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2022年12月 5日

金沢紀行 11月20日~22日 その3 兼六園① 11月21日

今回の旅行は雨に降られなければ幸いと思っていた。昨日も時々傘をさしての散策だった。ところが今朝(11/21)起きると見事な晴天である。嬉しい。
 ホテルで朝食をとって、タクシーに乗って兼六園へ行こうと思う。ところが通勤ラッシュで、ホテルの前の幹線道路は車の数が多く、タクシーの空車などは来ない。仕方なく、香林坊の方に向けて歩き出す。歩きながら、タクシーが来ないかと見ているが、やはり空車は来ない。香林坊の交差点を右へ曲がる。人に道を尋ねながら20分ほど歩き、右手に石浦神社が現れた。その石浦神社と石川城方面へのお堀通りの間を行くと兼六園の真弓坂口があった。多くの観光客は石川城に面する桂坂口から入るので、ここは人が少なかった。
 8時40分に真弓坂口から兼六園に入り、瓢池の右側を栄螺山のほうに歩き、霞ヶ池に出た。内橋亭や蓬莱島、そして徽軫灯籠を眺め、写真を撮りながら、霞ヶ池の右(東側)を歩く。すでに雪吊りが施された唐崎松を見て、徽軫灯籠を見に行った。徽軫灯籠は桂坂口から近い。観光客が増えてきた。
 そこから東へ、展望台から金沢の街並みを眺め、兼六園の七つある料金所の一つである上坂口へ歩いた。

000_221121537 X700 〇金沢 兼六園 霞ヶ池 徽軫灯籠 Z50 Z18-140.jpg
虹橋からみた霞ヶ池と徽軫灯籠 2022年11月21日 金沢市 兼六園霞ヶ池

062_221121440 X800 金沢 石浦神社 Z50 Z18-140.jpg 62.石浦神社
石浦神社は2013年10月に能登半島をドライブ旅行をした折、21世紀美術館を見たいと、金沢に立ち寄ったが、その時に道路(本多通り)を挟んで反対側にあるこの神社にお参りしている。石浦神社は古墳時代に初めて建てられた金沢最古の神社といわれる。金沢城地の土地神として歴代藩主の崇敬も厚く、2代藩主利長は社殿を再建、5代藩主綱紀は安産祈願をしたといわれている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 18mm ISO500 ) 露出補正 なし
063_221121441 X800 金沢 兼六園 真弓坂口 Z50 Z18-140.jpg 63.兼六園真弓坂口 -1
真弓坂口は、1874年(明治7年)、兼六園が正式に一般解放された時に、開かれた坂道だそうだ。桂坂口に次いで観光客の多い入口である。ここはまだ料金所へのアプローチの道だ。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.8 1/500秒 26mm ISO4000 ) 露出補正 なし
064_221121443 X800 金沢 兼六園 真弓坂口 Z50 Z18-140.jpg 64.兼六園真弓坂口 -2
料金所に向かう柵の中に入ると、静寂な道が続き、真っ赤なもみじの葉が昨日の雨で濡れた地面に落ちていた。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.3 1/500秒 35mm ISO5600 ) 露出補正 なし
065_221121444 X800 〇金沢 兼六園 真弓坂口 Z50 Z18-140.jpg 65.兼六園真弓坂口 -3
料金所までの道には黄色い葉が落ちている。イチョウかと思ったが、カエデのようだ。オオモミジだろうか。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.8 1/500秒 47mm ISO2000 ) 露出補正 なし
066_221121449m X800 〇金沢 兼六園 真弓坂口 Z50 Z18-140.jpg 66.兼六園真弓坂口 -4
道に黄色い落ち葉が敷き詰められている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.8 1/500秒 28mm ISO2000 ) 露出補正 なし
067_221121457 X800 〇金沢 兼六園 真弓坂口 Z50 Z18-140.jpg 67.兼六園真弓坂口 -5
料金所から中に入る。入園料は大人一人310円だが、65歳以上は証明書を提示すれば無料で入園できる。ありがたい。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.8 1/500秒 27mm ISO560 ) 露出補正 なし
068_221121455 X800 〇金沢 兼六園 真弓坂口 Z50 Z18-140.jpg 68.兼六園真弓坂口 -6
改めて振り返って黄色い葉を落としていた木を見る。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4 1/500秒 30mm ISO1400 ) 露出補正 なし
