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2012年3月 3日

日本橋と日本橋七福神巡り その2 2月17日


 日本橋のたもとを小網神社へ向けて歩き始めたのが2時15分過ぎで、八福神の三つ目のお社である水天宮のお参りを終えたのが、3時少し前だった。次は松嶋神社が近い。そして、途中、少々道に迷ったりしたが、新日本橋駅に近い、最後の寶田恵比寿神社のお参りをしたのは4時10分過ぎだった。八福神巡りの所要時間はおおよそ2時間だった。
  新日本橋駅からJR総武線の電車にひと駅乗り、東京駅に寄った。修復工事完成間近の丸の内東京駅丸の内駅舎を見たかった。

14.松嶋神社-大国神
水天宮交差点にある交番で、松嶋神社はどこですかと尋ねたら、お巡りさんが親切に教えてくれた。新大橋通りを右へ行き、大門通りを左へ入ったところにあった。
 創建は鎌倉時代の1312年。当時、あたり一帯は入り海で、松の茂る小島に建つ祠(ほこら)に毎晩灯火を掲げていたところ、舟人たちはそれを目標に航海の安全を得たという。その後、正徳年間(1711~1715年)、近辺を埋め立て、武家屋敷を造営するために日本各地から呼び寄せられた職人たちが、松島神社に故郷の神々の合祀を頼んだことからご祭神は14柱を数えるまでになった。大国神もその社殿に合祀されている。

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プログラムオートで撮影 ( F2.8 1/160秒 4.9mm ISOオート ) 露出補正 -0.7段
松嶋神社-大国神;クリックすると大きな写真になります
15.松嶋神社(大鳥神社)
お社はビルの中に入っていた。大鳥神社ともいうらしい。明暦の大火前、ここ大鳥神社の周囲は歓楽街であった為、人形細工職人、呉服商人、歌舞伎役者、葭町の 芸妓傾城等々、芸能関係や庶民の参拝によりたいへん賑わったとのこと。11月の酉の市が往時を伝える風物詩として今に残っている。

Canon IXY 30S F2.0-5.3 4.9mm-18.6mm 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F2.5 1/30秒 4.9mm ISOオート ) 露出補正 -0.7段
松嶋神社(大鳥神社);クリックすると大きな写真になります
16.末廣神社
松嶋神社の前を人形町通りと平行した大門通りを北西へ進む。この通りの右側にあるはずだ。大きな通りに出る少し手前の路地を入ってみると小さなお社があった。松嶋神社で前後してお参りした御嬢さんとまた一緒になった。

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プログラムオートで撮影 ( F4 1/50秒 9.9mm ISOオート ) 露出補正 -0.7段
末廣神社;クリックすると大きな写真になります
17.末廣神社-毘沙門天
勝運を授け、災難をよける神様として、400年以上前から信仰されているという。末廣神社はこの地にあった葭原(吉原)の守り神だったそうだ。葭原は明暦の大火で移転している。延宝3年(1675年)、社殿を修復した際に、縁起の良い末廣扇が見つかったことから、これに因んで末廣神社と名付けられたとのこと。

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プログラムオートで撮影 ( F4 1/80秒 9.9mm ISOオート ) 露出補正 -0.7段
末廣神社-毘沙門天;クリックすると大きな写真になります
18.笠間稲荷神社
末廣神社から清州通りに向けて歩き、久松町交差点の手前にあった。ここで六つ目だ。

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プログラムオートで撮影 ( F4 1/80秒 9.7mm ISOオート ) 露出補正 -0.7段
笠間稲荷神社;クリックすると大きな写真になります
19.笠間稲荷神社
笠間稲荷神社の小さな境内には、おきつねさんが祀られていた。

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プログラムオートで撮影 ( F4 1/60秒 9.3mm ISOオート ) 露出補正 -0.7段
笠間稲荷神社;クリックすると大きな写真になります
20.笠間稲荷神社-寿老神
江戸末期 安政6年(1859年)、笠間藩主・牧野貞直が、日本三大稲荷のひとつ常陸笠間神社の御分霊を江戸下屋敷に奉斎。以降、五穀をはじめ水産、殖産の守護神として信仰を集めたとのこと。寿老人は長寿の神にして、お導きの神、幸運の神として、人々の運命を開拓する福徳長寿の守護神とされている。

