2012年4月24日

読書日記「虚空の冠(こくうのかん)上・下」(楡周平著、新潮社刊)

虚空の冠〈上〉
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楡 周平
新潮社
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虚空の冠〈下〉
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楡 周平
新潮社
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 著者の作品を読むのは初めてだが、新聞書評欄で電子書籍を巡る攻防がテーマだと知って、図書館に購読予約してみた。なかなかの人気で時間がかかったが、うまく、上・下巻2冊を同時に借りることができた。

 新聞、ラジオ、テレビの隆盛を経て電子メディアに向かう変遷を縦軸に、それぞれの段階で熱く語られるビジネスプランが重要な横軸になっている。著者が大学院を出た外資系企業のビジネスマン出身だからだろうか。

 昔、新聞社にいたころ、新聞、テレビの繁栄を支えてきたビジネスプランが崩壊の危機にあることを目の当たりにしてきた。メディアの変遷はそれなりに読み飛ばしたものの、電子書籍を巡る過酷な競争の記述が「紙」から「電子」への近未来を予測しているようで、いささか複雑な気分に陥った。

 日本第3位の通信事業会社グローバル・テレコムの芦野英太郎社長と新原亮輔常務は、同じ大学の研究室の先輩、後輩であるだけでなく、ベンチャー企業として創業して以来の同志でもある。

 芦野に呼ばれた亮輔は、アメリカのネット書籍販売最大手のアトランティス(私もよく使うアマゾンがモデルらしい)が発売したばかりの携帯型書籍端末を見せられる。

 通信機能を内臓、携帯通信回線網を使ってアトランティスのプラットフォーム にアクセス、パソコンなどを通さなくても読みたい本がいつでも読めるほか、購読予約しておけば新聞、週刊、月刊誌も自動的に受信できる。

 私も、この正月から遅ればせながら スマートフォンを使い始めた。
 そのタブレット型に近いようだが、液晶ではなく「反射光で活字を見るEペーパー」が使われ、紙そのもののように読める。しかも、すぐに電池切れを起こすスマホに比べ、一度フル充電しておけば100時間は持つすぐれもの・・・。ただ、端末の価格が450ドルもするため、あまり普及はしていない。

 芦野は「このビジネスを一からウチで立ち上げよう」と、亮輔に担当を命じる。しかも、端末は無料で配って自社の携帯電話収入を一挙に引き上て業界トップをうかがう一方、自社で立ち上げる電子出版プラットフォームで「日本の活字メディア制覇」を狙う計画だ。

 
芦野の目が爛爛と輝き出す。


 
「俺はな、今のネットは、そう遠からずして最初の総括の時を迎えるんじゃねえかと思ってるんだ。確かにネットは便利な代物さ。キーワードを入れれば、該当する項目がずらりと表示される。しかも、それらのほとんどが無料だ。まさに、膨大な数の利用者が作り上げた巨大なデータベースそのものだ。だが、良く言われているように、玉石混交、真贋入り乱れるという致命的欠陥がある。それでも利用者が減らないのは、情報を欲している人間がいるということだ。第一、ネットだって情報の多くは活字で伝えられるんだぜ。この事実一つとっても、活字を読むという行為そのものは放棄しちゃいないってことだろ。変ったのは、活字を読ませる媒体でありツールだ」


  このビジネスプランのポイントは、新聞や出版、テレビ会社などコンテンツの出し手とどう手を結ぶかにかかっている。

 亮輔は義父のつてを頼って、新聞、出版、テレビ、ラジオと日本最大級のメディアグループを率いる極東日報会長の渋沢大将に会い、自社のプロジェクトを説明、共同で事業を立ち上げようと持ちかける。電子メディアに押されて極東グループは、新聞販売部数、広告の減少で、深刻な経営危機に陥りつつあった。

 
「この話しに乗った場合、我々に想定されるリスクは?」
渋沢は、直裁に訊ねた。
「強いて言うならコストでしょうか。新聞ならば、電子端末用に記事をレイアウトし直す作業が必要となります。加えて、紙媒体用のデータをそのまま転用しょうとすると、フォーマットの違いから、文字化けが起きます。その修正作業が必要になりますが、単行本はともかく、新聞、週刊誌は校閲の手間が一回増える程度のことです。あとは完成データを我々のサイトにアップロードしていただくだけです」


 
亮輔の最後の言葉を聞いた瞬間、渋沢ははっとした。この話に素直に乗れぬと思っていた何か。その正体がはっきりと分かったからだ。
我々のサイトに乗せる。それは情報の発信元を一手に握られ、強大な権力を与えてしまうことを意味するからだ。


 クリスマスに、グローバル・テレコムの新事業は、極東日報に替わって毎朝新聞が参加して花々しくスタートした。

 その動きを冷静に見ながら、渋沢は秘かに大手出版六社、第1位の携帯電話会社ワールドフォン、大手家電メーカー、パシフック電器と新たなプラットフォームを立ち上げる準備を進めていた。経済界に強い影響力を持つ渋沢だからこそできたグループ化だった。

 6月に投入された電子書籍端末「ノア」は、コンテンツの多様さと価格の安さの相乗効果で一気にシェアーを伸ばし、先駆者グローバル・テレコムが「切り開いた沃野を奪い去った」。

 「紙か電子か」の選択を迫られるなかで、渋沢は冷徹に自らを育ててくれた「紙」を捨てた。新聞販売店が経営危機に陥ったが、渋沢は民間人に与えられる最高位の勲章 「旭日大綬章」を受けることになった。「新メディアの確立に貢献した功績」を評価されて・・・。

 亮輔の義父新原孝造は、終戦直後、新聞社の大切な情報伝達手段だった伝書鳩の飼育担当だった。その仕事が時代の流れでなくなり、先輩である渋沢の世話で新聞販売店を経営していた。その店がつぶれるのも目に見えている。その旗振り役が渋沢と知って驚く。

 孝造は、箪笥のなかから古い書類を取りだし、伝書鳩の通信管に入れ、極東日報のライバル社毎朝新聞に向けて飛ばした。

 その書類には、渋沢が綬勲した「旭日大綬章」を地に落とし「虚空の冠」にしてしまうであろう通信文が書かれていた。

 

2012年3月30日

読書日記「蜩ノ記 ひぐらしのき」(葉室 麟著、祥伝社刊)


蜩ノ記
蜩ノ記
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葉室 麟
祥伝社
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 この本を知ったのは昨年末。和歌山の山小屋に夫婦で暮らす友人のブログ 「森に暮らすひまじん日記」でだった。

 その時にも気にはなっていたのだが、この1月初めに直木賞の候補になったのを知って図書館に貸出予約を入れた。16人待ちだったのが、先日やっと順番が回ってきて、一気に読んだ。無事、今年の直木賞に決まったから、私の後にはまだ70人近い購読希望者が待っている。

「森に暮らすひまじん日記」に書かれた、あらすじを借りることにしよう。

 九州は豊後の小藩で奥祐筆を勤める壇野庄三郎は、城内で刃傷沙汰を起こした。切腹は免れたが、山村に幽閉され、藩史の編纂を続ける元郡奉行戸田秋谷の監視と編纂の手伝いを命じられた。

 秋谷は、前藩主の側室と密通した罪で幽閉され、10年後には切腹するよう言い渡されていた。それまでは藩史編纂が課せられ、命を区切られた人生を生きて行く。庄三郎が秋谷の幽閉先に赴いたのは、切腹まで残り3年に迫っていた。

 庄三郎は、秋谷の凛とした生き方に心を動かされ、不義密通にも疑問を持つようになった。妻と子供二人は秋谷の生き方を信じ、切腹までの残された日々を見つめながら健気に生きて行く。

 「蜩ノ記」とは、山村に幽閉されて家譜編纂に携わってきた戸田秋谷が書いてきた日記の名前だ。
 
「夏がくるとこのあたりはよく蜩が鳴きます。とくに秋の気配が近づくと、夏が終わるのを哀しむかのような鳴き声に聞こえます。それがしも、来る日一日を懸命に生きる身の上でござれば、日暮らしの意味合いを寵(こ)めて名づけました」   


 庄三郎は、訪ねてきた親友・信吾に戸田を助けられないかと、無理を承知であることを頼む。信吾は、城内で刃傷沙汰を起こした当の相手だ。

 
「・・・ここに来て(三浦家譜)編纂を手伝ううちに、わたしは武士とは何なのかを考えるようになった」
 ・・・「御家(おいえ)には昔から対立や争いがあったようだ。時にそれは、村の百姓も巻き込んでいる。村に住んでみて、武士というものがいかに居丈高なものか、徐々にわかってきた」
 ・・・「しかし、戸田様はさような武士の在り方とは違って、百姓たちとともに生きようとなされておる。わたしはそのような戸田様の武士としての生き方に感じ入った。それゆえ、戸田様をお守り いたしたいと思っておるのだ」