069_221121462m X800 〇金沢 兼六園 瓢池 Z50 Z18-140.jpg 69.兼六園真弓坂口 -7
これはイロハモミジやオオモミジではなさそうだ。いろいろな木が黄葉、紅葉している。地面に敷き詰められた落ち葉はきれいである。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4 1/500秒 34mm ISO2800 ) 露出補正 なし
070_221121466 X800 〇金沢 兼六園 瓢池-霞ヶ池 Z50 Z18-140.jpg 70.栄螺山への道
左手に木漏れ日が差す木々の間から瓢池を眺め、まっすぐ栄螺山、霞ヶ池の方へ進む。栄螺山は、第13代藩主斉泰(なりやす)が、隣にある霞ヶ池を作るために、池の底を掘った時の土を盛って作られた山だそうだ。高さは9mとか。頂上へ登る道は、時計回りでぐるぐるとうずを巻き、まるで栄螺の殻を思わせることからその名が付いたという。「現地ガイドが配信する金沢観光メニュー」というサイトには、山頂から眺める霞ヶ池は神秘的な雰囲気を漂わせていると書かれていたが、上るのはパスしてしまった。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.8 1/500秒 25mm ISO280 ) 露出補正 なし
071_221121475 X800 〇金沢 兼六園 瓢池-霞ヶ池 Z50 Z18-140.jpg 71.絞りの椿
真弓坂口から栄螺山へ歩く途中の右側に休憩所があり、係の女性が竹ぼうきで落ち葉を集めておられた。「おはようございます」と挨拶をする。「きれいな椿が咲いてますよ」と教えてくれた。絞りの入った椿だった。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.8 1/500秒 140mm ISO3600 ) 露出補正 なし
072_221121483 X800 〇金沢 兼六園 霞ヶ池 蓬莱島 Z50 Z18-140.jpg 72.霞ヶ池の蓬莱島
霞ヶ池は、兼六園内の中心に位置し、広さが約5,800㎡(1,800坪)あり、園内で最も大きな池である。霞ヶ池は、日本庭園の手法の一つ、借景という技法で設計されていて、園外にある卯辰山を遠景、霞ヶ池の内橋亭を近景、真ん中の中景となる蓬莱島が浮島に見えるという演出になっているそうだ。霞ヶ池の真ん中にある蓬莱島は眺を楽しむ島なので渡ることはできない。蓬莱島の蓬莱とは、古代中国で仙人が住むといわれている蓬莱山のことで、大きな亀の背中にある山と言われている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5.6 1/500秒 18mm ISO100 ) 露出補正 なし
073_221121488m X800 〇金沢 兼六園 霞ヶ池徽軫灯籠 Z50 Z18-140.jpg 73.霞ヶ池と徽軫灯籠
霞ヶ池の南側に立ち左手に内橋亭を見ている。前回訪れたときはこの位置から徽軫灯籠を見ていない。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f6.3 1/500秒 140mm ISO280 ) 露出補正 なし
074_221121490 X800 〇金沢 兼六園 霞ヶ池 内橋亭 Z50 Z18-140.jpg 74.内橋亭と徽軫灯籠
桂坂口から入ってきて徽軫灯籠を見ると、霞は池の向こうの右側に内橋亭fが見える。兼六園のホームページによれば、内橋亭はかつて蓮池庭内にあった四亭の一つで、霞ヶ池の西南岸に設けられた水亭。蓮池馬場の馬見所に建てられていたものを、明治7年(1874年)、現在の場所に移築したそうだ。栄螺山のうっそうとした樹々を背景に、石脚で支えられたこの亭は、まるで水面に浮かんでいるような印象を与える。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR プログラムオートで撮影  ( f5.3 1/500秒 70mm ISO320 ) 露出補正 なし
075_221121491 X800 〇金沢 兼六園 霞ヶ池 内橋亭 Z50 Z18-140.jpg 75.内橋亭 -1
陽の光をいっぱいに浴びて輝き、水面に影を映していた。今は食事処となっていて池の上に立つ水亭と手前の部屋の間に橋が掛かっていることから「内橋亭」と呼ばれている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5.6 1/500秒 85mm ISO140 ) 露出補正 なし
076_221121494 X800 金沢 兼六園 霞ヶ池 内橋亭 Z50 Z18-140.jpg 76.内橋亭 -2
写真で見える左側が入口で、その建物は食事処になっている。メニューには、親子丼、玉子丼、蕎麦、和菓子付きの抹茶などがあるそうだ。この位置からだとその建物と水亭の間に架かる橋が見える。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4 1/500秒 32mm ISO140 ) 露出補正 なし
