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2023年5月26日

いにしえの奈良 2泊3日のサクラ見物 ⑧ 終 2023年4月5日ー7日 登廊と舞台の長谷寺と、摩崖仏の大野寺

又兵衛桜は、葉桜になってしまっていて残念だった。バスは又兵衛桜を10時50分ごろに出発した。次の目的地は長谷寺である。又兵衛桜から西へ30分ほどで到着した。
 雨は相変わらず本降りである。バスの駐車場から傘をさして仁王門の前に着いた。ここからは拝観をして、昼食をとって、再びバスに戻るまで各自自由に行動することになった。石段を上がって仁王門をくぐるとその先は登廊といって屋根のある木造の階段が399段、本堂の前まで続いている。雨に濡れないで歩けるのはありがたい。
 実はわたくしたちは、2018年の11月に長谷寺に来ている。その時は近鉄大阪線で長谷寺駅まで来て、長谷寺へ向かったのだが、20分ほど歩くことになってしまった。近鉄の長谷寺駅に預ければよいと思い、キャリー・バッグを携行していたのだが、駅にコインロッカーはなく往生していたところ、参道でかみさんが店の前に並べられていた干しシイタケを物色していると、その店のおばさんが出てきて「荷物預かりましょうか」と言ってくれて、有難かったことを思い出す。
 杖を突いている奥さんも、頑張って399段の登廊を登り、本堂を参拝して、舞台からの眺めを楽しんでくれたようだ。
 そして、今回のツアーの最後の見どころは摩崖仏で有名な大野寺だった。枝垂桜も咲いていて、傘をさして境内を歩いた。最後に大野寺の前を流れる宇陀川の対岸の摩崖仏を拝んで、帰路に着いた。  バスに2時間半ほど揺られ、三河安城駅に着いたのは、午後5時頃だったと記憶する。天候はいまいちではあったが、訪れた桜の名所や社寺、それぞれが印象に残る良いツアーだった。

