊は三宝(さんぼう)祖師。開山は日朗(にちろう)。文応元年(1260)に創建された。この総門をくぐり、妙本寺の境内に入る。

Nikon D5000 Σ17-70mm F2.8-4.5G
プログラムオートで撮影 ( F7.1 1/200秒 21mm ISO400 ) 露出補正 -0.7段
妙本寺総門;クリックすると大きな写真になります
4.妙本寺本堂を仰ぐ
総門をくぐった先の左手に方丈門というのがあり、石段で上がるようになっている。石段の途中に「妙本寺」の石標があり、最後の石段を上がると寺務所、書院がある。その先にこの写真で見える本堂がある。薄暗い感じが出てほしいと-0.7段の露出補正をした。

Nikon D5000 Σ17-70mm F2.8-4.5G
プログラムオートで撮影 ( F5.6 1/125秒 55mm ISO400 ) 露出補正 -0.7段
妙本寺本堂を仰ぐ;クリックすると大きな写真になります
5.二天門の先から祖師堂を見る
総門から方丈門を通らず、まっすぐ二天門、祖師堂に向かう道がある。二天門は朱塗りの美しい門だが、人が多かったので、ここは後で撮ることにして、先に進んだ。

Nikon D5000 Σ17-70mm F2.8-4.5G
プログラムオートで撮影 ( F5.6 1/125秒 40mm ISO400 ) 露出補正 -0.7段
二天門の先から祖師堂を見る;クリックすると大きな写真になります
6.日蓮聖人銅像
日蓮(1222年~1282年)は、鎌倉幕府中期の僧で、日蓮宗を開いた。日蓮は承久4年(1222年)の春、安房国小湊(現在の千葉県鴨川市天津小湊)に生まれた。比叡山、高野山などで、修業を積んだ後、法華経にこそ仏教の神髄があるという信念を持ち、建長5年(1253年)、政治不安や天災に苦しむ社会を救おうと、鎌倉にやって来たそうだ。

Nikon D5000 Σ17-70mm F2.8-4.5G
プログラムオートで撮影 ( F9 1/320秒 29mm ISO400 ) 露出補正 なし
日蓮聖人銅像;クリックすると大きな写真になります
7.祖師堂脇の紅葉
ここは撮影ポイントのようだが、残念ながら紅葉は終わりに近かった。時間はまだ午前10時前。快晴だが陽の光は祖師堂で遮られて、薄暗い。祖師堂の建立はその棟札から天保9年(1838)と推定されている。内部の厨子に祀られている日蓮聖人像は、池上本門寺・身延久遠寺と一本の木で彫られた「一木三体のお像」と言われ、日法上人の作だそうだが、そのなかでも妙本寺の像は日蓮聖人存命時の製作で一番古いとされ、鎌倉市の重要文化財に指定されている。

Nikon D5000 Σ17-70mm F2.8-4.5G
プログラムオートで撮影 ( F4.2 1/125秒 60mm ISO1100 ) 露出補正 -0.3段
祖師堂脇の紅葉;クリックすると大きな写真になります
8.比企一族の墓
現在妙本寺のある谷戸は、鎌倉時代には比企能員(よしかず)一族の屋敷があったところだそうだ。比企能員は源頼朝の乳母、比企尼の養子であり、1180年(治承4年)以後は頼朝の信任を得て、御家人となった。頼朝の死後も将軍頼家の外戚として権勢を持ったが、北条時政の謀略により、比企一族が、北条氏を中心とする大軍に攻められ、一族もろとも建仁3年(1203年)に滅ぼされた地である。その比企一族の墓がここ妙本寺の境内の奥まったところにあった。この写真はその一部である。

Nikon D5000 Σ17-70mm F2.8-4.5G
プログラムオートで撮影 ( F4.5 1/125秒 29mm ISO400 ) 露出補正 -0.7段
比企一族の墓;クリックすると大きな写真になります
9.二天門
本堂と祖師堂にお参りをしたあと、二天門へ戻ってきた。これは祖師堂へ向かっての写真。門の左側のモミジが最後の頑張りを見せてくれている。