 著者は、直木賞を受賞した際の1月18日付読売新聞「顔」欄で「編集者から武士の矜持(きょうじ)をと言われ、スッピンのストレートの思いを書いた」と、正直に答えている。そんな注文を小説に仕立てられるのは、さすがプロの作家である。

 物語は、百姓の息子で戸田の嫡男、郁太郎の親友である源吉が、お家の奉行の拷問を受けで死んだことでクライマックスを迎える。

 源吉のかたきを討つため、私欲で策を弄していた家老の屋敷に押しかける決心をする。庄太郎は「道案内をする」と、同行を申し出る。

 そっと出ていった2人を心配する妻と娘に、戸田は静かに答える。

 
「武士(もののふ)の心があれば、いまの郁太郎は止められぬ。檀野(庄太郎」殿は郁太郎を見守るつもりで追ってくれたのであろう」
 「檀野殿は武士だ。おのれがなそうと意を固めたならば、必ずなさずにはおられまい。檀野殿の 心を黙って受けるほかないのだ」


 郁太郎と庄太郎は、家老家に押し入り、見事な技で家老の助っ人を退け、家老が武士にあるまじき"命乞い"の言葉を出すまでに追い詰める。

 家老がどうしてもほしかった文書を手に家老宅に来た戸田は、家老の胸倉をつかみ、顔を殴りつけると、静かに話した。

 
「源吉が受けた痛みは、かようなものではなかったのでござる。領民の痛みをわが痛みとせねば家老は務まりますまい」


 郁太郎と庄太郎とともに、山村に帰った戸田は、約束されていた8月8日の朝。検分役の見守る前で、見事に切腹をしてはてた。

 読売「顔」欄で、著者はこうも答えている。

 「東日本大震災を経た今、日本人のありようが問われている。・・・日本人古来の生き方を描く時代小説だからこそ、できることがきっとある」

2012年3月17日

読書日記「僕は、僕たちはどう生きるか」(梨木果歩著、理論社)


僕は、そして僕たちはどう生きるか
梨木 香歩
理論社
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 図書館に予約してから借りれるまで、ずいぶん時間がかかってしまった。

著者の作品を、このブログに書くのは 「西の魔女が死んだ」以来。このブログの管理者 n-shuheiさんが紹介していた 「渡りの足跡」といった著書もあるナチュラリストだけに、久しぶりに"梨木ワールド"に遊ぶことができそうだと、ページを繰った。

 ところがなんとなんと、この本は、自然の素晴らしさなどを描く少年少女小説の形をとりながら、随所に社会批判の厳しい塊が埋め込まれているハードな読み物だった。

 あだ名が「コペル君」という14歳の少年が「僕の人生に重大な影響を与えたと確信している」長い1日の出来事を自ら綴っていく。コペルというのは 「コペルニクス」の略。コペル君は事情があって、現在1人住まいだ。

   1冊の種本がある。
 巻末の参考文献になかに、 吉野源三郎が、昭和12年に書いた「君たちは、どう生きるか」という小説が載っている。その主人公である中学2年の少年のあだ名が、やはり「コペル君」。
君たちはどう生きるか (岩波文庫)
吉野 源三郎
岩波書店
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 吉野源三郎の本は、満州事変が始まり、軍国主義が勢力を強める時期に書かれた。「せめて少年少女だけは、時勢の悪い影響から守りたい」と思い立って書かれたという。今でも読み継がれている名作だ。

 2つの小説の筋書きはまったく違うが、梨木果歩は、あえて主人公を同じ「コペル君」と名付けた。いじめや性的虐待、原発にふるさとを追われるなど、少年少女が生きにくくなっている今の時代を「どう生きていくのか」について問いかけるため、らしい。

 コペル君は叔父さん(母親の弟)の「ノボちゃん」と、同級生の友人「ユージン」がやはり1人で住む家を訪ねる。その家の庭は、町のなかにあるのになぜか深い森に囲まれている。

 
 「シイ、カシ、ヤブツバキ。エノキにケヤキか。いい森だなあ。この匂いは、クスノキも あるな」
 今ノボちゃんがあげた樹種は、みんな立派な大木だ。他にもハノキやら細い木もいろいろあるけれど、詳しくはよく分からない。照葉樹のちょっとほの暗い感じと、爽やかな明るい落葉樹の感じがとても良く交じり合って、陽の光があちこち木漏れ日になって差し、町中にあるのに深山幽谷の雰囲気を出している。その木漏れ日の一つが、濃い黄色の花にあたっている。一重の ヤマブキそっくりだけど‥...・。僕の視線の先に気づいたノボちゃんが、 「ヤマブキソウ」だと呟いた。
 それから二人同時に、あ、と声を上げた。派手な黄色のヤマブキソウにばかり目を引かれていたけれど、その向こうの、青々とした若葉が美しいカエデの木の根元に、何十だか分からないぐらいの数の クマガイソウの群落を見つけたのだ。
 「奇跡だな、これは」
 ノボちゃんが呟いた。思わずため息が出る。


 歩いていくと、  エビネが何本も株立ちし、 キンラン ギンラン ニリンソウの茂みがある・・・。いずれも、ユージンのおばあさんが、開発が進む付近の土地から移植したものだ。

 100年前なら、こんな風景があたり一帯に広がっていたのに「緑を見ると、コンクリートで固めてしまおう、と手ぐすね引いている人たち」がいる。「ユージンは、これからそういう人たちを相手に戦わなければならない」。そのことを、コペルは虚を衝かれたように感じる。

 木立の向こうの池には、 オオアメンボがおり、、コウホネヒシといった水草が生え、 カラスヘビが泳いでいる。

 ノボちゃんは草木染めに使うヨモギを刈り、ユージンのいとこの「ショウコ」もやって来て、 ウコギの葉を刻みこんだご飯を炊き、ゆでたスベリヒユをベーコンで炒めて昼食にする。

 食べながら、ユージンとコペルがノボちゃんに連れられて「駒追山」という山中に入り込み、人が住んでいた形跡が残る洞穴を見つけたことが話題になる。

 そこには戦時中、召集令状を拒否した男が「群れから離れて」住んでいた。戦争が終わって皆に気づかれずに出ていった男は、数十年に帰ってきた。その男は、そんなところに 籠ってずっと考えいたことについて、こう答えた。「僕は、そして僕たちは、どう生きるかについて」

 ノボちゃんは、さらに続ける。
 「彼が洞窟の中で考えていたことだけど こんなことも言ってた。群れのために、滅私奉公というか、自分の命まで簡単に、道具のように投げ出すことは、アリやハチでもやる。つまり、生物は、昆虫レベルでこそ、そういうこと、すごく得意なんだ。動物は、人間は、もっと進化した、『群れのため』にできる行動があるはずじゃないかって......」

 巻末の参考文献には、トルストイ関連の著書が多い北御門二郎の 「ある徴兵拒否者の歩み」が、挙げられている。
ある徴兵拒否者の歩み
北御門二郎
みすず書房
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 ノボちゃんはまた、コペルがまだ小さかったころ、一部の国会議員などが「最近の若者は軟弱だ」と言いだすなど、徴兵制度復活へのきなくさい空気があったことを話す。

 「こういう動きは、あれよあれよとどうなっていくか分からないのが世の常だ。だから、コボルのお母さんは、ギリギリの妥協として良心的兵役拒否の条項を入れてもらうために戦う覚悟をしていた」

 コペル君は、父親に教えられた土壌のなかの生き物を探すのが趣味だ。ユージンと2人で庭の土壌を掘ってみると、出て来る、出て来る。ダンゴムシのⅠ種、 オカダンゴムシセグロコシビロダンゴムシ・・・。豊かな自然が残っている証拠だ。

 土壌の虫を探しながら、ユージンは長年登校拒否をしていた理由を初めてコペル君に話す。

 可愛がっていたニワトリを飼えなくなり、校長に頼んで学校で育ててもらうことにした。
 ユージンを嫌いだったらしい担任の男の先生はクラスの皆に提案する。「今、そこのある命が自分の血や肉になるという体験をしてもらいたい」
 クラスメイトはしぶしぶ賛成し、ニワトリはその日、唐揚げや炊き込みご飯に調理された。ユージンが手をつけられないのを、教師は見ていた。
   翌日、給食が終わった後、教師は言った。「さっき君が飲んだスープは、昨日のあのニワトリのガラから採ったものだよ」。ユージンは、激しく吐いた。

