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2020年1月13日

神楽坂から飯田橋へ 12月21日

忘年会が続く。今日で4日連続である。現役時代と違うのは、ほとんどが昼の会であるということだ。この日は12時から情報システム部時代名残りの忘年会が、神楽坂であった。
会は3時に終わった。この日は東京駅丸の内のイルミネーションを撮りに行こうかと思っていたのだが、イルミネーションにはまだ時間が早い。来た時に地下鉄東西線の神楽坂駅で降りたが、改札を出て表に上がると赤城神社があった。会の終了後、そこまで戻り、赤城神社に参拝したあと、ゆっくりと神楽坂の通り(早稲田通り)をJR飯田橋駅西口まで下りた。

1.赤城神社鳥居
神楽坂通を北へ入ると、地下鉄神楽坂駅の入り口の先に朱塗りの赤城神社の鳥居が見えた。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
シャッタースピード優先オートで撮影 ( f2.5 1/125秒 15mm ISO125 ) 露出補正 なし
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2.赤城神社 社殿
正面に社殿があった。参拝の列ができていたので、その列に並ぶ。しかし、正面がガラス張りの何とも斬新な社殿である。鎌倉時代の正安2年(1300年)、群馬県に鎮守されている赤城神社の分霊を祀ったのが、この神社のはじまりといわれている。寛正元年(1460年)、江戸城を築城した太田道灌により牛込台に移された。その後、弘治元年(1555年)、大胡宮内少輔により現在地に移される。江戸時代には徳川幕府によって江戸大社の一つとされ、牛込の鎮守として信仰を集めた。 太平洋戦争の戦災により、社殿全焼し、昭和26年に本殿を再建、昭和34年に拝殿、幣殿が再建されていたが、平成22年(2010年)9月に「赤城神社 再生プロジェクト」に伴う建て替えが完成した。平成23年(2011年)10月には2011年度グッドデザイン賞を受賞しているそうだ。デザイン監修は、地元神楽坂に在住し同神社の氏子でもある、建築家の隈研吾さんが担当したそうだ。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
シャッタースピード優先オートで撮影 ( f2.2 1/125秒 14mm ISO1000 ) 露出補正 なし
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3.蛍雪天神 本宮
境内社として赤城神社社殿に向かって左側に蛍雪天神があった。祭神は菅原道真である。説明板には「古来より天神様として民衆に崇め奉られています。ご祭神は学問の神様菅原道真公を祀ります。この神社はかって横寺町に鎮座し朝日天満宮と称されておりました。江戸二十五社の一つに列しておりましたが、その後信徒なき為、明治九年三月当境内に御遷座。その後戦災により焼失したものを平成十七年十月、現在横寺町にある旺文社のご寄進により蛍雪天神として復興しました。社名額には社長赤尾文夫奉納の銘がある。蛍雪とは中国の故事で、苦労して勉学に励むことを意味します。全国の受験生の皆さん、蛍雪天神はそんな皆さんを応援しています。」と記されていた。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
シャッタースピード優先オートで撮影 ( f2.2 1/125秒 9mm ISO1000 ) 露出補正 なし
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4.社殿と茅の輪
赤城神社の主祭神は岩筒雄命、赤城姫命。どんなご利益があるのかわからないが、赤城神社は女性の願いを叶えてくれる話題のパワースポットだそうで、女性が多く訪れている。「東京で一番オシャレな神社」としても有名になっている。 茅の輪があったが、潜れないように柵が置かれていた。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
シャッタースピード優先オートで撮影 ( f2.5 1/125秒 15mm ISO200 ) 露出補正 なし
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5.社殿と狛犬
小さめの狛犬は何かデフォルメされたように見えるが実はそうではないらしい。説明板には「江戸時代、加賀白犬とよばれて流行りましたが、残っているものはわずかです。型や表情はシンプルで、スフィンクスに似ていますが、胸を張り力がみなぎっています。高天原からかみさまのお供をしてきたような表情で澄まして座っていますが前肢は力強く全体に緊張感がみなぎっています。」とあった。古い時代の神殿狛犬の系譜を引くと思われる小型の石造狛犬が、石川県、福井県、岐阜県など白山を仰ぎ見る地域に多く残っていて、それらは「白山狛犬」とも呼ばれているそうだ。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
シャッタースピード優先オートで撮影 ( f2.5 1/125秒 18mm ISO160 ) 露出補正 なし
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6.善國寺 石虎
神楽坂通りを飯田橋のほうへ下りて来ると右側に 善國寺があった。ここは以前にお参りしたことがある。善國寺(ぜんこくじ)は、安土桃山時代の文禄4年(1595年)、池上本門寺第12代貫主である日惺上人により、文禄4年(1595年)馬喰町に創建された日蓮宗の寺院。 たびたび火災に見舞われ、麹町を経て寛政5年(1793年)には現在地へ移転した。wikipediaによれば、本堂の左右には神社の狛犬のように阿吽一対の狛虎像が置かれている。案内板には「石虎」と表記され、制作は江戸時代後期のもので、保存状態は、向かって右側の阿形(写真)が比較的良く残っている。向かって左の吽形には全身にヒビ割れや多少の欠けと縞模様に若干の磨耗がありこれは東京大空襲による損傷とその後の修復の痕とされる。虎の作風は頭部が扁平し前肢が長大でどちらかといえば類人猿にも近い印象の肉付きの良い作風の像である。台座部にも虎のレリーフ彫刻が施されている。とあった。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
シャッタースピード優先オートで撮影 ( f1.8 1/125秒 9mm ISO500 ) 露出補正 なし
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7.善國寺毘沙門天
本尊の毘沙門天は江戸時代より「神楽坂の毘沙門さま」として信仰を集め、芝正伝寺、浅草正法寺とともに江戸三毘沙門と呼ばれた。 現在は新宿山ノ手七福神の一つに数えられているという。像高30cm、木造の毘沙門天像。製作時期は不明。開山の日惺上人が池上本門寺へ入山する際、関白二条昭実より贈られたとされる。なお通常は御簾が掛かっているため像を直接見ることはできない。(wikipedia)

  Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
シャッタースピード優先オートで撮影 ( f1.8 1/125秒 9mm ISO320 ) 露出補正 なし
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8.善國寺 浄行菩薩
本堂左に回ってみると浄行菩薩があった。身代わり菩薩としても知られている。柄杓で水をかけて、自身の悪い部分を置いてある布でゴシゴシこすりながら願い事をするのだそうだ。

  Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
シャッタースピード優先オートで撮影 ( f2 1/125秒 9mm ISO1250 ) 露出補正 なし
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9.江戸城外堀跡 牛込御門跡
善國寺を出て、JR飯田橋駅西口のほうへ神楽坂を下る。神楽坂下の交差点を渡って、JRの跨線橋を行くと右手に、「史跡 江戸城外堀跡 牛込見付(牛込御門)跡」との説明書きがあった。石垣は江戸城外郭門のひとつである牛込見付の一部だ。江戸城の外郭門は敵の進入を発見し防ぐために、二つの門を直角に配置した「枡形門」という形式だった。この牛込見付は、外堀が完成した寛永13年(1636年)に阿波徳島藩主蜂須賀忠英(松平阿波守)によって石垣が建設されていると説明されていた。明治35年に石垣の大部分が撤去されたが、その名残である。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
シャッタースピード優先オートで撮影 ( f2.2 1/125秒 13mm ISO250 ) 露出補正 なし
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10.日本基督教団 富士見町教会
早稲田通りの牛込見付の交差点の右側に立派な教会が見えた。植村正久によって設立されたプロテスタント教会を代表する教会は1887年に千代田区三番町に日本基督一致教会 番町教会が設立された。1906年には富士見町6丁目3番地に建設した新会堂に移ったが、1923年関東大震災で教会堂は全焼したため、新しい土地の払下げを受け、1929年7月15日に新会堂を建設する。その後1985年に建て替えられ、市街地再開発に伴い(飯田橋グラン・ブルーム)2013年8月に再度建て替えを行った。これが現在の会堂である。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
シャッタースピード優先オートで撮影 ( f2.8 1/125秒 23mm ISO160 ) 露出補正 なし
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11.JR飯田橋駅西口から神楽坂(早稲田通り)を振りかえる
飯田橋とは、実はもうひとつ水道橋寄りの、目白通りに架かる橋で、1881年(明治14年)、交通の便のため、新たに外濠を跨ぐ橋が架けられ、飯田町に接する橋であることから「飯田橋」と命名された。橋梁としての「飯田橋」は、目白通りが外堀を渡る短い橋である。写真は飯田橋駅の西口の「牛込橋」から、まっすぐ神楽坂通り(早稲田通り)を振り返った。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
シャッタースピード優先オートで撮影 ( f2.8 1/125秒 37mm ISO250 ) 露出補正 なし
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2014年11月27日

