2010年3月16日

読書日記「インビクタス 負けざる者たち」(ジョン・カーリン著、八坂ありき訳、NHK出版)、「ジョン・ガブリエルと呼ばれた男」(イプセン原作、笹部博司著、メジャーリーグ刊)

インビクタス〜負けざる者たち
ジョン カーリン
日本放送出版協会
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おすすめ度の平均: 5.0
5 映画がさらによくわかる
5 期待以上のおもしろさ

 

 最近、クリント・イーストウッド監督の映画は見逃さないようにしている。
新作の「インビクタス」も、友人のブログ「人生道場ー独人房」で取り上げていたこともあって、さっそく見に出かけた。
実話の映画化にしてはドラマチックな展開で、引き込まれる作品だった。「これだけのストーリーなら原作本があるはず」と図書館の検索ページで探し、すぐに借りることができた。

 映画は、南アフリカのアパルトヘイト政策に反対する運動を続けてきたネルソン・マンデラが初代黒人大統領に就任した1994年から1年間に焦点を当てている。
 一方、原作はマンデラがまだ投獄されていた1985年から南アフリカのラグビー・ナショナルチーム「スプリングボクス」が自国で開催されたワールドカップで奇跡的な優勝をとげるまでの10年間を、詳細なインタビューを重ねて描いている。

 終身刑に服して23年がたったとき、マンデラは当時の司法長官、コビー・クッツエーヲ味方にすることを決意、看守のクリント・ブラントとも親しく付き合う。独房の責任者ファン・シッテルト少佐もにこやかな笑顔で接し、ついに公邸で大臣との面会にこぎつけ、持ち前の笑顔とユーモア精神を駆使して自由への一里塚を築いていく。

 マンデラが大統領になった時は、内戦が起こってもおかしくない政情不安が続いていた。対立が続く旧勢力の白人「アフリカーナ」と国民の大多数を占める黒人との対立をなんとか避けるため、公式行事ではこれまでの国歌「ディ・ステム」と、黒人国民の非公式国歌だった「ンコシ・シケレリ」を同時に演奏することや、白人中心のラグビー・ナショナルチームの存続を必死の説得で認めさせる。

  マンデラはある時、こう語っている。
 スポーツには、世界を変える力があります。人びとを鼓舞し、団結させる力があります。・・・人種の壁を取り除くことにかけては、政府もかないません。


 そして「スプリンボクス」のキャプテン、フランソワ・ピナールを公邸でのお茶に招いて信頼関係を築き、前回のワールドカップチャンピオン、オーストラリア戦を前に練習中のチームをヘリコプターで激励に行く。
 この戦いは君たちが祖国に貢献し、国民をひとつにするまたとない機会です。


 フランス戦は豪雨に見舞われた。その日の試合が行われなければ、規定によりフランスが勝者になる。前の試合でラフプレーをし、一時退場処分を受けた選手がいたのだ。
 軍の兵士が必死で整備にとりかかると、軍のヘリコプターも応援にかけつけ上空からグラウンドに風を送った。が、その日の窮状を救ったのは、モップとバケツを手にした大勢の黒人女性だった。


 最終のニュージーランド・オールブラックス戦の開始直前、南アフリカ航空(SAA)のボーイング747機がスタジアム最上席のわずか60メートル上空に飛んできた。機体には「Go Bokke(がんばれ ボクス)」と書かれていた。市当局、民間航空局などが綿密な事前協議をし、規則の適用を一時的に停止させた結果だった。
 観客の衝撃は歓喜に変わった。


 マンデラがチームのユニホームを着て、グラウンドに立った。白人のアメリカーナが叫んでいた。「ネルソン!ネルソン!」

 この国がひとつになった一瞬だった。

 チーム全員が、相手チームの巨漢、ジョナ・ロムにタックルで襲いかかって倒した。しかし、こちらもトライができない。延長戦、ドロップキップでやっと勝てた。

 キャプテンがカップをつかむと、マンデラは自分の手をピナールの右肩に置いた。・・・「フランソワ、君がこの国にしてくれたことに、心からお礼を言います」
 ピナールはマンデラの目を見て答えた。「いえ、大統領。あなたに、あなたがこの国にしてくださったことに、心から感謝します」


   今月のはじめ「ジョン・ガブリエルと呼ばれた男」という芝居を見た。新劇を見るのは、何年ぶりだったろうか。

 ある雑誌の新聞広告のなかで、主演の仲代達也が「運命の出会いをした作品に挑み、過酷な人生を生き抜く覚悟です」と書いていたのに引かれた。

 ネットに載っていた仲代の言葉を見て、さらに興味がわいた。
 舌を巻いた!あまりの面白さに!
 最初の一行を目にした。気がつくと最後の一行にいた。
 短い時間の間に、とてつもない高みにいた。
 目眩がした。体が熱かった。
 本を読んで、そう感じることなど、そうあることではない。


 図書館で探してもらったが、イプセン全集にもこの脚本は収録されていなかった。結局、演劇プロジューサー兼脚本家の笹部博司が書いた表記の本をAmazonで買った。
解説も入れて、たった160ページの薄い文庫本で、価格は400円+税。森鴎外の翻訳を参照して書かれた今回の公演の上演台本だった。

 あっという間に読めたが、その内容は?と聞かれるとウーン・・・。
巻末に載っている仲代の言葉が分かりやすい。
 裸一貫でたたき上げ、我儘に一生自分の夢を追い続けた男の物語である。
 そのことが自分自身も、周りのすべての人間をもどんどん不幸にしていく。
 でも人生を途中でやめるわけにはいかない。
追い込まれれば、追い込まれるほど、その男は、強く激しく夢を見る。
この男のように夢を見ながら死んでいければと思った。

   3月7日(日)、兵庫県立芸術文化センター・中ホールの公演を見に行った。最後列の席だったから、コンサートやオペラを見に行く時の大型双眼鏡は欠かせない。

「夢を生きる男」ジョン・ガブルエル・ボルクマンは、もちろん仲代。ガブリエルの妻で「憎しみに生きる女」グンヒルが大空真弓、グンヒルの双子の妹で、ガブリエルを愛しながら裏切られた「愛を売られた女」エルラは十朱幸代、台本には書記となっている「誰でもない男」フォルダルは米倉斉加年

 たった4人の登場人物の真摯なからみあいが小さな舞台を大きく見せる。美術(伊藤雅子)も、作品のイメージに合ってなかなかよい。

 劇場を出て、舞台を思い出しながら宙を浮くように歩く。芝居見物の醍醐味だろう。

2010年1月31日

読書日記「奇跡の画家」(後藤正治著、講談社刊)「絵の家のほとりから 石井一男画集」(石井一男著、ギャラリー島田刊)



奇蹟の画家
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後藤 正治
講談社
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おすすめ度の平均: 3.5
4 絵はその存在自身で全てであり。観て感ずるものがあれば...その絵とあなたは共鳴したのだ!それで十分ではないか?
3 ルオーの絵?
3 本人が多くを語らない以上「絵」の力を伝えるにはこの構成しかないのはわかるのだが


図書館の予約の関係で、絵画関係の本が続いてしまった。

 ノンフィクション作家の後藤正治さんが、神戸・ポートアイランドにある神戸夙川学院大学の先生になったのを新聞で何度か見て、なぜ?と思っていたが新著「奇跡の画家」の冒頭でこんなことを書いておられる。

