読書日記「舟を編む」(三浦しをん著、光文社刊)
この著者の作品を、ブログで書くのは、2009年の 「神去(かむさり)なあなあ日常」以来。
前著は、草食系の若者が三重県の山村に林業研修生として送りこまれ、たくましく成長していく話し。今回は大手出版社・玄武書房営業部に勤める27歳の落ちこぼれ、馬締(まじめ)が、定年後の後継者を探していた荒木に辞書編集部にスカウトされ、辞書造りのおもしろさに目覚めていく、というストーリーだ。
著者は、こういったちょっと変わった職種を探し出し、取材を重ねて読ませる筋立てに仕上げるがなかなかうまい。
荒木が最初に馬締に会いに行き、辞書編集部員に向いているかどうかをテストするシーンがおもしろい。
荒木は「しま」という言葉を説明してみろ、と問いかける。
「ストライプ、アイランド、地名の志摩、『よこしま』や『さかしま』のしま、揣摩臆測(しまおくそく)の揣摩、仏教用語の四魔・・・」
・・・荒木は急いでさえぎった。「アイランドの『島』だ」
「そうですね。『まわりを水に囲まれた陸地』でしょうか。いや、それだけではたりないな。江の島は一部が陸とつながっているけれど、島だ。となると」
馬締は首をかしげたままつぶやいた。荒木の存在などすでにそっちのけで、言葉の意味を追求するのに夢中になっている様子だ。
「まわりを水に囲まれ、あるいは水に隔てられた、比較的小さな陸地」と言うのがいいかな。いやいや、それでもたりない。「ヤクザの縄張り」の意味を含んでいないもんな。『まわりから区別された土地』と言えばどうだろう」
・・・あっというまに「島」の語義を紡ぎだしていく馬締を、荒木は感心して見守り、辞書を取りに走ろうとするのを、あわてておしとどめた。
・・・荒木は急いでさえぎった。「アイランドの『島』だ」
「そうですね。『まわりを水に囲まれた陸地』でしょうか。いや、それだけではたりないな。江の島は一部が陸とつながっているけれど、島だ。となると」
馬締は首をかしげたままつぶやいた。荒木の存在などすでにそっちのけで、言葉の意味を追求するのに夢中になっている様子だ。
「まわりを水に囲まれ、あるいは水に隔てられた、比較的小さな陸地」と言うのがいいかな。いやいや、それでもたりない。「ヤクザの縄張り」の意味を含んでいないもんな。『まわりから区別された土地』と言えばどうだろう」
・・・あっというまに「島」の語義を紡ぎだしていく馬締を、荒木は感心して見守り、辞書を取りに走ろうとするのを、あわてておしとどめた。
馬締は、新しく編纂することになった辞書「大渡海」の実質的な編纂責任者に引き抜かれる。
最近、本の 装丁が気になるようになった。装丁の対象になる箇所の名前は、 大阪府立中之島図書館のホームページが参考になった。
クリーム色の「帯紙」には「辞書とは大海原を航海するための舟」と目立つ2色の大文字で書いてある。カバー(ジャケット)には、群青(ぐんじょう)一色の海原をはしる帆かけ舟と「舟を編む」という表題が銀色で「箔押し(まがい?)」してある。堺市在住の 大久保伸子のデザインだ。
表紙は、漫画家 雲田はるこが描く辞書編集部員や恋人たちのイラストで埋めつくされている。
定年後も編集部にお目付け役として顔を出す荒木、体調不良をおして「大渡海」完成に命をかける顧問の松本元大学教授を含めた、辞書編纂にかける〝青春群像″がまぶしい。
辞書を完成するまでの長い過程も、興味深く書かれる。
「大渡海」の見出し後の数は、約二十三万語を予定していた。「広辞苑」や「大辞林」と同程度の規模の、中型国語辞典だ。後発の「大渡海」としては、読者に手を取ってもらえるような工夫をこらさなければならない。
・・・馬締は(毎週の会議で)意見を述べた。「『大渡海』の用例採集カードには、ファッション関係の用語が著しく不足しています」