 小さな人間に、取り返しのつかない残酷な行為をする大人は、ほかにもいた。

 この庭に「インジャ」と呼ばれる少女が、隠れ住んでいたことが分かる。
そのいきさつは、本文中で特にゴシック文字で書かれている。

 インジャは、図書館で少年少女向け雑誌にAVビデオの監督が書いたエッセイを読んで「アルバイトでもできるかも」と、書かれていたメールアドレスに連絡した。出版社と著者が組んだ「巧妙な素人モデル募集広告」だった。密室に閉じ込められて"レイプ"されるのを撮られた。
 部屋のなかにいるだけで呼吸困難になったインジャは、友人のショウコに勧められ、家主のユージンらにも知られず、この庭に住みついた。

 参考文献の「御直披(おんちょくひ)」(板谷利加子著、角川文庫)には「レイプ被害者が戦った、勇気の記録」と、注釈がある。
御直披―レイプ被害者が闘った、勇気の記録 (角川文庫)
板谷 利加子
角川書店
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 ショウコの母の友人であるオーストラリアの青年、マークがやってきて、庭で焚火をすることになった。

 
 ショウコは(土壌を痛めないために)アルミホイルをざっと長く引き出し、一メートルほどの長さを、地面の上に敷いた。それを数回繰り返して、一メートル四方の風呂敷を敷いた形をつくった。
 ・・・その真ん中に、真っ直ぐな枝を一本突き刺し、それを囲むようにして、枯れ葉の残っているようなワシャワシャした細い小枝を立てかけていった。
 ・・・ 風向きを調べ、風上に向かって小枝の塊に隙間をつくった。
 ・・・新聞紙を破ってくしやくしやにし、さらにそれをひねって棒状にしたものをつくった。風上に自分の体を持っていって、それの先にマッチで火を つけ、さっきつくった小枝の隙間に差し入れた。
 火はパチパチと機嫌良く、クリスマスツリーのイルミネーションみたいに火花を散らした。


 長年、スカウト活動をしてきたショウコの見事な技だった。

 そっと、インジャを焚火に誘ってみた。

 
 インジャはおずおずと、でも、確かに、こちらに近づいてきた。森の中から、やっと抜け出してきた人みたいに。


 
あの日の、あの瞬間のことを、僕は一生忘れないだろう。
人間には、やっぱり、群れが必要なんだって、僕は今、しみじみ思う。インジャの身の上 に起こったことを知った今になっても。


                               
そう、人が生きるために、群れは必要だ。強制や糾弾のない、許し合える、ゆるやかで温かい絆の群れが。人が一人になることも了解してくれる、離れていくことも認めてくれる、けど、いつでも迎えてくれる、そんな 「いい加減」の群れ。


  
けれど、そういう「群れの体温」みたいなものを必要としている人に、いざ出会ったら、ときを逸せず、すぐさま迷わず、この言葉を言う力を、自分につけるために、僕は、考え続けて、生きていく。


 やあ。
 よかったら、ここにおいでよ。
 気に入ったら、
 ここが君の席だよ。


   「さて、残された人生をどう生きるか」
 過去の「群れ」の束縛から解放された70歳の独居老人も、コボル君に大きく遅れをとられながらも、そのことを考える。
 「暖かい群れ」とは、1人だけでは生きることができない人間同士が、言葉を交わしあう、ということだろう。心をふれあい、共感していく。そんなやわらかな気持ちをずっと持ち続けたい。「死ぬ時は、一人」。その時まで。

 

2012年3月 8日

読書日記「瓦礫の中から言葉を わたしの<死者>へ」(辺見庸著、NHK出版新書)



 著者は宮城県石巻出身だが「脳出血の後遺症で右半身がどうして動かない」ため、被災地に駆けつけた友人、知人を助けにいくことができない。
 代わりに、友人たちからの電話などで情報が集まってくる。

 
三陸の浜辺に夜半、打ち上げられた屍体があった。それは首のない屍体であったり、手足や眼球をなくした屍体であったり、逆に首だけの、胴だけの、片眼だけの部位だったりする。それが真っ暗闇の浜辺に何体も何体も打ち上げられている。
   今度の津波はゆっくりと水位が上がってくるようなものではなかったのです。・・・もっと金属的なひどく重いものが、一気に突進してきたような。・・・人間のからだはどうなるのか。それはもうねじ切れてしまう。爆撃を受けたみたいに破断する。わたしの友人は、そういう大げさなひどい言葉をつかわない人間だけれども吐くように言っていました。「地獄だ」と。


 しかし、当時の新聞やテレビで流されていたのは「おびただしい屍体をかき消した薄っぺらな風景」でしかなかった。
死者、行方不明者数や放射線量など乾いたデータばかりで「死はそれぞれの重み、厚み、深み、リアリティを奪われ、風景はいわば漂白され除染され除菌され消臭されていました」

 東京のある放送局につとめる若い友人は、3・11後の局内の雰囲気を「まるで戒厳令下です」と話した。

 
経験したこともない大きな出来事に遭遇すると、ニュースメディア内部では異論の提起、自由な発想がとどこおり、沈黙と萎縮、思考の硬直とパターン化におちいったりするものです。だれが命じたわけでもないのに、表現の全分野で自己規制がはじまります。


   「法律も戒厳司令部も発令主体も責任の所在」もなく「だれからともなく、菌糸のように発酵し」ひろがっていく「心の戒厳令」が、世の中を覆ってしまったのだ。

 3・11という深い現実に迫ろうとする本当の「言葉」は、どこにも見あたらなかった。

 政府が「福島原発から放出された放射性セシウム137は広島に投下された原子爆弾の百六十八個分」という試算を発表した時もそうだった。
 「語り手や記事の書き手が、数値と人間の間の恐ろしい真空を、生きた言葉で埋めようとしていないために、なにごとも表現していない状況が続いた。

 著者にとって、広島に落とされた原発は単なる「数値」などではありえない。被爆体験はないが、中学3年生の時に読んだ 原民喜の小説 「夏の花」から得た迫体験が、心の奥深く刻み込まれたからだ。

この小説のなかに、次のようなカタカナの1節が挿入されている。

ギラギラノ破片ヤ
 灰白色ノ燃エガラガ
ヒロビロトシタ パノラマノヨウニ
アカクヤケタダレタ ニンゲンノ死体ノキミョウナリズム
スベテアツタコトカ アリエタコトナノカ
パット剥ギトツテシマッタ アトノセカイ
テンプクシタ電車ノワキノ
馬ノ胴ナンカノ フクラミカタハ
ブスブストケムル電線ノニオイ


「スベテアツタコトカ アリエタコトナノカ」
 「パット剥ギトツテシマッタ アトノセカイ」
この2行について著者は「そのまま大震災、原発メルトダウンにあてはめてもなんら違和感はありません」と書く。

 さらに著者は、"数値報道"で隠されてしまった「ひとりひとりの死」について考える。    シベリア抑留体験をした詩人、石原吉郎の言葉を引用している。

 
私は、広島告発の背後に、「一人や二人が死んだのではない。それも一瞬のうちに」という発想があることに、つよい反撥と危倶をもつ。一人や二人ならいいのか。時間をかけて死んだ者はかまわないというのか。戦争が私たちをすこしでも真実へ近づけたのは、このような計量的発想から私たちがかろうじて脱け出したことにおいてでは なかったのか。
 「一人や二人」のその一人こそが広島の原点である。年のひとめぐりを待ちかねて、燈寵を水へ流す人たちは、それぞれに一人の魂の行くえを見とどけようと願う人びとではないのか。広島告発はもはや、このような人たちの、このような姿とははつきり無縁である。
              (「アイヒマンの告発」『続・石原吉郎詩集』思潮社より)


 著者は「『一人の魂の行くえを見とどけようと願う』だけでよいのか」と自問しつつ、 堀田善衛の著書のなかにある「人間存在というものの根源的な無責任さ」という言葉に救いを求めようとする。「人間存在の無責任さ」を「私自身の無責任さ」と、置き換えることによって・・・。

  
......大火焔のなかに女の顔を思い浮べてみて、私は人間存在というものの根源的な無責任さを自分自身に痛切に感じ、それはもう身動きもならぬほどに、人間は他の人間、それが如何に愛している存在であろうとも、他の人間の不幸についてなんの責任もとれぬ存在物であると痛感したことであった。それが火に焼かれて黒焦げとなり、半ば炭化して死ぬとしても、死ぬのは、その他者であって自分ではないという事実は、如 何にしても動かないのである。
                            (『方丈記私記』ちくま文庫より)


 辺見庸の作品は、年々難しくなっているように思う。3・11前後に書かれた何冊かを手にしたが、浅学菲才の頭脳が消化できず、途中下車してしまった。

 「あとがき」のなかで著者は「この本のテーマ(キーワード)は『言葉と言葉の間に屍がある』と『人間存在というものの根源的な無責任さ』」と書いている。

 「言葉と言葉の間に屍がある」も本文にある。やはり消化できないままでいる。

 