 「(大学の誘いに)イエスの返事をしたのは・・・いささかもの書き稼業に倦むことがあって、・・・」

 物書きらしい、自虐的な表現なのだろうが、この大学で教えることになって神戸のことを少しでも知りたいと思ったことが、この本が誕生するきっかけになる。取材の行き届いた後藤さんのいつもの平易な文章を、一気に読んだ。
 後藤さんは、神戸・元町の老舗書店、海文堂の元社長で、現在は、ギャラリー島田を営む島田誠さんを紹介され、島田さんを通して無名の画家、石井一男さんを知る。

 島田さんと石井さんの出会い、石井さんの作品については、ギャラリー島田のホームページやブログ それに「石井一男の小さな美術館」という丁寧なWEBページにくわしい。

 絵の素人がとやかく言うのも失礼な話だが、本の写真やWEBページで見た最初は「奇跡の画家」というのは、ちょっと大げさすぎないかなという感じ。"奇跡"という驚きよりは、なにか静逸な奥深さ、孤独感。昨年の秋、京都・大原の三千院を訪ねた際に出会った苔むした野仏のように、知らぬ間にやすまる思いに引き込まれるような・・・。

 石井さんの取材を始めて3年、石井さんに質問しても、いつも「ウーン」と答えてくれない。しかたなく、後藤さんは石井さんの作品に出合った人の取材を続けていく。

 定年退職して間もない夫を癌で亡くした妻は、二階に上がる階段の途中の狭い空間に置いた石井の女神像を「何か気分がすぐれないとき・・・じっと絵の前にたたずんでいた夫の姿を」覚えている。


 毎日新聞朝刊のコラム「余禄」(2005年5月2日)には、こんな記事が載った。
 「その部屋にはたくさんの女神がほほえんでいた。・・・イコン(聖像画)のような、見る人の心に深く錐(すい)を下ろす作品だ」


 神戸市立本山第一小学校教諭の中西宮子は、知らない間に石井作品のコレクターになっていた。
 「中西が、石井作品から受け取ったものは、人・石井一男の感触や雰囲気を含めた全体的なものだ。おごらず高ぶらず、謙虚で物静かななかにひっそりとあるなにか確かなもの――。その知覚はふと、自身に知らず知らずの間に付着するアカを洗い流し、浄化してくれるようにも感じた」


 ギャラリー島田で、石井一男展が開かれているのを知り、出かけてみた。

 山手幹線からハンター坂を登って数分。カトリック神戸中央教会の斜め前にあるガラス張りのドアを押して作品を見た最初の印象は「なんだか、明るいなあ・・・」。黒いモノトーンの作品もあるのだが、グワッシュで描かれた初期の作品より、明るい清涼感が漂う。アクリルで描いた作品が多くなったせいだろうか。

 奥で、白髪を短く刈って、背中を少し曲げた男性が、のぞき込むように女性客と話していた。キャンバス地のシャツに、厚いゴム底の黒靴。すぐに石井さんだと分かった。
 「最初はなぜ、グワッシュを使われたのですか?」「油と違って、すぐに乾くので次が塗れますから」「油絵具より安いのですか」「少しね・・・」。失礼な質問だったなあと、後で恥ずかしくなった。

 地下の企画展会場には島田さんもおられた。細身の体に、チェックのシャツを着こなし、この仕事にかけていることを全身ににじませておられる67歳。

 「最初に絵を見た時?うまい,へたを越えたただものではない、という感じを持ちました。心に届くなにか。野道で風雪の野仏に会ったような、心に通じるものが響いてきました」

 「最近の作品がかわってきたのは、石井さんの世界が広がってきたということではないですか。孤独に生きた最初の画集の題は『絵の家』 。それが第2の画集で『絵の家のほとりから』になり、周りに広がってきたのです。女神が心とあそび、二人の女神になり、声が聞こえ、青空に鳥が飛び、花を描き、母子がいる」

 2番目の画集の巻頭語で、石井さんはこう書いている。

  
きょうも一日、さほどのものも描けていない。
そして夜・・・、銭湯へ。
ああ、ごくらく、ごくらく。
十時ごろ、落語のテープを聴いて眠りにはいる。
きょうも終わる。
そうして、あしたがくる。
感謝。


 そこには、昔と少しも変わらない石井さんがいる。
 作品の売り上げを寄付に回したいという石井さんに「将来、なにがあるかは分からないから」と一部に留めるよう、島田さんは説得を続けている、という。

2010年1月16日

読書日記「偏愛ムラタ美術館」(村田喜代子著、平凡社刊)

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村田 喜代子
平凡社
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  このブログにも書いたことがある芥川賞作家の村田喜代子が、小説を書く時の「栄養剤」として"偏愛"している絵画の数々を独断と偏見で書き綴った、なんとも凄みのある本である。

「大道あや」という画家を、この本で初めて知った。「しかけ花火」という絵について書くなかで、聞き取り「へくそ花も花盛り」という本に書かれた大道あやの言葉を引用している。あやの夫は経営していた花火工場が爆発して死ぬ。

 主人は焼け焦げとりました。でも誰も主人を運び出してくれようとせんのです。(中略)じゃから、私が主人の頭を抱くように抱え、弟が布を添えて足のほうを持って、運び出した。そしたら、主人の頭がパカッと割れて、脳味噌がドロッと落ちました。倉庫にあった茶箱に白い布を敷いて、主人を入れ、脳味噌も、こんなところに一滴でもおいていけんと思うて、みんな手ですくうて、紙につつんで、シーツにつつんで茶箱に入れて、家に帰りました。


 その事故の2年後に「しかけ花火」は描かれた。さく裂し、崩れ落ちる花火の間を魚が泳いでいる・・・。すべてのものでカンバスを埋めつくさずにはおられない「巨大な空間に対する圧倒的な畏怖の念」を著者は感じる。

 村山槐多「尿する裸僧」について著者はこう書く。

 これは彼のもう一つの自画像だろう。彼が死んだあばら家の壁は落書きだらけで、その中に男が放尿する絵も幾つもあったらしい。槐多の絵の放尿はまるで「爆発」だ。思いっきりの射精であり、エネルギーの放出であり、それから何だろう。まるで滝だ。人体のなかに滝を落下させている。


 この絵は信州上田市の「信濃デッサン館」にある。昨年、近くの「無言館」を訪ねた時に、時間がなくて行きそびれたのが、なんとも残念だ。

   著者は、大分県湯布院町の老人ホームに隣接している「東勝吉常設館」を訪ね「由布岳の春」など、デフォルメされた独特の絵を飽きずに眺める。
 東勝吉は長年木こりを生業としてきたが、老人ホームに入ってから院長に勧められて83歳で初めて絵筆を握り、99歳で死ぬまで絵を描き続けた。

 人間というのは、つくづくびっくり箱だと思う。何十年も生きているうちに、ある日ひょいと、とんでもないものが飛び出してきたりする。

 19世紀から20世紀にかけて素朴派と呼ばれる画家たちがいた、という。普通の生活をしていた人たちが、70歳を過ぎてから絵筆を握っている。

 そうか、年を取るというのは、身軽に自在になるということだったのか・・・。


 私でも遅くないかなと、思ってみたりする。

 まだまだある。著者はロバート・ジョン・ソーントンの奇怪なボタニカル・アートに引き込まれ、このブログにも書いた河鍋暁斎の想像力に「負けないでいこう」と、わが身を奮い立たせる。

