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Studio YAMAKOで“日本橋七福神”が含まれるブログ記事

2013年4月26日

深川散策 4月10日


 一度深川のアサリを食べてみたいと思っていた。
私は満州生まれの滋賀県育ち、小学校に入学の時から、東京は城南、そして神奈川に住むようになり、いわゆる下町で過ごしたことがない。昨年は、都電荒川線沿線を歩いたり、日本橋七福神めぐりをしたり、また、9月には東京スカイツリーにあやかって向島、墨田川沿いを歩くなど、江戸時代の面影を残す町を歩いた。
 この日は、深川丼に誘われて、富岡八幡宮や清澄公園がある深川を歩くこととなった。

1.東横線横浜駅
3月16日、東急東横線が渋谷駅で、地下鉄副都心線と直通運転となり、いままでの東急東横線、みなとみらい線に加え東武東上線、西武池袋線、東京メトロ副都心線が加わり、5社相互直通運転となった。
そのため、今まですべて渋谷行だった横浜駅での東横線行先表示板には見慣れない行き先が表示されている。50年以上は利用してきた頭端式の東横線渋谷駅は「昔語り」となる。

Canon IXY 30S F2.0-5.3 4.9mm-18.6mm 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F5.0 1/40秒 14.4mm ISO800 ) 露出補正 なし
東横線横浜駅;クリックすると大きな写真になります
2.大栄山永代寺
地下鉄を乗り継いで、都営地下鉄の門前中町駅で下車した。永代通りを東陽町の方へ歩くとすぐ深川不動の参道になる。その右手に永代寺というお寺があった。Wikipediaによると「1624年(寛永元年)、長盛の開山により永代島に創建された。江戸時代には富岡八幡宮の別当寺として栄えたが、明治初年の神仏分離により廃寺となった。跡地は現在の深川公園や深川不動堂などになっており、深川一帯でも指折りの広大な寺院であった。その後、1896年(明治29年)に旧永代寺の塔頭の吉祥院が名称を引き継ぎ、再興されたのが現在の永代寺である。」とある。ひっそりとしていた。

Canon IXY 30S F2.0-5.3 4.9mm-18.6mm 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( 2.8 1/100秒 4.9mm ISO125 ) 露出補正 なし
大栄山永代寺;クリックすると大きな写真になります
3.深川不動尊
左右に「昔」を感じさせる飲食店や商店が並ぶ参道の正面に深川不動があった。この写真は旧本堂で、現在の本堂はこの左側にあり、護摩祈祷が行われていた。

Canon IXY 30S F2.0-5.3 4.9mm-18.6mm 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( 2.8 1/100秒 4.9mm ISO125 ) 露出補正 なし
深川不動尊;クリックすると大きな写真になります
4.石造燈明台
日清戦争の勝利を記念して、深川不動堂境内南側に建てられた。明治28年に起工し、同31年に竣工している。外壁には九世市川団十郎などの歌舞伎役者、土木実表組合や東京石工組合などの奉納者、奉納団体が刻まれた石板が359点張られている。平成19年に江東区指定有形文化財に指定されている。 

Canon IXY 30S F2.0-5.3 4.9mm-18.6mm 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F2.8 1/1000秒 6.1mm ISO125 ) 露出補正 なし
石造燈明台;クリックすると大きな写真になります
5.富岡八幡宮
  深川不動尊のお参りを終えて、境内に戻ると江東観光ガイドクラブ」のテントがあり、立ち寄ってみると、ボランティアガイドの方が付近を無料で案内してくださるという。「あまり時間がとれないので30分くらいでお願いできますか」とお願いしてみたところ、心よく「いいですよ」とのこと。前の写真の石造燈明台の説明を受けた後、富岡八幡宮へ向かった。

Canon IXY 30S F2.0-5.3 4.9mm-18.6mm 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F2.8 1/640秒 6.1mm ISO125 ) 露出補正 なし
富岡八幡宮;クリックすると大きな写真になります
6.横綱力士碑
事前学習で富岡八幡宮に横綱力士碑なるものがあることを知っていた。この横綱力士碑は、横綱の顕彰と相撲の歴史を伝えるため、江戸時代最後の横綱第十二代陣幕久五郎が中心となり、明治33年(1903年)に建てられたとのこと。重量は約五千五百貫(約20t)あり、初代明石志賀之助からの歴代横綱の名が刻まれている。懐かしい大鵬、柏戸や千代の富士の名が刻まれている。富岡八幡宮は貞享元年(1684)に幕府の公許のもと初めて勧進相撲が行われ, 以後年ニ場所の相撲興行が定期的に行われた事により 江戸勧進相撲発祥の地として知られるようになったという。