2012年2月26日

読書日記「イエスの言葉 ケセン語訳」(山浦玄嗣著、文藝春秋新書)


イエスの言葉 ケセン語訳 (文春新書)
山浦 玄嗣
文藝春秋
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この本が誕生したいきさつは、序文「はじめ」のなかで説明されている。

 3・11の東北大津波で、医師である著者の診療所がある大船渡市も市街地の半分が流された。 カトリック信者である山浦医師は、古代ギリシャ語で書かれた新約聖書を、東北・ 気仙地方で普段に使われるケセン語訳で出すことに挑戦した。だが、出版した大船渡市の イー・ピックス出版も社屋を失った。

ところが、奇跡が起こった。

津波でつぶれた出版社の倉庫の泥にまみれた箱の中からほとんど無傷の三千冊のケセン語訳聖書の在庫が見つかったのだ。津波の洗礼を受けた聖書として有名になったケセン語訳聖書は、日本中の人びとの感動を呼び、数カ月で飛ぶように売れてしまった。

そんな時、文嚢春秋の女性編集者が「瓦礫と悪臭におおわれた惨憤たる道を踏み越えて」訪ねてきた。

ケセン語訳聖書がこんなに多くの人びとに喜ばれ、受け入れられているのは、難解だった従来の聖書の翻訳をほんとうにわかりやすくしたからです。この心を全国の人びとに伝えたい。人の幸せとは何かと問う福音書の心こそ、災害に打ちひしがれている日本人によろこびの灯をともすはずです。イエスのことばをふるさとのことばに翻訳した中で得た多くのことをぜひ本にしてみなさんに読んでいただきましょう!


   この本は、イエスの言葉を引用しつつ、山浦医師の生きざま、復興に立ち向かう東北の人々の思いのたけを綴っている。

話し言葉である「ケセン語」を、文章に直すのは至難の業だったろう。だから最初に「ケセン語の読み方」という注釈がついている。

本文で、「が(●)ぎ(●)ぐ(●)げ(●)ご(●)」はガ行濁音で、「がぎぐげご」はガ行鼻濁音で読む。
 振り仮名で「ガギグゲゴ」はガ行濁音、「がぎぐげご」はガ行鼻濁音。また、振り仮名で促音「つ」は「ツ」と書く。

*尚、聖書引用は日本聖書協会『聖書新共同訳』による。


 学生時代に東北地方を旅し、列車の中で出会った行商のおばさんたちが話す言葉がさっぱり分からず、あ然、がく然とした思い出がある、

 この本に書かれた「ケセン語」のイエスの言葉もちっとやそっとでは理解できない。しかし、それに続く山浦医師の解説は、カトリック信者のはしくれである私にも「目からうろこ」の連続だった。そして「ケセン語訳」イエスの言葉が身にしみてくるのである。

敵(かだギ)だってもどご(●)までも大事(でァじ)にし続(つづ)げ(●)ろ。
                           (ケセン語訳/マタイ五・四四)

敵を愛し...(中略)...なさい。
                                (新共同訳)


 「ケセン語には愛ということばはない。・・・そういうことばは使わない」。山浦医師は、東北人らしく率直に切り出す。

 「愛している」なんて、こそばゆくて、むしずが走るようなことばだ。『神を愛する』なんて失礼な言葉はない。『お慕申し上げる』ならわかるが、『愛する』はないでしょう。ペットではあるまいし!」

 「ギリシャ語の動詞アガパオーを『愛する』と訳したために、聖書の言葉が日本人の心に届いていない」。420年ほど前のキリシタンは「大切にする」と訳し、「愛する」は妄執のことばとして嫌ったという。

「『お前の敵を愛せ』は誤訳だ。イエスは『敵(かたギ)だっても大事(でアじ)にしろ。嫌なやつを大事にすることこそ人間として尊敬に値する』と言っているのだ」

医師の言葉は、どこまでも先鋭かつ鮮烈である。

願(ねが)って、願(ねが)って、願(ねげ)ア続(つづ)げ(●)ろ。そうしろば、貰(もら)うに可(い)い。探(た)ねで、探(た)ねで探(た)ね続(つづ)げろ。そうしろば、見(め)付(ツ)かる。戸(と)オ叩(はで)アで、叩アで、叩(はだ)ぎ続(つづ)げろ。そうしろば、開(あ)げ(●)もらィる。
 誰(だん)でまァり、願(ねげ)ア続(つづ)げる者(もの)ア貰(もら)うべし、探(た)ね続(つづ)げる者(もの)ア見(め)付(ツ)けんべし、戸(と)オ叩(はだ)ぎ続(つづ)げる者(もの)ア開(あ)げ(●)でもらィる。
                        (ケセン語訳/マタイ七・七~八)

求めなさい。そうすれば、与えられる。
 探しなさい。そうすれば、見つかる。
 門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。
 だれでも、求める者は受け、探す者は見つけ、門をたたく者には開かれる。
            (新共同訳)


 山浦医師は、この箇所をケセン語に訳そうとした時、新共同訳を見て「ちょっと待てよ」と思った。
 「人生を振り返って、求めたからといって与えられるとは限らない。・・・それどころか、求めて得られず、探して見つからないことが多すぎるからこそ、・・・人生で苦労している」

 疑問の答えが見つからないまま、ギリシャ語文法の勉強をしていた時、ギリシャ語の命令形には、その動作を継続して実行することを要求する「継続命令」と、ひとくくりに一回性のものとして要求する「単発命令」という2つの種類があることに気づいた。
  マタイ伝を読みなおして「求めろ、探せ、たたけ」は「継続命令」であることが分かった。 そして、ケセン訳と同時に、こんな日本語"私訳"をつくった。

  
願って、願って、願いつづけろ。そうすれば、貰える。
 探して、探して、探しつづけろ。そうすれば、見つかる。
 戸を叩いて、叩いて、叩きつづけろ。そうすれば、戸を開けてもらえる。
 誰であれ、願いつづける者は貰うであろうし、探しつづける者は見つけるであろうし、戸を叩きつづける者は開けてもらえる。 


 医師は続けて書く。
 「イエスはたとえ話しの後でよく『聞く耳のある者は聞け』といいます。これは継続命令です。・・・一度聞いた話を心の中で何度も反芻し、繰り返し繰り返し、聞き続けろということです。"神さまのお取り仕切り(ケセン語訳で神の国、天の国のこと)"に参加するには、このしつこさが必要なのだと、イエスはしつこくしつこくいっている・・・。」

   この本の巻末に「新しい聖書翻訳のこころみ」という数ページがある。
 例えば「永遠の命」は「いつまでも明るく活き活き幸せに生きること」、「心の貧しい人」は「頼りなく、望みなく、心細い人」、「柔和な人」は「意気地なし、甲斐性なしなし」・・・。

 池澤夏樹の 「ぼくたちが聖書について知りたかったこと」という本にこんな一節がある。

 
秋吉さん(秋吉輝雄・立教女学院短期大学教授)は、本来、聖典は朗諦・朗詠されるものだと書かれていますね。その意味で見事なのは、岩手の山浦玄嗣さんというお医者さんが出したケセン語訳の聖書「ケセン語訳新約聖書」( イー・ピックス刊、二〇〇二)です。福音書を岩手県気仙地方の言葉に訳したのですが、あれはまさしく読むだけでなく、朗唱するものとして作られている。山浦牧師(?)は、信仰というものは魂に訴えるのだから、生活の言葉でなくてはダメだと考えて、ケセン語訳をしたんです。聞いていた信者のおばあさんが「いがったよ! おら、こうして長年教会さ通ってね、イエスさまのことばもさまざま聞き申してきたどもね、今日ぐれァイエスさまの気持ちァわかったことァなかったよ!」 と言ったとか。


 この「ケセン語訳新約聖書」が、3・11で奇跡的に見つかり、完売した聖書だ。

一方で、山浦医師らの長年の夢が3・11で失われた。「ケセン語になじみのない一般の日本人にもたのしめるような『セケン(世間)語訳』を出してほしい」という要望で、日本各地の方言をしゃべる新しい福音書が出版を間近にして流されてしまったのだ。

 しかし「日本中のふるさとの仲間にイエスのことばをつたえようという望み」は消えなかった。生き残った社員が集まり、山浦医師の書斎に残っていた原稿から新しい版を起こす仕事が始まった。

