検索結果: Studio YAMAKO

Studio YAMAKOで“観光循環バス「るーぷる仙台」,経ケ峯”タグの付いているブログ記事

2019年3月28日

作並温泉 2泊3日の旅(3) 伊達政宗の霊廟 瑞鳳殿 3月15日

さて、仙台駅バスターミナルから、仙台市交通局が運行する観光循環バス「るーぷる仙台」に乗車するため、案内所で1日フリー・パスをひとり620円で購入した。20分間隔で出るらしいが、混んでいて座れない。全部で16駅あるのだが、もちろん、すべてで降りていくわけにはいかない。まず、4駅目の「瑞鳳殿」で降りることにする。

〇瑞鳳殿地図 1+2 X700 公益財団法人 瑞鳳殿パンフ.jpg
公益財団法人瑞鳳殿パンフレットより

 瑞鳳殿は1636年(寛永13年)、70歳で生涯を閉じた仙台藩祖伊達政宗の遺命により、その翌年ここ経ケ峯に造営された霊屋(おたまや)である。1945年(昭和20年)の戦災で焼失し、現在の建物は規模、装飾ともに、焼失以前の瑞鳳殿を範とし、1979年(昭和54年)に再建されたものである。平成13年(2001年)に、仙台開府400年を記念して大改修工事が実施され、柱には彫刻獅子頭を、屋根には竜頭瓦を復元し、創建当時の姿となった。
 瑞風殿の境内をめぐるのに1時間少しかかった。再び「るーぷる仙台」に乗り、次は2っ先の仙台城跡で下車する。
 記述は、パンフレットや、説明札を参考にさせていただいた。