Canon IXY 30S F2.0-5.3 4.9mm-18.6mm 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F3.2 1/250秒 6.6mm ISO125 ) 露出補正 なし
横綱力士碑;クリックすると大きな写真になります
7.永昌五社稲荷神社
富岡八幡宮境内の婚儀殿の向こう側に永昌五社稲荷神社というお稲荷様があった。ここでも神、仏一緒になっている。。「五社」というのは、近隣にあったお稲荷様が5つ合祀されているかららしい。

Canon IXY 30S F2.0-5.3 4.9mm-18.6mm 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F3.2 1/250秒 6.6mm ISO125 ) 露出補正 なし
永昌五社稲荷神社;クリックすると大きな写真になります
8.お神輿
4.5トンもある大神輿で有名である。大きすぎて屋根の部分は写し取れていない。この豪華絢爛な一宮神輿は平成3年に奉納されたが、非常に大きすぎて担ぐ事が出来ない。一度だけ担がれたことがあるらしいが、担ぎ上げるのに約300人程度は必要で、3~5分程で交代しながら総勢3000人掛かりで行ったようだとガイドさんに説明していただいた。平成9年に二宮神輿が新たに奉納されて3年に一度の例大祭では約2トンの二宮神輿が担がれる。「奉納・佐川急便グループ会長」という札が添えられていた。

Canon IXY 30S F2.0-5.3 4.9mm-18.6mm 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F4.5 1/60秒 12.3mm ISO160 ) 露出補正 なし
お神輿;クリックすると大きな写真になります
9.伊能忠敬像
平成13年、江戸時代後期の測量家・伊能忠敬の銅像が境内大鳥居横に建立された。伊能忠敬は深川黒江町(現・門前仲町1丁目)に住み、測量旅行出発にあたっては、必ず当宮を参拝していたことから縁りの地であるこの八幡宮に銅像が建てられた。

Canon IXY 30S F2.0-5.3 4.9mm-18.6mm 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F2.8 1/1250秒 4.9mm ISO125 ) 露出補正 なし
伊能忠敬像;クリックすると大きな写真になります
10.大関力士碑
永代通りの方から見て大鳥居の向こう側、伊能忠孝像の前あたりに大関力士像があった。 昭和58年に建てられた比較的新しい碑で、歴代の大関が顕彰されている。九代目市川団十郎と、五代目尾上菊五郎が明治時代に寄進した仙台石が利用されているという。

Canon IXY 30S F2.0-5.3 4.9mm-18.6mm 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F2.8 1/500秒 4.9mm ISO125 ) 露出補正 なし
大関力士碑;クリックすると大きな写真になります
11.富岡八幡宮 参道
これは永代通りの方から、大鳥居と本殿を仰ぎ見たところである。どうしても新しい建物が入ってしまう。

Canon IXY 30S F2.0-5.3 4.9mm-18.6mm 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F4.0 1/640秒 8.9mm ISO125 ) 露出補正 なし
富岡八幡宮
12.深川丼とあさり御飯
ガイドをしていただいた方に礼を述べ、ついでに深川丼の美味しいところをご存じないか伺ってみたところ、深川不動参道の「六衛門」という店をリコメンドしていただいた。品書きに深川丼とあさり御飯というのがあったが、私はあさり御飯(あさりの炊き込みご飯)にした。のども乾いたので、ビールと肴にはアサリのかき揚げを頼んだ。これがなかなか旨かった。

Canon IXY 30S F2.0-5.3 4.9mm-18.6mm 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F4.0 1/60秒 8.9mm ISO125 ) 露出補正 なし
深川丼とあさり御飯;クリックすると大きな写真になります
13.下町散策
「六衛門」での昼食を終え、深川界隈を少し歩いてみた。永代通りと並行して流れる大横川にかかる巴橋を渡り、牡丹町通りを行ってみる。このあたりは夜は賑やかになるのだろう。