山浦玄嗣医師訳 「ガリラヤのイェシュー;聖書-日本語訳新約聖書四福音書」(イー・ピックス出版)は、昨年11月に出版された。

山浦医師によると「イエスは仲間内で喋るときには方言丸出しだが、改まったお説教をするときや、 階級の上の人に対しては公用語を使う。さらに、ファイサイ衆は武家用語、領主のヘロデは大名言葉、 ユダヤ地方の人は山口弁。ローマ人は鹿児島弁、 ギリシャ人は長崎弁」と全国各地の方言が飛び交う。

芦屋市立図書館には、すでに所蔵されていた。予約したが、まだ手にすることはできていない。

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2012年2月14日

読書日記「舟を編む」(三浦しをん著、光文社刊)


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 この著者の作品を、ブログで書くのは、2009年の 「神去(かむさり)なあなあ日常」以来。
 前著は、草食系の若者が三重県の山村に林業研修生として送りこまれ、たくましく成長していく話し。今回は大手出版社・玄武書房営業部に勤める27歳の落ちこぼれ、馬締(まじめ)が、定年後の後継者を探していた荒木に辞書編集部にスカウトされ、辞書造りのおもしろさに目覚めていく、というストーリーだ。

 著者は、こういったちょっと変わった職種を探し出し、取材を重ねて読ませる筋立てに仕上げるがなかなかうまい。

 荒木が最初に馬締に会いに行き、辞書編集部員に向いているかどうかをテストするシーンがおもしろい。
 荒木は「しま」という言葉を説明してみろ、と問いかける。
 
「ストライプ、アイランド、地名の志摩、『よこしま』や『さかしま』のしま、揣摩臆測(しまおくそく)の揣摩、仏教用語の四魔・・・」
 ・・・荒木は急いでさえぎった。「アイランドの『島』だ」
 「そうですね。『まわりを水に囲まれた陸地』でしょうか。いや、それだけではたりないな。江の島は一部が陸とつながっているけれど、島だ。となると」
 馬締は首をかしげたままつぶやいた。荒木の存在などすでにそっちのけで、言葉の意味を追求するのに夢中になっている様子だ。
 「まわりを水に囲まれ、あるいは水に隔てられた、比較的小さな陸地」と言うのがいいかな。いやいや、それでもたりない。「ヤクザの縄張り」の意味を含んでいないもんな。『まわりから区別された土地』と言えばどうだろう」
 ・・・あっというまに「島」の語義を紡ぎだしていく馬締を、荒木は感心して見守り、辞書を取りに走ろうとするのを、あわてておしとどめた。


 馬締は、新しく編纂することになった辞書「大渡海」の実質的な編纂責任者に引き抜かれる。

 最近、本の 装丁が気になるようになった。装丁の対象になる箇所の名前は、 大阪府立中之島図書館のホームページが参考になった。

 クリーム色の「帯紙」には「辞書とは大海原を航海するための舟」と目立つ2色の大文字で書いてある。カバー(ジャケット)には、群青(ぐんじょう)一色の海原をはしる帆かけ舟と「舟を編む」という表題が銀色で「箔押し(まがい?)」してある。堺市在住の 大久保伸子のデザインだ。
 表紙は、漫画家 雲田はるこが描く辞書編集部員や恋人たちのイラストで埋めつくされている。
  定年後も編集部にお目付け役として顔を出す荒木、体調不良をおして「大渡海」完成に命をかける顧問の松本元大学教授を含めた、辞書編纂にかける〝青春群像″がまぶしい。

 辞書を完成するまでの長い過程も、興味深く書かれる。

 
「大渡海」の見出し後の数は、約二十三万語を予定していた。「広辞苑」や「大辞林」と同程度の規模の、中型国語辞典だ。後発の「大渡海」としては、読者に手を取ってもらえるような工夫をこらさなければならない。
 ・・・馬締は(毎週の会議で)意見を述べた。「『大渡海』の用例採集カードには、ファッション関係の用語が著しく不足しています」


 社内で「大渡海」の編纂が中止になる、といううわさがたつ。
「既成事実を作ってしまいましょう」と時期尚早は承知のうえで、各分野の専門家に辞書原稿の執筆を依頼してしまうことになり、編集部員は「見本原稿」と「執筆要領」の作成に取りかかる。
手薄だったファッション関係の専門家に先行して連絡を取ったため、出版業界で「玄武が新しい辞書の編纂に着手したらしい」と噂されはじめた。
 「だったら、噂をもっと広めてしまえばいい。これぞという専門家にどんどん原稿を依頼し、玄武書房辞書編集部がいかに本気か、社の内外に知らしめる」という作戦だ。

 しかし「執筆要領」1つを書くのも、言葉を選んでいくというのは、至難の業だ。
 
ひとつの言葉を定義し、説明するには、必ずべつの言葉を用いなければならない。言葉というものをイメージするたび、馬締の脳裏には、木製の東京タワーのごときものが浮かぶ。互いに補いあい、支えあって、絶妙のバランスで建つ揺らぎやすい塔。すでに存在する辞書をどんなに見比べても、たくさんの資料をどれだけ調べても、つかんだと思った端から、言葉は馬締の指のあいだをすり抜け、脆く崩れて実体を霧散させていく。


 主人公を通して語られる、著者自身の言葉への熱い思いである。

 辞書づくりのためには、印刷する用紙の開発もポイントになる。製紙会社の営業マン・宮本が見本を持ってやって来る。
 「『大渡海』のために開発した自信作です。暑さは五十ミクロン、1平方メートルあたり四十五グラムしかありません。・・・それだけ薄いのに、(ページ裏の文字が透けて見える)裏写りはほとんどしません」

試作品をためつすがめつしていた馬締が、突然叫んだ。
 「ぬめり感がない!」・・・
 書棚から「広辞苑」が運ばれる。・・・「指に吸いつくようにページがめくれているでしょう。にもかかわらず『紙同士がくっついて、複数のページが同時にめくれてしまう』ということがない。これが、ぬめり感なのです!」


 「大渡海」の本格的な編纂作業に取りかかるまでに、十三年の月日がたっていた。

 でき上がった原稿を何度も推敲し、できるだけ字数を削っていく。用例がある項目は、その言葉が使われている文献をひとつひとつ確認する。その原稿に編集部員総出で級数(文字の大きさ)やルビの指示を入れ、やっと印刷所に回せる。

 試し刷りの紙で「ちしお【血潮・血汐】」という見出し語が抜けていることが分かり、アルバイト学生も動員して徹夜、泊まり込みの確認作業は1カ月に及んだ。

 「大渡海」の装丁もでき上がった。
 
箱も、本体の表紙とカバーも、夜の海のような濃い藍色だ。帯は月光のごちき淡いクリーム色。・・・本体の天地につけられる、飾りとなる花布は、夜空に輝く月そのものの銀色をしている。
 「大渡海」という文字も銀色で、藍色をバックに堂々たる書体で浮かび上がる。・・・背の部分には、古代の帆船のような形状の舟が描かれ、いままさに荒波を越えていこうとするところだ。


 なんと「舟を編む」の装丁そのままなのだ。しゃれてますね!

 この作品は、紀伊国屋書店のスタッフが選ぶ 「キノベス!2012」の第1位に選ばれた。4月に決まる 「本屋大賞」の候補作品にもなった。

 (追記)2012年4月11日
 見事「2012年本屋大賞」に決まりました。おめでとうございます。

2012年1月30日

読書日記「ふたつの故宮博物館」(野嶋剛著、新潮選書)


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 現在、東京国立博物館で開催されている 特別展「北京故宮博物院200選」が、北宋時代の名品 「清明上河図」(今月24日で展示終了)が日本で初めて公開されたこともあって、長蛇の列らしい。

 私もこれまで大阪や京都で開催された 北京故宮博物院展をのぞいたことがあるが、もう1つ感動が薄かった。
  西太后が着ていたという埃っぽい衣装や皇帝・溥儀 がヨーロッパから取り寄せたという自転車まで見せられてガッカリしたこともある。
 2009年秋に北京を訪ねた際にも、今は故宮博物院になっている世界遺産、 紫禁城の建物はすばらしく感じたが、知識のなさもあって展覧品はあまり印象に残っていない。

  蒋介石が台湾に逃れた際に、紫禁城(故宮)の重要な宝物をほとんど持ち去り、現在は台北の 国立故宮博物院に所蔵されていると聞かされ「本物は、台北にある」と思いこんでいたせいかもしれない。

 朝日新聞の元台北特派員が書いた表題の本には、このあたりの事情をじっくり書き込まれていておもしろい。

 「故宮は不思議な博物館である」と、著者は切り出す。
まったく同じ名前の博物館が、中国と台湾にそれぞれ存在している。商標権の侵害で訴訟合戦になっても不思議ではない。だが、現実には「ふたつの故宮」はお互いの存在を否定もせず、「我こそは本家」と声高に叫ぶこともしない。ただ、黙々と同じ名前を名乗っている。