12.瑞鳳殿参道
「るーぷる仙台」の瑞鳳殿駅では多くの観光客が降り、経ケ峯に上がっていく参道を歩く。ここはタクシーも登ってくる。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 30mm ISO1250 ) 露出補正 なし
190315_012.jpg
13.鹿児島県人七士の墓
参道の左側に、鹿児島県人七士の墓がある墓地があった。明治13年の西南戦争に従軍し、戦後官軍に投降した西郷軍は国事犯として全国の監獄署に護送された。宮城県には椎原国幹(西郷隆盛の叔父)以下305人が県監獄署に収容された。国事犯たちは宮城県の開墾や、築港作業に従事した。このうち13人は獄中で病死し、この地に葬られたが、現在7基を残し、6基は遺族に引き取られたと説明されていた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.4 1/500秒 9mm ISO100 ) 露出補正 なし
190315_013.jpg
14.参道の石段
瑞鳳殿のある経ケ峯に上がっていく石段が続く。石造りの階段は、戦争による焼失を逃れた藩政時代からのもので、その数は伊達家の禄高62万石を表していると言われているそうだ。左右のスギの並木は古いもので樹齢380年余になるという。そういえば、仙台に来てから、花粉症の目がとても痒い。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 20mm ISO2000 ) 露出補正 なし
190315_014.jpg
15.瑞鳳殿の手水舎
瑞鳳殿に入る涅槃門の手前左側に手水舎があった。龍の口(吐水口)にビニール管が見えるが、あまり見栄えは良くない。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/500秒 10mm ISO1600 ) 露出補正 なし
190315_015.jpg
16.涅槃門
涅槃とは煩悩を取り払った悟りの境地となる状態を意味し、広くは死を意味すると説明されていた。瑞鳳殿の涅槃門は樹齢数百年の青森檜葉を用いて、正面扉上部の蟇股には瑞獣「麒麟」、左右の妻飾りには「牡丹と唐獅子」など焼失前と同様の豪華な飾り彫刻が施されている。なんともきらびやかな門である。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/500秒 10mm ISO1600 ) 露出補正 なし
190315_016.jpg
17.瑞鳳殿入り口
涅槃門は閉ざされたままであるが、その右側に瑞鳳殿に上がる入り口となるくぐり戸があった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 13mm ISO400 ) 露出補正 なし
190315_017.jpg
18.涅槃門の裏側
涅槃門のくぐり戸を入って、石段を上がったところに瑞鳳殿の唐門があるが、そこで振り返って、涅槃門の内側を眺めた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 16mm ISO500 ) 露出補正 なし
190315_018.jpg
19.臥竜梅
瑞鳳殿に向かって、唐門の左側に資料室という建物があり、その庭先にこの梅が咲いていた。地面に伏臥する様態から「臥龍梅」と呼ばれ、文禄の役で渡朝した伊達政宗が半島から持ち帰り仙台城に植えさせたのち、隠居所であった若林城(仙台古城)に移植したものと言われている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 32mm ISO1250 ) 露出補正 なし
190315_019.jpg
20.資料館
資料館の前の臥龍梅は、仙台古城の臥龍梅(国指定天然記念物)から取木されたもので、昭和54年(1979年)、瑞鳳殿再建を記念してここに植樹されたのだそうだ。この資料館では政宗の副葬品の一部や、発掘された頭骨をもとに復元した、政宗をはじめとする3藩主の容貌像などが展示されている。この建物、何か落ち着いた佇まいである。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/500秒 11mm ISO400 ) 露出補正 なし
190315_020.jpg
21.瑞鳳殿
唐門をくぐって、瑞鳳殿の前に立つ。伊達政宗は1567年(永禄10年)米沢城に生まれた。東北南部を中心に諸勢力を平定し、世に「独眼竜政宗」の異名をとどろかせた。江戸時代になると伊達62万石の藩祖として産業・経済・文化の振興をはかった。瑞鳳殿は1636年(寛永13年)、70歳で生涯を閉じた政宗の遺命により、その翌年、ここ経ヶ峰に造営された墓所である。桃山文化の遺風を伝える江戸時代初期の豪華絢爛な廟建築として、1931年(昭和6年)に国宝に指定されたが、1945年(昭和20年)の戦災で焼失した。現在の建物は1979年(昭和54年)に再建された。2001年(平成13年)には改修が行われ、柱には彫刻獅子頭を、屋根には竜頭瓦を復元し、極彩色も再現することで、創建当時の姿が蘇った。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.4 1/500秒 9mm ISO500 ) 露出補正 なし
190315_021.jpg
22.殉死者供養塔
瑞鳳殿の両脇には、政宗に来世も仕えようと殉死した家臣15名と家臣に仕えた陪臣5名の石塔も並ぶ。 殉死者が多いということは慕われた証と言えるが、殉死を義とする考えは、当時すでに薄れてきていたようだ。殉死、こうした部分からも、江戸期を迎えても戦国武士としての価値観や武士道観を強く持っていた政宗の片鱗を窺うことができるという。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.4 1/500秒 9mm ISO500 ) 露出補正 なし
190315_022.jpg
23.唐門
瑞鳳殿の前に唐門があった。かっては天井に金箔を貼り付けたことから金唐門とも呼ばれた。正面の虹梁(梁の一種で虹のようにやや弓なりになったもの)の上下の空間には龍虎図と二十四孝説話を題材にした透彫りが挿入されるなど、装飾性に富んでいた。現在は鋼板製の近代的な門になってしまっている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/500秒 12mm ISO400 ) 露出補正 なし
190315_023.jpg
24.善応殿
順路に従い、瑞鳳殿から戊辰戦争弔魂碑を見て、感仙殿の下の石段の前に出た。石段を上がって感仙殿の左奥にある善応殿を見に行く。善応殿は三代藩主伊達綱宗の霊屋(おたまや)である。三代藩主伊達綱宗(1640年~1711年)は幼いころから芸術的才能にたけていたという。19歳から2年ほどの治世のあと、故あって幕府から逼塞隠居を命じられたが、その後の生涯は書画・蒔絵などに天分を発揮し、優雅な余生を送ったと言われる。善応殿は1945年(昭和20年)の戦災で焼失し、1985年(昭和60年)に感仙殿とともに再建された。さらに2007年(平成19年)の改修により鮮やかな極彩色となった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.4 1/500秒 9mm ISO2000 ) 露出補正 なし
