読書日記「人の樹」(村田喜代子著、潮出版社刊)
村田喜代子の新著を書評欄で見つけ、嬉々として読み始めたが「なんだ、これは!?」
タンブルウイードという砂漠をクルクル回りながら生きるおかしな草や
タンブルウィード
サバンナ・アカシア
ニームの木
なんとも"荒唐無稽"すぎて一度は本を放り出したが「これこそ、新しい村田ワールド」と、再度手にして引きずり込まれてしまった。
「あたしは、シマサルスベリ」
亜熱帯の生まれだけれど、ヨーロッパらしい寒い国の港の公園に植樹された。真紅色が美しい樹皮を持ち、春の終わりから秋まで白い小さな花を溢れるほどつけるから、昼食帰りの商社マンたちが、必ず見上げていく。
シマサルスベリ
アジア系らしい「冴えない男」が「あたし」に話しかけてきた。どこの国の言葉かはわからなかったけれど、なぜか言うことが理解できた。
男が唐突に言った。
「じつはおれ、昔、木だったことがあるんだ」「君と一緒に海を見下ろす丘に立っていたフェニックスだったんだ」
男が突然、帰国することになった。仕事に失敗したらしい。大きな船のデッキから、あたしに手を振っているのが見えた。
体がふわりと宙に浮いた。あたしは人間の女になっていた。桟橋に向かって走り、叫んでいた。
「我爱你 我不要你离开我」(愛しているわ、私をおいていかないで)
二人は中国生まれの恋人同士だった。「我爱你 我不要你离开我」(愛しているわ、私をおいていかないで)
フェニックス
重い腸炎で死神に怯える男の子、結核で衰弱しきった若い女性、心臓と血行障害で喘いでいる老人、痛風の痛みで泣いている年寄り、働き過ぎで臓器が悲鳴をあげている中年の男。
山の木が春から夏にかけて発散する大量の フイトンチッドの成分は百以上ある。ある成分は、ジフテリア菌さえ撃ち殺す。・・・森全体が病原菌の燻蒸所だ。・・・針葉樹や広葉樹では、吐き出す成分がみな違う。
担架の列は、スギ林やマツ、ヒノキの森をゆっくりくぐりぬけ、クスノキの森に向かう。
クスノキの幹は深い菱形の彫りが美しい。どっしりとして枝張りのおおきな大樹なのに、明るい緑色のヒラヒラした葉をつけている。陰気な針葉樹と違って、クスノキは晴れやかな森の巨人だ。
担架の若い女の頬に血の気が戻ってきた。血行障害の老人が息子にしゃべり出した。「足の痺れがだいぶ治ってきた」。痛風の年寄りも、少し良くなったらしく泣き止んでいた。「お水が飲みたい」。男の子は、父親がせせらぎでくんできた水をごくん、と飲んだ。
中年の男が苦しみ出した。スギもクスノキモハリエンジュも、コナラも、懸命に自分の精気を男の方に送った。
クスノキ
死は生の親である。死んだ亭主の顔に朝の荘厳な光が射している。女房の顔にも射しているぞ。
そうだ、歩いて行け。そして生き続けてゆく者は、森の精気を一杯吸うのだ。
そうだ、歩いて行け。そして生き続けてゆく者は、森の精気を一杯吸うのだ。
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