Canon IXY 30S F2.0-5.3 4.9mm-18.6mm 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F5.3 1/250秒 18.6mm ISO125 ) 露出補正 なし
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14.東富橋
大横川の木場寄りにかかる東富橋というのがあった。立派な橋だ。

Canon IXY 30S F2.0-5.3 4.9mm-18.6mm 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F3.2 1/1600秒 6.8mm ISO125 ) 露出補正 なし
東富橋;クリックすると大きな写真になります
15.古石場文化センター 小津安二郎紹介展示コーナー
先ほど、富岡八幡宮を案内してくださったボランティア・ガイドの方が、ここへ是非行ってみたらよいと勧めてくれていた。このあたりは映画監督・小津安二郎の生まれた町だそうだ。東富橋を南に下って、少し右へ行ったところに古石場文化センターという建物があり、そこに小津安二郎紹介展示コーナーが設けられていた。これは展示されていた映画のポスターだが、「彼岸花」の配役を見ると、わたくしたちより、もう少し前の世代の映画ファンにとって懐かしいであろう豪華俳優の名前が並んでいる。

Canon IXY 30S F2.0-5.3 4.9mm-18.6mm 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F3.2 1/30秒 6.8mm ISO800 ) 露出補正 なし
古石場文化センター;クリックすると大きな写真になります
16.古石場親水公園と小津橋
ふたたび大横川の方へ戻る。牡丹町通りの南側にきれいな水が流れる古石場親水公園(古石場川)があり、そこに小津家の名をとった小津橋が架かっている。

Canon IXY 30S F2.0-5.3 4.9mm-18.6mm 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F5.3 1/200秒 18.6mm ISO125 ) 露出補正 なし
古石場親水公園と小津橋;クリックすると大きな写真になります
17.大横川に浮かぶお花見の和船
親水公園から永代通りへ戻ったが、その途中、大横川に、お花見と思しき客の乗った和船が漕がれていた。乗っているお客さんは若い女性たちと男性一人で、どうやら職場のお花見の会らしい。かみさんが橋(石島橋)の上から「桜が散ってて残念ね~」と声をかけたら、「船は花ばかりでーす」と船頭の声が返ってきた。

Canon IXY 30S F2.0-5.3 4.9mm-18.6mm 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F5.3 1/250秒 18.6mm ISO125 ) 露出補正 なし
大横川に浮かぶお花見の和船;クリックすると大きな写真になります
18.深川図書館
最後に清澄庭園を見ていこうと、清澄通りを北へ歩く。仙台堀川にかかる海辺橋を渡って左へ行く。もうその右側が清澄公園のようだ。清澄庭園の入り口の方へ曲がる手前に明治42年9月10日東京市立図書館として設立された深川図書館があった。

Canon IXY 30S F2.0-5.3 4.9mm-18.6mm 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F2.8 1/400秒 4.9mm ISO125 ) 露出補正 なし
深川図書館;クリックすると大きな写真になります
19.清澄庭園と清澄公園
要するに敷地の東半分が清澄庭園(有料)で、西半分が一般開放されている清澄公園である。深川図書館から歩いてくると左側が清澄公園、右側が清澄庭園(有料)だ。Wikipediaによると、この地には元禄期の豪商・紀伊國屋文左衛門の屋敷があったと伝えられる。享保年間には下総関宿藩主・久世氏の下屋敷となり、ある程度の庭園が築かれたと推定されている。1878年(明治11年)、荒廃していた邸地を三菱財閥創業者の岩崎弥太郎が買い取り、三菱社員の慰安と賓客接待を目的とした庭園の造成に着手。1880年(明治13年)に竣工し、深川親睦園と命名された。1924年(大正13年)、三菱3代目社長の岩崎久は当時の東京市に庭園の東半分を公園用地として寄贈。市は大正記念館の移築(1929年5月竣工)や深川図書館の新館舎建設(同年6月竣工)など整備を進め、1932年(昭和7年)7月24日に清澄庭園として開園した。1973年(昭和48年)に東京都は残る西半分の敷地を購入。翌年から整備を開始し、1977年(昭和52年)に開放公園(清澄公園)として追加開園した。65歳以上70円の入園料を払って清澄庭園の中に入った。この写真は雪見灯篭。