 数々の「受胎告知」の作品のうち、私も何年か前のイタリア巡礼で見たフイレンツエ・サン・マルコ修道院にあるフラ・アンジェリコの壁画について、こう書く。

 微光に包まれたような柔らかさが好きだ。・・・

絵は完全飽和なのだ。アンジェリコの「受胎告知」は受諾と祝福で飽和して、一点の矛盾も不足もない。満杯である。


▽参照
    平凡社のこの本の紹介WEBページ

▽その他、最近流し読みをした本
  • 「林住期を愉しむ 水のように風のように」(桐島洋子著、海竜社刊)
     「林住期」 といえば、2007年に発刊された五木寛之 の著書 がベストセラーになったが、なんとこの本は1998年の刊である。 図書館の返却棚に並んでいるのを見つけて、思わず借りてしまった。この著者 のエッセイは、その明るさが好きでいくつか読んだが、相変わらず生活力と活動力にあふれたタッチがいい。ほかにも「林住期が始まる」「林住期ノート」という著書もあるようだ。

  • ・「バブルの興亡 日本は破滅の未来を変えられるか」(徳川家広著、講談社刊)
     著者 は徳川将軍家直系19代目にあたるエコノミスト。
     エコノミストの経済予測ほどいいかげんなものはないと読まないことにしているだが、結構評判がよかったので、昨年10月の発刊直後に図書館に予約を入れて、先日借りることができた。
    昨年9月の政権交代直後に書かれたが「史上最大の予算出動」など、けっこう当たっている。「バブルが発生するのは、だいたい危機の二年後」「その規模は空前の巨大規模」「そのバブルも崩壊して廃墟経済がやって来る」「バブル期には金の価格が下がる」・・・。小気味のよい予想は続く。マー、まゆつばで流し読みも一興。

  • ・「ぼくたちが聖書について知りたかったこと」(池澤夏樹著、小学館刊)
     フランスなどに長く住み、聖書の知識なしにはヨーロッパ社会を理解できないことを知った著者 が、父の母方の従弟である聖書学者の碩学、秋吉輝雄 に、自らの深い教養から出てきた疑問を投げかける稀有の本。
    聖書についてより、ユダヤとユダヤ人について多くのページがさかれるが、国境を持たない国に生きてきたユダヤ人への理解がなかなか進まない。聖書とユダヤについて、なにも知らなかった自分に気づかされる。



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ぼくたちが聖書について知りたかったこと
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5 『聖書』をひもとき歴史にひらく


2010年1月10日

読書日記「森里海連環学への道」(田中 克著、旬報社刊)、「日本<汽水>紀行 森は海の恋人を尋ねて」(畠山重篤著、文藝春秋刊)


森里海連環学への道
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田中 克
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日本<汽水>紀行―「森は海の恋人」の世界を尋ねて
畠山 重篤
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4 文明の発達により失うもの
4 皆読むべき久々の本


 「森里海連環学への道」は、私のブログにリンクさせてもらっている友人、岡田清治さんのブログ「人生道場、独人房」に紹介されていた。

 なにかと新しい名前の学部や学問分野が生まれる昨今。「森里海連環学」というのも、おかしな名前だなあと当初思った。だが、ふとこれは以前に著書で知った牡蠣養殖業、畠山重篤氏の「森は海の恋人」運動と関係があるのではと、気がついた。

田中 克・京都大学名誉教授は、海洋資源生物学が専門で、長年ヒラメやカレイの稚魚の汽水域での研究を続けるなかで、森と海のつながりの大切さに注目、2003年に理学部と農学部の研究を融合、森と海の科学を統合する「フイールド科学教育研究センター」を立ち上げてセンター長に就任、新しい学問領域として「森里海連環学」を提唱してきた。

 この本は、田中名誉教授が「森里海連環学」という領域に至った道程を綴るとともに、この新しい学問分野に先行して様々な運動をしてきた人たちとの交友録ともなっている。

 著者が、新しい学問領域が必要と思ったきっかけになったのは、各地の先行する運動を紹介した「森と海とマチを結ぶ」(矢間秀次郎編著、北斗出版刊)という本だった。

 その中には、北海道の森林の荒廃がニシン資源の壊滅をもたらしたこと、・・・『百年かかって壊した森を百年かかって再生し、ニシンを復活させよう』」を合言葉に、漁民による森づくりが進められて話が掲載されていた。さらに、宮城県気仙沼にそそぐ大川上流の室根山に、カキやホタテガイ養殖の復活を願った漁師さんによる森づくり「森は海の恋人」運動に、私はたいへん興味を抱いた。この本のタイトルにあるように「マチ」の存在が森や海の再生に不可欠であることに思い至った。さらにこうした運動はすでに十五年近く経過していたにもかかわらず、それを支える学問が存在しないことに気づかされたのである。


 田中名誉教授と畠山さんの出会いは、なかなかドラマチックだ。
 2003年4月にフイールド研が発足、11月に開所記念シンポジウムを開催することになったが、基調演説に予定して予定していた海外の海洋学者が来日できなくなり、急きょ畠山さんに白羽の矢が立った。

 出迎えられた畠山さんは京都からわざわざ三名の教授が訪ねたことに恐縮されて、『何事ですか』と驚かれたようすであった。
 ともあれ、こちらへと案内されたのは事務所の奥の部屋であった。三面の壁にはびっしりと本が並んでいた。その中からこれが最近のですよと三人に謹呈していただいたのは『日本<汽水>紀行』であった。日本各地の河口域をめぐって、森と川と海のつながり、そしてそこに住みつづける人びとの森や海への思いをつづったものである。2003年度の日本エッセイスト・クラブ賞を受賞した名著である。


 本棚から畠山さんの著書「森は海の恋人」(北斗出版刊、1994年)、「牡蠣礼讃」(文春文庫、2006年)を引っ張り出した。

 「森は海の恋人」は、海の栄養分には、山の土に含まれる鉄分が欠かせないことが分かり、計画されていたダム建設を断念させたり、「牡蠣の森を慕う会」を発足させて漁師たちが山に大漁旗を翻らせて木を植えたりする感動のエピソードがしるされている。

 「牡蠣礼讃」は、牡蠣を愛してやまない著者が、宮城種牡蠣の養殖にうんちくを傾け、世界の牡蠣を食べつくす「口福のエッセイ」。牡蠣と細く切ったうどんでつくる「オイスター・スープ」、牡蠣とトマト味のジュースにスパイス、ウオッカを注ぎ込んで一気に飲む「オイスターショット」のレシピが、牡蠣大好き人間にはたまらない。

 「日本<汽水>紀行」は、図書館ですぐに借りることができた。

 アジアモンスーンの降雨量の多い緯度に位置し、背骨のような山脈の森から日本海側と太平洋側に血管のように川が注ぎ、沖積平野で稲穂が波うつこの国を瑞穂の国とたたえて呼ぶ。だがそれは日本列島を包んでいる汽水域を含めての呼び名のような気がする。


 (面積がほぼ等しい)東京湾と鹿児島湾のどちらの海が漁獲量が多いかご存じだろうか。ほとんどの人は水がきれいな鹿児島湾と答えるだろう。正解は逆である。この汚れに汚れたと思っている東京湾が、今でも鹿児島湾の約三十倍の漁獲があるのだ。秘密は川の存在だ。東京湾には一定以上の流量の川が十六本流入している。この水量は、二年で巨大な東京湾を満杯にする量だという。


 現在、田中名誉教授は畠山さんが代表をしているNPO法人森は海の恋人の理事を務め、京大フイールド研は畠山氏を「社会連携教授」(非常勤)として招へいしている。

 「森里海連環学」は、社会との連携なしには成立しない学問だからである。

森は海の恋人 (文春文庫)
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5 山に大漁旗

牡蠣礼讃 (文春新書)
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畠山 重篤
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5 日本の牡蠣が世界を救った
3 紀行文としても十分成立している
4 牡蠣から拡がる世界