000_2304070252 X700 長谷寺 登廊 G7X.jpg
大和国 長谷寺の登廊 2023年4月7日 奈良県桜井市初瀬

198_2304070233 X900 長谷寺 仁王門 G7X.jpg 198.長谷寺 仁王門
雨の中を駐車場から歩いて仁王門の石段前に到着した。ここから各自自由拝観になる。仁王門のせり出してくるような大きな屋根は重厚である。重要文化財である。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 9mm ISO250 ) 露出補正 なし
199_2304070235 X900 〇長谷寺 仁王門 G7X.jpg 199.仁王門の彫刻
仁王門に施された彫刻や仁王像は歴史を感じさせる。長谷寺のパンフレットによると、仁王門は長谷寺の総門で、3間1戸入母屋造本瓦葺の楼門である。両脇には仁王像、楼上に釈迦三尊十六羅漢像を安置する。仁王門は、一条天皇(在位986年-1011年)の頃の創建だが、現在の建物は明治27年(1894年)の再建だそうだ。上部に掛かる「長谷寺」額字は天正16年(1588年)の後陽成天皇の直筆の再鋳造という。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1000秒 9mm ISO800 ) 露出補正 なし
200_2304070236 X900 長谷寺 登廊 G7X.jpg 200.歓喜院(かんぎいん)
仁王門をくぐって、登廊を上り始める。すぐ左側に歓喜院あり桜が咲いていた。歓喜院は長谷寺六坊の一院で、江戸時代中期の1701年(元禄14年)に長谷寺第14世英岳僧正によって再建され、近年参籠所を併設して改装された。長谷六坊と呼ばれる「歓喜院」「宗宝蔵(清浄院)」「梅心院」「月輪院」「慈眼院」「金蓮院」の六つの子院があり、江戸時代にはこれらの六つの院が、長谷寺の運営においてとても重要な役割を持っていたという。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 21mm ISO250 ) 露出補正 なし
201_2304070238 X900 長谷寺 登廊 G7X.jpg 201.登廊(のぼりろう)
登廊は平安時代の長歴3年(1039年)に春日大社の社司中臣信清が子の病気平癒の御礼に造ったもので、108間、399段、上中下の三廊に分かれてる。下、中廊は明治27年(1894年)再建で、風雅な長谷型の灯籠を吊るしている。上登廊は古く、慶安3年(1650年)の再建という。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 21mm ISO640 ) 露出補正 なし
202_2304070241 X900 長谷寺 登廊 G7X.jpg 202.下登廊
下登廊は繋屋で右に折れて、中登廊になる。写真は中登廊から見た下登廊。繋屋は一重の、切妻造、桟瓦葺、1間四方の小さな建屋である。下登廊と中登廊をつないでおり、登廊はここでほぼ直角に右へ折れる。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 21mm ISO640 ) 露出補正 なし
203_2304070244 X900 〇長谷寺 登廊 G7X.jpg 203.中登廊から見た本堂の柱束
中登廊の左側に、懸造りの本堂を支える柱束が見られた。懸造りとは、京都の清水寺のように、斜面の上に長い束柱を立て、その上に堂宇を築く様式の事で、舞台造とも呼ばれている。昨日見てきた談山神社の舞殿も懸造りだった。斜面にはシャクナゲが咲いていた。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 37mm ISO800 ) 露出補正 なし
204_2304070247 X900 〇長谷寺 登廊 G7X.jpg 204.シャクナゲ(石楠花) -1
このシャクナゲの品種を知りたいと思い、Picture This で調べてみたところ、ロードデンドロン・カタウビエンセ という答えだった。ツツジ科で、シャクナゲの仲間には違いはない。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 37mm ISO800 ) 露出補正 なし
205_2304070250 X900 長谷寺 登廊 G7X.jpg 205.シャクナゲ -2
懸造りの斜面に咲くシャクナゲは今が盛りである。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 37mm ISO1250 ) 露出補正 なし
206_2304070253 X900 長谷寺 登廊 G7X.jpg 206.蔵王堂から見る下登廊
中登廊は蔵王堂という中継点で左へ折れ、上登廊につながる。蔵王堂は、桁行3間、梁間1間、一重、寄棟造、本瓦葺の建物である。わたくしたちは今回、吉野山で金峯山寺の蔵王堂を拝観してきた。この「蔵王堂」のあたりに、吉野山から虹が架かり、その上を3体の蔵王権現が歩いて長谷寺までやって来たことからこの場所に尊像を祀っているのだそうだ。蔵王権現は、役行者が吉野・金峯山寺で修行中にお告げを得たという憤怒形の仏。金峯山寺の蔵王堂に祀られている 弥勒・釈迦・千手観音と同じ3体を祀る。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 37mm ISO320 ) 露出補正 なし
207_2304070257 X900 長谷寺 登廊 G7X.jpg 207.上登廊
本堂の前の鐘楼まで、最後の上登廊を上る。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.2 1/1000秒 14mm ISO320 ) 露出補正 なし
208_2304070259 X900 長谷寺 登廊 本堂 G7X.jpg 208.舞台を支える柱束
左側には、南に向いてせり出している舞台を支える柱束が見られた。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/1000秒 19mm ISO800 ) 露出補正 なし
209_2304070264 X900 〇長谷寺 本堂 G7X.jpg 209.礼堂(らいどう)・ 内舞台
上登廊を上りきり、鐘楼の前に出た。左側へ本堂参拝の入り口がある。本堂は小初瀬山中腹の断崖絶壁に懸造り(舞台造)された南面の大殿堂である。入り口を入って右側は内陣で、本尊十一面観世音菩薩立像が祀られている。長谷寺のホームぺージによれば、開山徳道上人が造立して以来、度重なる火災により再造を繰り返してきたが、現在の観音像は、室町時代の天文7年(1538年)に大仏師運宗らによって造立された。像高は3丈3尺6寸(1018cm)ある。我が国で最も大きな木造の仏像で、その堂々とした姿は全国に広がる長谷信仰の根本仏像としての威厳を十分に伺わせる。写真は内舞台とも呼ばれる本堂の外陣である礼堂から、南に開かれた外舞台を撮った。内陣は撮影御法度である。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/1000秒 15mm ISO200 ) 露出補正 なし
210_2304070266 X900 長谷寺 本堂 G7X.jpg 210.賓頭盧尊者(びんずるそんじゃ)
礼堂の奥に賓頭盧尊者が座していた。釈迦の弟子である十六羅漢の筆頭で「びんずるさん」とよばれ親しまれている。賓頭盧尊者は本堂の外陣や回廊に祀られ、病気を治す力があり、撫でるとその部位の病気が治るという信仰があり「撫仏 (なでぼとけ)」ともいわれている。余談になるが、このわたくしたちのツアーの初日、4月5日の朝、長野善光寺の賓頭廬尊者像が盗難にあったという事件があった。およそ2時間半後に60kmほど離れた松本市内の車の中で見つかったそうだ。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.2 1/400秒 13mm ISO3200 ) 露出補正 なし
211_2304070267 X900 長谷寺 本堂 G7X.jpg 211.開山堂
内陣と外陣の間を通って西へ抜ける。本堂の外廊から、緩やかな石段の先に開山堂が見えた。開山堂は、長谷寺を開山した徳道上人を祀るお堂である。徳道上人は、奈良時代の高僧で、727年(神亀4年)に聖武天皇の勅願により、東の丘(現在の本堂のある場所)に本尊十一面観世音菩薩を安置し長谷寺を開山したとされている。鎌倉にある長谷寺にも何度かお参りしたことがあるが、鎌倉長谷寺の十一面観音は奈良の長谷寺とも縁があると伝えられる。721年大和国長谷寺を開山した徳道上人により2体の観音像が彫られ、1体は奈良長谷寺へ、もう1体は衆生救済の願いを込め、海へと奉納された。その15年後、相模国の沖合いにその観音像が現れ、鎌倉長谷寺開創の礎となったそうだ。鎌倉長谷寺のホームぺージには、その本尊の十一面観世音菩薩像も、木彫仏としては日本最大級(高さ9.18m)の仏像と記されている。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.2 1/1000秒 14mm ISO250 ) 露出補正 なし
212_2304070268 X900 長谷寺 本堂 G7X.jpg 212.大黒堂
本堂を出たすぐその右側に大黒堂があった。この大黒堂は、江戸時代前期の1650年(慶安3年)に再建された、2間四方寄棟造り、一重、本瓦葺きの建物である。本尊として、4尺5寸の大黒天立像(大黒天が米俵の上に立ち福袋と打ち出の小槌を持つ姿)が安置されている。大黒天像の左側には鬼子母神、右側には愛染明王と弁財天が祀られている。パンフレットによると、尊像は弘法大師の作と伝えられている。商売を繁盛させ、財宝を人々に授け、台所を守護し食物を満たすご利益があるそうだ。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.2 1/1000秒 13mm ISO250 ) 露出補正 なし
213_2304070270 X900 長谷寺 本堂 G7X.jpg 213.舞台から五重塔を眺める
五重塔は、1954年(昭和29年)に戦争殉難者檀信徒慰霊および世界平和を祈願して建立された。もともと長谷寺にあったのは三重塔であり、 建っていた場所も少し違うので、再建ではない。戦後日本に初めて建てられた五重塔で昭和の名塔と呼ばれている。純和様式の整った形の塔で、塔身の丹色と相輪の金色、軽快な檜皮葺屋根の褐色は、背景とよく調和し、光彩を放っている。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 37mm ISO500 ) 露出補正 なし
214_2304070271 X900 長谷寺 本堂 G7X.jpg 214.舞台からの眺め
舞台から奥の院の陀羅尼堂や本坊がある南の方向を眺めた。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/1000秒 16mm ISO250 ) 露出補正 なし
215_2304070278 X900 〇長谷寺 本堂 G7X.jpg 215.礼堂の際から五重塔を眺める
外舞台から少し高くなった礼堂の際から撮った。長谷寺の本堂は、創建以来実に7度の火災によって焼失している。最後に本堂が燃えたのは室町時代の天文5年(1536年)であり、天正16年(1588年)に豊臣秀長の援助によって本堂の再建がなされたが、その後の江戸時代初期には徳川家光の寄進によって建て替えが行われ、慶安3年(1650年)に竣工、それが今に残る本堂である。礼堂には「大悲閣(だいひかく)」と書かれた大きな額が掲げられている。「悲」は悲しみではなく、慈悲の「悲」だそうだ。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 22mm ISO500 ) 露出補正 なし
216_2304070281 X900 長谷寺 本堂 G7X.jpg 216.本堂の外陣(げじん)・礼堂(らいどう)
内舞台とも呼ばれる。礼堂は正堂(内陣)に祀られている本尊十一面観世音菩薩立像を礼拝するところである。本堂の前部にあって参詣者のための空間となっているのが礼堂である。建物は、入母屋造妻入り、床は板敷き、天井は化粧屋根裏(天井板が無く構成材をそのまま見せる構造)、間口9間、奥行4間で、このうち奥の間口9間、奥行1間分を相の間としている。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.2 1/320秒 13mm ISO3200 ) 露出補正 なし
217_2304070283 X900 長谷寺 G7X.jpg 217.弘法大師御影堂
本堂から西に向かって、緩やかな道があり、その先に弘法大師御影堂が見えた。御影堂(みえどう)は、宗祖弘法大師(空海)の入定1150年遠忌を記念して、その徳を偲び1984年(昭和59年)に建立された堂宇である。令和5年は弘法大師が生まれて1250年になり、道の両側には、弘法大師生誕1250年を祝う登りが何本も並んでいた。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 27mm ISO800 ) 露出補正 なし
218_2304070300 X900 長谷寺 G7X.jpg 218.上登廊を下りる
本堂からは弘法大師御影堂、五重塔、陀羅尼堂、本坊を拝観して仁王門に戻る道もあるが、雨も降っているし、かみさんを歩かせるのも酷である。長谷寺には2018年に一度来ていることでもあり、回り道はせず、上がってきた登廊を下りる。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/320秒 22mm ISO3200 ) 露出補正 なし
219_2304070306 X900 〇長谷寺 G7X.jpg 219.シャクナゲ -3
長谷寺のパンフレットには、日本石楠花と記されていた。調べてみると、日本石楠花と西洋石楠花の違いは、葉にあり、日本石楠花は、葉の裏側に細かい毛が生えている。西洋石楠花の葉には、まったく毛は生えていない。そこは確認してこなかった。長谷寺の石楠花は2500株もあるという。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/320秒 37mm ISO31600 ) 露出補正 なし
220_2304070317 X900 〇長谷寺 G7X.jpg 220.下登廊
下登廊を下りてくると、左手に梅心院と歓喜院の昭和寮との間の小道に枝垂桜が咲いていた。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.2 1/1250秒 11mm ISO250 ) 露出補正 なし
221_2304070317 X900 〇長谷寺 G7X.jpg 221.仁王門と枝垂桜
仁王門まで下りてきた。時計は12時を回っていた。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/1000秒 15mm ISO250 ) 露出補正 なし
222_2304070327 X900 〇長谷寺 G7X.jpg 222.門前通りの食事処
仁王門を出て、石観音がある受付の前に桜馬場というところがあった。昔、桜の並木が有名で花の見所とされ、参拝者が馬をつないでいたので「桜ノ馬場」と呼ばれている。この日は観光客は少なかったが、長谷寺と門前町を繋ぐ、多くの人で賑わう場所である。そこから門前通りが始まるが、その取っ掛かりにある食事処に入り、天婦羅うどんで昼食にした。門前通りを少し歩き始めたが、人通りもなく活気がなかったので、引き返してバスへ戻る。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/1000秒 17mm ISO320 ) 露出補正 なし
223_2304070397 X900 〇大野寺 G7X.jpg 223.大野寺 山門
バスは東へ20分ほど走って、今回のツアーの最後の訪問地である大野寺に着いた。大野寺(おおのでら / おおのじ)は、奈良県宇陀市室生大野にある真言宗室生寺派の寺院。山号は楊柳山、本尊は弥勒菩薩。役行者が開き、天長元年(824年)、弘法大師によって堂宇が建立されたと伝えられる。室生寺の西の大門に位置する。宇陀川岸の自然岩に刻まれた彌勒磨崖仏があることで知られ、枝垂桜の名所としても知られる。とあった。(wikipedia)