Canon IXY 30S F2.0-5.3 4.9mm-18.6mm 10.0 Mega Pixels プログラムオートで撮影 ( F5.3 1/200秒 18.6mm ISO125 ) 露出補正 なし
清澄庭園と清澄公園;クリックすると大きな写真になります
20.涼亭 清澄庭園
数寄屋造りの涼亭は、明治42年(1909年)に国賓として来日した英国のキッチナー元帥を迎えるために岩崎家が建てたもの出だそうだ。昭和60年に全面改築工事が施されている。

Canon IXY 30S F2.0-5.3 4.9mm-18.6mm 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F5.3 1/500秒 18.6mm ISO125 ) 露出補正 なし
涼亭 清澄庭園;クリックすると大きな写真になります
21.サトザクラ
清澄庭園内のサトザクラが見頃だった。

Canon IXY 30S F2.0-5.3 4.9mm-18.6mm 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F4.0 1/640秒 9.5mm ISO125 ) 露出補正 なし
サトザクラ;クリックすると大きな写真になります
22.満開のサトザクラ
まだ、少し蕾を残しているが、サトザクラはほぼ満開でびっしりと八重の花をつけていた。この桜の木に「サトザクラ」の札があったので、サトザクラという種だと分かったが、桜の種類は多くて計り知れない。サトザクラとは、バラ科の落葉高木で、日本に自生するオオシマザクラ、ヤマザクラなどをもとに作られた園芸種だそうだ。 開花時期は4~5月。八重咲きのものが多く、葉と花がほぼ同時に出るものが多いという。 清澄庭園を最後に清澄白河駅から半蔵門線に乗り、地下に入った新渋谷駅で副都心線/東横線に乗り換えて横浜に帰った。

Canon IXY 30S F2.0-5.3 4.9mm-18.6mm 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F2.8 1/1250秒 4.9mm ISO125 ) 露出補正 なし
満開のサトザクラ;クリックすると大きな写真になります


2012年3月 3日

日本橋と日本橋七福神巡り その2 2月17日


 日本橋のたもとを小網神社へ向けて歩き始めたのが2時15分過ぎで、八福神の三つ目のお社である水天宮のお参りを終えたのが、3時少し前だった。次は松嶋神社が近い。そして、途中、少々道に迷ったりしたが、新日本橋駅に近い、最後の寶田恵比寿神社のお参りをしたのは4時10分過ぎだった。八福神巡りの所要時間はおおよそ2時間だった。
  新日本橋駅からJR総武線の電車にひと駅乗り、東京駅に寄った。修復工事完成間近の丸の内東京駅丸の内駅舎を見たかった。

14.松嶋神社-大国神
水天宮交差点にある交番で、松嶋神社はどこですかと尋ねたら、お巡りさんが親切に教えてくれた。新大橋通りを右へ行き、大門通りを左へ入ったところにあった。
 創建は鎌倉時代の1312年。当時、あたり一帯は入り海で、松の茂る小島に建つ祠(ほこら)に毎晩灯火を掲げていたところ、舟人たちはそれを目標に航海の安全を得たという。その後、正徳年間(1711~1715年)、近辺を埋め立て、武家屋敷を造営するために日本各地から呼び寄せられた職人たちが、松島神社に故郷の神々の合祀を頼んだことからご祭神は14柱を数えるまでになった。大国神もその社殿に合祀されている。

Canon IXY 30S F2.0-5.3 4.9mm-18.6mm 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F2.8 1/160秒 4.9mm ISOオート ) 露出補正 -0.7段
松嶋神社-大国神;クリックすると大きな写真になります
15.松嶋神社(大鳥神社)
お社はビルの中に入っていた。大鳥神社ともいうらしい。明暦の大火前、ここ大鳥神社の周囲は歓楽街であった為、人形細工職人、呉服商人、歌舞伎役者、葭町の 芸妓傾城等々、芸能関係や庶民の参拝によりたいへん賑わったとのこと。11月の酉の市が往時を伝える風物詩として今に残っている。