077_221121508m X800 〇金沢 兼六園 霞ヶ池 内橋亭 Z50 Z18-140.jpg 77.霞ヶ池に映る徽軫灯籠
霞ヶ池に沿って北へ歩く。霞ヶ池の北岸に配された、兼六園を代表する景観である。徽軫灯籠は足が二股になっていて、琴の糸を支える琴柱(ことじ)に似ているのでその名が付いたと言われている。この灯籠は水面を照らすための雪見灯籠が変化したもので、高さは2.67m。要綱を浴びた徽軫灯籠の2本の足が開いたように水に映り、その姿はひし形を作っている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f6.3 1/500秒 140mm ISO220 ) 露出補正 なし
078_221121511 X800 〇金沢 兼六園 霞ヶ池 雪吊り 唐崎松 Z50 Z18-140.jpg 78.唐崎松
13代藩主 斉泰(なりやす)が近江八景の一つ、琵琶湖畔の唐崎松から種子を取り寄せて育てた黒松。兼六園のなかで最も枝ぶりの見事な木である。雪の重みによる枝折れを防ぐため、冬にほどこされる雪吊りは兼六園ならではの風物詩となり、他の庭園では見られない、趣深い風情を織りなす。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f7.1 1/500秒 28mm ISO100 ) 露出補正 なし
079_221121519 X800 〇金沢 兼六園 霞ヶ池 雪吊り 唐崎松 Z50 Z18-140.jpg 79.霞ヶ池に映る唐崎松
雪吊された唐崎松が霞が池の水面に映っている。雪吊りの作業は、11月1日にこの唐崎松を皮切りに、12月中旬頃まで行われる。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 20mm ISO200 ) 露出補正 なし
080_221121520 X800 〇金沢 兼六園 霞ヶ池 雪吊り 唐崎松 Z50 Z18-140.jpg 80.雪吊された唐崎松
徽軫灯籠とともに、兼六園を代表する景観である。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5 1/500秒 30mm ISO110 ) 露出補正 なし
081_221121522 X800 〇金沢 兼六園 月見灯籠 Z50 Z18-140.jpg 81.唐崎松と月見灯籠
曲水(庭園などの中を曲がりくねりながら流れる水)が霞ヶ池に流れ落ちる所に架かる月見橋の袂に建てられた、園内唯一の月見燈籠である。見事な枝ぶりを誇る唐崎松の右側に佇んでいる。月見灯籠の近くには月見橋もあって、月見灯籠・月見橋・唐崎松・曲水の四者が一景を成している。月見灯籠は高さ2.1mあり、石材は御影石製だそうだ。満月をイメージしたデザインなのか、笠や中台、火口、竿は円形としている。笠は直径1.9m程あり、火袋には四方に丸い火照口を持たせている。全体的に丸みを帯び、やわらかな印象を与える燈籠だった。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5 1/500秒 20mm ISO110 ) 露出補正 なし
082_221121531 X800 〇金沢 兼六園 霞ヶ池 徽軫灯籠 Z50 Z18-140.jpg 82.虹橋と徽軫灯籠
唐崎松から雪見橋を渡った先には、月見橋、虹橋が曲水に架かる。月見橋は徽軫灯籠を眺める一方通行の出口になっていて、桂坂口の方にある虹橋が入口になっていた。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.2 1/500秒 32mm ISO180 ) 露出補正 なし
083_221121534 X800 〇金沢 兼六園 霞ヶ池 徽軫灯籠 Z50 Z18-140.jpg 83.虹橋から見る徽軫灯籠
前回兼六園に来たのは、2005年2月11日で、たまたま前の日の夜に雪が降り、朝早く訪れた兼六園はまだ観光客も少なく"新雪"状態だった。徽軫灯籠の傘は雪をかぶり、雪吊りされた唐崎松の枝や、雪吊りの縄には雪が積もっていた。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.2 1/500秒 37mm ISO200 ) 露出補正 なし
084_221121536 X800 〇金沢 兼六園 霞ヶ池 徽軫灯籠 Z50 Z18-140.jpg 84.徽軫灯籠と霞ヶ池と内橋亭
霞ヶ池の周囲には紅葉する木が少ない。紅橋のたもとから撮る。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.8 1/500秒 25mm ISO180 ) 露出補正 なし