2009年12月27日

読書日記「上機嫌な言葉 366日」(田辺聖子著、海竜社刊)


上機嫌な言葉366日
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田辺 聖子
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   「本を読みっぱなしで終わるより、気になる数節をブログに残しておくだけでも」と思うのは、怠惰な自己満足でしかないかもしれない。しかし、なにもしないよりは・・・。今日は、そんな気分。

 この本、なんのことはない。著者が、46冊の自著のなかから抜き出した言葉の花束集である。図書館の返却コーナーに並んでいたのをパラパラめくっていて、なんとなく借りてしまった。

 まえがきに、こうある。
 あはあはと笑いつつ、ふと、あともどりしてページを繰り、あっと思う示唆にめぐりあうときもあるかもしれない。人生、いつも、はずみごころ・・・。


 1月1日から12月31日まで毎日、1行から数行の言葉を並べている。それで、なぜか366日?
 実は「うる年のために」という1節がちゃんと用意してある。なるほど、あはあは・・・。

 私たちはふつう、学校時代の友人を長く持ちつづけるし、また。友人はそこでいちばんできやすい。・・・しかしできやすいい所でできた友人は、また離れやすいのも事実である。


 ほんまに人生で大切なんはなあ、仲のええ人間とめぐりあう、ということだけなんやで。


 老醜というのは、背がかがまったり、皺がふえたり、という外貌的衰退のことではなく、周囲を顧慮する柔軟性や、自分の現在位置を測定する能力のなさをいうのではないかと思い至った。


 近年、定年間近に急に妻から離婚を要求されて狼狽し、怒り悲しむ男が多い・・・・。
 あれは、いまわかった。<人柄の賞味期限>が過ぎたのだ。・・・人柄は修行すれば、いつも旬でいられる。周囲への配慮というのが人間の必要最低限の愛・・・。


  人間はたのしいなあ。いいところがいっぱいある。
 人生は変幻の猫である。
 私はその夢の猫を追いつづけるのである。


・続・「気になる数節」
 「詩の本」(谷川俊太郎著、集英社)

 数か月前に、芦屋市立図書館に予約したが「1週間探したが、あるべき書棚にない」という。やむをえず、あきらめたが、先日改めて予約検索をしてみたらすぐに借りられた。他の書棚にまぎれていたのか、新規購入されたのか・・・。図書館の人たちは、本のことになると一生懸命になるのである。

いまここにいないあなたへ

     いまここにいない あなた
     でもいまそこにいるあなた
     たえずすがたはみえなくても

     おなじひとつのたいようにまもられ
     おなじふかいよるにゆめみて
     おなじこのほしにつかのまいきる あなた

     あなたとことばであいたいから
     わたしはかたる かたりきれないかなしみを
     わたしはかく ことばをこえるよろこびを


 木を植える

     木を植える
     それはつぐなうこと
     私たちが根こそぎにしたものを

     木を植える
     それは夢見ること
     子どもたちのすこやかな明日を

     木を植える
       それは祈ること
     いのちに宿る太古からの精霊に

     木を植える
     それは歌うこと
     花と実りをもたらす風とともに

           木を植える
     それは耳をすますこと
     よみがえる自然の無言の教えに

     木を植える
     それは智恵それは力
     生きとし生けるものをむすぶ


・続・続「気になる数節」
 「神去(かむさり)なあなあ日常」(三浦しをん著、徳間書店)

 この夏のはじめに各紙が一斉に書評に取り上げたこともあって人気が出たのか、先日やっと借りることができた。

 草食系の若者が、三重県の山奥の植林現場に放り込まれて逞しくなっていく青春小説だが、なんだか盛り上がりに欠ける。

 杉林の雪起こし、土の崩れを防ぐための伐採木を使った堰づくり、苗木の植え付け。木の切り出し、雑草の下刈り。林業現場の作業描写。神おろしや、子どもの神隠しなどなど、神秘な山の話しなどもそれなり面白いが・・・。

 ただ、季節が変わるたびに自然を感じる表現には、引かれるものがある。

 水のにおいは、夏が近づくにつれ濃くなっていく。
 いや、田んぼのにおいかもしれない。甘酸っぱくて、しっとりとした重みのある、いつまでも嗅いでいたくなるようなにおいだ。・・・栄養分たっぷりの土と若い緑に、澄んだ水が触れてはじめて生まれるにおいだ。


 ・・・俺は、「あ」と小さく声を上げ、畦にしゃがんだ。
 稲の葉が、根もとから五つに分かれて天にのびていた。最初は雑草みたいだったのに、いつのまにこんなに大きくなっていたんだろう。
 白い霧とともに山から下りてきた神さまたちは、そっと稲に触れ、葉をやわらかく湿らせて、季節を確実に進めていたのだ。


 今までは「あんなもの自然なんかじゃない」と思っていた針葉樹の人工林も、人がつくった稲穂の波も、りっぱな日本の自然の姿なのだと、気がついた。

 「日本の森林で、人間の手が入っとらん場所なんかないで。木を切り、木を使い、木を植え続けて、ちゃんと山の手入れをする。それが大事なんや。俺たちの仕事や」


 「ごるあ、勇気!土を崩して歩いたらあかんねいな!」
 と怒鳴った。「表土は栄養たっぷりの、山の命やで!命を蹴立てて歩くやつがおるか!」


 「・・・手入れもせんで放置するのが『自然』やない。うまくサイクルするように手を貸して、いい状態の森を維持してこそ、『自然』が保たれるんや」


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5 普段行くことはないからこそ・・
5 神去村で暮らしてみたい
4 一気に読みました
5 三重県民は必読です。
5 神去村に行きたい!!!

2009年12月14日

読書日記「そうだ、葉っぱを売ろう! 過疎の町、どん底からの再生」(横石知二著、ソフトバンククリエイティブ刊)



そうだ、葉っぱを売ろう! 過疎の町、どん底からの再生
横石 知二
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5 「産業福祉」に、爽快な響きがしました。
5 上勝町のストーリーは世界に通じるコンテンツ
5 老人たちが年収千万円単位の大成功した秘密が判る本でした
5 日本の田舎は馬鹿にしちゃイケマセン!
5 自慢だけど事例はすごい


 2007年9月発行で、けっこう話題になった本だ。定年後、ベンチャー企業支援のボランティアをしていたころに人に勧められたが、読む機会がなかった。

 ところが、私のブログにもリンクさせてもらっている友人の岡田清治さんがブログ「人生道場―独人房」で先日、推薦されているのを見て、図書館で借りた。岡田さんが、この本のことをうまくまとめておられる。

 横石知二氏の著書『そうだ、葉っぱを売ろう!』を読んで感動しました。ぜひ、お読みになることをおすすめします。
文章力もすごいものがあります。こういう人がいることに改めて感心しました。
縁あって上勝町の農協に就職、その悪戦苦闘ぶりの末に成功されました。
年寄りが暇になると、嫁や他人の悪口ばかりを言い合って過ごすことを知ったそうです。
この町の改革を訴えたが、「お前はよそ者、わしらがお前の給料だしてやっとる、何もでけへんのに偉そうなこと言うな」。
実家に帰りたい気持ちもあったが、耐えたそうです。
大阪へ納品した帰り、立ち寄った「がんこ寿司」で女子大生が料理に添えられている赤いモミジに感動して、きれいなハンカチに包んだのです。
「こんな葉っぱ、うちの町にいくらでもあるのに・・」と思った瞬間、「そうだ、葉っぱを売ろう」と閃いたそうです。
「こういう葉っぱはどこから仕入れるのですか」「葉っぱ?ああ、つまもの(妻物)は、料理人が山へ行って採ってくるんです」
 私もはじめてつまものが商品として扱われていることを知りました。この世界も奥が深いのです。著者に手紙を書きたい気持ちになるほど、元気をいただきました。


