読書日記「止島」(小川国夫著、講談社) - Masablog

2008年7月27日

読書日記「止島」(小川国夫著、講談社)


 今年4月に80歳で亡くなった作者の略歴を見ると、旧制静岡高等学校に入学直後にカトリックの洗礼を受けられたようだ。霊名は、おそれ多くも私と同じアウグスチノ。

 小川国夫氏は、カトリックとプロテスタント諸教会が取り組んだ新共同訳聖書の国語委員でもあった。翻訳者兼編集委員として一緒に仕事をされた和田幹男・聖トマス大学名誉教授(カトリック箕面教会主任司祭)は「不必要な言葉を削り、詩的に文章を構成される節度ある作業が印象的。言葉を非常に大切にされる方だった」と追悼されていた。

 この話を聞いた直後に、遺作短編集「止島」と遺作随想集「虹よ消えるな」が同時発売された。地味な作風もあるのか、図書館ですぐに借りることができた。

 最初の「葦枯れて」は、収録されている10作品中唯一の時代小説。戦乱の末に、敵味方に分かれた幼なじみのいとこを殺した自分を責めてあちこちで告白を続け、ついにいとこの弟に殺されてしまう。犯した罪の懺悔をやめないやさしきキリスト者を思う。

  残りの9作は、郷里での出来事や思い出で綴られる。

 「琴の想い出」は、祖父の家に出入りしていた車夫・亀さんの孫、琴との淡い恋と別れを描く。祖父が死んだ夜、訪ねてきた亀さんが立ち去るのを見て「私の胸には琴の暗さがよみがえりました。忘れていないまでも、おおかた過去になっていた暗さでしたが・・・」

 「止島」は、いくしむように可愛がられた祖母が病気になり、深い孟宗竹の藪に囲まれた二階家に閉じ込められたように寝たきりでいる話し。それを見舞う作者。「本当か、裏二階に怖気をふるったのではないのか。裏二階は止島にされちまったんじゃないのか。お前も、胸に手を当てて考えてお見」。そして祖父の死。二人をモデルにしてやさしく、かなしい生と死を描く。

 これは、私小説なのだろうか。ちょっと違うような気もするが、よく分からない。

 「未完の少年像」では、作者の小説観が語られる。ある障害者施設で講演をした後、旧制高校の同級生だった園長と文学談義が始まる。
 文章を書く場合は、必ずあて先があります。ところが、小説を書く場合は、ブカブカする浮島の上を歩いているかのようで、とりとめがないのです。

 所詮小説は言葉による実験です。何を書いたっていい、自由な世界なのです。だから甘えが出てしまい、かえって本来の厳密さを見失ってしまうのです。

 随想集「虹よ消えるな」には、もう少し分かりやすい説明がされている。
小説家とは、自己の見聞を書く者ということです。たとえば私は私の祖母を見ていますし、その声を聞いています。・・・ですから・・・祖母から書き始めなければならないと気付いたのです。彼女から始めて、今後の私の見聞は孫の世代に及ぶでしょうから、その間ざっと百五十年です。・・・一人の小説家の目と耳は意外と長い時間に及ぶものだなあ、と思います。

 小説家として生きることを書くことは、これほど厳密に、ひと時、ひと事を見続けることなのかということを、心に深く思いいたされる。

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