 2011年5月の資料によると、「北京故宮」は、180万点を収蔵、うち85%が清朝が残した(清代以前のものを含めてという意味)文物。「台北故宮」は約68万点、清朝が残した文物が90%を上回る、という。その収蔵方針は「中華文明の粋を集める」こと。
 フランスのルーブルや、米国のメトロポリタンのように、世界の文化財を集めることに、まったく興味を示していない。

中華とは「文明の華やかな世界の中心」という意味を持つ。中華というのは、あらゆる面で卓越した中華王朝の政治があまねく世界に行き渡る際に、野蛮な異民族といえども礼儀や道義など優れた文化を身につけることによって中華の一員となることができる、という華夷思想の根幹にかかわる概念である。逆に言えば、中華文化以外は一切の価値がないということになってしまいかねない排他的な発想も内包しており・・・


 まったく見事というしかない「中華思想」の結実が、2つの故宮博物館なのだ。
 だから「台北故宮にはその所在地である台湾の文化の断片すら発見することは難しい」という奇妙なことが起こる。

  国民政府とともに中国本土からやって来た人々は約200万人。それに対し、当時の台湾の人口は700万人ほどだった。地元・台湾の人々は、鉄砲水のように流れ込んできた「中華思想」に戸惑いを隠せなかったことだろう。

台湾の多くの庶民にとって、台北故宮が必ずしも「誇り」の対象でないことに台湾で暮らしているうちに気づかされた。・・・「故宮についてどう思うか」という問いをぶつけると、多くの人が困ったような表情を浮かべる。「台湾の誇りです」と答える人は少ない。「すごい」とは思っても、親愛の情や誇りを抱く理由が多くの台湾人には思い当たらないからだ。


 日清戦争に敗北した清朝は、台湾を日本に割譲した。「清朝にとって台湾は辺境のなかの辺境であり、日本にくれてやっても惜しくない、という判断があった」
台湾が「中華文化圏に含まれない」という理由で中国から棄てられたと広く信じられたことは、台湾の人々にとって根深いトラウマ(心的外傷)になり、台湾の民進党が台湾独立意識やアンチ中国意識を持つ根源的な動機になった。


 ただ、2008年の 民進党から 国民党への再度の政権交代以降、中国、台湾の関係も改善された。両故宮の交流も進みつつある、という。「もともと故宮は一つであるのは事実であり、政治権力によって引き裂かれたふたつの故宮に、『相互補完性』があるのは間違いない」からだ。
例えば、収蔵品の内容について言えば、台北故宮最大の強みは、宋代の書画や陶磁器をそろえていることである。なぜなら、宋代こそが中華文明の最高到達点であり、限られた時間と限られたスペースという台湾移転前の厳しい条件下で、故宮のキュレーターたちが台湾に持ち運ぶことにしたのは宋代の収蔵品が中心だったからだ。
 一方、明、清の文物については、共産党による革命後の文物収集の成果もあって、北京故宮が質量ともに勝っている。・・・例えば明代の染付の磁器や清代の絵付けの 琺瑯彩なども実際は素晴らしい。考古学的な領域である古代の出土品については、中国大陸で戦後に行われた発掘調査の成果が大半のため、収蔵先は北京故宮に集中しており、台北故宮は皆無に等しい。


 今、北京と台北の故宮を近づける1つのプロジェクトが進行している。両故宮展の日本開催である。
  司馬遼太郎平山郁夫などの文化人やマスコミが政治を動かし、台湾が求めていた美術品の差し押さえ免除の法律(海外美術品等公開促進法)も昨年秋の日本の通常国会で成立、環境は整った。

 昨年末の台湾総統選で再選された国民党の 馬英九総統は、昨年5月の著者のインタビューに「二〇一三年の実現が適切なタイミングかもしれない」と踏み込んだ発言をした。
 中国も「中華を中台の絆として強調するため、中台故宮の交流を巧みに政治利用している」と、著者は分析している。一方で、清朝末期から世界に拡散していった文物が中国に戻っていく時流もはっきりしてきた。
中国と台湾に存在する「ふたつの故宮博物館」は、歴史の生き証人であると同時に、中華世界の未来を見極める指標なのである。


 ところで、この本にちょっと気になる記述がある。 「台北故宮には『三宝』と呼ばれる三つの超人気収蔵品がある」という。 1つは、白菜をかたどった翡翠彫刻の傑作 「翠玉白菜」。2つ目は、豚の角煮をメノウ類の鉱物を使って掘り上げた 「肉形石」。 最後が、北宋の都の生活を描いた 「清明上河図」。なんと、このほど東京国立博物館に北京故宮から持ち込まれて人気を読んだ「清明上河図」と同じ名前である。
 この2つは、同じ作品が分割されて両故宮に存在するのか、それとも別の作者の作品なのか?
 両故宮展の日本開催が、ますます待たれる。

北京の故宮博物院(紫禁城)の建物と文物(2009年9月)
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2012年1月 9日

読書日記「ディアスポラ」(勝谷誠彦著、文藝春秋刊)


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 日本人の精神構造を大きく変えてしまった「3・11」。文学の分野でも、これから「フクシマ」をテーマにした様々な作品が発表されていくのだろう。

 川上弘美の 「神様 2011」については、このブログでもふれた。この小説もポスト「フクシマ」の1つだろうと思って手にしたが、10年前に書かれたものと知っていささか驚いた。随所に故・小松左京の名著「日本沈没」に似た予見があふれている。

著者の勝谷誠彦のことはまったく知らなかったが、ちょっと破天荒な経歴を持つコラムニストだったことも、ちょっとした驚きだった。

「事故」とだけ呼ばれる出来事で日本列島は居住不能になり、日本人は世界中に設けられた難民キャンプに散っていく。
主人公の「私」は国連職員。チベットの首都・ラサから2000キロも離れた奥地・メンシスに「日本人難民状況巡回視察官」として派遣されて来る。

キャンプで人々がランプの灯火の下ひそひそと話す夜、ただ「事故」と呼ばれる出来事、私たちが有史以来くぐり抜けてきた災厄など語るほどのことですらないと思われる、あの出来事・・・。
 (灯)の背後の闇にこそ、会うべき人々がうずくまっているのである。東海に浮かぶ恵まれ過ぎた島に、ぬくぬくと何十万年も抱かれていた人々が、裸で、むつきもされぬ赤子のように。


難民キャンプのあるチベットの地は、世界最大級の高原が広がる自然豊かな土地だった。しかし、今やいたるところで腐臭が漂う場所になってしまった。

コンクリートで造られた階段を上がると、四角に切られた穴が並ぶのだが、そこまでたどり着くのが苦行なのだ。人糞の散乱は階段から始まる。なんとか踏まずに昇っても、穴の横には足を置く場所がない。大便の主は、すべからくここで漢人と呼ばれる中国人だ。チベット人たちは遊牧民の誇りとして、便所などというものは使わない。


キャンプの近くの湖には、苛性ソーダが飽和状態ぎりぎりまで溶け込んだぬめぬめとした異臭を放つ水が寄せている。プラスチックやガラスの砕けたものなども累々と重なりあっている。
このことは漢人の宿痾(しゅくあ)としか私には思えない。彼らは、いかなる美しい風景の中にも平気でゴミを投げ捨てるのである。


こんな描写で、著者は、 チベット自治区という名のもとに中国がこの地域を支配、チベット人はすでに"難民"になっている現状を浮かび上がらせる。

この地域の日本人難民キャンプを統括しているユダヤ人の国連職員・ダヤンが登場してくることで、表題の 「ディアスポラ」の意味が分かってくる。

 
「私たちは二千年間、世界に散らばっていました。紀元七三年 マサダという砦に立てこもっていた最後のユダヤ国民がローマに滅ぼされてから、再び建国に成功するまで。その出来事を私たちは民族離散、ディアスポラといいます」


 
ディアスポラ。今日からここにいる(日本の)人々の生には未来永劫、禍々しい影のように、その言葉が寄り添うに違いない。


 ユダヤ(イスラエル)人のダヤンの口を通して、国連、世界は日本人に終わることのない放浪を強いようとしていることが示される。

 実は「私」は、国連職員としての仕事以外に、かって日本を支配していた「組織」の人々から"密命"を受けている。

 
もし、また日本人たちがどこかで土地を得て集まろうとする時に、はたして求心力たりうるものがあるのかどうかということを、あの人々は考えているのである。・・・
 世界中に散った、日本人たちの集団の中に、新たなる「核」が生まれつつあるのか。「組織」の彼らは、少なくともそれを知りたいのだ。