 読んでみて、まず驚くのはどん底の町、上勝町の変容ぶりだ。
 60代から70代ぐらいの男衆が、朝っぱらから一升瓶を提げて農協や役場に集まり、酒を呑んで、くだを巻いている・・・。
 当時の町の主な産業がミカン、林業・・・などで高齢者には出番が少ない。・・・することがなくて・・・。
 朝、ある家の前を通りかかると、縁側で嫁の悪口を言い合っている女の人たちがいた。それが、お昼を過ぎてから同じところを通りかかると、まだ同じようにしゃべっている。


 それが葉っぱビジネスの成功後、町の様子はガラリと変わる。
 年金暮らしだったお年寄りは、・・・収入ができて所得税を納めるようになり、毎日のように行っていた診療所やデイサービスも、忙しくなってそれどころではなくなった。
・・・
 朝から嫁や近所の悪口をおしゃべりしていた人たちも、そんなひまはなくなった。それどころか、嫁や近所の人たちは一緒に(葉っぱビジネスをする)パートナーとなった。


 年収1000万円を超える農家が出、家の新築が相次ぎ、子供一家や孫夫婦まで都会から戻ってきた。町営の老人ホームも廃止された。

 ビジネスプランも、しっかりと積み上げていく。

 第一は、事前の市場調査と品質管理。横石さんは、これを「現場主義」と呼ぶ。
最初のつまもの(妻物)の出荷がさんざんだった、そこで、大阪や京都の一流料亭に出かけ、自腹で料理を食べに出かける。おかげで20キロも太り、痛風にまでなってしまう。そして、つまものの大事なポイントを学んでいく。

 まず季節感。・・・日本の懐石料理では、45日早い季節感の先取りが求められる。
 「自然のまま」ではダメということも分かった。(自然のモミジを遠くから見ているときれいだが)・・・しみや虫食いなどがあっては、近くで見たときに美しくなく、料理を引き立てるつまものとして使えなかった。
 葉っぱの大きさも、使う器に合わせることが大事・・・。メインである料理とのバランスには一番気を使う。


 このポイントを、すぐに一軒一軒の農家に伝えて回る。栽培の勉強会を開き、おばあちゃんたちを料亭視察に連れていってセンスを磨き、商品のレベルは「ぐうーん」と上がった。

 二番目は、著者が「仕組みづくり」と呼ぶ、情報システムの構築だ。
 防災無線ファクスとパソコンの2本立てで、農家の意識を変えていった。

 防災無線ファクスでは、市場から来る特別注文を農家に同時に伝え、それを早い者勝ちで受注する仕組みがおばあちゃんたちの競争意識を刺激して、やる気を生んだ。
 パソコンでは、毎日自分が稼いだ金額と売上順位が分かり、それが刺激になっている。
 「上には上がおるんよ~」
 パソコンの画面を見つめながら、あるおばあちゃんはくやしそうにつぶやく。評価されることでひとりの事業家として闘志を燃やし、それが売り上げアップにつながっている。


 最後に横石さんは、こう書いている。
 昔は補助金に頼ることばかり考えていた上勝町が、・・・産業の力で再生できた。産業が仕事を生み、仕事がおばあちゃんたちの生きがいになった。このことを私は「産業福祉」と呼んでいる。


   いい言葉だと思う。


(追記)
この本のことを調べているうちに、もう1冊の本を見つけた。
「いろどりおばあちゃんたちの葉っぱビジネス」(立木さとみ著、立木写真館刊=自費出版)。
 立木さとみさんは、横石さんの著書にも「協力」として名前が出ており、その1年まえに出版されている。文字と資料もたっぷりの「写真集」だが、上勝町のおばあちゃんの笑顔であふれているらしい。
 「立木写真館」は、NHK朝の連続ドラマに登場したあの「なっちゃんの写真館」である。

いろどり おばあちゃんたちの葉っぱビジネス
立木 さとみ
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5 写真の力
5 美しい景色と、おばあちゃんの笑顔に感動!


2009年12月 9日

読書日記「丘のてっぺんの庭 花暦」(文=鶴田 静 写真=エドワード・レビンソン、淡交社刊)

丘のてっぺんの庭 花暦
鶴田 静 エドワード レビンソン
淡交社
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 この春図書館にいったん予約したが、読みたい本が殺到して15冊の予約ラインを越えそうになってやむなく解約。再度予約したのを芦屋図書館打出分室のボランティア当番だった先週の土曜日に借りることができた。おかげでホッとするような楽しい週末を楽しめた。

 エッセイストである著者が、アメリカ人の写真家である夫と20年前に千葉県房総半島の丘の上に一軒家を建て、6段に分かれた元の棚田を庭に変身させていく。
 家を建てる話しは、すでに「二人で建てた家」(文春文庫PLUS)という本なっており「植物はその美しさと役割によって、人が生きるための源泉だと信じています。これからの世界で減らさずに増やすべきものと考えています。その願いを込めて」この本は書かれた。

 本の写真をそのまま引用するわけにはいかないが、幸い著者のHPの関連ページに「Solo Hill Garden」という名のすばらしい「花暦」が掲載されている。

   その花園には、私のような花の素人にも馴染みのある草木があふれている。我が家の狭い花壇とベランダで四季に咲くものだけでも、アジサイ、カンナ、ギボウシ、キンモクセイ、クリスマスローズ、コスモス、サザンカ、ジンチョウゲ、スイセン、スミレ、タチアオイ、チューリップ、バラ、ヒマワリ、ブルーベリー、ユリ・・・。なんだか、うれしくなる。

 「ソロー・ヒル・ガーデン」は、森のなかでの2年間の一人暮らしを記録した著書「森の生活(ウオールデン)」を書いた自然派の元祖、ヘンリー・D・ソローの名から、採っている。私も、森の生活にあこがれた若いころに夢中になった本である。

 著者が庭作りの構想を練るなかで、一つの原理を教えてくれたのは、著者が1970年代から私淑したイギリスの作家・工芸家のウイリアム・モリスだった、という。著者は、モリスの染織工芸に魅せられて2年間、イギリスに滞在、後にモリスの植物と庭に関する本「ウイリアム・モリスの庭」(ジル・ハミルトン他著、東洋書林)を翻訳までしている。

 このモリスの教えを取り入れ、著者は自分の庭を構想していく。
  • 植物は自生種を主体にし、・・・古くからある帰化植物も植える。自生種はこの地にもともと植わっていたマテバシイ、ウツギ、ネムノキ、ノイバラ、クワ、ウメ、カキ、クリ、ミカンなどで、残された切り株から育てる。
  • 昔ながら馴染みのある植物、生家に植わっていた植物を植える。コスモス、ボケ・・・。和名で呼ばれる植物。白粉花(おしろいばな)、秋明菊、木蓮・・・。外国名でもダリア、カンナ、チューリップなど昔からある植物は植えたい。
  • 宿根草を植えて、毎年、種や球根から自然繁殖に任せる。土手や野原から野の草花を少し移植して・・・。