神楽坂界隈を歩く 11月14日


  この日、中学時代のクラス会が市ヶ谷で行われる。毎年20人くらいが集まる。
  さて、私は神楽坂をゆっくり歩いたことがない。クラス会が始まる前の時間を利用して、散策してみることにした。神楽坂は市ヶ谷から近い。

  午後3時半過ぎ、JRを飯田橋駅で下り、少々長い通路を歩いて西口に出る。右へ行くと外堀通りを渡って、まっすぐに神楽坂通りだが、その前に少し、左へ行って、牛込見付跡を見てみたいと思っていた。しかし、外堀が完成した寛永13年(1636年)に建設されたされたという石垣が残っているだけだった。それでも、この見附は江戸城外堀跡の見附の中でも、最もよく当時の面影を残しているという。
  外堀通りに出て、神楽坂下の交差点を渡ると神楽坂通りの入り口だ。路地をのんびり歩いてみたい。

1.牛込橋
飯田橋駅西口を出ると目の前が牛込橋だ。案内板があった。江戸城から牛込への出口にあたる牛込見付(牛込御門)の一部をなす橋で、「牛込口」とも呼ばれる重要な交通路だった。最初の橋は寛永13年(1636年)に外堀が開かれた時に造られたが、その後の災害や老朽化により何回も架け替えられた。現在の橋は平成8年3月に完成した鋼橋であると記されている。

Canon PowerShot G12 f2.8-4.5 6.1- 30.5 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/250秒 7mm ISO200 ) 露出補正 -0.3段
牛込橋;クリックすると大きな写真になります。
2.神楽坂下 神楽坂通り入り口
外堀通りの神楽坂下交差点を渡って、神楽坂通り商店街を上がり始める。早稲田通りともいう。神楽坂通りを説明する柱が立っていて、坂名の由来は、坂の途中にあった高田八幡(穴八幡)の御旅所で神楽を奏したから、津久戸明神が移ってきたときにこの坂で神楽を奏したから、若宮八幡の神楽が聞こえたから、この坂に赤城明神の神楽堂があったからなど、いずれも神楽にちなんだ諸説があるとされている。

Canon PowerShot G12 f2.8-4.5 6.1- 30.5 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/125秒 14mm ISO200 ) 露出補正 -0.3段
神楽坂下 神楽坂通り入り口 ;クリックすると大きな写真になります。
3.神楽小路
神楽坂通りを上がり始めて、すぐ右側に神楽小路という路地があった。この神楽小路は昔は紀ノ善横丁と呼ばれていたそうだが、通り名変更となった際に神楽坂を最初に入った右側にある横丁なので神楽小路という名前が付いたのだと言われている。(東京 神楽坂ガイド)を参照

Canon PowerShot G12 f2.8-4.5 6.1- 30.5 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/50秒 6mm ISO200 ) 露出補正 -0.3段
神楽小路;クリックすると大きな写真になります。
4.かくれんぼ横丁
一旦、神楽坂通りに戻り、次の神楽坂仲通りに入る。その神楽坂仲通りの2本目の路地、かくれんぼ横丁に入ってみる。石畳の小道は趣があり、黒塀に囲まれた料亭などが軒を連ね、江戸の佇まいを今に伝える場所のようだ。

Canon PowerShot G12 f2.8-4.5 6.1- 30.5 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/125秒 6mm ISO200 ) 露出補正 -0.3段
かくれんぼ横丁;クリックすると大きな写真になります。
5.かくれんぼ横丁の突き当たり
かくれんぼ横丁を突き当たると、白壁と黒い格子塀の割烹があった。かくれんぼ横丁は、「お忍びで遊びに来た人を後ろからつけてきても、横に入られるとわからなくなる」ところから名付けられた横丁だそうだ。(東京 神楽坂ガイド)を参照