Canon IXY 30S F2.0-5.3 4.9mm-18.6mm 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F2.5 1/30秒 4.9mm ISOオート ) 露出補正 -0.7段
松嶋神社(大鳥神社);クリックすると大きな写真になります
16.末廣神社
松嶋神社の前を人形町通りと平行した大門通りを北西へ進む。この通りの右側にあるはずだ。大きな通りに出る少し手前の路地を入ってみると小さなお社があった。松嶋神社で前後してお参りした御嬢さんとまた一緒になった。

Canon IXY 30S F2.0-5.3 4.9mm-18.6mm 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F4 1/50秒 9.9mm ISOオート ) 露出補正 -0.7段
末廣神社;クリックすると大きな写真になります
17.末廣神社-毘沙門天
勝運を授け、災難をよける神様として、400年以上前から信仰されているという。末廣神社はこの地にあった葭原(吉原)の守り神だったそうだ。葭原は明暦の大火で移転している。延宝3年(1675年)、社殿を修復した際に、縁起の良い末廣扇が見つかったことから、これに因んで末廣神社と名付けられたとのこと。

Canon IXY 30S F2.0-5.3 4.9mm-18.6mm 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F4 1/80秒 9.9mm ISOオート ) 露出補正 -0.7段
末廣神社-毘沙門天;クリックすると大きな写真になります
18.笠間稲荷神社
末廣神社から清州通りに向けて歩き、久松町交差点の手前にあった。ここで六つ目だ。

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プログラムオートで撮影 ( F4 1/80秒 9.7mm ISOオート ) 露出補正 -0.7段
笠間稲荷神社;クリックすると大きな写真になります
19.笠間稲荷神社
笠間稲荷神社の小さな境内には、おきつねさんが祀られていた。

Canon IXY 30S F2.0-5.3 4.9mm-18.6mm 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F4 1/60秒 9.3mm ISOオート ) 露出補正 -0.7段
笠間稲荷神社;クリックすると大きな写真になります
20.笠間稲荷神社-寿老神
江戸末期 安政6年(1859年)、笠間藩主・牧野貞直が、日本三大稲荷のひとつ常陸笠間神社の御分霊を江戸下屋敷に奉斎。以降、五穀をはじめ水産、殖産の守護神として信仰を集めたとのこと。寿老人は長寿の神にして、お導きの神、幸運の神として、人々の運命を開拓する福徳長寿の守護神とされている。

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プログラムオートで撮影 ( F4 1/80秒 9.7mm ISOオート ) 露出補正 -0.7段
笠間稲荷神社-寿老神;クリックすると大きな写真になります
21.椙森神社
次の椙森(スギモリ)神社へ行くのが大変だった。全く反対方向を探してしまった。笠間稲荷神社から一旦人形町の方へ戻ればよかったのだが、方向音痴になり、清州通りを東日本橋駅の方向に進んでしまった。これは違うと思い、日本橋公会堂でいただいた「日本橋と五街道ー開催記念日本橋マップ」をメガネをかけて良く見た。反対だ。水天宮通りの方へ戻って行くと、日本橋税務署というのがあった。これで椙森神社はすぐ傍と分かった。

Canon IXY 30S F2.0-5.3 4.9mm-18.6mm 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F3.2 1/30秒 7.2mm ISOオート ) 露出補正 -0.7段
椙森神社;クリックすると大きな写真になります
22.椙森神社-恵比寿神
創建は約1千年前。田原藤太秀郷の平将門の討伐祈願や、太田道灌の雨乞い祈願などの記録も残る古社だそうだ。祀られている恵比寿様は、右手に釣竿、左手に鯛を持ち、はじめは豊漁の神さまとして、後に「えびす顔」と言うとおり商売繁盛の神さまへと変化したという。江戸時代には、江戸城下の三森(烏森神社、柳森神社、椙森神社)の一つに数えられ、椙森稲荷と呼ばれて、江戸庶民の信仰を集め、当たりくじ富興行も行われたと伝えられる。

Canon IXY 30S F2.0-5.3 4.9mm-18.6mm 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F3.2 1/30秒 7.2mm ISOオート ) 露出補正 -0.7段
椙森神社-恵比寿神;クリックすると大きな写真になります
23.於竹大日如来井戸跡
最後のお参りとなる寶田恵比寿神社へ向かう途中に「於竹大日如来井戸跡」という石碑があった。寛永の頃(1640年頃)江戸大伝馬町佐久間家(一説に馬込家)の下女お竹は日頃より慈悲心が深く、ある日、羽前羽黒山の行者より大日如来の化身であると告げられたとのこと。ここは、お竹が愛用し、貧困者が市をなしたという井戸の跡だそうだ。