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/1250秒 9mm ISO250 ) 露出補正 なし
224_2304070341 X900 〇大野寺 G7X.jpg 224.大野寺 本堂と枝垂桜
大野寺には全国的に珍しい樹齢300年を超えるコイトシダレザクラ(小糸枝垂桜)が2本あり、境内にはその他30本ほどのベニシダレザクラが植えられているそうだ。コイトシダレザクラは奈良県指定天然記念物に指定されている。wikipediaでは、広義のシダレザクラとは、枝がやわらかく枝垂れるサクラの総称である。野生種(種のレベル)のエドヒガンから生まれた栽培品種には、狭義のシダレザクラやベニシダレなどがある。枝が枝垂れるのはイチョウやカツラやクリやケヤキなどでも見られるが、その原因は突然変異により植物ホルモンのジベレリンが不足して枝の上側の組織が硬く形成できず、枝の張りが重力に耐えられなくなっているからと考えられている。枝垂れ性は遺伝的に劣性のため、シダレザクラの子であっても枝垂れのない個体が生まれる場合があると記述されている。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/1000秒 18mm ISO250 ) 露出補正 なし
225_2304070345 X900 〇大野寺 G7X.jpg 225.枝垂桜 -1
境内を奥の方へ歩いていくと、まだまだ咲いている枝垂桜があった。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/1250秒 9mm ISO250 ) 露出補正 なし
226_2304070347 X900 〇大野寺 G7X.jpg 226.枝垂桜 -2
花は雨に濡れて寒そうだ。今年は例年よりも桜の開花が早く、今回のツアーは、桜の適期を狙って申し込んでいたのだが、奈良でも、すでに適期を逸していた。だが、長谷寺とここ大野寺の枝垂桜は満開だった。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1250秒 9mm ISO250 ) 露出補正 なし
227_2304070351 X900 〇大野寺 ハナズオウ G7X.jpg 227.ハナズオウ(花蘇芳)とシャクナゲ
境内には中国原産のマメ科のハナズオウやシャクナゲが咲いていた。ここのシャクナゲは長谷寺のとは違い、葉の幅が狭かった。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1250秒 9mm ISO250 ) 露出補正 なし
228_2304070362 X900 〇大野寺 G7X.jpg
228.ニイタカシャクナゲ
Picture This で検索するとニイタカシャクナゲと同定した。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/1250秒 9mm ISO250 ) 露出補正 なし
229_2304070379 X900 大野寺 G7X.jpg 229.コイトシダレザクラ(小糸枝垂桜)?
224.の写真と同じ桜だが、柵で囲まれていたので、この桜が樹齢300年を超えるといコイトシダレザクラだろうか?境内に咲く他の枝垂桜と明確には区別できなかった。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/1250秒 13mm ISO250 ) 露出補正 なし
230_2304070381 X900 大野寺 G7X.jpg 230.弥勒摩崖仏
大野寺の前を流れる宇陀川の対岸に位置する高さ約30mの大岩壁に刻まれた弥勒磨崖仏である。岩壁を高さ13.8mにわたって光背形に掘り窪め、その中を平滑に仕上げた上で、像高11.5mの弥勒仏立像を線刻で表す。興福寺の僧・雅縁の発願により、承元元年(1207年)から制作が開始され、同3年に後鳥羽上皇臨席のもと開眼供養が行われた。作者は宋から来日した石工・伊行末(いぎょうまつ/いのゆきすえ)の一派と考えられているそうだ(wikipedia)。2018年の秋に室生寺を訪れたときに、近鉄の室生寺口大野駅からタクシーで室生寺へ行く途中、この摩崖仏を見ている。サムネイルをクリックして写真を拡大して見ていただくと、右側の岩の上部、葉の影になって暗くなっているところのすぐ下に、線彫りされた石仏のお顔を見ることができる。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/1250秒 13mm ISO250 ) 露出補正 なし
231_2304070389 X900 〇大野寺 G7X.jpg 231.大野寺境内
大野寺を拝観し、境内に咲く枝垂桜を見て、摩崖仏に手を合わせた。これで、今回のツアーの目的はすべて終わった。外から境内の桜を眺めながら、駐車場へと歩く。 

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/1000秒 16mm ISO320 ) 露出補正 なし
232_2304070403 X900 〇三河安城駅 G7X.jpg 232.新幹線 三河安城駅
大野寺から3時間ほどバスに揺られ、夕方5時過ぎに三河安城駅に到着した。安全運転をしてくれたバスの運転手さんに感謝して別れ、駅構内へと歩く。乗車する新幹線は18:52発のこだま746号だ。それまでの間、一人で参加されていた写真が趣味のご婦人と、3人で駅構内の串揚げ屋さんで、一杯飲んで時間調整をした。新横浜には20:59に到着した。桜には少々遅く、天候もいまいちだったが、訪れたところはそれぞれが印象に残った良いツアーであった。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/250秒 37mm ISO3200 ) 露出補正 なし

2023年5月10日

いにしえの奈良 2泊3日のサクラ見物 ④ 2023年4月5日ー7日 金峯山寺薬王堂 吉野山桜見納め

2023年4月6日、時刻は11時である。書院の見学と吉野千本桜を鑑賞し、満たされた気持ちで吉水神社を後にした。吉野山はこの先、奥千本、吉野山最高峰の標高858mの青根ヶ峯への大峯奥駈道にかけて、花矢倉展望台など、まだまだ見どころはあるようだが、時間もないし、道も厳しそうだ。下山する。 前もって、ツアコンさんから配られていた金峯山寺蔵王堂拝観券で内陣を参拝し、金剛蔵王権現像を参拝した。
 金峯山とは奈良県の吉野山から大峰山(山上ヶ岳)に至る一帯を指し、古くから飛鳥時代の聖地として知られている。白鳳年間(7世紀後半)、修験道を始めた役行者(えんのぎょうじゃ)は、この金峯山で修業し、山上ヶ岳において、人々を迷いや苦しみから救い、悟りの世界に導くために金剛蔵王権現を祈りだす。そして、その姿を山桜の木に彫刻し、山上ヶ岳と吉野山に堂を建てて祀った。これが山上山下の蔵王堂の起こりであり、金峰山時の始まりであるとそのパンフレットに書かれている。

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吉野山名残りの桜 2023年5月6日 奈良県吉野町 七曲がり付近