 しかし難民キャンプにいる日本人の一部は、チベットの風土に同化する道を選ぶ。

 高山病に苦しんでいた中年の主婦が、不法就労で働いていた店で殴られたのがもとで死ぬ。夫と娘は火葬でも土葬でもなく、 鳥葬を選ぶ。「お母さんを風に還すの」と、娘はつぶやく。

 娘の友人であるチベット人・ナムゲルは、こう説明する。
「まず、魂を抜く。あとの肉体は、モノだ。それでも天上に送るために、鳥に食べさせるのだ。専門の処理人が、鋭いナイフなどをつかって、遺体を切る。細かく、細かくだ。小麦粉を混ぜ込むこともある。それを、岩の上に置く。すると、鳥たちがあつまってきて、食べていく。あっという間。おしまい」

 鳥葬場までは遺体と処理人しか行くことを許されていない。最後のわかれの儀式は、峠で行われた。僧たちの読経が終わった後、列席した日本人たちが歌い出す。
 うさぎ追いし、かの山
 小鮒釣りし、かの川・・・ 


 やって来たユダヤ人・ダヤンがしたり顔で講釈する。
 
「家族や民族はどうしても、二つのことにこだわるんだよ。名前と、肉体の始末だ」
 「しかし、そんなものはとどのつまり、どうでもいいことだ。・・・魂は名前を持たず、魂は肉体を持たない」
 「けれども、そのこだわりが、家族や民族のよりどころじゃないのか」
 「ヘッ」
 ユダヤ人は、足元の石を蹴る。・・・
 「名前のかわりに番号を刺青され、影も形もなくなるまで、バーナーで燃やされ、いや、それどころか髪の毛で、スーツ、脂(あぶら)で石鹸を作られても、彼らはユダヤ人だった」


 母を見送った娘は、チベット人の青年の手にしっかりと握られて、高原のなかに消えていった。

 読み終えて、あまりに長い歴史を持つ 「ホロコースト」を思い、「3・11」以降"沈みゆく"列島のなかでもがいている日本人の「核」はなになのか・・・と問いかけてみる。

2011年12月26日

読書日記「獅子頭(シーズトオ)」(楊逸(ヤン イー)著、朝日新聞出版)、「おいしい中国 『酸甜苦辣』の大陸」(同、文藝春秋)



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 半年ほど前だったろうか。通っている中国語教室の教科書に 「紅焼獅子頭(ホンシャオシーズトオ)」という中国料理が載っていた。

 そんなことがきっかけで、表題の「獅子頭(シーズトオ)」を図書館で借りてみたくなった。この 作家をこのブログで書くのは 「時が滲む朝」以来。朝日新聞の連載だそうだが、いささか荒っぽい筋立てが気になって・・・。

 根っからの食いしん坊。小説の展開より「獅子頭」をはじめとする中国料理の記述に眼がいってしまった。

 貧村出身の主人公、二順(アール シュン)は、入団した雑技団から選ばれて上海公演に参加、有名なレストランでの打ち上げパーティに出る。

 
次は巨大な肉団子の入った土鍋が運ばれた。
 狐色のソースをたっぷりとかけられ、獅子の長いたてがみを見たてた細い千切りの生姜は、まんべんなく丸っこい肉団子を覆っている。箸でつっつくと、肉汁がジワッと中から滲み出て、思わず涎も垂れてしまいそうになる。


  中国の検索エンジン 「百度(バイドウ)」で見ると、「獅子頭」は、 淮河 長江(揚子江) の下流一帯のこと。昔は、 呉越と呼ばれた土地。著者によると「東北料理の暴走する塩味と四川料理の命がけの辛さ」とは異なる食文化を伝承してきた。

 雑技団を辞め、料理店に修業に入った二順に、店主はこう言ってきかす。

 
淮揚地方は海に近く、湖沼が点在する平野地帯で、湿潤で暖かい気候にも恵まれているし、一年中作物が取れるし、淡水の水産物も海産物も豊富だから、料理は食材の鮮度を大事にできるんだ。食材の味を最大限に生かすためにも、あっさりとした味付けになる。また少し甘みを加えることで、ふわふわとした柔らかい食感にうまみを増し、食事によく飲まれる淡くほろ苦い緑茶にもよく合っているんだ。


 
1949年 毛(マオ)主席が天安門で、新中国成立を宣言した後の開国宴も、淮揚料理だったんだ。


 二順は、醤油で煮込んで赤い色をしている「紅焼獅子頭」だけでなく、塩を少し入れるだけで蒸した 「清蒸(チンチェン)獅子頭」にも挑戦していく。

 
味付けした挽肉に、更に生姜汁をかけ、上に卵の黄身を落とした。雲紗(店主の娘で、二順の恋人)の細い手が菜箸で素早く掻き混ぜていく。
 二順は火にかけた鍋に、水を入れ、温度を測ってから真水につけていた蟹を入れた。塩を加えた後、じっと見つめ、蟹がきれいな赤に変わった瞬間に、ぱっと火を止め、隣のアミのかかった大鍋に、蟹もお湯も掛け流した。


 だが、店主の評価は厳しい。
 
(挽肉の)新鮮さは大事だけど、でも高けりゃいいってわけじゃないよ。料理に合うか合わないかを考えないと。肉の赤身が多すぎたな。脂身が少ないから、食べると肉汁も少ないし、滑らかな食感を出せなかったんだ。


 「獅子頭」は、この店の名物料理になり、二順は日本の有名中華料理店に派遣されることになる。

 ここで開発したのが上海蟹を使った冬のスペシャルメニュー 「蟹粉(シイエフェン)紅焼獅子頭」

 
シルバーのラインで縁取った白い楕円形の皿に、湯通ししたチンゲン菜の葉を敷き、その上に野球ボール大の獅子頭を一つ載せ、黒酢風味の利いた甘口のあんをたっぷりとかけた後、赤い上海蟹の肉を混ぜた蟹味噌を一つまみして整え、獅子頭の上に添える。


 この本の「あとがき」によると「食いしん坊とはいえ、料理に全くの素人」の作者は、横浜中華街の著名中華レストラン 聘珍樓に「取材させていただき、獅子頭を作ったことのない料理長は、わざわざ上海からレシピを取り寄せて、作ってくださった」とある。

 先日、たまたま聘珍樓の大阪店である方にご馳走になる機会があった。「獅子頭はありますか」と、注文を聞きに来た従業員に試しに尋ねてみたが「厨房に聞いてみます」と言ったきり、忙しかったせいか回答はなかった。「淮揚・獅子頭」はいまだに幻の料理のままである。

 「おいしい中国」は、「『酸(スワン=すっぱい)甜(ティエン=あまい)苦(クウ=にがい)辣(ラア=からい)』の大陸」という副題からも中国料理の文化史かなと思ったが、著者の貧しくても豊かだった幼少時代からの食生活回顧録だった。

 中国最北、ハルビン(中国名・哈尔滨=ハアアルピン)市に育った著者の家では、11月から春にかけては家の外にある野菜貯蔵の穴蔵が天然の冷凍庫だった。一番の好物は冷凍ナシだったが「氷糖葫芦(ビンタンフウルウ=串でつなげた酸っぱいサンザシをキャラメルで固めたもの)」が、冬限定のおやつだった。

 
外は氷のようにパリッとしたキャラメルが甘く、中は酸っぱいサンザシと融合した食感といい、味といい、たまらなかった。


 中国のお正月、 春節の丸ひと月の間、とにかく「粗糧(ツーリャン)=白い色をしていない雑穀類」を食べないよう、そして働かないようにするのが中国のならわしであるため、1月に入ると 餃子(ジャオズ)など大量の用意しなければならない。

 
(餃子や 饅頭(マントオ)など糧食の他、肉、魚も我が家の食卓を賑わせた。
  「红扒肘子(ホンタウチョウズ」(豚の骨付き脛肉の醤油イメージのもの)、 「香菇焖肉(シャンタウメンロウ)」、 「溜肉段(リュウロウトュアン)」 「干炸刀魚(ガンツア―タオイイ)」 「红烧鯉魚ホンシャオリイイイ」 「清蒸黄花魚」などのメインデイシュが日替わりで食べられる。とりわけ魚は、発音が「余」と同じであるため、中国の縁起料理になっている。


 貧しいながらも、みんなが楽しん生活も長くは続かなかった。 文化大革命期の1970年、教師をしていた両親は、ハルビンよりさらに北の辺鄙な農村に 下放されることになり、一家は引越しを余儀なくされた。