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プログラムオートで撮影 ( F2 1/30秒 4.9mm ISOオート ) 露出補正 -0.7段
於竹大日如来井戸跡;クリックすると大きな写真になります
24.寶田恵比寿神社
いよいよ最後に残った寶田恵比寿神社になる。一旦昭和通りへ出て、シオノギ本町共同ビルの手前を右に入り、前述の「於竹大日如来井戸跡」を見て、辿り着いた。

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プログラムオートで撮影 ( F2.8 1/125秒 4.9mm ISOオート ) 露出補正 -0.7段
寶田恵比寿神社;クリックすると大きな写真になります
25.寶田恵比寿神社-恵比寿神
日本橋の恵比寿神は椙森神社と、ここ寶田恵比寿神社に二神が祀られている。もとは江戸城外の宝田村の鎮守で、現在の皇居前にあったが、徳川家康公による江戸城拡張により日本橋本町に移転したという。祭壇中央に祀られる恵比寿神像は、慶長11年(1606年)に三伝馬取締役の馬込勘解由が徳川家から譲り受けたもので、運慶作とも左甚五郎作とも伝えられる。

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プログラムオートで撮影 ( F4 1/50秒 9.3mm ISOオート ) 露出補正 -0.7段
寶田恵比寿神社-恵比寿神;クリックすると大きな写真になります
26.寶田恵比寿神社
寶田恵比寿神社の御祭神は、事代主命(コトシロヌシノミコト)、少彦名命(スクナヒコナノミコト)、大國主命(オオクニヌシノミコト)、大己貴命(オオアナモノミコト)、素戔嗚命(スサノオノミコト)と記されているが、寶田稲荷神社も合祀されていて、御祭神は宇迦之御魂神とある。難解である。これで八福神を巡り終えた。約2時間で、福徳、金運、長寿延命、学芸成就、除災勝運、生産、営業繁栄、離職、といった御利益を得られたことになるのだが。

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プログラムオートで撮影 ( F2 1/30秒 4.9mm ISOオート ) 露出補正 -0.7段
寶田恵比寿神社;クリックすると大きな写真になります
27.修復工事完成間近い東京駅丸の内駅舎
1914年(大正3年)に創建された東京駅丸の内駅舎は、辰野金吾により設計され、その堂々たる姿で、多くの人々に愛されてきた。しかし、1945年(昭和20年)、戦災により南北のドームと屋根・内装を焼失。戦後、3階建ての駅舎を2階建て駅舎に復興し、1947年から2007年まで使用されてきた。その東京駅丸の内駅舎を、元の姿にしようと2007年4月11日から「保存・復原工事」が始まった。「保存・復原工事」では、外観を創建時の姿に忠実に再現するのはもちろんのこと、さらに、未来へ継承するため、鉄骨煉瓦造の下に地下躯体を新設し、機能拡大の工事が行われている。2012年6月10日完成予定である。

Canon IXY 30S F2.0-5.3 4.9mm-18.6mm 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F2.8 1/60秒 4.9mm ISOオート ) 露出補正 -0.7段
修復工事完成間近い東京駅丸の内駅舎;クリックすると大きな写真になります
28.東京駅丸の内駅舎 南ドーム
これは完成が近い南ドームである。1947年から2007年まで使用されてきた駅舎では、木造三角屋根に形を変えていたものを、創建時のドーム型屋根に復原されている。そして切妻の部分は戦災で失った3階部分と、屋根が復原されている。これまでの1、2階の外壁は、化粧レンガや石の補修が行われている。まだ、北から南までの全容を見ることができないが、6月に完成して、その姿を見るのが楽しみである。10月からはライトアップもされるようだ。

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プログラムオートで撮影 ( F4.5 1/60秒 11.8mm ISOオート ) 露出補正 -0.7段
東京駅丸の内駅舎 南ドーム;クリックすると大きな写真になります