085_221121538 X800 〇金沢 兼六園 霞ヶ池 内橋亭 Z50 Z18-140.jpg 85.唐崎松の雪吊りと内橋亭
すべてが霞ヶ池の水面に映る。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 22mm ISO125 ) 露出補正 なし
086_221121548 X800 〇金沢 兼六園 雁行橋 Z50 Z18-140.jpg 86.雁行橋
曲水が流れる月見橋、木橋の南側に雁行橋がある。11枚の赤戸室石を使用し、雁が夕空に列をなして飛んでいく様をかたどった「雁行橋」。石の一枚一枚が亀の甲の形をしていることから「亀甲橋」とも言われ、この橋を渡ると長生きするとされてきましたが、現在は石の磨耗が著しいため、昭和44年(1969)雁行橋が渡れなくなり、観光客が渡る代替橋として木橋が架けられたそうだ。確かにすり減った石に昨日の雨水がたまっていた。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.5 1/500秒 44mm ISO280 ) 露出補正 なし
087_221121552 X800 金沢 兼六園 七福神山 Z50 Z18-140.jpg 87.七福神山
雁行橋から少し南へ行ったところの右側に七福神山というところがあった。兼六園ホームページによれば、12代藩主 斉広(なりなが)が造営した竹沢御殿に附帯していた庭園の一部だそうだ。「福寿山」とも呼ばれるこの山は、曲水、築山、雪見灯籠など、当時の雰囲気をそのままに伝えている。また、七福神になぞらえた七つの自然そのままの石を配置しているのも大きな特徴と記されていた。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.8 1/500秒 24mm ISO125 ) 露出補正 なし
088_221121555 X800 〇金沢 兼六園 上坂口 Z50 Z18-140.jpg 88.上坂口
左手にもみじがきれいなところがあった。そこは兼六園の七つの入り口の一つである上坂口だ。料金所の女性が落ち葉を掃いておられた。写真を撮ろうと近寄ると「どうぞ」と退いて下さった。そして、「この先の山崎山は紅葉ががきれいですよ」と教えて下さった。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.3 1/500秒 36mm ISO200 ) 露出補正 なし
089_221121562 X800 〇金沢 明治紀念之標 Z50 Z18-140.jpg 89.明治紀念の標
右へ上がってみると何やら大きな銅像があった。「明治紀念の標」という。それは西南戦争で戦死した郷土軍人の霊を慰めるものだった。銅像の身長は5.5m、明治13年(1880年)日本で最初に建てられた銅像といわれていいる。両脇に植えられた赤松は「手向松(たむけまつ)」と呼ばれ、当時、京都の東西両本願寺の門跡から移されたものだそうだ。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 18mm ISO140 ) 露出補正 なし
090_221121566 X800 〇金沢 明治紀念之標 Z50 Z18-140.jpg 90.日本武尊
明治紀念の標の銅像は誰なのだろか。立札には像は日本武尊と書かれているが、正面は逆光なので顔がよくわからない。後ろへ回ってみた。自然石を積み上げ、その上に日本武尊の像を置いている。なぜ、日本武尊なのだろうか。西南戦争で戦った兵士を、九州熊襲を征伐した伝説上の英雄である日本武尊になぞらえ、加賀藩・金沢を象徴する兼六園に置くことで、明治政府との距離を縮めようとしたのだろうとの説がある。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5.3 1/500秒 72mm ISO125 ) 露出補正 なし

2022年5月 1日

小石川後楽園 4月11日

ここのところ良い天気が続いている。この日も悪くない。気温も上がりそうだ。
 東京大学大学院理学系研究科附属植物園である小石川植物園へツマキチョウの写真を撮りに行こうと、横浜から京浜急行、都営浅草線、都営三田線と乗り継いで白山で下車、10分ほど歩いて、門までたどり着く。ところが門は閉まっている。月曜日は休園日だったのだ。事前にチェックしておらず、失敗だ。それなら、目黒の都立自然教育園へ行こうと思い、念のためスマホで調べてみたところ、そこも月曜日は休園日である。
 しかたなくいったん白山駅まで戻り、どうしようかと考えた結果、この近くにある都立文化財庭園である、特別史跡・特別名勝の小石川後楽園へ行って見ることにした。都営三田線を一駅乗って春日で下りた。駅から白山通りに上がって、左を見たところ、蒟蒻閻魔(常光山源覚寺)が目に入った。お参りしていく。
 源覚寺の前の通りを南へ、東京ドームに向かって歩く。三叉路になっている後楽園駅前交差点を右(西)へ歩いて行くと、小石川後楽園の築地塀が見えてきた。塀に沿って、左に曲がると小石川後楽園の入り口があった。丁度12時になっていた。