 この本から漂ってくる何とも言えない懐かしさは、こんなコンセプトから生まれていたのだ。

 米国の有名な絵本作家、ターシャ・テューダの庭からは、インターネットでタチアオイのピンクの種を取り寄せた。
 昨年亡くなったが、日本でも根強い人気のある造園家でもある。先日、芦屋駅前の小さな書店をのぞいたら、ターシャ・テューダ関連の本やDVDが20冊以上、並んでいた。
 作家や芸術家にまつわる花を栽培する。・・・花や木を媒体にして、古今東西の人々と、時空を超えて交流できるとはすばらしい。


 この本を借りた午後、知人に約束した本を自転車で届けた帰りに、ガーデン・ショップでいくつかの苗を買った。
 すでに白い花をつけたノースポールを自宅北側の西日しかささない狭い花壇に、つるなしスナップエンドウ、オーライ・ホウレンソウ、セロリーを家に囲まれ日の光に恵まれない西側テラスのプランターに植えた。

 時々夢見た自然派スローライフは、Too late、Too poorになったなあと思いつつ。

 
(追記): 図書館のボランティアはおもしろい。時に、思いもよらない本との出会いがあるからだ。

先日、カウンターの向かいにある「推薦本」コーナーで見つけたのが「日陰でよかった! ポール・スミザーのシェードガーデン」(ポール・スミザー日乃詩歩子著、宝島社)という本。ガーデンデザイナーのポールスミザーが、日本各地で日陰の庭をつくってきた10数年の成果を公開しているが「植物にとって、本当に必要なのは日差しだけではない」という出だしは、私を含めて日本人の多くが持っている太陽信仰を打ち砕いてくれる。

 先日の土曜日。ボランティアの当番が始まった直後に戻ってきた本を見てアッと思った。
「アルプスの村のクリスマス」(舟田詠子 文・写真、株式会社リブロポート刊)
 この夏、ウイーンでお世話になったパンの文化史研究者、舟田詠子さんが1989年に著された写真がいっぱい入った児童書である。オーストラリア・アルプスの山おくにあるマリア・ルカウという村でのクリスマスを中心とした生活が詩情豊かに綴られている。
 舟井さんの著書はいただいたり、買ったりしてほとんど読んでいたが、この本だけはいつかは見たいと思っていた幻の書だった。
 今はまだキリスト生誕の準備をする待降節中だが、読んでみてクリスマスが一挙に飛んできたような魅惑の一瞬を味わえた。

二人で建てた家
二人で建てた家 (文春文庫PLUS)
鶴田 静
文藝春秋
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5 地に足がついた美しい「実践」の書
5 また買ってしまいました。

森の生活
ウォールデン 森の生活
ヘンリー・D. ソロー
小学館
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5 環境問題解決のひとつの答えがここにある
5 贅沢とは
5 今泉訳で、初めて「ソロー」に出会えた
5 今泉訳で、初めて「ソロー」に出会えた
1 読みにくい訳

ウィリアム・モリスの庭
ウィリアム・モリスの庭―デザインされた自然への愛
ジル ハミルトン ジョン シモンズ ペニー ハート
東洋書林
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4 ガーデナー必読
3 内容は素晴らしいが翻訳が難解
3 自然への愛

日陰でよかった!
日陰でよかった!
日陰でよかった!
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ポール・スミザー/日乃詩歩子
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3 いい本なのに
5 実用的かつ美しい
5 目からウロコ
5 負け惜しみだと思いますか?


2009年11月23日

読書日記「エリザベート ハプスブルク家最後の皇女」(塚本哲也著、文藝春秋刊)

エリザベート―ハプスブルク家最後の皇女
塚本 哲也
文藝春秋
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4 興味深かったですが、社会情勢が複雑で難しかったです
4 興味深い本
5 一人の人の人生とは思えない!


 きつーい中国語教室の宿題に追われたり、パソコンが不調だったりして、ブログを書くのも久しぶりだ。

 1992年に発刊されたけっこう古い本だが、この夏に出かけた「ウイーン紀行」を、このブログに書いた後、急に再読したくなって本棚からひっぱり出して一挙に読んだ。2003年には文春文庫(上、下)にもなっている。

著者は、毎日新聞のウイーン支局長や防衛大学教授を歴任した人で、この本で大宅壮一ノンフィクション賞を受けている。

 今年は、日本、オーストリアの交流年。様々な行事が行われており、先日も大阪・天保山で「クリムト、シーレ ウィーン世紀末展」を見てきたが、来年1月早々からは京都国立博物館で「THEハプスブルク」展も開かれる。

 この本の主役は、京都の展覧会でも活躍するであろう絶世の美女「皇妃エリザベート」ではない。その孫娘「エリザベト・マリー・ペネック」だ。

 シシイの愛称で知られる「皇妃エリザベート」は、日本でもなんどかミュージカルになっているが、孫娘「エリザベート」もそれに負けない波乱に満ちた一生を送った。

 17歳の時に宮廷舞踏会で出会った青年騎馬中尉に一目ぼれ、孫を溺愛する皇帝フランツ・ヨーゼフⅠ世の「余は軍の最高司令官として・・・エリザベートとの結婚を命ずる!」という一言で、皇位継承権まで放棄して身分違いの結婚をする。
 4人の子供に恵まれるが、夫の浮気と金遣いの荒さ、知性のなさに悩まされ、長い離婚訴訟が続く。海軍士官レルヒとの悲恋、ハプスブルク家の崩壊。そして社会民主党の指導者レポルト・ペツネックとの出会い。社会民主党に入党し「赤い皇女」とも呼ばれた79年の異色の生涯を、筆者はち密な取材で綴っていく。

 「皇妃エリザベート」の生きざまが縦糸だとすると、筆者は大切な2本の横糸をこの物語に織り込んでいく。
  •  1つは、筆者が「あとがき」で書いているように、この本が「エリザベートとハプスブルク王朝を軸にした中欧の歴史物語」であるということ。
  •  2つ目は、ハプスブルク家の歴史が、現在のEU誕生の原型になっているということだ。
 

 「エリザベート」の父で、オーストリア・ハンガリー帝国の皇太子ルドルフは、エリザベートが4歳の時に愛人と情死してしまう。フランス名画「うたかたの恋」のモデルにもなったが、筆者はルドルフをこう評価している。

 政治的外交的に鋭い洞察力を持ち、いち早く二十世紀を視野に入れていた有能な皇太子であった。先見の明があり過ぎたために、保守的な(ドイツ頼みをやめようとしない)フランツ・ヨーゼフ皇帝と衝突、父との戦いに敗れての自殺であった


 後にフランス首相となり、反ドイツ主義者であったジョルジュ・クレマンソーに会った時に、ルドルフがこう語ったという。
 ドイツ人には全く理解できないらしい、オーストリアにおいてドイツ人、スラヴ人、ハンガリー人、ポーランド人がひとつの王冠の下で一緒に暮らしていることが、どんなに意義深く重要かをーー。・・・オーストリアは、様々な人種、民族が一つの統合された指導部の下で一緒になった連合国家なのだ。世界文明にとっても大切な理念だと思っている。


 エリザベートが生まれ、育った十九世紀末のウイーンは、画家のクリムトやシーレ、作曲家ヨハン・シュトラウス親子らが活躍し「世紀末」の繁栄に酔っていた。

 しかし思いがけず第一次世界大戦が勃発し、広大な版図を持つハプスブルク帝国は崩壊、古き良き時代は突然幕を降ろす。傘下にあった各民族はナショナリズムに燃え、それぞれ自らの国家建設に走り出し、四部五裂になっていく。ばらばらになった国々はみな小国で、国づくりの困難と格闘しているうちに、ヒトラーの餌食となり、続いてスターリンの圧政に苦しみ、不幸な苦難の途をたどった。


