読書日記「一週間」(井上ひさし著、新潮社刊) - Masablog

2010年7月11日

 読書日記「一週間」(井上ひさし著、新潮社刊)


一週間
一週間
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井上 ひさし
新潮社
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 劇作家として活躍が目立っていた故・井上ひさし が、実は最後にすごい小説を残していた。

  2000年から2006年にかけて「小説新潮」に断続的に連載されたものだが、ガン 治療と劇作に追われため、この作品を『吉里吉里人』に負けないものにする」という思いを残しながら、加筆、訂正を果たせずに旅立って しまった。

  井上ひさしらしい軽妙な筆致を駆使しながら描き出そうとしているのは、近代歴史のな かで検証されないまま埋もれかけていた"シベリア抑留"という重いテーマである。

  文中には、日本人捕虜を国際法に違反して強制労働を強いた旧・ソ連政府への告発の言 葉がいくつも並ぶ。

  この国には、帝政ロシアの時代から、大規模な工事で労働力が必要になると、、収容所を利用する習癖があるらしい。・・・大戦争の後始末にたいへんな人手がいる。そこで 戦敗国の捕虜をばっと捕まえた。そして収容所へ放り込んで働かせ、国内各所を整備させる。


 この方針に、甘んじて乗ったのが旧・関東軍司令部だった。
  関東軍司令部の参謀たちは、日本兵士の使役を極東赤軍司令部に申し出たりしているんですからね。・・・「大陸方面においては、ソ連の庇護のもとに、満州朝鮮に土着さ せ、生活を営むようにソ連側に依頼するも可」・・・これは明らかな棄民でしょう。


    収容所のなかでは、旧・日本軍将校の自己防衛とエゴのために、多くの旧・日本軍兵士 が、無為に死んでいった。

  ソ連・コムソモリスクの捕虜収容所で死去した哲学者の大橋吾郎は、同じ収容所にいた 小松修吉に黒い手帳を託して息を引き取る。そこには、収容所に入っても、兵士を虐待す る将軍下士官への告発の言葉が書き込まれていた。

  兵士を凍死させるのは、決まって旧軍の軍体制度をそっくりそのまま捕虜収容所に持ち込んだ部隊である。・・・
各収容所において、ソ連邦から配給された糧食のピンはね、横流しが横行していると聞く。なかにはピンはねした糧食で酒を作っている将校下士官たちもいるという。


大日本帝国が批准したハーグ条約によれば、兵士は捕虜になった瞬間、ソ連邦政府の圏内に入り、旧軍の諸制度は適用されない。収容所に旧軍の諸制度を持ち込んだ将校下士官は国際法違反の罪に問わなければならない。


 物語は後半に入って、ドンデン返しの連続。一人の捕虜にすぎない一日本人が収容所を管理するソ連邦の将校と共産党幹部との間で繰り広げる、胸のすくような闘争の物語となる。

収容所から一度は脱出しながら、再び捕えられた軍医が、たまたまロシア革命の父とい われる「レーニンの手紙」を手に入れ、主人公に託す。
少数民族の出身だったレーニンが少数民族の権益を守るための政治闘争を行うと仲間に誓った内容だった。しかしレーニンはその後、ソ連社会主義の確立のために、少数民族の利益を踏みにじっていく。
この手紙は「レーニンの裏切りと革命の堕落を明らかにする、爆弾のような手紙だった・・・」(著書の帯び封解説)
重大国家機密を守るため、赤軍幹部はあらゆる手段でこの手紙を取り戻そうとする。

主人公は捕虜収容所の人びとに届ける「日本新聞」の編集に携わっていたが、その職場の親しい人たちが見せしめに銃殺される。しかし、それは芝居であることを見抜いた小松は日記の引き渡しを拒否する。

日記は、日本人女性でソ連人と結婚した日本新聞社食堂の賄い主任の娘ソーニャに託していた。
それを薄々疑った赤軍将校は、3人を遊覧飛行に誘う。

米国に秘密を売った兵士が、手紙を渡さない小松への見せしめに飛行機から空中へ次々と突き落とされる。たまり かねたソーニャが手紙をついに渡してしまう。
しかし、兵士の突き落としはまたもや芝居だった。彼らは落下傘部隊の精鋭だったの だ。

ところが、この手紙も偽物。本物は母娘があるところに隠していた。赤軍将校が新調し た外套の裏地のなかに。

赤軍に返そうとした手紙は、偶然の突風にあおられ、散水車の水に打たれ、雪とともに 千切れて粉々になってしまう・・・。

「日本人捕虜、小松修吉は、北シベリアの収容所に移送される」
この1節で小説は終わる。主人公がそこでもたくましく生き続けることを予感させなが ら。



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