 小石川植物園から小石川後楽園に変更したが、間違えてくる人もいるらしい。それこそ、月曜日だったためか園内は人は少なく静かだった。
 約1時間半歩いて、ひと汗かいた。ここはチョウの撮影は不向きである。キアゲハなども飛んでいたが、撮影できる状況ではない。庭園散策の一日になった。

000_220411098 X700 〇小石川後楽園 内庭 アオサギ Z50 18-140.jpg
小石川後楽園 内庭(うちにわ) 2022年4月11日 東京都文京区

001_220411010 X800 蒟蒻閻魔 常光山源覚寺 Z50 18-140.jpg 1.常光山源覚寺
都営三田線春日駅のすぐそばにあった常光山源覚寺。このお寺は再来年に開山400年になるそうだ。寛永元年(1624年) に定誉随波上人(後に増上寺第18世)によって創建された。本尊は阿弥陀三尊(阿弥陀如来、観音菩薩、勢至菩薩)。特に徳川秀忠、徳川家光から信仰を得ていたという。参拝者も多く見受けられた。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.8 1/500秒 25mm ISO180 ) 露出補正 なし
002_220411002 X800 蒟蒻閻魔 常光山源覚寺 Z50 18-140.jpg 2.常光山源覚寺の焔魔堂
江戸時代には四たび大火に見舞われ、特に天保15年(1848年)の大火では本堂などがほとんど焼失したといわれている。しかし、蒟蒻閻魔像や本尊は難を逃れたそうだ。その後も、関東大震災や第二次世界大戦からの災害からも免れている。焔魔堂の手前左手にある現在の本堂は1979年に再建されたものである。閻魔堂に安置されている「えんま王木造坐像」(文京区指定有形文化財)は、文京区の調査によると運慶派の流れをくむ鎌倉時代の作と考えられ、銘文には寛文(1672年)に仏師により修復されたことが記されているそうだ(像高約1m・ヒノキ材の寄木造り)。かがみこむようにして閻魔像を拝むように手を合わせた。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 20mm ISO720 ) 露出補正 なし
003_220411011 X800 小石川後楽園 Z50 18-140.jpg 3.小石川後楽園 北側の門
小石川後楽園の塀に沿って歩いて行くと、落ち着きのある門が見えた。後で園内図を見たが、この門の名前はなく、場所的には団体休憩所の辺りと思う。普段は使用されていないようである。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.8 1/500秒 23mm ISO320 ) 露出補正 なし
004_220411019 X800 小石川後楽園 西側築地塀の石垣 Z50 18-140.jpg 4.小石川後楽園の西側築地塀
角を曲がって、後楽園の西門入り口に向かって歩く。左側に石垣が積まれた築地塀が続く。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.8 1/500秒 23mm ISO320 ) 露出補正 なし
005_220411153 X800 小石川後楽園 石積 Z50 18-140.jpg 5.築地塀の覆いの瓦
築地塀の上部は瓦で覆われているが、そこにある家紋は徳川家の家紋である見慣れた三つ葉葵ではない。水戸徳川家であれば、当然、家紋は三つ葉葵だが、瓦の紋はそれとは異なる。これは六葉葵と呼ばれるもので、徳川家の裏家紋であるのだそうだ。なぜ裏家紋を使用したのか。一説に、2代光圀の時代といえば将軍は4代家綱、5代綱吉であり、政治の実権は幕府老中が握っていた。その老中たちが御三家の影響力を牽制するため、「御三家といえども、将軍家と同じ紋所を多用するは恐れ多い」と遠慮させたというが。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.5 1/500秒 41mm ISO1100 ) 露出補正 なし
006_220411017 X800 小石川後楽園 西側築地塀の石垣 Z50 18-140.jpg 6.築地塀の石垣
築地塀を支えている石垣を見ると、石に山という字を〇で囲った刻印があるのを見つけた。入り口である西門の前に来るとその説明板があった。それによると、小石川後楽園西側築地塀の石垣の一部は江戸城鍛冶橋北側外堀跡から出土した石垣の石材を使い、この後楽園が造られた江戸時代初期の「打ち込み接ぎ」と呼ばれる石積みの技法にて再現されている。石材には備中(岡山県)成羽藩主の(山) をはじめ、石垣を築いた大名を表す「刻印」や石割の際の「矢穴」が残っていると説明されていた。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.5 1/500秒 41mm ISO1100 ) 露出補正 なし