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プログラムオートで撮影 ( F4 1/80秒 9.7mm ISOオート ) 露出補正 -0.7段
笠間稲荷神社-寿老神;クリックすると大きな写真になります
21.椙森神社
次の椙森(スギモリ)神社へ行くのが大変だった。全く反対方向を探してしまった。笠間稲荷神社から一旦人形町の方へ戻ればよかったのだが、方向音痴になり、清州通りを東日本橋駅の方向に進んでしまった。これは違うと思い、日本橋公会堂でいただいた「日本橋と五街道ー開催記念日本橋マップ」をメガネをかけて良く見た。反対だ。水天宮通りの方へ戻って行くと、日本橋税務署というのがあった。これで椙森神社はすぐ傍と分かった。

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プログラムオートで撮影 ( F3.2 1/30秒 7.2mm ISOオート ) 露出補正 -0.7段
椙森神社;クリックすると大きな写真になります
22.椙森神社-恵比寿神
創建は約1千年前。田原藤太秀郷の平将門の討伐祈願や、太田道灌の雨乞い祈願などの記録も残る古社だそうだ。祀られている恵比寿様は、右手に釣竿、左手に鯛を持ち、はじめは豊漁の神さまとして、後に「えびす顔」と言うとおり商売繁盛の神さまへと変化したという。江戸時代には、江戸城下の三森(烏森神社、柳森神社、椙森神社)の一つに数えられ、椙森稲荷と呼ばれて、江戸庶民の信仰を集め、当たりくじ富興行も行われたと伝えられる。

Canon IXY 30S F2.0-5.3 4.9mm-18.6mm 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F3.2 1/30秒 7.2mm ISOオート ) 露出補正 -0.7段
椙森神社-恵比寿神;クリックすると大きな写真になります
23.於竹大日如来井戸跡
最後のお参りとなる寶田恵比寿神社へ向かう途中に「於竹大日如来井戸跡」という石碑があった。寛永の頃(1640年頃)江戸大伝馬町佐久間家(一説に馬込家)の下女お竹は日頃より慈悲心が深く、ある日、羽前羽黒山の行者より大日如来の化身であると告げられたとのこと。ここは、お竹が愛用し、貧困者が市をなしたという井戸の跡だそうだ。

Canon IXY 30S F2.0-5.3 4.9mm-18.6mm 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F2 1/30秒 4.9mm ISOオート ) 露出補正 -0.7段
於竹大日如来井戸跡;クリックすると大きな写真になります
24.寶田恵比寿神社
いよいよ最後に残った寶田恵比寿神社になる。一旦昭和通りへ出て、シオノギ本町共同ビルの手前を右に入り、前述の「於竹大日如来井戸跡」を見て、辿り着いた。

Canon IXY 30S F2.0-5.3 4.9mm-18.6mm 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F2.8 1/125秒 4.9mm ISOオート ) 露出補正 -0.7段
寶田恵比寿神社;クリックすると大きな写真になります
25.寶田恵比寿神社-恵比寿神
日本橋の恵比寿神は椙森神社と、ここ寶田恵比寿神社に二神が祀られている。もとは江戸城外の宝田村の鎮守で、現在の皇居前にあったが、徳川家康公による江戸城拡張により日本橋本町に移転したという。祭壇中央に祀られる恵比寿神像は、慶長11年(1606年)に三伝馬取締役の馬込勘解由が徳川家から譲り受けたもので、運慶作とも左甚五郎作とも伝えられる。

Canon IXY 30S F2.0-5.3 4.9mm-18.6mm 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F4 1/50秒 9.3mm ISOオート ) 露出補正 -0.7段
寶田恵比寿神社-恵比寿神;クリックすると大きな写真になります
26.寶田恵比寿神社
寶田恵比寿神社の御祭神は、事代主命(コトシロヌシノミコト)、少彦名命(スクナヒコナノミコト)、大國主命(オオクニヌシノミコト)、大己貴命(オオアナモノミコト)、素戔嗚命(スサノオノミコト)と記されているが、寶田稲荷神社も合祀されていて、御祭神は宇迦之御魂神とある。難解である。これで八福神を巡り終えた。約2時間で、福徳、金運、長寿延命、学芸成就、除災勝運、生産、営業繁栄、離職、といった御利益を得られたことになるのだが。