2012年2月27日

日本橋と日本橋七福神巡り その1 2月17日


 東野圭吾の推理小説が原作の映画「麒麟の翼」を観て、あらためて日本橋という場所に興味が沸いてきた。会社勤めをしていた時は、オフィスが日本橋にあったので、昼食のための外出などで近辺を歩いたことはあるが、観光スポットとして探索したことはまだない。
  まず日本橋に翼のある麒麟の像があるなんて、まったく気付いていなかった。そしてその知らなかった像がこの小説のタイトルであり、象徴的なものとして取り上げられていた。
  また、この小説には日本橋七福神めぐりが事件の全容を解明する上でのキーとして登場する。七福神めぐりというのも、おもしろそうだなと思い、この日、新橋で昼の会合があるのを機会に、小説の舞台となった日本橋をぶらり歩いてみようとと考えた。

1.日本橋のたもと
ご承知のように日本橋という橋は、中央通り(所謂銀座通り)の高島屋がある地下鉄日本橋駅から三越へ向かう途中にある。三越に向かって左側の日本橋のたもとに、「道の起点としての日本橋」、「日本の道100選」といった銘板とともに、日本橋がはじめて掛けられたのは、徳川家康が幕府を開いた慶長8年(1603年)であるといったことが書かれた札が建っていた。

Canon IXY 30S F2.0-5.3 4.9mm-18.6mm 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F2.8 1/200秒 4.9mm ISOオート ) 露出補正 -0.7段
日本橋のたもと;クリックすると大きな写真になります
2.日本橋の上は首都高
改築以前の日本橋は、明治5(1872)年に架け替えられたものであった。しかし、木造であったことや建設後年数を経過していること、さらには大都市として発展していた東京の「顔」にそぐわなくなっていることなどから、明治44(1911)年に現在の橋に架け替えられたという。平成11(1999)年には国の重要文化財にも指定されている。日本橋が架かる日本橋川の上は、首都高が走る。

Canon IXY 30S F2.0-5.3 4.9mm-18.6mm 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F3.5 1/1600秒 7.5mm ISOオート ) 露出補正 -0.7段
日本橋の上は首都高;クリックすると大きな写真になります
3.橋の上
高島屋から三越へ向け、日本橋上の左舗道を歩く。橋の真ん中に麒麟像があり、橋を渡ると三越だ。

Canon IXY 30S F2.0-5.3 4.9mm-18.6mm 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F4 1/320秒 9.3mm ISOオート ) 露出補正 -0.7段
橋の上;クリックすると大きな写真になります
4.麒麟像
明治44年に架けられた橋は、耐久性などの問題から、石造りの橋とすることに決定された。そして、橋の装飾については、建築家の妻木頼黄氏に装飾顧問として、そのデザインを委嘱したとのこと。その結果、妻木氏は材料に青銅を用い、西洋的なデザインを主体としながらも、日本的なモチーフも取り入れた和洋折衷の様式を持ったデザインにしたという。映画「麒麟の翼」に登場する麒麟像の製作については、東京美術学校に委嘱され装飾柱に置かれる麒麟および2.の写真にある東京都のマークを抱えた獅子の原型製作には、彫刻家の渡辺長男氏が、その鋳造には彫刻家で渡辺の義父の岡崎雪聲氏が担当したそうだ。

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プログラムオートで撮影 ( F4 1/100秒 9.3mm ISOオート ) 露出補正 -0.7段
麒麟像;クリックすると大きな写真になります
5.日本橋川
中央通りを反対側へ渡る。これは人形町方面を眺めたところ日本橋川の上を首都高が走る。

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プログラムオートで撮影 ( F2.8 1/250秒 4.9mm ISOオート ) 露出補正 -0.7段
日本橋川;クリックすると大きな写真になります
6.日本橋魚市場発祥地の碑
日本橋の北詰東側に「日本橋魚市場発祥地の碑」が建っていた。江戸~大正までの期間、このあたりから北 (三越の東側一帯) にかけて 大きな魚市場が広がっていたという。 説明には、日本橋川の川沿いには近畿地方から鮮魚を満載した舟が数多く集まり、ここはその中心的な場所として賑わったそうだ。この魚河岸は大正12年の関東大震災で築地に移り、東京都中央卸売市場に発展したとあった。