 「ハプスブルク王朝が滅亡しなければ、中欧の諸国はこれほど永い苦難の経験をしなくてもすんだであろう」。英国の首相だったウイストン・チャーチルも嘆いている。

 第二次世界大戦後のヨーロッパ最悪の紛争といわれる、ボスニア・ヘルツエゴビナ紛争も、ハプスブルグ王朝の崩壊に遠因があったと言えなくもないかもしれない。

 しかし、著者はエピローグで明確に語っている。
 とはいっても、王朝の復活はありえないし、一度滅びた多民族国家はもはやもとに戻らないことを、ハプスブルク帝国崩壊の歴史は教えている。
 一方で、著者はもう一本の横糸を繰り出す。

 エリザベートは「汎ヨーロッパ運動主義」に関心を持ち、それを提唱「EUの父」とも呼ばれるリヒャルト・クーデンホーフ・カレルギーへの支援を惜しまなかった、というのだ。

 こんな記述がある。
 (ヒトラー率いるドイツのオーストリア併合の危機が迫るなかで)いち早く逃亡脱出したエリザベートの知り合いもいた。パン・ヨーロッパ運動のクーデンホーフ・カレルギー伯爵・・・
  映画「カサブランカ」の主要登場人物のモデルとなるクーデンホーフ・カレルギー伯爵の逃避行の始まりである。
クーデンホーフ家の墓碑。クーデンホーフ・ミツコの名前も刻まれている(ウイーン・ヒーツイング墓地で):クリックすると大きな写真になります

 この夏、ウイーン在住のパンの文化史研究者、舟井詠子さんに案内されてシェーンブルン宮殿南端にあるヒーツイング墓地にあるクーデンホーフ家の墓地を訪ねた。
 墓碑に刻まれた名前の一つに「グーテンホーフ・ミツコ」とある。日本名は「青山光子」。「EUの父」リヒャルト・クーデンホーフ・カレルギーの母親である。



2009年11月 2日

紀行「没後10年(於・軽井沢高原文庫) &読書日記「背教者ユリアヌス 上、中、下」

紀行「没後10年 辻 邦生展 豊饒なロマンの世界」(於・軽井沢高原文庫、2009・1011)  
読書日記「背教者ユリアヌス 上、中、下」(辻 邦生著、中公文庫)



背教者ユリアヌス (上) (中公文庫)
辻 邦生
中央公論新社
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5 序章から魅了されること間違いなし
5 ひたむきに生きる糧となる小説
5 堂々たる諧謔
5 文学と芸術と美学の融合
5 芸術としての文学


「辻 邦生展」のパンフレット:クリックすると大きな写真になります 軽井沢・塩沢湖畔で、辻 邦生の「没後10年展」をやっているという記事をみつけ、どうしても行きたくなった。

 小さな森に囲まれた高原文庫の2階には、作品の原稿や創作ノート、写真、手紙のほか、書斎の一部が再現されており、熱心なファンがじっとのぞきこんで動かない。作品の一部を抜粋したパネルもある。「モンマルトル日記」(集英社文庫)の一節に引き込まれた。

 今は、はっきりいって、傑作の森のために精魂をかたむける以外にどんな生きようもない。あらゆることをこの中に埋没しよう。欲望も名声も傲慢も不遜も甘えも弱気も何もなく、・・・。小説について考えぬき、いまは、生の広い意味の快適さのための物語芸術を、その「面白さ・たのしさ」と「甘美な詩」を湛えた容器として、差し出す以外は、いったいどんな生があるのか。


 パリ滞在中に大作「背教者ユリアヌス」の連載を始めた著者は、同時に「天草の雅歌」第二部と「嵯峨野明月記」第二部の連載も始めた、という。

 高原文庫1階のコーナーで「言葉の箱 小説を書くということ」(中公文庫)を買った。辻 邦生はこう書いている。

 「ピアニストがピアノを弾くように」といつも言うんですけれども、・・・いちばん大事なことは、やはり胸のなかに書くことがいっぱいあることです。・・・そのために絶えず書く。・・・たった一回きりの人生をひたすら生きている。これは書く喜びで生きているのだから、だれにも文句は言わせない。


 生きる喜び、死ぬことの意味を考え続けた辻 邦生の気迫に圧倒される。こんな小説家の作品を読めることを幸せに思う。

  同じ辻 邦生ファンである友人Mに「没後10年展に行こうと思う」とメールしたら「最近『背教者ユリアヌス』を読み返した。帰ってきたら、議論したい」という返信があった。
  あわてて、本棚の色あせた文庫本3冊を抜き出した。昭和49年の発行。活字が小さい!老眼鏡を強いのに換えた。

 ユリアヌスは、ローマ帝国の皇帝として生きた「フラウイス・クラウディウス・ユリアヌス」という実在の人物である。かってローマ帝国を支えた古代ギリシャの信仰の復活を願い、キリスト教への優遇を改めたため、後の世の人から「背教者」と呼ばれるようになった皇帝の波乱の生涯を、辻 邦生はとうとうとした一大叙事文学に仕立てあげた。

 この小説で一番好きなのは、出だしと最後の数節だ。

 出だしは、こう始まる。
 濃い霧が海から匍いあがっていた。
 もちろん海も見えなければ、陸も見えなかった。ただ夜明け前の風に送られて、足早に動いている白い団塊が、どことはっきり定めがたい空間を、ひたすら流れつづけている感じがあるだけだった。


夫人の辻 佐保子さんは、著書「『たえず書く人』辻邦生と暮らして」のなかで「雲間や渦巻く霧に見え隠れしながら市街がしだいに現れ出る忘れ難い光景は(旅の途中で霧のたちこめるイスタンブールの空港に着陸したという)偶然の賜物が無ければ誕生しなかったことだろう」と書いている。

 しかし、霧の軽井沢ともいわれる霧の多い土地に建てられた別荘の窓から著者がいつも見ていた風景が、コンスタンティノーブル(現在のイスタンブル)の城さいから見る記述に重なっていった、ということはないのだろうか。
塩沢湖畔の軽井沢高原文庫:クリックすると大きな写真になります  辻佐保子著「辻 邦生のために」(新潮社)には、磯崎新が設計し、辻 邦生が住んだ別荘について、こんな記述がある。
 コンコルドと呼んでいた三つの階段が合流する中間のスペースを経て、・・・。一定のモデュールによる立方体の結合からなる主要な構造の他にも、寝室の先端には三角形が、南のテラスには大きな雨戸を移動させるための円弧の台が加わって、この魔術的な空間は、私たちの身体感覚を日々豊かに養ってくれた。


 ユリアヌスがプラトンを愛し、ギリシャの神々に引かれていく記述に迫力があるのは、著者・辻 邦生が「啓示」と呼ぶ体験をギリシャでしたせいかもしれない。
 アテネの町に入ったときに、パルテノンの神殿がアクロポリスの丘の上に建っていて、それを下から見た瞬間に、Revelation(啓示)の光、ある不思議な光が神殿からぼくの胸を貫いていった。(言葉の箱から)


 反対に「ユリアヌスが本当は背教者ではなかった」と思えるような記述を著者はいくつかしている。
 「彼(ユリアヌス)が(キリスト教の)洗礼に踏み切ったのは、・・・ぼろをまとい、裸足で町々を歩き回って喜捨を集める人々、教会の前に集まる貧者や病者に対し、温かい汁をつくり、パンを分けてやる修道僧たちの姿を、日々、・・・眺めていたからである。