Canon IXY 30S F2.0-5.3 4.9mm-18.6mm 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F2 1/30秒 4.9mm ISOオート ) 露出補正 -0.7段
寶田恵比寿神社;クリックすると大きな写真になります
27.修復工事完成間近い東京駅丸の内駅舎
1914年(大正3年)に創建された東京駅丸の内駅舎は、辰野金吾により設計され、その堂々たる姿で、多くの人々に愛されてきた。しかし、1945年(昭和20年)、戦災により南北のドームと屋根・内装を焼失。戦後、3階建ての駅舎を2階建て駅舎に復興し、1947年から2007年まで使用されてきた。その東京駅丸の内駅舎を、元の姿にしようと2007年4月11日から「保存・復原工事」が始まった。「保存・復原工事」では、外観を創建時の姿に忠実に再現するのはもちろんのこと、さらに、未来へ継承するため、鉄骨煉瓦造の下に地下躯体を新設し、機能拡大の工事が行われている。2012年6月10日完成予定である。

Canon IXY 30S F2.0-5.3 4.9mm-18.6mm 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F2.8 1/60秒 4.9mm ISOオート ) 露出補正 -0.7段
修復工事完成間近い東京駅丸の内駅舎;クリックすると大きな写真になります
28.東京駅丸の内駅舎 南ドーム
これは完成が近い南ドームである。1947年から2007年まで使用されてきた駅舎では、木造三角屋根に形を変えていたものを、創建時のドーム型屋根に復原されている。そして切妻の部分は戦災で失った3階部分と、屋根が復原されている。これまでの1、2階の外壁は、化粧レンガや石の補修が行われている。まだ、北から南までの全容を見ることができないが、6月に完成して、その姿を見るのが楽しみである。10月からはライトアップもされるようだ。

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プログラムオートで撮影 ( F4.5 1/60秒 11.8mm ISOオート ) 露出補正 -0.7段
東京駅丸の内駅舎 南ドーム;クリックすると大きな写真になります


2012年2月27日

日本橋と日本橋七福神巡り その1 2月17日


 東野圭吾の推理小説が原作の映画「麒麟の翼」を観て、あらためて日本橋という場所に興味が沸いてきた。会社勤めをしていた時は、オフィスが日本橋にあったので、昼食のための外出などで近辺を歩いたことはあるが、観光スポットとして探索したことはまだない。
  まず日本橋に翼のある麒麟の像があるなんて、まったく気付いていなかった。そしてその知らなかった像がこの小説のタイトルであり、象徴的なものとして取り上げられていた。
  また、この小説には日本橋七福神めぐりが事件の全容を解明する上でのキーとして登場する。七福神めぐりというのも、おもしろそうだなと思い、この日、新橋で昼の会合があるのを機会に、小説の舞台となった日本橋をぶらり歩いてみようとと考えた。

1.日本橋のたもと
ご承知のように日本橋という橋は、中央通り(所謂銀座通り)の高島屋がある地下鉄日本橋駅から三越へ向かう途中にある。三越に向かって左側の日本橋のたもとに、「道の起点としての日本橋」、「日本の道100選」といった銘板とともに、日本橋がはじめて掛けられたのは、徳川家康が幕府を開いた慶長8年(1603年)であるといったことが書かれた札が建っていた。

Canon IXY 30S F2.0-5.3 4.9mm-18.6mm 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F2.8 1/200秒 4.9mm ISOオート ) 露出補正 -0.7段
日本橋のたもと;クリックすると大きな写真になります
2.日本橋の上は首都高
改築以前の日本橋は、明治5(1872)年に架け替えられたものであった。しかし、木造であったことや建設後年数を経過していること、さらには大都市として発展していた東京の「顔」にそぐわなくなっていることなどから、明治44(1911)年に現在の橋に架け替えられたという。平成11(1999)年には国の重要文化財にも指定されている。日本橋が架かる日本橋川の上は、首都高が走る。

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日本橋の上は首都高;クリックすると大きな写真になります
3.橋の上
高島屋から三越へ向け、日本橋上の左舗道を歩く。橋の真ん中に麒麟像があり、橋を渡ると三越だ。

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プログラムオートで撮影 ( F4 1/320秒 9.3mm ISOオート ) 露出補正 -0.7段
橋の上;クリックすると大きな写真になります
4.麒麟像
明治44年に架けられた橋は、耐久性などの問題から、石造りの橋とすることに決定された。そして、橋の装飾については、建築家の妻木頼黄氏に装飾顧問として、そのデザインを委嘱したとのこと。その結果、妻木氏は材料に青銅を用い、西洋的なデザインを主体としながらも、日本的なモチーフも取り入れた和洋折衷の様式を持ったデザインにしたという。映画「麒麟の翼」に登場する麒麟像の製作については、東京美術学校に委嘱され装飾柱に置かれる麒麟および2.の写真にある東京都のマークを抱えた獅子の原型製作には、彫刻家の渡辺長男氏が、その鋳造には彫刻家で渡辺の義父の岡崎雪聲氏が担当したそうだ。