089_2304060667 X900 吉野山 金峯山寺 蔵王堂 Z50 Z18-140.jpg 89.金峯山寺蔵王堂
勝手神社まで行って、戻り路で奈良漬を買い、金峯山寺の前へ来た。石段を上がって境内に入る。正面に国宝蔵王堂の威容があった。蔵王堂は、金峯山寺の本堂である。本尊金剛蔵王大権現三体のほか、多くの尊像が安置されている。蔵王堂は、白鳳年間に役行者が創建したと伝えられている。平安時代から幾度か焼失と再建を繰り返し、「太平記」には正平3年(1348年)に足利方の高師直(こうのもろなお)の来攻によって焼失、その後、天正14年(1586年)にも焼失しているそうだ。現在の建物は天正20年(1592年)ころに完成したものである。3体の本尊は秘仏であり、普段は見ることができない。中尊は7mを超える巨像である。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 18mm ISO250 ) 露出補正 なし
090_2304060669 X900 吉野山 金峯山寺 蔵王堂 Z50 Z18-140.jpg 90.蔵王堂拝観
靴を脱いで堂に上がる。係の人が、「記念にお持ち帰るください」と、靴を入れる金峯山寺と名の入った袋を渡してくれた。内陣は撮影禁止であった。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.5 1/500秒 39mm ISO280 ) 露出補正 なし
091_2304060676 X900 〇吉野山 金峯山寺 蔵王堂 Z50 Z18-140.jpg 91.蔵王権現立像を拝観 金峯山寺薬王堂本尊 特別御開帳
現在進められている国宝仁王門の大修理勧進のために、国宝蔵王堂内に安置されている日本最大の秘仏ご本尊金剛蔵王大権現三体が、特別に開帳されていた。(期間:令和5年3月24日~令和5年5月7日)蔵王権現立像三体の造仏は、秀吉の発願した方広寺大仏(京の大仏)の造仏にも携わった、南都仏師の宗貞・宗印兄弟が手掛けたことが、胎内の銘から知られる。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.5 1/500秒 43mm ISO640 ) 露出補正 なし
092_2304060681 X900 吉野山 金峯山寺 脳天大神 Z50 Z18-140.jpg 92.脳天大神(のうてんおおかみ)
金峯山寺の境内にびっくりするような名前の神社の案内があった。金峯山寺のホームページを見てみると、脳天大神は金峯山寺初代管長・故 五條覚澄大僧正が霊威感得された頭脳の守護神なのだそうだ。脳天大神はその最も大切な処を守護し、頭の病気や学業試験などの願い事を成就するとあった。首から上の病気に霊験あらたかで入学試験合格、病気全癒、商売繁盛祈願の参拝参詣者が多い。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f8 1/500秒 18mm ISO110 ) 露出補正 なし
093_2304060687 X900 〇吉野山 Z50 Z18-140.jpg 93.金峯山寺鐘楼
蔵王堂の左側(西側)に鐘楼があった。かつて、金峯山寺には1264年(文永元年)に鋳造された銅鐘があった。その銅鐘は現存しないが、銘文拓本が残され「鎌倉新大仏鋳物師丹治久友」とある。久友は、同年、東大寺塔頭真言院の梵鐘鋳造にも携わり、その鐘銘には「鋳物師新大仏寺大工」とあるそうだ。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.0 1/500秒 23mm ISO100 ) 露出補正 なし
094_2304060689 X900 〇吉野山 南朝妙法殿 Z50 Z18-140.jpg 94.金峯山寺から見た南朝妙法殿
金峯山寺の西側に三重塔(妙法殿八角三重塔(昭和33年 1958年建立)、金峯山寺南朝妙法殿は1958年(昭和33年)に南朝初代で、第96代・後醍醐天皇の行在所であった実城寺跡に建立された。南朝妙法殿には後醍醐天皇と南朝第2代で、第97代・後村上天皇、南朝第3代で、第98代・長慶天皇、南朝第4代で、第99代・後亀山天皇の南朝の四帝や忠臣が祀られている。南朝妙法殿には実城寺の本尊とも言われる木造釈迦如来坐像(奈良県指定文化財)が安置されている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5.6 1/500秒 92mm ISO110 ) 露出補正 なし
095_2304060691 X900 吉野山 威徳天満宮 Z50 Z18-140.jpg 95.威徳天満宮
大きな建物ではないが、蔵王堂のすぐ横に鎮座する古社が、威徳天満宮。菅原道真を祭神としている。社伝によれば、天徳3年(959年)の創建とも伝えられ、天慶年中(938年~947年)、如意輪寺を創建した日蔵道賢(にちぞうどうけん)が勧請したともいわれる古社だそうだ。威徳天満宮の江戸時代前期建築の本殿は、豊臣秀頼の改修による華麗な桃山様式を残し、奈良県の文化財に指定された。社前の石灯籠は享保13年(1728年)の寄進だそうだ。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.5 1/500秒 18mm ISO110 ) 露出補正 なし
096_2304060694 X900 吉野山 四本桜 Z50 Z18-140.jpg 96.四本桜から見た蔵王堂正面
四本桜は蔵王堂の境内、石の柵の中に桜が4本植えられている場所で、「大塔宮(だいとうのみや)御陣地」と刻まれた石柱が建っている。元弘3年(1333年)大塔宮護良親王(だいとうのみやもりながしんのう)が鎌倉幕府勢に攻められて、吉野落城を覚悟して最期の酒宴をされた所と言われる。その際の陣幕の柱跡に植え続けられているのが、この桜だそうだ。石柵内に立つ銅燈籠は文明3年(1471年)の作で重要文化財に指定されている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.8 1/500秒 28mm ISO180 ) 露出補正 なし
097_2304060705 X900 〇吉野山 威徳天満宮 Z50 Z18-140.jpg 97.中千本の桜
金峯山寺のあたりは少し高くなっていて、そこからも中千本の桜が眺められた。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f6.3 1/500秒 125mm ISO180 ) 露出補正 なし
098_2304060711 X900 吉野山 銅鳥居 Z50 Z18-140.jpg 98.銅鳥居
銅鳥居のところまで下りてきた。時刻はほぼ正午。上がってきた時と比べて、空が明るくなり、青空も見えて光の状態が良くなっていた。鳥居額には「発心門」とある。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f13 1/500秒 27mm ISO100 ) 露出補正 なし
099_2304060714 X900 吉野山 弘願寺 Z50 Z18-140.jpg 99.弘願寺
黒門の手前左側に弘願寺というお寺があった。この寺は高野山真言宗の寺院だそうだ。本尊は阿弥陀如来立像(県指定文化財)で鎌倉時代の正元2年(1260年)の作という。もとは金峯山寺の「上之坊」だったが、高野山真言宗の寺院になったという。吉野山寺宝めぐりの一環で秘仏「虚空蔵菩薩」が公開されている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.5 1/500秒 25mm ISO100 ) 露出補正 なし
100_2304060720 X900 〇吉野山 弘願寺 ハナモモ Z50 Z18-140.jpg 100.ハナモモ
弘願寺のあたりにハナモモが咲いていた。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f6.3 1/500秒 140mm ISO250 ) 露出補正 なし
101_2304060723 X900 吉野山 ちりめん山椒 美味 Z50 Z18-140.jpg 101.ちりめんじゃこ
黒門の手前にちりめんじゃこ(ちりめん山椒)の店が出ていた。勧められて食べてみるとなかなか旨かったので、お買い上げ。京都へ行くとよく買って帰るが、ちりめん山椒は吉野名物でもあるそうだ。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.5 1/500秒 30mm ISO125 ) 露出補正 なし
102_2304060729 X900 〇吉野山 黒門 Z50 Z18-140.jpg 102.戻り路の黒門
黒門まで戻ってきた。まだまだ、上がって来る観光客が多い。黒門を出たところにあった食事処で、簡単な昼食にした。歩いた後のビールは格段に旨かった。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.2 1/500秒 34mm ISO220 ) 露出補正 なし
103_2304060733 X900 吉野山 あまご塩焼 Z50 Z18-140.jpg 103.鮎とあまごの塩焼き
昨日、ホテルの近くの小料理屋さんで食べたアマゴの塩焼きは旨かった。ヤマメは北のサクラマスの陸封型、アマゴは南のサツキマスの陸封型という。アマゴとヤマメは姿がほとんど同じで、淡白な身や柔らかい骨など、川魚としての美味しさも変わりない。 ただ、アマゴには脇腹に赤い斑点があり、ヤマメにはそれがないのが特徴だそうだ。子供のころ父親のお供で多摩川へヤマメを獲りに行ったのを思い出す。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.0 1/500秒 22mm ISO100 ) 露出補正 なし
104_2304060741 X900 ◎吉野山 七曲り Z50 Z18-140.jpg 104.見納めの千本桜 -1
入山した時には下千本の桜を見るのに夢中で気に留めなかったが、大橋という橋がある。その大橋の少し先が、下千本展望台だった。バスが待っている吉野山観光駐車場はもうすぐそばだ。ここは近鉄吉野駅から七曲がりを登り切った上にある。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.8 1/500秒 26mm ISO110 ) 露出補正 なし
105_2304060746 X900 〇吉野山 七曲り Z50 Z18-140.jpg 105.見納めの千本桜 -2
枝垂れ桜は、まだまだいっぱい花をつけていた。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5.6 1/500秒 44mm ISO110 ) 露出補正 なし
106_2304060751 X900 〇吉野山 七曲り Z50 Z18-140.jpg 106.見納めの千本桜 -3
今朝は雨も覚悟していたが、青空が顔を出すほどの天気になり、ラッキーだった。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5.6 1/500秒 57mm ISO100 ) 露出補正 なし
107_2304060758 X900 ◎吉野山 七曲り Z50 Z18-140.jpg 107.見納めの千本桜 -4
桜の中に町があるような眺めだ。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.5 1/500秒 39mm ISO125 ) 露出補正 なし
108_2304060761 X900 ◎吉野山 七曲り Z50 Z18-140.jpg 108.見納めの千本桜 -5
下千本から中千本へと尾根を桜が染めていた。初めて訪れた吉野千本桜をたっぷり楽しむことができた。吉野山観光駐車場は、来た時とは違って、びっしりと、大きな観光バスがいっぱい止まっていた。我々一行29名が集まるのを待って、午後1時に出発した。ここから奈良県高取町にある壺阪神社に向かう。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.0 1/500秒 31mm ISO100) 露出補正 なし

