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2007年3月 5日

隠居ブロガーの読書:五木寛之「林住期」

 毎日新聞朝刊の一面下に、五木寛之の「林住期」というエッセイが広告されていた。音読みしたときの響きは良くないが、広告コピーに引かれて Amazon で発注した。
 表紙をめくった次ページに、「林住期」の説明がある。
古代インドでは、人生を四つの時期に分けて考えたという。
  「学生期(がくしょうき)」、「家住期(かじゅうき)」、そして、「林住期(りんじゅうき)」と「遊行期(ゆうぎょうき)」。
   「林住期」とは、社会人としての務めを終えたあと、すべての人が迎える、もっとも輝かしい「第三の人生」のことである。

 この本を読みながら、”うん、そう!そう! 賛成賛成!”と何度も声が出そうになった。 曰く、
  •  林住期は、まず身のまわりのモノ(肥大化した人間関係、あふれ返るモノ、名刺や年賀状)を捨てることからスタートすべきである。 
  •  50歳からの人生をジャンプする。生きる目的を変える。生活のために働くのを変える。
  •  本来の自己を生かす。自分をみつめる。心のなかで求めていた生きかたをする。他人や組織のためでなく、ただ自分のために残された時間を日々をすごす。
  •  「林住期」においては、金のためになにかをしない、と決めるべきなのだ。
  •  林住期は「オマケの人生」である。オマケと考えれば、どう生きようと勝手ではないか。
  •  人生のクライマックスを、50歳からにおく。「黄金の林住期」の始まりである。その「林住期」を、より良く生きるために、私たちはこれまで学び、働き、社会に奉仕してきたと考える。青少年時代だけでなく壮年期もまた、林住期のための長い助走の期間にほかならない。

 隠居のお遊びに、強力な応援隊をもらった気分でいる。

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林住期
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2006年12月22日

五木寛之:『気の発見』

  青年は荒野を目指すと一緒に買った五木寛之の最近の作品である。若い頃の作品と歳をとってからの作品でどのような違いあるのか見つけたいと思ったが、この本は気功家である望月勇氏と五木寛之との対話を編集したものであり、対比は難しい。
 気功家なるものを知ったのは、この本を通じてが初めてである。対話者の望月氏は『青年は荒野を目指す』に触発されて、ヨーロッパや中東・アフリカを放浪したことがあるようだ。同じ頃シベリア鉄道で、北欧に行った人は沢山いるようで、建築家の安藤忠雄もその一人とのことである。一家をなすほどの人は、若いときに苛酷であるが貴重な経験をされているみたいだ。それは兎も角として、望月氏の話は ”えっ、それとほんと!” というような内容ばかりであるが、戦後教育の影響で科学的に割り切れないもの、理論的に納得いかないものに疑問を抱いてきたことを見直す必要がありそうだ。最近とくにそのようなことに敏感になっているのは歳をとったせいかもしれない。第八章に、望月氏の次のような話がある。
私は、浄土に還るときというか、この世を卒業するときというのは、じつは本人が知っているんじゃないかと考えるのです。この世でやらなきゃならない宿題が終わっていないときは、死ねないし、本人が、すべてやり尽くした、もういいと納得したとき、お迎えが来るんじゃないかと。

 宿題ではないが、やりたいことが山ほどあるので、まだ当分お迎えはないかなと思っている。

気の発見
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4 命の神秘さを感じました。

2006年12月13日

五木寛之『青年は荒野をめざす』:Jazz and Free Go Hand in Hand

 久しぶりに小説を読んだ。先日紹介したマイク・モラスキーの『戦後日本のジャズ文化』に出てくる五木寛之の初期作品『青年は荒野をめざす』である。マイク・モラスキーはその著書のなかで、五木寛之のジャズ観を以下のように記述している。
要するに、五木寛之は、ジャズ演奏を基本的に<コミュニケーション>と見なしているのである。それがミュージシャンと聴衆との間の<対話>であろうと、演奏中の(楽器によって表現される)ミュージシャン同士の対話であろうと、一方通行ではなく相互コミュニケーションでなければならない、という主張が根底にある。だからといって五木はレコードなどの価値を軽視しているわけではないが、やはり音楽(ジャズ)の原点は生演奏である、という主張が初期のジャズ小説群において一貫して表現されているのである。

 私もJazzはコンサートホールでかしこまって聴く音楽ではないと思う。ライブハウスで、ジントニックでもチビリチビリやりながら音の中に身を沈めるのが最高である。ニューオーリンズのバーボンストリートにある Royal Sonesta Hotel (Google Map)のサロンや New Preservation Hall, 東京お茶の水の「ナル」や大阪北の Azule なんかで聴いたJazzを懐かしく思い出す。この小説の主人公「ジュン」のようにJazz に精神的な傾倒をするわけではないが、Jazz を聴くときは何か「自由」というものを感じている。続けて村上春樹の『国境の南 太陽の西』も読んでみようかと思っている。

青年は荒野をめざす
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2006年12月 2日

戦後日本のジャズ文化:マイク・モラスキー

 毎日新聞の確か「記者の目」というコラム記事で『戦後日本のジャズ文化』という本の存在を知った。Michel S. Molasky というミネソタ大学で日本文化を研究している教授の著書である。奥さんは日本人のようだが、日本人以上の日本語で書かれている。リタイア後、このような390ページにも亘る小さな活字での単行本は敬遠してきたが、Jazz 好きということもあって一気に読んでしまった。著者のJazzに対する即興性 (improvisation) 重視の視点は全く同感である。著者が検証している映画(黒澤明『酔いどれ天使』、裕次郎『嵐を呼ぶ男』など)や小説(五木寛之、倉橋由美子、村上春樹など)は、どれも読んだり視たりしたことはないが、それらの作品とJazzが持つ文化との関連を詳説している部分は面白い。この歳になって好きなことでも知らないことばかりが続出する毎日である。最近の五木寛之の本も気になっていたので、この著書で取り上げられている初期の作品『青年は荒野をめざす』と最近の『気の発見』の文庫本を amazon に発注した。いずれ、中学の同窓らしい村上春樹の『国境の南 太陽の西』も読むつもりである。
 この著書の終わりのほうでは、最近のIT時代における Jazz への接し方の中に MP3 ファイルについても書かれていることや全般にわたって出てくる artist 名に familiar なのも面白く読んだ原因かもしれない。Jazz 好きの人には是非お奨めしたい一冊である。

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4 幻想の“ジャズ文化”、“ジャズの時代”を相対化する試み