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プログラムオートで撮影 ( F4 1/100秒 9.3mm ISOオート ) 露出補正 -0.7段
麒麟像;クリックすると大きな写真になります
5.日本橋川
中央通りを反対側へ渡る。これは人形町方面を眺めたところ日本橋川の上を首都高が走る。

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日本橋川;クリックすると大きな写真になります
6.日本橋魚市場発祥地の碑
日本橋の北詰東側に「日本橋魚市場発祥地の碑」が建っていた。江戸~大正までの期間、このあたりから北 (三越の東側一帯) にかけて 大きな魚市場が広がっていたという。 説明には、日本橋川の川沿いには近畿地方から鮮魚を満載した舟が数多く集まり、ここはその中心的な場所として賑わったそうだ。この魚河岸は大正12年の関東大震災で築地に移り、東京都中央卸売市場に発展したとあった。

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プログラムオートで撮影 ( F2.8 1/1250秒 4.9mm ISOオート ) 露出補正 -0.7段
日本橋魚市場発祥地の碑;クリックすると大きな写真になります
7.日本橋七福神 小網神社から巡る
「麒麟の翼」に、事件を解く鍵として日本橋七福神が登場する。これから日本橋七福神を廻ってみよう。日本橋をスタートして人形町の方へ向かう。順番としては小網神社を最初に訪れるのがよさそうだ。日本橋人形町商店街による「おすすめ散歩コースMAP」をアウトプットしてポケットに入れておいたが、この地図が意外と大まかで詰めができない。小網町まで来て、小網神社を自分で発見できず、ビル工事で交通整理をしていた方に「小網神社を御存じですか」と尋ねると「そこの日刊工業新聞の建物の裏です」と教えてくださった。

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小網神社から巡る;クリックすると大きな写真になります
8.小網神社-福禄寿と弁財天
稲荷大神を主祭とし、540年前(文政元年1466年)に鎮座した古いお社。「福禄寿」と「弁財天」が祀られているという。総尾州檜造りの重厚な彫刻が施された社殿と神楽殿は、中央区指定文化財になっている。小網神社に立てかけられた看板を見て、「おや、七福神ではなくて八福神」と気がついた。

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小網神社;クリックすると大きな写真になります
9.茶の木神社
次は茶の木神社だ。ここは水天宮を目当てに歩けばよさそうだ。小網神社から新大橋通りへ出て、水天宮交差点の手前を左へは入れば良いと思っていたが、新大橋通りを通り越してしまって、その先を左に入ってしまった。「日本橋公会堂」というのがあったので、中に入って「茶の木神社はどこですか」と尋ねた。「日本橋と五街道ー開催記念日本橋マップ」という精度の高い地図をいただいた。戻って新大橋通りを渡りビルの谷間にあるひっそりとした茶の木神社を発見。

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プログラムオートで撮影 ( F3.5 1/50秒 8.4mm ISOオート ) 露出補正 -0.7段
茶の木神社;クリックすると大きな写真になります
10.茶の木神社-布袋尊
神社の説明には、その昔、神社の周囲にめぐらされた茶の木の緑があまりに見事だったため、「お茶の木様」と人々に親しまれたと記されている。もとは下総の佐倉城主の大老である堀田家の屋敷で、ご祭神の倉稲魂命(うがのみたまのみこと)はその守護神とのこと。

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布袋尊;クリックすると大きな写真になります
11.水天宮交差点
茶の木神社のお参りを終え、人形町通りと新大橋通りの交わる水天宮交差点に出る。水天宮は安産、子授けの神様として知られている。

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水天宮交差点;クリックすると大きな写真になります
12.水天宮-弁財天
安産信仰で有名な東京水天宮のご祭神は、もとは九州・久留米藩有馬家で祀られてきた屋敷神とのこと。文政元年(1818年)、参勤交代の際に三田赤羽の有馬家藩邸に分霊され、江戸庶民の信仰を集めると、明治4年(1871年)、現在の日本橋蛎殻町に移った。写真を撮っていると、お宮参りの御家族が来られた。

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弁財天;クリックすると大きな写真になります
13.水天宮 子宝犬
犬の親子の像の周囲を取り巻く十二支のうち、自分の干支を撫でると子授けや厄除けなどのご利益があるという。これで、八福神のうち三つにお参りした。時刻は午後3時になろうとしている。

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子宝犬;クリックすると大きな写真になります