2023年5月 7日

いにしえの奈良 2泊3日のサクラ見物 ③ 2023年4月5日ー7日 吉野山 吉水神社

2023年4月6日の続き。金峯山寺の蔵王堂は、各自、自由時間に拝観するということで、先に吉水神社を団体としてお参りし、本殿に参拝し、重要文化財の書院を見学、そして、庭園と展望台からの中千本、上千本の桜の眺めを楽しんだ。
 この吉水神社の有料で拝観できる書院は、①南北朝時代、後醍醐天皇が吉野に潜幸(おしのびの行幸)したときに行宮(あんぐう)を設け、一時居所とした南朝の本拠地、②さらに源義経が潜居したり、③豊臣秀吉が花見の本陣とした等のエピソードがある凄い場所である。後醍醐天皇玉座の間、太閤秀吉花見の間、義経潜居の間なども写真撮影が許されていていた。古文書や武具、楽器など100点を超える宝物もあった。書院の見学を終え、外に出ると、「一目千本」、山が笑うほどの明るい桜の山が待っていてくれた。良いところを見ることができた。ツアコンさんの案内がなければ、見落としてしまっていたかもしれない。小一時間を吉水神社で過ごした。

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吉水神社「一目千本」から中千本の眺望 2023年4月6日 奈良県吉野町

063_2304060572 X900 〇吉野山 吉水神社 Z50 Z18-140.jpg 63.吉水神社 表門(山門?)
吉水神社には3つの門があった。書院の奥にある北闕門(ほっけつもん)以外その名称が分からない。これは最初の門だ。山門というのだろうか。吉水神社の社伝では、白鳳年間に金峯山寺の僧坊「吉水院(きっすいいん)」として役行者(役小角)により建立されたと伝えられている。写真には写っていないが、この門の右側に、元弘の変に敗れ、隠岐に流される途中の後醍醐天皇へ児島高徳という忠義の武士が桜の木に刻んだ十字(10文字)の漢詩が掲げられている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 18mm IS0250 ) 露出補正 なし
064_2304060576 X900 〇吉野山 吉水神社 Z50 Z18-140.jpg 64.吉水神社 中門
中門と言ってよいのかどうかはわからないが、最初の門の内側、本殿の手前にある門である。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.8 1/500秒 23mm IS0180 ) 露出補正 なし
065_2304060586 X900 ◎吉野山 Z50 Z18-140.jpg 65.一目千本
表門を入って、右側に「一目千本」展望台があった。書院見学の前だが、ちょっと見たいと立ち寄ってしまった。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5.0 1/500秒 64mm IS0250 ) 露出補正 なし
066_2304060579 X900 ◎吉野山 Z50 Z18-140.jpg 66.中千本の桜 -1
この山は宝月尾(ほおづき尾)と呼ばれるそうだ。「ほおづき尾」をチャットGPTに聞いてみると、「奈良県吉野山のほおづき坂は、桜の名所の一つで、特に「ほおづき尾」として知られています。ソメイヨシノの桜が植えられています。ほおづき尾は、ほおずき坂の途中にある一帯のことを指し、桜のトンネルを形成している美しい景色が有名です」という答えがあった。ただ、吉野山はおおよそ3万本のヤマザクラというが、「ほおづき尾」はソメイヨシノなのかなと疑問に思った。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.8 1/500秒 125mm IS0250 ) 露出補正 なし
067_2304060580 X900 〇吉野山 Z50 Z18-140.jpg 67.中千本の桜 -2
中千本から上千本に連なる桜の眺めはまさしく「一目千両」だった。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.8 1/500秒 44mm IS0280 ) 露出補正 なし
068_2304060587 X900 ◎吉野山 吉水神社 Z50 Z18-140.jpg 68.吉水院庭園 -1
国指定名勝の池泉鑑賞式庭園で、豊臣秀吉によって造られた。吉水院庭園という説明板があったが、吉水院というのは明治時代の神仏分離令以前、お寺だった時代の名称。この庭園は1594年(文禄3年)に太閤・豊臣秀吉が吉野山で大花見を行った際、本陣だった吉水院に秀吉自らが設計した庭園とされている。安土桃山時代の華やかな雰囲気を今日に伝える「桃山様式の日本庭園」であると説明されていた。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 21mm IS0250 ) 露出補正 なし
069_2304060589 X900 吉野山 吉水神社 Z50 Z18-140.jpg 69.吉水神社本殿
1874年(明治7年)12月17日に吉水院は後醍醐天皇社の名で神社になることが太政官に承認されたとのこと。1875年(明治8年)2月25日、社名を吉水神社に改称し、併せて南朝方の忠臣であった楠木正成、吉水院宗信法印を配祀(はいし)(主祭神のほかに、同じ神社の中に他の神を祭ること)し、やがて村社に列している。現在、本殿には2001年(平成13年)に焼失した勝手神社の祭神が仮遷座されているそうだ。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.0 1/500秒 31mm IS0280 ) 露出補正 なし
070_2304060591 X900 吉野山 吉水神社 Z50 Z18-140.jpg 70.南朝皇居
吉水神社のホームページによれば、「延元元年(1336年) 後醍醐天皇が京の花山院から吉野へと行幸された際に、吉水宗信法印の援護のもと、この吉水院を南朝の皇居とされ、ここに住まわれました。それから南朝四代五十七年の歴史ははじめられ、それから南朝四代五十七年の歴史は始められ、吉水神社は現存する南朝唯一の行宮となっています。」と説明されている。石碑は新しいものであるが、「世界遺産・南朝皇居・吉野神社書院」と彫られていた。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5.0 1/500秒 59mm IS0500 ) 露出補正 なし
071_2304060085 X900 吉水神社 G7X.jpg 71.書院 源義経潜居の間 -1
義経は後白河法皇から勝手に任官を命ぜられたことなどから、鎌倉の謀反人となり兄頼朝から追われる身となる。京を離れ、義経、静、弁慶など少ない手勢は、奈良の吉野山にあるここ「吉水院」にかくまわれた。文治元年12月、源義経が静御前、弁慶等と共に数日間この部屋に身を潜め再起を計ったが、それも束の間、すでに鎌倉から吉水院に義経追討状を送られ義経も止むなく山伏姿に身を替え弁慶等と共に吉野落をしたという。右側に弁慶思案の間がある。弁慶がここで見張りをしながら一世一代の秘策を考へ思案した。(吉水神社のホームページや、「セルフ塾のブログ」などの記述を参照させていただいた。)

