「五島列島教会めぐり③終 新上五島町」(2009・1・6)
奈留島から新上五島町の郷ノ首港に着いた時は、南国の冬の日もすっかり暮れていた。
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天主堂の前にある説明板に「日本人が作った初期の煉瓦造り教会だが、本格的な教会建築の基本である重層屋根構造の外観、内部空間が形成された初めての例」とある。
正面は、重層の断面をそのまま3分割し、薔薇窓や縦長アーチ窓に飾られ、白い石造りのアーチで飾られた重層さに見とれてしまう。
内部(写真②)は3廊式で、やはりリブ・ヴォートルのアーチが白いしっくいの天井を支える。この教会が多くの司祭、シスターを輩出しているのは、この荘厳な美しさのためなのか。
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途中に寄った塩の製造工房で「江袋教会」が、昨年2月漏電による火災で焼失した、と聞いた。カトリック信者でもあるこの工房の経営者などによって、再建のための募金活動と復元作業が続けられている、という。夕方、長崎に向かう高速船のチケット売り場にも募金協力を求めるチラシが張ってあった。キリシタン時代からの歴史が、地元に根付いている。
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内部(写真⑥)は、回りの縁より天井面を高くした「折り上げ天井」で、祭壇部はリブ・ヴォートル天井。側壁上部の椿のデザインが鮮やかだ。「五島崩し」で、厳しい弾圧を経験した信徒たちが「五島で一番美しい聖堂を作りたい」と願った思いが伝わってくる。
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歩いてもいける距離に教会が建っているのが、ちょっと不思議に思える。大村藩・外海などから移住してきた後、信仰が認められた際に元の部落ごとに教会を建てたためらしい。明治の後期には、山をぐるりと回れる道などなかったのだ。
この旅に行く前に「福見教会」の写真を見て、四角の煉瓦の箱はなんだろうかと思っていたが、玄関部だった。住民の98%がカトリックという地区で、トイレなどの手入れが行き届いているのが分かる。
教会の前の説明板には「高い梁張りの船底天井などエキゾチックな雰囲気が漂っており、内部の左右には、ステンドグラスが張り詰めてある」と解説している。「われらの教会」という住民の意気込みが伝わってくる。
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煉瓦造りの重層屋根構造。8角形の銀色をしたドームと十字架を頂いた鐘楼が突出している。行き来する遠くの漁船からも見えたことだろう。
教会が建つ丘は、ウバメガシの林で覆われている。明治の時代に、巻き上げ漁法の指導に来た和歌山の船員が植えたという。備長炭の原料である。
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内部(写真⑮)がまたすごい。外観の重厚さと様変わりに、天井や壁画に椿などの装飾が施され、華やかさに満ちている。表の説明板によると「2重の持ち送りによって折り上げられたハンマー・ビーム架構」。わが国の教会建築史上でも、例のない構造らしい。
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昨年5月には「遠藤周作と歩く『長崎巡礼』」(遠藤周作 芸術新潮編集部編)という本にひかれ、長崎・旧外海町や島原、平戸、などの教会群を歩いた。これで世界遺産に暫定登録されている「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」のほとんどを訪ねる幸運に恵まれた。
長崎へのキリスト教伝来から、長い弾圧を経て獲得した信仰のあかしとしての教会群。世界に例を見ないという布教の歴史にふれて、3年後と言われる正式な世界遺産への登録を願う気持ちは高まる。
しかし同時に、遺産を守るためにはあまりに厳しい過疎と旧住民とのいまだにとけない葛藤にも出会った。
この遺産群を生かすために、今なにをしなければならないのか・・・。そんな思いが心のなかで渦巻く旅だった。
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