Nikon D5000 Σ17-70mm F2.8-4.5G
プログラムオートで撮影 ( F4.5 1/125秒 70mm ISO1400 ) 露出補正 -0.3段
二天門;クリックすると大きな写真になります
10.二天門と祖師堂
この美しい二天門は1840年(天保11年)の創建とのこと。 昨年5月より修理が施されていたがこの9月に完成したそうだ。修理できたてだった。奥に見えるのが祖師堂。右手に比企一族の墓が見える。

Nikon D5000 Σ17-70mm F2.8-4.5G
プログラムオートで撮影 ( F3.3 1/125秒 26mm ISO560 ) 露出補正 -0.3段
二天門と祖師堂;クリックすると大きな写真になります
11.夷堂橋(えびすどう橋)
妙本寺のお参りを終え、もうひとつの目的である安論国寺へ行く通りへ出ると、本覚寺があった。境内は工事中だった。その手前に流れる小さな川にこの夷堂橋がかかっていた。橋を渡って、本覚寺山門の手前に昭和7年に建てられた石碑があり、「この橋は鎌倉十橋のひとつである。ここには昔、夷堂があったと言われる。この川は現在は滑(なめり)流というが、昔は場所によって多くの呼び名があった。上流では胡桃(くるみ)川といい、浄明寺門前では滑川といい、文覚 (もんがく)屋敷跡の辺りでは坐禅川といい、この辺りでは夷堂川と呼び、延命寺の辺りはスミウリ川といい、閻魔(えんま)堂跡の辺は閻魔堂川といった。」 というようなことが記されている。

Nikon D5000 Σ17-70mm F2.8-4.5G
プログラムオートで撮影 ( F11 1/500秒 40mm ISO400 ) 露出補正 -0.7段
夷堂橋(えびすどう橋;クリックすると大きな写真になります
12.上行寺薬師堂
夷堂橋から八雲神社に寄ってお参りして、大町四つ角を左に曲がった。安論国寺を目指して歩くと、右側に上行寺というのがあった。上行寺は、桜田門外の変において、大老井伊直弼を襲撃した水戸浪士広木松之助が切腹した寺だという。境内に松之助の墓があるそうだ。その手前にある薬師堂には、北条政子が源頼朝の「おでき」を治すため参拝したという瘡守稲荷が祀られていた。何とも賑やかである。

Nikon D5000 Σ17-70mm F2.8-4.5G
プログラムオートで撮影 ( F9 1/320秒 21mm ISO400 ) 露出補正 -0.3段
上行寺薬師堂;クリックすると大きな写真になります
13.安養寺 樹齢700年の槙
今度は左手に安養院があった。安養院は日蓮宗ではなく浄土宗の寺。この寺は、嘉禄元年(1225年)、北条政子が夫・源頼朝の冥福を祈って建てた笹目の長楽寺が前身といわれる。境内には天然記念物に指定された槙の巨木(樹齢700年)があり古刹の雰囲気が漂う。

Nikon D5000 Σ17-70mm F2.8-4.5G
プログラムオートで撮影 ( F7.1 1/200秒 19mm ISO400 ) 露出補正 -0.7段
安養寺 樹齢700年の槙;クリックすると大きな写真になります
14.安論国寺は工事中
ようやく今日の目的の安論国寺に着いたが、残念ながら工事中で、境内に入ることができなかった。安国論寺は、日蓮宗の寺院である。創建は建長5年(1253年)とのこと。ガイドブックにこのモミジが良いとあったので期待してきたのだが、残念だった。

Nikon D5000 Σ17-70mm F2.8-4.5G
プログラムオートで撮影 ( F6.3 1/160秒 45mm ISO400 ) 露出補正 -0.7段
安論国寺は工事中;クリックすると大きな写真になります
15.妙法寺 惣門
さて、11時になった。そろそろ、鎌倉駅へ戻り、早めの昼飯にしようと思う。安論国寺のすぐ傍に妙法寺があったので、寄ってみた。妙法寺のある松葉ヶ谷は、日蓮上人が鎌倉に入って草庵を結んだ地であり、「松葉ヶ谷法難」の舞台となった。残念ながらこの惣門は閉じられていて、その先の仁王門や苔の石段を見ることができなかった。左側から本堂に行き、お参りをした。

Nikon D5000 Σ17-70mm F2.8-4.5G
プログラムオートで撮影 ( F5.6 1/125秒 17mm ISO400 ) 露出補正 -0.7段
妙法寺 惣門;クリックすると大きな写真になります