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1250秒 9mm ISO3200 ) 露出補正 なし
072_2304060593 X900 吉野山 吉水神社 Z50 Z18-140.jpg 72.書院 源義経潜居の間 -2
ここから先は、女人禁制の「大峰山」で逃れられないと、義経は静に京に帰るよう命じたという。このとき静御前は義経の子を身ごもっていた。「吉野山 峰の白雪踏み分けて 入りにし人の跡ぞ恋しき」と歌われた、天下に名高い大ロマンスの舞台だそうだ。その際に身に着けていた数々の武器や道具や衣装を吉水院へ隠し残されていった。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/200秒 21mm IS06400 ) 露出補正 なし
073_2304060090 X900 吉水神社 G7X.jpg 73.書院 後醍醐天皇玉座
吉永神社のホームページによれば「吉永神社書院の中にあるこの部屋は、延元元年(1336年)後醍醐天皇が京の花山院より秘かに吉野に行幸された時、吉水院の宗信法印が三百名の僧兵を従えて、天皇をここにお迎えしました。後醍醐天皇はこの部屋を南朝の皇居と定められて、吉野朝の歴史の第一頁が始まりました。天皇は建武の中興の偉業を成されるため、昼夜御努力をなされ王政復古を願われながら、南朝での御生活をされましたが、延元四年(1339年)にこの地で病により倒れられ、静かな最後を遂げられました。」と記されていた。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/400秒 9mm ISO3200 ) 露出補正 なし
074_2304060104 X900 吉水神社 G7X.jpg 74.庭園と北闕門(ほっけつもん)
書院の縁から書院裏庭と北闕門を見る。書院裏庭に現存する北闕門は古来より修験者(山伏)たちの祈りの場であった。大峰山に入山するにあたり、無事に下山できるようにここから祈った聖地であった。山伏達は吉水院にて入山許可書をもらい、護摩を焚き崖から落ちたり、熊や猪や蝮に襲われることなく「平穏無事」の下山できるように念じたという。そして、この北闕門にて後醍醐天皇も朝夕に京都の方角の空を仰ぎながら邪気払いの「九字」を切られたといわれている。北闕門は後醍醐天皇が京都に凱旋する時の門でもあった。その後、楠正行も出陣にあたり「九字真法」の印を切り結んだ場所と伝えられている。(吉水神社ホームページ参照)

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1250秒 9mm ISO250 ) 露出補正 なし
075_2304060111 X900 吉水神社 G7X.jpg 75.吉野之花見図
これは複製だそうだ。細やかなタッチで花見の様子が描かれている。吉水神社ホームページには「文禄三年(1594年)に豊臣秀吉が南朝を偲んで吉水院(吉水神社)を本陣として盛大なる花見の宴を催しました。徳川家康・加藤清正・前田利家・伊達政宗など時の武将たちを含め総勢五千人の家来を引き連れて吉野山を訪れ、吉水院(吉水神社)に約五日間滞在されました。その時に、歌の会、茶の会,能の会などを開いて豪遊されました。一世の英雄がその権勢を天下に示し念願の大花見をしたのでした。豊臣秀吉はその時に後醍醐天皇玉座の間の修繕や庭園の設計などを含め、数多くの能面や金屏風などの宝物を吉水院(吉水神社)に残され寄贈されました。と記されている。「竹の図」(桃山時代後期 狩野山雪筆)、「桜の図」(桃山時代前期 狩野承穂筆)の屏風もあった。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/250秒 9mm ISO3200 ) 露出補正 なし
076_2304060115 X900 吉水神社 G7X.jpg 76.秀吉花見の本陣
書院の庭に「秀吉花見の本陣」という標識が立てられていた。向こうに見えるのは北闕門である。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 20mm ISO125 ) 露出補正 なし
077_2304060599 X900 〇吉野山 吉水神社 Z50 Z18-140.jpg 77.書院の縁と裏庭
書院の縁側からは、その裏庭と、右手に北闕門が見える。広くはないが、見応えがある。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 18mm IS0160 ) 露出補正 なし
078_2304060605 X900 〇吉野山 吉水神社 Z50 Z18-140.jpg 78.吉水院庭園 -2
神仙思想に基づく鶴亀蓬莱の庭と言われる。この石は鶴島を表している。その左手に、写真には写っていないが亀島がある。鶴と亀は千年生きたとされ、これを見た人は千年生きられると考えられていると説明されていた。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 18mm IS0400 ) 露出補正 なし
079_2304060616 X900 ◎吉野山 吉水神社 Z50 Z18-140.jpg 79.「一目千本」からの眺め -1 中千本と上千本
最後にもう一度、「一目千本」展望所から、中千本、上千本の桜を眺めた。写真の左から右へ中千本から、上千本へと桜の尾根が連なる。画面は中千本と上千本の手前だが、今回撮った写真の中では気に入った写真になった。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 18mm IS0400 ) 露出補正 なし
080_2304060619 X900 ◎吉野山 吉水神社 Z50 Z18-140.jpg 80.「一目千本」からの眺め -2 宝月尾(ほおづき尾)のあたり
いくら眺めていても飽きない。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.0 1/500秒 33mm IS0125 ) 露出補正 なし
081_2304060622 X900 〇吉野山 吉水神社 Z50 Z18-140.jpg 81.「一目千本」からの眺め -3 桜の花色
木によって微妙に異なる花色が織りなすバリエーションが素晴らしい。青空の下であればと欲が出る。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR プログラムオートで撮影  ( f5.0 1/500秒 61mm IS0180 ) 露出補正 なし
082_2304060626 X900 ◎吉野山 吉水神社 Z50 Z18-140.jpg 82.「一目千本」からの眺め -4 中千本
中千本エリアは広い。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5.6 1/500秒 90mm IS0100 ) 露出補正 なし
083_2304060628 X900 ◎吉野山 吉水神社 Z50 Z18-140.jpg 83.「一目千本」からの眺め -5 中千本
「一目千本」展望所からは中千本と上千本が見えるというが、どこからが上千本なのかよくわからなかった。昨夜までは今日は雨だろうとあきらめていたが、ここまで桜を眺めることができてラッキーであった。吉野神社でよい時間を過ごし、退出したのは、11時少し前だった。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.8 1/500秒 54mm IS0125 ) 露出補正 なし
084_2304060641 X900 〇吉野山 勝手神社 Z50 Z18-140.jpg 84.勝手神社
吉水神社から少し、上千本の方へ進んだところに、勝手神社の境内があった。吉水神社の本殿には、現在は2001年(平成13年)に焼失した勝手神社の祭神が仮遷座されているということを知った。吉野町のホームページには「境内は、義経と別れた静御前が追手に捕えられ、請われて舞いを舞ったといわれる地。社殿は2001年(平成13)に焼失してしまいました。」とあった。再建計画が進められており、平成29年から再建工事が開始される予定であったが、コロナ禍のためか遅れているようだ。再建に必要な経費は約4億円とされている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.8 1/500秒 26mm IS0110 ) 露出補正 なし
085_2304060645 X900 吉野山 ダラスケ Z50 Z18-140.jpg 85.ダラスケ丸
和漢胃腸薬である「陀羅尼助」という胃腸薬の老舗があった。ホームページを見ても立派に営業されているようだ。高野山にも「大師陀羅尼錠」というのがあった。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 18mm IS0360 ) 露出補正 なし
086_2304060656 X900 〇吉野山 東南院 Z50 Z18-140.jpg 86.東南院 多宝塔
東南院につぃては、前回の写真61.で調べているが、多宝塔は、もともと江戸初期に和歌山に建てられたものを、昭和12年にこの地に移された。明治初年まで和歌山県海草郡野上町の野上八幡宮にあった。古い霊地霊山には東南院あるいは、東南寺という 名の寺院があることが多いが、これは、霊山を開くときに中心となる伽藍(吉野山の場合は金峯山寺である。) を建て、そこから巽(東南)の 方角に当たる所に寺を建て、一山の安泰と興隆を祈願したためであるそうだ。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f8 1/500秒 18mm IS0110 ) 露出補正 なし
087_2304060656 X900 〇吉野山 東南院 Z50 Z18-140.jpg 87.奈良漬
これからどこかで食事をして、バスの駐車場へ戻らなくてはならない。この店で奈良漬を買い求めた。帰宅して食べてみたがとても美味しかった。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.0 1/500秒 32mm IS0160 ) 露出補正 なし
088_2304060663 X900 吉野山 Z50 Z18-140.jpg 88.吉野山郵便局
吉野町の世帯数と人口は、そのホームページによれば、令和5年4月末日現在で、世帯数が3073世帯、人口は6,151人(先月比-33人)である。どれほどの町民が郵便物配達の対象になるのかなと、写真を撮りながら考えた。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5.6 1/500秒 18mm IS0110 ) 露出補正 なし