Canon IXY 30S F2.0-5.3 4.9mm-18.6mm 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F2.8 1/1250秒 4.9mm ISOオート ) 露出補正 -0.7段
日本橋魚市場発祥地の碑;クリックすると大きな写真になります
7.日本橋七福神 小網神社から巡る
「麒麟の翼」に、事件を解く鍵として日本橋七福神が登場する。これから日本橋七福神を廻ってみよう。日本橋をスタートして人形町の方へ向かう。順番としては小網神社を最初に訪れるのがよさそうだ。日本橋人形町商店街による「おすすめ散歩コースMAP」をアウトプットしてポケットに入れておいたが、この地図が意外と大まかで詰めができない。小網町まで来て、小網神社を自分で発見できず、ビル工事で交通整理をしていた方に「小網神社を御存じですか」と尋ねると「そこの日刊工業新聞の建物の裏です」と教えてくださった。

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プログラムオートで撮影 ( F2.8 1/250秒 5.7mm ISOオート ) 露出補正 -0.7段
小網神社から巡る;クリックすると大きな写真になります
8.小網神社-福禄寿と弁財天
稲荷大神を主祭とし、540年前(文政元年1466年)に鎮座した古いお社。「福禄寿」と「弁財天」が祀られているという。総尾州檜造りの重厚な彫刻が施された社殿と神楽殿は、中央区指定文化財になっている。小網神社に立てかけられた看板を見て、「おや、七福神ではなくて八福神」と気がついた。

Canon IXY 30S F2.0-5.3 4.9mm-18.6mm 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F3.5 1/100秒 8mm ISOオート ) 露出補正 -0.7段
小網神社;クリックすると大きな写真になります
9.茶の木神社
次は茶の木神社だ。ここは水天宮を目当てに歩けばよさそうだ。小網神社から新大橋通りへ出て、水天宮交差点の手前を左へは入れば良いと思っていたが、新大橋通りを通り越してしまって、その先を左に入ってしまった。「日本橋公会堂」というのがあったので、中に入って「茶の木神社はどこですか」と尋ねた。「日本橋と五街道ー開催記念日本橋マップ」という精度の高い地図をいただいた。戻って新大橋通りを渡りビルの谷間にあるひっそりとした茶の木神社を発見。

Canon IXY 30S F2.0-5.3 4.9mm-18.6mm 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F3.5 1/50秒 8.4mm ISOオート ) 露出補正 -0.7段
茶の木神社;クリックすると大きな写真になります
10.茶の木神社-布袋尊
神社の説明には、その昔、神社の周囲にめぐらされた茶の木の緑があまりに見事だったため、「お茶の木様」と人々に親しまれたと記されている。もとは下総の佐倉城主の大老である堀田家の屋敷で、ご祭神の倉稲魂命(うがのみたまのみこと)はその守護神とのこと。

Canon IXY 30S F2.0-5.3 4.9mm-18.6mm 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F5 1/80秒 16mm ISOオート ) 露出補正 -0.7段
布袋尊;クリックすると大きな写真になります
11.水天宮交差点
茶の木神社のお参りを終え、人形町通りと新大橋通りの交わる水天宮交差点に出る。水天宮は安産、子授けの神様として知られている。

Canon IXY 30S F2.0-5.3 4.9mm-18.6mm 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F5 1/160秒 13.8mm ISOオート ) 露出補正 -0.7段
水天宮交差点;クリックすると大きな写真になります
12.水天宮-弁財天
安産信仰で有名な東京水天宮のご祭神は、もとは九州・久留米藩有馬家で祀られてきた屋敷神とのこと。文政元年(1818年)、参勤交代の際に三田赤羽の有馬家藩邸に分霊され、江戸庶民の信仰を集めると、明治4年(1871年)、現在の日本橋蛎殻町に移った。写真を撮っていると、お宮参りの御家族が来られた。

Canon IXY 30S F2.0-5.3 4.9mm-18.6mm 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F3.2 1/320秒 6.6mm ISOオート ) 露出補正 -0.7段
弁財天;クリックすると大きな写真になります
13.水天宮 子宝犬
犬の親子の像の周囲を取り巻く十二支のうち、自分の干支を撫でると子授けや厄除けなどのご利益があるという。これで、八福神のうち三つにお参りした。時刻は午後3時になろうとしている。

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プログラムオートで撮影 ( F3.5 1/250秒 7.6mm ISOオート ) 露出補正 -0.7段
子宝犬;クリックすると大きな写真になります