・・・馬締は(毎週の会議で)意見を述べた。「『大渡海』の用例採集カードには、ファッション関係の用語が著しく不足しています」
社内で「大渡海」の編纂が中止になる、といううわさがたつ。
「既成事実を作ってしまいましょう」と時期尚早は承知のうえで、各分野の専門家に辞書原稿の執筆を依頼してしまうことになり、編集部員は「見本原稿」と「執筆要領」の作成に取りかかる。
手薄だったファッション関係の専門家に先行して連絡を取ったため、出版業界で「玄武が新しい辞書の編纂に着手したらしい」と噂されはじめた。
「だったら、噂をもっと広めてしまえばいい。これぞという専門家にどんどん原稿を依頼し、玄武書房辞書編集部がいかに本気か、社の内外に知らしめる」という作戦だ。
しかし「執筆要領」1つを書くのも、言葉を選んでいくというのは、至難の業だ。
ひとつの言葉を定義し、説明するには、必ずべつの言葉を用いなければならない。言葉というものをイメージするたび、馬締の脳裏には、木製の東京タワーのごときものが浮かぶ。互いに補いあい、支えあって、絶妙のバランスで建つ揺らぎやすい塔。すでに存在する辞書をどんなに見比べても、たくさんの資料をどれだけ調べても、つかんだと思った端から、言葉は馬締の指のあいだをすり抜け、脆く崩れて実体を霧散させていく。
主人公を通して語られる、著者自身の言葉への熱い思いである。
辞書づくりのためには、印刷する用紙の開発もポイントになる。製紙会社の営業マン・宮本が見本を持ってやって来る。
「『大渡海』のために開発した自信作です。暑さは五十ミクロン、1平方メートルあたり四十五グラムしかありません。・・・それだけ薄いのに、(ページ裏の文字が透けて見える)裏写りはほとんどしません」
試作品をためつすがめつしていた馬締が、突然叫んだ。
「ぬめり感がない!」・・・
書棚から「広辞苑」が運ばれる。・・・「指に吸いつくようにページがめくれているでしょう。にもかかわらず『紙同士がくっついて、複数のページが同時にめくれてしまう』ということがない。これが、ぬめり感なのです!」
「ぬめり感がない!」・・・
書棚から「広辞苑」が運ばれる。・・・「指に吸いつくようにページがめくれているでしょう。にもかかわらず『紙同士がくっついて、複数のページが同時にめくれてしまう』ということがない。これが、ぬめり感なのです!」
「大渡海」の本格的な編纂作業に取りかかるまでに、十三年の月日がたっていた。
でき上がった原稿を何度も推敲し、できるだけ字数を削っていく。用例がある項目は、その言葉が使われている文献をひとつひとつ確認する。その原稿に編集部員総出で級数(文字の大きさ)やルビの指示を入れ、やっと印刷所に回せる。
試し刷りの紙で「ちしお【血潮・血汐】」という見出し語が抜けていることが分かり、アルバイト学生も動員して徹夜、泊まり込みの確認作業は1カ月に及んだ。
「大渡海」の装丁もでき上がった。
箱も、本体の表紙とカバーも、夜の海のような濃い藍色だ。帯は月光のごちき淡いクリーム色。・・・本体の天地につけられる、飾りとなる花布は、夜空に輝く月そのものの銀色をしている。
「大渡海」という文字も銀色で、藍色をバックに堂々たる書体で浮かび上がる。・・・背の部分には、古代の帆船のような形状の舟が描かれ、いままさに荒波を越えていこうとするところだ。
「大渡海」という文字も銀色で、藍色をバックに堂々たる書体で浮かび上がる。・・・背の部分には、古代の帆船のような形状の舟が描かれ、いままさに荒波を越えていこうとするところだ。
なんと「舟を編む」の装丁そのままなのだ。しゃれてますね!
この作品は、紀伊国屋書店のスタッフが選ぶ 「キノベス!2012」の第1位に選ばれた。4月に決まる 「本屋大賞」の候補作品にもなった。
(追記)2012年4月11日
見事「2012年本屋大賞」に決まりました。おめでとうございます。