007_220411022 X800 小石川後楽園 西門 Z50 18-140.jpg 7.小石川後楽園西門 入り口
1629年(寛永6年)、水戸徳川家水戸藩初代藩主・徳川頼房が作庭家・徳大寺左兵衛に命じて築いた庭園を、嫡子(2代藩主)の光圀が改修、明の遺臣朱舜水(朱之瑜)の選名によって「後楽園」と命名して完成させた。名前の由来は中国の笵仲淹「岳陽楼記」の「(仁人は)天下の憂いに先だって憂い、天下の楽しみに後れて楽しむ」から名づけられた。1869年(明治2年)の版籍奉還により水戸藩邸は新政府によって接収され、敷地の東側に軍需工場である東京砲兵工廠が建設された。西側の庭園部分は保存されることになり、戦後、1952年(昭和27年)に文化財保護法に基づく国の特別史跡および特別名勝に指定された。(wikipediaを参照)

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5 1/500秒 18mm ISO100 ) 露出補正 なし
008_220411031 X800 小石川後楽園 西門 Z50 18-140.jpg 8.小石川後楽園西門 入園受付
右手の受付で、入園料をお支払いする。65歳以上は150円だった。正午になっていた。左手に簡単な食事のできる店があった。空いてはいたが、入らなかった。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 18mm ISO140 ) 露出補正 なし
009_220411133 X800 小石川後楽園 一つ松 Z50 18-140.jpg 9.一つ松
西門出入口を入って進むと、正面に大泉水という大きな池が広がっていた。そのほとりに立派な松が植わっている。この松は一つ松と呼ばれ、琵琶湖を模した大泉水に対し、近江大津の「唐崎の一つ松」を模したと伝わる。何度か植え替えられているが、二代藩主の光圀が大切にした松と言われるとの説明板があった。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5 1/500秒 18mm ISO100 ) 露出補正 なし
010_220411036 X800 小石川後楽園 Z50 18-140.jpg 10.大泉水の徳大寺岩
大泉水は後楽園の中心ともいうべき池で、蓬莱島と竹生島を配し、琵琶湖を見立てて造られたとのこと。蓬莱島の右側(南)、池のほぼ中央に大徳寺岩があり、その岩にアオサギがいた。カワウらしき黒い鳥もいる。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f6.3 1/500秒 140mm ISO400 ) 露出補正 なし
011_220411038 X800 小石川後楽園 Z50 18-140.jpg 11.大泉水のサクラ
一つ松の南側、大泉水のほとりに枝垂れ桜が咲いていた。南側は外堀通りだが、大きなビルディングが建ち並ぶ。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5.6 1/500秒 104mm ISO200 ) 露出補正 なし
012_220411045 X800 小石川後楽園 シャクナゲ Z50 18-140.jpg 12.白いシャクナゲ
北側の白糸の滝、愛宕坂の方へ歩いて行くと白いシャクナゲが咲いていた。白糸の滝は六代治保の時に造られたそうだ。その様子が千条の白糸が垂れているように見えることから、この名がつけられたと説明されている。さらに北に歩くと、京都愛宕山の坂にならって造られた四十七段の石段があった。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.5 1/500秒 40mm ISO160 ) 露出補正 なし
013_220411048 X800 小石川後楽園 円月橋 Z50 18-140.jpg 13.円月橋
少し西側を流れる水に円月橋という石橋が見えた。水面に映る形が満月のように見えることから、円月橋という名称が付けられた。明の儒学者 朱舜水による設計と言われており、後で見た得仁堂とともに当時の姿をとどめる貴重な建造物であるとのこと。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 20mm ISO280 ) 露出補正 なし
014_220411059 X800 〇小石川後楽園 九八屋 カイドウ Z50 18-140.jpg 14.九八屋とハナカイドウ(花海棠)
この季節には見るべきものがない花菖蒲田や稲田を眺めながら、東の方へ歩く。九八屋という江戸時代の酒亭を復元した建物があった。もともとの建物は、江戸時代のもののようだったが、戦災により焼失し、昭和34年に復元され、現在に至っているそうだ。九八屋の解説文には、江戸時代の風流な酒亭の様子を備えていた。この名の由来は、「酒を飲むには、昼は九分、夜は八分にすべし。」と酒飲みならず、万事控えるを良しとする。との教訓による。と書かれていた。昼は九分、夜は八分の教訓から、九八屋とされているそうである。九八屋の脇に、ハナカイドウの花が咲いていた。ハナカイドウはカイドウとも呼ばれる。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4 1/500秒 24mm ISO100 ) 露出補正 なし