Canon PowerShot G12 f2.8-4.5 6.1- 30.5 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/200秒 6mm ISO200 ) 露出補正 -0.3段
かくれんぼ横丁の突き当たり;クリックすると大きな写真になります。
6.本多横丁
かくれんぼ横丁の突き当りを右に折れて、左に行くと本多通りに出た。にぎやかに人が行き交う。神楽坂には横丁が沢山あるが、この本多横丁は神楽坂にある横丁では最も大きい横丁だそうだ。むかし、江戸時代の大名格の武家で石高一万五百石本多家の屋敷があったことから本多横丁と呼ばれるようになったとのこと。(東京 神楽坂ガイド)を参照

Canon PowerShot G12 f2.8-4.5 6.1- 30.5 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/200秒 6mm ISO200 ) 露出補正 -0.3段
本多横丁;クリックすると大きな写真になります。
7.芸者新道
本多横丁を神楽坂通りのほうへ戻り、途中を左へ、芸者新道を下る。それにしても、いろいろな横丁があるものだ。芸者新道は、神楽坂に待合や置屋、料亭が集まっていた頃の花柳界の名残を名に残す路地で 神楽坂仲通りから本多横丁に抜ける路地だ。神楽坂仲通りからまっすぐで緩やかな坂になっている。神楽坂の花柳界は江戸後期の安政4年(1857)に誕生し、当時は「牛込花街」と言っていたそうである。現在は料亭8軒と芸妓さん30名前後ということだ。(東京 神楽坂ガイド)を参照

Canon PowerShot G12 f2.8-4.5 6.1- 30.5 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/400秒 18mm ISO200 ) 露出補正 -0.3段
芸者新道;クリックすると大きな写真になります。
8.毘沙門天善國寺
いったん神楽坂通りに戻り、右のほうへ少し上がっていくと、道路の反対側に毘沙門天善國寺があった。この毘沙門天善國寺は桃山時代末の文禄4(1595)年に創設された。寺の位置は変遷しており、日本橋馬喰町馬場北の先にあったこともあったが、寛政4(1792)年の火事により、この神楽坂へ移転したそうだ。また、昭和20年の東京大空襲でも失われたが、昭和26年に再建されている。(東京 神楽坂ガイド)参照

Canon PowerShot G12 f2.8-4.5 6.1- 30.5 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/400秒 6mm ISO200 ) 露出補正 -0.3段
毘沙門天善國寺;クリックすると大きな写真になります。
9.伏見火防稲荷
毘沙門天にお参りして、神楽坂通りを下るとすぐのところに見番横丁の入り口があり、入ってすぐのところに伏見火防稲荷があった。ふつう伏見稲荷というと商売繁盛・五穀豊穣の神社だろうが、ここは火防稲荷という。狭い路地にお店や家が建て混んだ花街ならではの祈りが感じられる 神社名だ。

Canon PowerShot G12 f2.8-4.5 6.1- 30.5 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/50秒 6mm ISO200 ) 露出補正 -0.3段
伏見防火稲荷;クリックすると大きな写真になります。
10.見番
伏見火防稲荷の向こうに東京神楽坂組合稽古場という札が下がった玄関があった。傍に見番横丁の案内柱が立っていて、そこには「芸者衆の手配や稽古を行う見番が沿道にあることから名づけられた。稽古場からは時折、情緒ある三味線の音が聞こえてくる」と記されていた。

Canon PowerShot G12 f2.8-4.5 6.1- 30.5 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/100秒 8mm ISO200 ) 露出補正 -0.3段
見番;クリックすると大きな写真になります。
11.居酒屋の名店
また神楽坂通りに戻り、毘沙門天善國寺の前の路地を入ってみる。突き当りの右側に、縄のれんが掛かった古い日本家屋の店があった。開店前の入り口には「伊勢藤」という名板が掛かっている。見たところ、何の店なのかよくわからない。後で調べてみると、ここはすごい居酒屋だった。昭和11(1936)年に創業。現在の建物は、昭和23(1948)年に、戦前の建物を復元する形で建てられたのだそうだ。酒は燗酒で灘の「白鷹」ひと銘柄のみ。ビールはない。肴は燗酒2本までは、一汁四菜が出され、3本めから、1本増えるごとに、1品ずつ、少量の酒の肴を出してくれるという。