2023年5月 2日

いにしえの奈良 2泊3日のサクラ見物 ② 2023年4月5日ー7日 吉野山「一目千本」

2023年4月6日。2日目はこの旅行の最大の目的である吉野山のサクラ見物である。天気は雨模様が予想され、青空の下で見る桜は期待できそうもなかった。
 バスは8時にホテルを出発する。朝食を早めに済ませ、ホテルでビニール傘を借りて、近くの猿沢池あたりまで散歩をした。ほんの20分ほどの時間だが、朝の猿沢池を眺め、興福寺の裾を歩く。
 予定通り出発したバスは、奈良市内を抜け、天理市、桜井市を通って国道169号線を南下して行く。車内に大谷翔平選手が7回を投げ、8奪三振、1失点で1勝目を挙げたとのニュースが伝わった。やがて、山道に差し掛かるが、薄日が差してきて、期待を持たせる。吉野川を渡り、近鉄吉野線の鉄橋を渡る。吉野川は西へ流れ、和歌山県にに入り紀の川となる。
 吉野神社を右手に見てさらに上り、バスは9時半過ぎに大きな駐車場(吉野山観光駐車場)に着いた。
 ツアコンさんに引率されて、吉野山に入る。七曲がりの桜を見て、黒門、銅鳥居、そして金峯山寺の入り口まで上がった。時刻は10時20分。天気は良いほうに変わり、薄日が漏れるようになってきた。

000_2304060525 X700 〇吉野山 七曲り Z50 Z18-140.jpg
吉野山七曲がりの桜 2023年4月6日 奈良県吉野郡吉野町

035_2304060518 X900 〇奈良興福寺の朝 Z50 Z18-140.jpg 35.朝の興福寺 中金堂の屋根と五重塔
朝6時20分 ホテルの窓から興福寺を眺める。どうやら雨は降っていないようだ。金色の"ツノ"が見えるのが中金堂の屋根だ。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5.0 1/500秒 61mm ISO400 ) 露出補正 なし
036_2304060517 X900 〇奈良興福寺の朝 Z50 Z18-140.jpg 36.興福寺五重塔
今年の7月になると、五重塔には修復工事のために覆いが掛けられて見られなくなるようだ。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f6.3 1/500秒 140mm IS01250 ) 露出補正 なし
037_2304060051 X900 猿沢の池 G7X.jpg 37.猿沢池(さるさわいけ)
吉野山への出発は8時である。朝食後、近くの猿沢池へ行ってみた。奈良公園にある周囲360mの小さな池で、興福寺五重塔が周囲の柳と一緒に水面に映る風景が美しく、奈良八景のひとつになっている。興福寺が行う「放生会」の放生池として、天平21年(749年)に造られた人工池である。放生会とは、万物の生命をいつくしみ、捕らえられた生き物を野に放つ宗教儀式である。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/1250秒 13mm ISO125 ) 露出補正 なし
038_2304060055 X900 猿沢の池 G7X (2).jpg 38.猿沢池と五重塔
猿沢池の眺めは五重塔の見える南側からが良い。人懐っこい鳩がいた。都会でも最近は鳩が人が近づいても逃げなくなったように思う。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.2 1/1250秒 14mm ISO200 ) 露出補正 なし
039_2304060058 X900 猿沢の池 G7X.jpg 39.五重塔と五十二段
猿沢池の北東の端から五重塔へ上がる五十二段の石段がある。その眺望が奈良県景観資産に指定されている。現在、猿沢池園地として整備され、市街地に近いこともあって市民の憩いの場となっている。五十二段を登り切ると、右手手前に五重塔、その奥に東金堂が控えている。五十二段は、仏門への修行の段階を意味する「菩薩五十二位」に由来するといわれている。 仏の悟りを求めて、一段、また一段。 そして五十二段目(五十二位)にたどり着くと、仏と同格であるとされるのだそうだ。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.2 1/1250秒 18mm ISO250 ) 露出補正 なし
040_2304060060 X900 〇猿沢の池 G7X.jpg 40.池端の石にはめ込まれたパネル
猿沢池にちなんだ話の陶磁器製と思われるパネルが岩にはめ込まれている。この絵は采女神社の「采女祭り」の話だが、「猿沢池の七不思議」というのもあった。それには、澄まず、濁らず、出ず、入らず、蛙はわかず、藻は生えず、魚が七分に水三分と書かれていた。(パネルは奈良ライオンズクラブの寄贈)