 辻 邦生がユリアヌスを通して描きたかったのは、権力と結びついて「露骨に勢力の拡張を図る」キリスト教関係者への嫌悪感であったことが、文中のそこかしこでうかがえる。

 作品「背教者ユリアヌス」は、砂嵐のなかを進むユリアヌスの葬列の描写で終わる。
 三六三年七月、ローマ軍団は皇帝ユリアヌスの遺骸を皇帝旗に包み、香料と腐敗止めを詰めて、メソポタミアの砂漠を北に向かって歩きつづけた。激し風が東から西に砂を巻き上げて吹き、終日、空の奥で音が鳴りつづけた。
  ・・・・
 すでに夕映えは消えていた。・・・砂はまるで生物のように動いて、兵隊たちの踏んでいった足跡の乱れを、濃くなる闇のなかで、消しつづけていた。


   参照:このブログでこれまで書いた著者関連の記事。
「西行花伝」(2008年4月24日)
辻 佐保子著「『たえず書く人』辻邦生と暮らして」(2008年8月9日)

モンマルトル日記
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言葉の箱―小説を書くということ
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「たえず書く人」辻邦生と暮らして
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4 全集所収作品が生れたモチーフ、背景、エピソード、文学的意義など
4 辻邦生ファンにはたまらない
5 ソウルメイトの愛を感じ取れますよ

辻邦生のために
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5 邦生と佐保子の物語
4 辻邦生との生の日々を夫人が語る


2009年10月19日

読書日記「ナガサキ 消えたもう一つの『原爆ドーム』」(高瀬毅著、平凡社)、そして「信州・無言館」



ナガサキ 消えたもう一つの「原爆ドーム」
高瀬 毅
平凡社
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おすすめ度の平均: 5.0
5 ナガサキの「苦悩」は、長崎だけのものではない
5 ミステリーを読むように一気に読めます
5 日本人として知っておくべき事実
5 アメリカはどうしても...


 数か月前だっただろうか。ふと手にした週刊誌のグラビア欄に、戦後すぐに撮られたらしい長崎・浦上天主堂の廃墟の写真が載っていた。

 今年の初めに浦上天主堂を訪ねたが、正面に首が取れたり、黒こげになった聖人像やレンガ壁の一部が残されている。教会内には焼けただれた「マリア像」も保管されており、爆心地から500メートルしか離れていなかった教会が壊滅状態になったことが分かる。しかし、廃墟になった天主堂は、現在の敷地内には残っていない。

再建された浦上天主堂:クリックすると大きな写真になります  長崎原爆資料館ホームページ廃墟となった天主堂の写真が載っているが、週刊誌には同じアングルの廃墟の前で縄跳びをして遊ぶ少女たちや、よじ登ってハンマーで廃墟を打ち砕く人たちの姿が掲載されていた。

 なぜ、被爆した天主堂は消えてしまったのか。その疑問に挑戦したのが、この本である。

 著者は、長崎生まれの元放送記者。長崎の放送局が制作したテレビ番組を見て「天主堂の廃墟が残っていたら、・・・原爆について考える大きなきっかけを与えるものになったに違いない」「広島に原爆ドームがあるのに、どうして長崎に浦上天主堂の廃墟は残っていないのか」という問いを膨らませていく。そして、地元取材だけでなく、アメリカの国立公文書館などで調査を続ける。

 この本を一挙に読んだ感じでは、著者はこの疑問への明確な答えは得られなかったようだ。しかし、いくつかの事実に突き当たる。

 1つは、当時の田川長崎市長が、当初は天主堂の保存を公言し、市長の諮問機関も保存の答申をしていたのに「心がわり」し、市議会で「浦上天主堂の残骸が、・・・原爆の悲惨を物語る資料として適切にあらず」と答弁、廃墟の取り壊しに賛成に転じたこと。

 もう1つは、教会を司る当時の山口司教が廃墟の保存を望まなかったらしいという事実だ。

 この2つの事実の裏には、原爆の遺産保存を望まないアメリカの周到なソフト戦略があると、著者は見る。

 田川市長がまだ天主堂廃墟の保存に前向きだった1955年(昭和30年)、アメリカ・セントポール市から突然、長崎市に姉妹都市提携の話しが持ち込まれた。日本では初めての唐突な"縁組"申し込みだった。
 翌年、田川市長は渡米、セントポール市だけでなく、シカゴ、ニューヨーク、ワシントン、ニューオルリンズ、サンフランシスコ、ハワイまで回り、国務省関係者などの歓迎を受ける。「米国から帰国した田川市長は、渡米前とは明らかに態度がかわっていく」
 1958年の臨時議会で、市長はこう答弁する。「浦上天主堂の残骸が原爆の悲惨を物語る資料として・・・適切にあらず・・・」

 同じころ、カトリック教会長崎司教区の代表である山口司教も、教会再建の資金集めのために10か月にわたって米国各地を訪問している。
 著者は、現地の新聞紙上での山口司教の発言や教会関係者への取材から、廃墟を撤去することが、アメリカ側の資金提供の条件であったらしいことを浮かび上がらせていく。

 教会が浦上という土地に教会を再建したいと願ったもう一つの理由にも、著者は言及している。浦上四番崩れに見られるように「何代にもわたった弾圧に耐え抜いた浦上の信徒にとって(原爆という)現在の『絵踏み』が行われた忌まわしい場所の上に天主堂を建てることは、部外者にはうかがいしれない重みがあるのかもしれなかった」

 西日本新聞にこんな記事が載っている。「五八年春、廃墟の天主堂は姿を消した。逆に広島はその二年後、急性白血病で亡くなった被爆少女の手記をきっかけに原爆ドームの保存運動がスタートする」(2003/08/03朝刊)。

  無言館:クリックすると大きな写真になります 先週、信州に"小さな秋"を見つけに出かけ、ある「鎮魂ドーム」を訪ねる機会があった。上田市にある「無言館」だ。

「無言館」の内部:クリックすると大きな写真になります  この美術館は、先の大戦で戦死した画学生を慰霊するため、近くで「信濃デッサン館」を開設している窪島誠一郎氏 が、東京芸術大学の野見山暁治・名誉教授と協力して集めた戦没画学生の遺作を展示している。

 コンクリート打ちっぱなしの建物のドアを押すと、薄暗いなかに画学生が残した作品が次々に浮かび上がってくる。「生きたい」「生きたかった」という叫びが聞こえてくるような、異常に静かな空間だ。

 家族や恋人、自宅近くの風景画が多い。横に短い文章が添えられている。没年、22歳、27歳、33歳・・・、フイリッピン・ルソン島、中支、沖縄・・・。あまりに若く、あまりに遠い無念の死だ。

 「無言館」にある絵の一枚 「あと5分、あと十分、この絵を描きつづけたい。・・・生きて帰ってきたら必ずこの絵の続きを描くから・・・安典はモデルをつとめてくれた恋人にそういいのこして戦地に発った」

「無言館」にある絵のもう一枚
「『ばあやん、わしもいつかは戦争にゆかねばならん。そしたら、こうしてばあやんの絵も描けなくなる』」
「きよしがつぶやくようにいうと『なつ』はうっすらと涙をうかべただけで何もいわなかった」  

無言館第2展示館:クリックすると大きな写真になります「第2展示館』の前にあるモニュメント:クリックすると大きな写真になります 平成8年に開館した「無言館」の近くに、最近「第2展示館」も完成した。

 「屏風絵 茄子」(小野春男)という日本画に引かれた。
 「先生の絵の茜色は亡き息子さんの鎮魂の色ですか」「父竹喬(文化勲章を受章した日本画家・故小野竹喬)はなにも答えなかった」

 ※参照:「生誕120年 小野竹喬展」