015_220411101 X800 小石川後楽園 内庭 アオサギ Z50 18-140.jpg 15.内庭(うちにわ)
後楽園の東の端に、水戸藩の書院があったところに内庭がある。内庭は、回遊式の本格的な庭園に対して、あくまで御殿の部屋から眺めるための庭園であり、現代ではほぼ消滅している様式である。北側に見える東京ドームの横でひっそり佇む庭園は、実は江戸を今に残す奇跡の庭と言われる。アオサギが見えるが、先ほど大泉水からこちらに飛んできていた。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.2 1/500秒 34mm ISO125 ) 露出補正 なし
016_220411095 X800 小石川後楽園 内庭 唐門 Z50 18-140.jpg 16.唐門
唐門は、屋敷の書院から内庭を通り、後楽園に入る正式な入口であり、両脇には袖塀と脇塀が設けられていた。昭和20年(1945年)の空襲により焼失し、唐門基壇と石段、石積みが残されていたが、東京都では2019年3月から復元を進め、2020年12月19日、古写真や絵図をもとに井波彫刻協同組合(南砺市)が復元した欄間や妻壁6枚を組み込んだ唐門が完成している。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 18mm ISO180 ) 露出補正 なし
017_220411126 X800 小石川後楽園 得仁堂 Z50 18-140.jpg 17.得仁堂
大泉水の南側を廻って、得仁堂という建物のあるところへ出た。この建物は、光圀18歳の時、史記「伯夷列伝」を読み感銘を受け、伯夷、叔斉の木像を安置した堂だそうだ。得仁堂の名前は孔子が伯夷・叔斉を評して「求仁得仁」と語ったことによるという。関東大震災や戦災にも残った唯一の建物で、現在、伯夷・叔斉の木像は東京都が保管している。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/400秒 18mm ISO6400 ) 露出補正 なし
018_220411140 X800 小石川後楽園 西湖の堤 Z50 18-140.jpg 18.西湖の堤
得仁堂から西門出入口に向かって歩くと、小さな池があり、中国の杭州の西湖にかかる堰堤を模した石造りの直線的な堤があった。後楽園以降に造られた大名庭園の「西湖の堤」の先駆けとなったと説明されていた。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4 1/500秒 30mm ISO400 ) 露出補正 なし
019_220411135 X800 小石川後楽園 通天橋 Z50 18-140.jpg 19.大堰川(おおいがわ)と通天橋
「大堰川の名は京都嵐山を想起して名付けられた。三代将軍家光の好みで造られたとされる。かっては神田上水の水を引き入れていた。両岸には蛇篭を伏せ、深山激流の趣を作っている。」と説明板にあった。その奥に朱色に塗られた通天橋が見えた。11月下旬の紅葉は朱塗りの橋を引き立てるという。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.5 1/500秒 41mm ISO200 ) 露出補正 なし
020_220411144 X800 小石川後楽園 Z50 18-140.jpg 20.小蘆山
午後1時半になった。そろそろ引き上げよう。写真のような穏やかな丘があった。説明板には「中国の景勝地廬山に因み、京都東山の清水寺一帯は小廬山と呼ばれている。当園ではこの一帯を京都東山に見立てていることから小廬山と名付けられている。」と記されていた。何か気持ちが落ち着く眺めだった。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f6.3 1/500秒 20mm ISO110 ) 露出補正 なし
021_220411156 X800 小石川後楽園 Z50 18-140.jpg 21.東京ドームシティ サンダー・ドルフィン
地下鉄の後楽園駅の方に向かって歩いて行くと、ジェットコースターが見えた。来ないかなと思って見ていると、てっぺんから下りて来るのが見えた。連写で撮る。ホームページでは「最大傾斜角度80度、130km/hで観覧車の中心をくぐり抜けるスリル」と訴えている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f7.1 1/800秒 120mm ISO100 ) 露出補正 なし