 与えられた家は、ドアも窓も吹きさらしの露天同然の廃屋だった。「傍らに座った母の、微かに震える背中から、おえつが響いてくる」。電気、ガス、水道もなく、照明用のろうそくも定量供給制だった。
 田んぼで働くかたわら、家の周囲に野菜畑を作り、家畜を飼った。稲作は出来ず、トウモロコシが主食。夏は、キュウリとトマトを菜園から取ってきてかじった。

豚の食べ方はハルビンと変わらなかったが、豚を解体した時に出る血に少量の塩を加えて蒸す「血豆腐(シイエトウフ)」はさっぱりした味。冬は、ナス、インゲン豆、大根を干した「干菜(ガンツアイ)」と白菜の漬物 「酸菜(スワンツアイ)」でしのいだ。千切り酸菜を豚骨スープに入れ、太めの春雨と一緒に煮込めば、東北の名物料理 「酸炖粉条(スワンツアイトウンフェンティアオ)」が出来上がる。

「日本に来る直前までの、生まれてから二十二年間は、貧しい食生活だったが、こうして文字に書き出したことによって、かっては味わったことのない郷愁が、じわじわとにじみ出てきた」。著者は、最後のページでこう書いている。東京新聞夕刊の連載コラムだった。

 (追記)本棚にあった 「中国食紀行」(加藤千洋著、小学館)という本をパラついていたら「毛沢東が愛した農民の味」という1章があった。

 毛沢東は、開国宴に淮揚料理を選んだが、 湖南省の農民の子だっただけに、 湖南料理が好物だったらしい。なかでも、特に好んだ料理を「毛家菜(マオジャアツアイ)と呼ぶらしい。
 北京には、毛沢東の専属コックとして仕えた人が最高顧問の「天華毛家菜大酒楼(テイエンフウアマオジャアツアイダアジオウロウ」というレストランがあり、入り口の金色に輝く毛像が鎮座している、という。

そこの店長におすすめの料理を聞いたら、たちまち 紅焼肉(ホンシャオロウ=豚肉のしょうゆ煮込み)、 油炸臭豆腐(ヨウツア―チョウトウフ=発酵させた豆腐をあげたもの)、 炒肚糸(チャオトウスー=豚の胃袋の千切り炒め)、 東安鶏(トンアンチー=鶏肉とネギの煮込み)などをあげた


2011年11月30日

読書日記「本の魔法」(司修著、白水社刊)


本の魔法
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司 修
白水社
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 表題にひかれて図書館で借りたが、予想外のもうけものの本だった。

 著者は、装丁家と知られる人らしいが、同時に画家、絵本作家として多彩な活躍をし、川端康成賞を受賞したり、芥川賞候補になったりしたこともある小説家でもある。

 目次を開くと「藍」「朱」「闇」など画家の表現らしい1文字の下に、15人の作家の名前と作品が並んでいる。
 司修が装丁した本を引用し、それをどう読んで装丁を思いつき、作者とどう付き合い、自分自身の人生を深めていったかを綴る稀有のエッセイである。あとがきによると「本の魔法にかかって、びりびりと感じたもの記録である」という。

 取り上げられている作家と作品は、古井由吉「杳子・妻隠」、武田泰淳「富士」、埴谷雄高「埴谷雄高全集」、島尾敏雄「硝子障子のシルエット」「死の棘」、中上健次「岬」、江藤淳「なつかしい本の話」、三島由紀夫「癩王のテラス」、森敦「月山」、三浦哲郎「白夜を旅する人々」、真壁仁「修羅の渚―宮沢賢治拾遺」、河合隼雄「明恵 夢を生きる」、松谷みよ子「私のアンネ=フランク」、網野善彦「河原にできた中世の町」、水上勉「寺泊」、小川国夫「弱い神」。

 いずれも、戦後を代表する文学作品だという。読んだ作品はいくつもないので、最初はとまどいがあったが、知らない間に司修の描く魔法の世界に魅了されていった。

 武田泰淳「富士」の項では、作家と付き合いを重ねているうちに、夫人の武田百合子のファンになってしまい、夫人が武田泰淳の死後書いたエッセイ「富士日記」の何か所かが引用されている。以前に、この ブログでもふれたが「富士日記」は私の何年も前からの愛読書でもある。

 司修は、こう書く。
 
乱暴な、無謀ないい方をすれば『富士』は、武田さんにとって百合子さんを知りつくすために、書かれたといえるかもしれない。人間の謎を解こうとするにはあまりに近く大きく存在していた百合子さんのために、遠回りして。


読んでアッと思った。作家の心に深く入り込もうとした装丁家は、そこまで読めるのか・・・。

 江藤淳「なつかしい本の話」の項では「単行本の装幀や装画と相まってわかってくる本の魅力について」江藤の著作を引用している。

 
本というものは、ただ活字を印刷した紙を綴じて製本してあればよい、というものではない。
 ・・・沈黙が、しばしば饒舌より雄弁であるように、ページを開く前の書物が、すでに湧き上がる泉のような言葉をあふれさせていることがある。その意味で、本は、むしろ佇んでいるひとりの人間に似ているのである。


 
かって私の心に忘れがたい痕跡をのこし、そのままどこかに行ってしまった本のことを考えていると、表紙のよごれや、なにを意味しているのかよく分からなかった扉の唐草模様、それに手にとったときの感触や重味などが、その本の内容と同じくらいの深い意味を含んで蘇って来る。


 森敦「月山」の項では、装丁を巡る装丁家と編集者の丁々発止のやりとりが続く。

 
装幀は、何も語らず、物語のいっさいを伏せて、知らん顔して、しかし深く入り込むほうがいいし、「月山はこの眺めからまたの名を臥牛山と呼」ぶ姿を、実際の月山の写真やスケッチではなく、牛の背であらわせたら最高だ、と思った。
 ぼくの持っている『世界素描全集』の中に、日本の墨絵が素描として扱われ、作者不詳の、形のいい牛があるのを思い出した。本棚から取り出してみると、「月山」のために待っていたかのような牛の絵は、「モウワタシイガイニアリマセン」といっていた。


 しかし「こんな簡単に装幀が完成してしまっていいのか」と、司はじくじたるものを感じる。「月山」を読み返しながら、装丁のイメージを何度となく描いてみる。

 やって来た(編集者)の飯田さんと午後4時ごろから酒を飲む。飯田は、示した装丁原稿が気に入らないらしい。飲み続けて午前零時を回ったころ、司はたまらず素描全集の「牛の絵」を開く。

飯田さんは「歌舞伎役者のごとく膝を打って、「これです」と絶叫した。ぼくは装幀者として、何の作業もしないデザインを恥じていたのだと思う。
 飯田さんは、酔い方もしゃべり方も変わり、躍り出さんばかりだった。・・・無言の闘いが解決すると、彼もぼくもハイになり、・・・


小川国夫「弱い神」の項では、2人が「もう1軒「「もう1軒」と飲み歩き、飲みつくすエピソードが何回も登場する。そこには、司修の小川国夫への深い敬慕の念が満ちあふれている。 

昔のことです。春の明け方の、光や音がよく澄んだ冷たい坂道を、小川さんとぼくが酔っぱらって歩いている。三日三晩ぶっつけで、目覚めると酒場に行き、小川さんを慕う若い男女が集まってくると、小川さんの小説の中の恋愛について語り、そのなりゆきにそれぞれの経験を重ねて語り明かしました。といいても、たあいないものです。しかし酔うほどに真剣度は増していきました。


(奄美大島の酒場で)小川さんは島の男に捕まって、文学論をふっかけられていました。小川さんは怒らない人ですから、丁寧に返事をしていました。ぼくは困ったなと思い、その文学談義をやめさせようとして、その場に入って行って、何やらめちゃくちゃなことをいっておりましたら、小川さんが「あんたばかか」といったんです。ぼくは、ああ、これだな、叱られてうれしくなるってのは、と思いました。


小川国夫の作品は、この ブログでもふれたことがあるが、私には小川国夫はカトリックとプロテスタントの「共同訳聖書」の編者として活躍した敬虔なカトリック信者だったという印象しかなかった。
それが、この破天荒ぶり。なんだか、うれしくなる。

『弱い神』の装幀を考えていたぼくは、戦死者が国旗に包まれるように小川さんを十字架で包もうと思いました。・・・ぼくは『弱い神』という本を、小川さんの御棺と考え、青い十字架の旗で包んだのでした。


この本の装丁は、表紙に描かれた15のワクのなかに、登場する15の作品の装丁が並んでいる、という仕組みである。
ところが、下段真ん中の2つのワクの上に、図書館のバーコードシールが貼ってあり、せっかくの装丁を見ることができない。
「このシールをかきむしりたくなる」。そんなことを書いているブログをWEBで見つけて、フッと笑ってしまった。

読んだ後、その本の表紙をそっとなで回したくなる。そんな「魔法」にかかってしまったようである。