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4.5 1/1250秒 9mm ISO250 ) 露出補正 なし
041_2304060061 X900 〇猿沢の池 G7X.jpg 41.南円堂への石段
ここは西側にある南円堂への石段である。石段の下からは見えないが、三条通からこの石段を上がっていくと南円堂の前に出る。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.0 1/1250秒 9mm ISO250 ) 露出補正 なし
042_2304060067 X900 興福寺の朝 G7X.jpg 42.五十二段の下から
五十二段の手前から、興福寺に向かって右(東)に春日大社の一の鳥居が見えている。良い感じの道である。小雨が降ってきた。五十二段は上がらずにホテルへ戻ることにした。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1250秒 37mm ISO400 ) 露出補正 なし
043_2304060078 X900 〇吉野山へ G7X.jpg 43.吉野山へ
バスはホテルを予定通り8時に出発した。昨日名阪国道を降りてきた天理市から国道169号線を走る。桜井市を走っていると思うのだが、どこを走っているか定かではない。左側に山が見えている。おそらく宇陀市の方角だと思う。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1250秒 37mm ISO800 ) 露出補正 なし
044_2304060082 X900 吉野川 G7X.jpg 44.吉野川
国道169号線は吉野川にぶつかると吉野川に沿って左に曲がる。バスはどこかの橋で吉野川を渡り、川が左側に見えるようになった。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/1000秒 19mm ISO320 ) 露出補正 なし
045_2304060084 X900 吉野川 近鉄橋梁 G7X.jpg 45.近鉄吉野線鉄橋
近鉄吉野線の吉野川鉄橋が見えてきた。バスは近鉄吉野線に沿って右へ曲がり、吉野山へ上っていく。吉野神社を右手に見て、吉野山観光駐車場という大きな駐車場に入った。時間が早かったので駐車しているバスの数はまだ少なった。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 26mm ISO320 ) 露出補正 なし
046_2304060521m X900 吉野山 Z50 Z18-140.jpg 46.下千本
近鉄吉野駅からロープウェイで上がった吉野山駅のあたりが、吉野山最初の桜の見どころで下千本と言われる(標高約230m〜350m)。ロープウェイは「吉野大峯ケーブル自動車株式会社」の運営による。現存するロープウェイとしては日本最古であり、2012年には日本機械学会により「機械遺産」に登録され各メディアで話題となったそうだ。近鉄吉野駅の近くに千本口駅と言う乗り場があり、山上の吉野山駅までを結ぶ。この間の距離は約300mで高低差は約70mだそうだ。遠景の山は、竜門山系の主峰、標高904mと竜門岳と思われる。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.5 1/500秒 30mm ISO140 ) 露出補正 なし
047_2304060522 X900 吉野山 Z50 Z18-140.jpg 47.下千本展望所
吉野山は奈良県のほぼ中央に位置し馬の背のような形をした南北約6kmの山岳地帯である。吉野山の桜は、日本古来のヤマザクラを中心に約200種3万本と言う世界に類を見ない規模の桜が咲き誇り、その光景は「千本桜」「一目千本」等と形容されてきた。標高順にそれぞれ「下千本」「中千本」「上千本」「奥千本」と地名がついている。下千本展望所には、聖憲皇太后御野立跡という石碑があった。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.5 1/500秒 39mm ISO180 ) 露出補正 なし
048_2304060523 X900 〇吉野山 Z50 Z18-140.jpg 48.下千本エリア -1
下千本展望所からの眺め。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.5 1/500秒 39mm ISO140 ) 露出補正 なし
049_2304060530 X900 〇吉野山 Z50 Z18-140.jpg 49.下千本エリア -2
吉野駅の方向を見下ろす。電線が入ってしまった。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.5 1/500秒 40mm ISO220 ) 露出補正 なし
050_2304060533 X900 〇吉野山 Z50 Z18-140.jpg 50.下千本エリア -3
七曲りを上がってくるあたりだと思う。下千本の桜もきれいだ。どういうところを撮ったかをメモしていなくて、後でわからないことがままある。ツアーの時などは特にその余裕がない。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.5 1/500秒 44mm ISO200 ) 露出補正 なし
051_2304060536 X900 吉野山 Z50 Z18-140.jpg 51.吉野山入口
展望所で下千本の桜を眺め、ロープウェイの駅のすぐ上あたりを、金峯山寺(きんぷせんじ)へと歩き始める。道の両側には、たくさんの飲食店や、土産物屋が並ぶ。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f6.0 1/500秒 110mm ISO250 ) 露出補正 なし
052_2304060542 X900 〇吉野山 黒門 Z50 Z18-140.jpg 52.黒門に向かう
ここからが吉野山だとツアコンさんが説明してくれた。黒門は吉野山の吉野大峯ケーブル吉野山駅から徒歩数分のところに建つ黒塗りの門だ。城の入口を守る高麗門のようなスタイルで、かつては公家大名でもこの門からは槍を伏せ馬を下りて通行したという門である。現存する黒門は昭和60年の改築だそうだ。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5.6 1/500秒 94mm ISO450 ) 露出補正 なし
053_2304060544 X900 吉野山 黒門 Z50 Z18-140.jpg 53.黒門
金峰山寺(きんぷせんじ)の総門ということだが、「金峯山」とは単独の峰の呼称ではなく、吉野山(奈良県吉野郡吉野町)と、その南方20数kmの大峯山系に位置する山上ヶ岳(奈良県吉野郡天川村)を含む山岳霊場を包括した名称だそうだ。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 23mm ISO160 ) 露出補正 なし
054_2304060547 X900 吉野山 黒門 Z50 Z18-140.jpg 54.黒門の千社札
柱には千社札が貼られていた。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.0 1/500秒 33mm ISO200 ) 露出補正 なし
055_2304060549 X900 吉野山 Z50 Z18-140.jpg 55.吉野の葛餅
「歌藤御芳堂」という和菓子屋さんがあった。手造りで葛菓子、葛湯を作っている。吉野は「くず」が有名である。吉野地方の山野に自生する葛の根より極寒の時、吉野川の清流を以て精製する滋養分に富む純良潔白の最高級の澱粉だそうだ。 この葛根の澱粉100%の物を「吉野本葛」、葛根を50%以上の主原料として甘藷を混ぜ合わせたものを「吉野葛」という。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.5 1/500秒 44mm ISO250 ) 露出補正 なし
056_2304060553m X900 〇吉野山 銅鳥居 Z50 Z18-140.jpg 56.銅鳥居
黒門から上り坂を登った小高いところに銅鳥居がある。前の写真の葛餅の店のすぐ上になる。高さ約7.5m、柱の周囲約3.3m、すべて銅製。太平記には、正平3年(1348年)1月28日に、足利尊氏の執事であった高師直の兵火に焼け落ちたことが記されているという。その高師直の兵火で焼失したあと、室町時代に再建されたものだそうだ。重要文化財である。正しくは発心門。山上ヶ岳までの間に発心・修行・等覚・妙覚の四門があり、これが最初の門にあたる。行者たちはここから向こうを冥土と見たて、ひとつ門をくぐるごとに俗界を離れて修行する決心を強めていった。曇り空を背景に黒いものを撮るのはむずかしい。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5.0 1/500秒 55mm ISO110 ) 露出補正 なし
057_2304060558 X900 吉野山 Z50 Z18-140.jpg 57.金峯山寺前バス停
保存修理工事が行われている金峯山寺の仁王門の傍へ来た。そこに「金峯山寺前」というバス停があった。こんなに観光客がいっぱい歩いているところで、バスが通っているのか不思議に思った。調べてみると、吉野大峯ケーブル自動車(株)の「吉野山奥千本ライン」という、吉野神宮ー吉野山駅ー金峯山寺前ー竹林院前ー奥千本口を行く路線バスが運行されている。但し観桜期は 竹林院前⇔奥千本口 のみの運行なのでここにバスは来ない。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.0 1/500秒 29mm ISO125 ) 露出補正 なし
058_2304060559 X900 吉野山 Z50 Z18-140.jpg 58.竜門岳<br> 空が明るくなって、下千本の向こうに竜門山系の主峰、標高904mの竜門岳がくっきりと見えた。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR<br> プログラムオートで撮影  ( f4.8 1/500秒 45mm ISO100 ) 露出補正 なし
059_2304060563 X900 吉野山 金峯山寺 Z50 Z18-140.jpg 59.二天門跡石段
金峯山寺の薬王堂という石柱のある石段の前にきた。石段の向こうに蔵王堂の屋根が見える。蔵王堂の拝観券はツアコンさんから配られた。先に吉水神社を拝観して、後で各自、蔵王堂に上がって内部を見てほしいとのことだった。かつて二天門は大峯山から出峰してきた行者を迎えていた。二天門跡では鎌倉時代末期の1333年(元弘3年)1月16日に鎌倉幕府軍が攻め寄せた際、村上義光が大塔宮護良親王(だいとうのみやもりながしんのう)の身代わりになって切腹したと言われ、石柱「村上義光公忠死之所」が建立されている。二天門は南北朝時代に焼失し、その後再建されることはなかった。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f6.3 1/500秒 45mm ISO100 ) 露出補正 なし
060_2304060564 X900 吉野山 駐在所 Z50 Z18-140.jpg 60.吉野山駐在所
この建物は吉野警察署の吉野山駐在所だ。歴史的建造物ではないが、交番も歴史を感じさせる。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.0 1/500秒 18mm ISO100 ) 露出補正 なし
061_2304060566 X900 吉野山金峰山寺 Z50 Z18-140.jpg 61.東南院 多宝塔
駐在所のちょっと先に東南院がある。wikipediaによると、東南院(とうなんいん)は、金峯山修験本宗の別格本山の寺院。山号は大峯山。本尊は役行者像。大峰山の持護院である。開基は役行者(えんのぎょうじゃ)で役行者霊蹟札所でもある。役行者とは7世紀後半の山岳修行者で本名は役小角(えんのおづぬ)という。役優婆塞(えんのうばそく)ともいう。日本の山岳宗教である修験道(しゅげんどう)の開祖として崇拝され、江戸末期には神変大菩薩(じんぺんだいぼさつ)の諡号(しごう)を勅賜されたという。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR プログラムオートで撮影  ( f8.0 1/500秒 18mm ISO100 ) 露出補正 なし
062_2304060569 X900 吉野山 金峰山寺 Z50 Z18-140.jpg 62.金峯山寺蔵王堂遠望
ツアコンさんに案内されて吉水神社へ上がる石段お前に来た。中千本と言われるあたりまで登ってきたのだ。振り返ると、金峯山寺の蔵王堂と愛染堂の屋根が見える。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5.6 1/500秒 91mm ISO100 ) 露出補正 なし