Canon PowerShot G12 f2.8-4.5 6.1- 30.5 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4.5 1/13秒 30mm ISO200 ) 露出補正 -0.3段
居酒屋の名店;クリックすると大きな写真になります。
12.兵庫横丁
伊勢藤の角を左へ曲がると、右手に石畳の兵庫横丁という小道があった。この兵庫横丁は、神楽坂界隈の最も古い道とのことで、鎌倉時代から当時の要衝だったという。兵庫横丁は武器商人の町であったことから、その名がついたと言われる横丁で、なぜ兵庫横丁と呼ばれるのかというと、兵庫とは「兵=つわもの、庫=ぐら」のことで、「兵器を納めておく倉、すなわち、兵器庫」なのだそうだ。(東京 神楽坂ガイド)を参照

Canon PowerShot G12 f2.8-4.5 6.1- 30.5 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/60秒 6mm ISO200 ) 露出補正 -0.3段
兵庫横丁;クリックすると大きな写真になります。
13.かくれんぼ横丁へ戻る
兵庫横丁は軽子坂という通りに抜ける。それを右へ、軽子坂を下る。本多横丁を通り越して、神楽坂仲通りの手前を右に入ると、また、かくれんぼ横丁に出た。中華や、フレンチの店もある。

Canon PowerShot G12 f2.8-4.5 6.1- 30.5 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/50秒 6mm ISO200 ) 露出補正 -0.3段
かくれんぼ横丁へ戻る;クリックすると大きな写真になります。
14.軽子坂
再び軽子坂に戻り、外堀通りのほうへ下る。神楽坂仲通りの先に、比内地鶏の店があった。軽子とは軽籠持の略称であり、今の飯田濠にかつて神楽河岸があり、 船荷を軽籠に入れ江戸市中に運搬することを職業とした人がこの辺りに多く住んでいたことからその名がつけられたそうである。(東京 神楽坂ガイド)を参照

Canon PowerShot G12 f2.8-4.5 6.1- 30.5 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/60秒 6mm ISO200 ) 露出補正 -0.3段
軽子坂;クリックすると大きな写真になります。
15.神楽小路
軽子坂の神楽坂仲通りの入り口を通り越して、その先の神楽小路を右に入り、神楽坂通りに戻った。いろいろな横丁を巡ってみて、多くの飲食店を見たが、格調高い落ち着きがあって、趣向を凝らした店構えは飽きなかった。次回は歩くだけでなく、店の中に入ってみなくてはいけない。いろいろな横丁を歩いたが、道筋については、あとで神楽坂商店街ホームページに掲載されている地図を参考にさせていただいた。

Canon PowerShot G12 f2.8-4.5 6.1- 30.5 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/50秒 12mm ISO200 ) 露出補正 -0.3段
神楽小路;クリックすると大きな写真になります。
16.富士見町教会
JRの飯田橋駅西口に戻ってきた。目の前にひときわ明るい建物が見えた。飯田橋駅西口の再開発計画により、昨年10月に竣工した富士見町教会の新しい教会堂である。富士見町教会は1886年に設立され,現在の場所に教会堂が出来てから87年が経過していたそうだ。

Canon PowerShot G12 f2.8-4.5 6.1- 30.5 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/80秒 14mm ISO200 ) 露出補正 -0.3段
富士見町教会;クリックすると大きな写真になります。
17.飯田橋サクラテラス
富士見町教会の右手には、「SAKURA TERRACE」と書かれた建物が完成していた。三井不動産が中心となり、JR飯田橋駅西口の東京警察病院跡の再開発事業のオフィス・商業棟「飯田橋グラン・ブルーム」(地上30階・地下2階)の商業ゾーンとして、今年10月10日にオープンしたばかりだ。夕暮れ時のイルミネーションがきれいだ。

Canon PowerShot G12 f2.8-4.5 6.1- 30.5 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/125秒 14mm ISO200 ) 露出補正 -0.3段
飯田橋サクラテラス;クリックすると大きな写真になります。
18.牛込橋のたもとの灯り
5時を回った。「秋の日は釣瓶落とし」というように、すっかり暗くなってきている。牛込橋のたもとに灯りがついた。少し早いが、JRの一駅先の市ヶ谷へ向かった。

Canon PowerShot G12 f2.8-4.5 6.1- 30.5 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4.5 1/8秒 30mm ISO200 ) 露出補正 -0.3段
牛込橋のたもとの灯り;クリックすると大きな写真になります。