190315_024.jpg
25.感仙殿の扉
下から石段を上がってくると正面にあるのが感仙殿である。感仙殿は二代藩主伊達忠宗の霊屋である。これは感仙殿の扉だが、上段に「竹に雀」、その下に「九曜」という紋が表されている。伊達氏は戦国大名のなかでも、もっとも家紋の数が多い家である。伊達氏の家紋を全部あげると、「十六葉菊」、「五七桐」、「蟹牡丹」、「竪三つ引両」、「竹に雀」、「九曜」、「鴛鴦の丸」、「ナズナ」、「雪に薄」、等がある。「九曜」は桓武平氏のルーツに結び付くように用い、戦乱の時代を生き抜く処世のしるしに家紋を利用したのである。善応殿の扉には上段に「竹に雀」、その下に「竪三つ引両」の紋があった。のちに定紋となったのが「竹に雀」であったそうだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 20mm ISO640 ) 露出補正 なし
190315_025.jpg
26.感仙殿
感仙殿は二代藩主伊達忠宗の霊屋であるが、伊達忠宗(1599年~1658年)は政宗の治世を引き継ぎ、法治体制の確立を進め、新田開発や治水、港湾の整備など、産業・経済の振興をはかり領内の安定に尽力し、藩の基礎固めを成し遂げた。感仙殿は、瑞鳳殿と同様、華麗なもので、1931年(昭和6年)に国宝に指定された。他は善応殿と同じで、2007年(平成19年)には改修が行われ、彫刻獅子頭の復元が行われた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/500秒 9mm ISO400 ) 露出補正 なし
190315_026.jpg
27.妙雲介廟
霊廟が作られたのは、政宗(瑞鳳殿)、二代藩主忠宗(感仙殿)、三代藩主綱宗(善応殿)までだった。感仙殿の奥には、妙雲介廟というところがあり、そこには九代藩主・周宗(ちかむね)、十一代斉義(なりよし)、斉義の妻・芝姫(あつひめ)の墓がある。写真は九代藩主宗近の墓。では、四代から八代までの藩主の墓はどこにあるのか、少々疑問に思って調べてみると、仙台市大年寺山伊達家墓所にあるようだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 18mm ISO640 ) 露出補正 なし
190315_027.jpg
28.感仙殿を見上げる
石段を下りて、感仙殿を見上げた。まさしく極彩色の霊廟である。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 27mm ISO1000 ) 露出補正 なし
190315_028.jpg
29.御子様御廟
絢爛豪華な瑞鳳殿、感仙殿、善応殿を見学し、石段を下りてくると左側に 御子様御廟 へ入る道があった。薄暗い道を歩いていくとそこは公子公女の墓所になっていた。正徳3年(1713年)以降に設けられた墓所で、五代藩主伊達吉村以降、六代宗村、七代重村、十一代齋義、十三代慶邦の歴代藩主の若くして死去した公子公女が埋葬されている。21基の傘塔婆の墓と奉納された80基を超える石灯篭がある。また藩主側室や老女の墓7基もある。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.4 1/500秒 9mm ISO800 ) 露出補正 なし
190315_029.jpg
30.瑞鳳寺 山門
「るーぷる仙台」 の瑞鳳殿停留所へ戻る。途中右側に「正宗山」という扁額がかけられた瑞鳳寺の山門があった。瑞鳳寺のパンフレットによれば臨済宗妙心寺直末で、寛永14年10月24日香華院として瑞鳳殿とともに二代藩主忠宗によって建立され、覚範寺の虎哉和尚の法嗣清岳宗拙(諡仏慧道光禅師)を迎えて開山した。安政5年9月13日焼失し、現在の本堂は大正15年5月23日に落成した。 仙台藩から一門格の寺格を与えられ、経ケ峯に多くの末寺を持っていたが、明治維新期の廃仏毀釈の風潮や廃藩置県による藩の後ろ盾の喪失によりことごとく廃寺となったという。1926年(大正15年)に復興されたが、現在は財団法人瑞鳳殿の管轄外となっているそうだ。山門は東京品川の伊達屋敷の門を模したもので正宗山の扁額は妙心寺派管長梶浦逸外老師の筆。ちなみに正宗山は、伊達政宗若年時「正宗」と称したものを山号としたという。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.4 1/500秒 9mm ISO320 ) 露出補正 なし
190315_030.jpg
31.瑞鳳寺 鐘楼
鐘楼は昭和3年に昭和天皇即位記念に建立された。本堂玄関前に置かれた梵鐘は、寛永14年(1637年)二代忠宗が工匠早山弥兵エに命じて鋳造したもので清岳和尚の銘があり、重要文化財になっている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.4 1/500秒 9mm ISO400 ) 露出補正 なし
190315_031.jpg
32.瑞鳳寺 花塚
花道家本源流武田朴陽(1875~1935年)および、その門下生のたてた供養碑で、石の組み方は同流の古法に基づき、花塚の二文字は斎藤実、裏面の詩は土井晩翠であると説明されていた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/500秒 12mm ISO400 ) 露出補正 なし
190315_032.jpg
33.瑞鳳寺 高尾門
高尾門と呼ばれているが、三代綱宗の側室椙原お品の邸にあったのを、昭和37年9月移転修築した。紋所は綱宗の手作りで数多い伊達の紋のひとつ「雪薄の紋」だそうだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/500秒 9mm ISO800 ) 露出補正 なし
190315_033.jpg
34.瑞鳳寺 参道と本堂
山門まで戻り、振り返って本堂を見る。参道の真ん中には1本の大きな杉があり、幹は途中で3本に分かれ、まっすぐ上に伸びていた。大正15年に落成した本堂が見える。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 26mm ISO200 ) 露出補正 なし
190315_034.jpg
35.「るーぷる仙台」瑞鳳殿停留所
1時間15分ほどの、経ヶ峰瑞鳳殿見学を終え、「ループル仙台」の瑞鳳殿停留所へ戻ってきた。5分ほど待つとバスが来た。これに乗って、次は仙台城跡へ行こう。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/500秒 9mm ISO100 ) 露出補正 なし
190315_035.jpg