読書日記「西行花伝」(辻 邦生著、新潮社) - Masablog

2008年4月24日

読書日記「西行花伝」(辻 邦生著、新潮社)

 この本に出会ったものの、西行という人物に頭のなかをグルグルかき回されている未消化状態が続いて、もう1年近くになる。

 昨年7月初め、信州・蓼科にある友人・I君の別荘に誘われた。OMソーラーシステムを導入しているのはわが家と同じなのだが、ずっと爽やかな風が吹き抜ける快適さは比べようがなかった。

 その和室に、僧侶が花の下で横たわっている畳半畳大の墨絵が立てかけてあった。

 これはなに?と聞いたら、「西行。読んでごらんよ」と、I君が1冊の文庫本を手渡してくれた。小林秀雄が書いた「西行」という作品が載っている新潮文庫で、表題は「モオツアアルト・無常という事」。

 ベランダにある栗の木の下で、たった20ページの小品をパラパラめくったが、久しぶりに引きつけられる思いがした。

 平安末期の時代。「新古今集」に94首も選ばれている当代唯一の歌詠みといわれた西行が、23歳で北面武士の座を捨てて出家した不思議な心情が、定年後をどう生きるかの答えも描かれずにいるグータラ人間の心に入りこんでくる。

 世の中を反(そむ)き果てぬといひおかん思いしるべき人はなくとも

 世中を捨てて捨てえぬ心地して都離れぬ我身なりけり

 春になる桜の枝は何となく花なけれどもむつまじきかな

 この小品の最後に、こんな歌が出ていた。
 願わくは花の下にて春死なんそのきさらぎの望月(もちづき)のころ


 和室にあった墨絵は、この歌を描いたものだった。西行は、この歌のとおり、陰暦2月16日に73歳で入寂したという。

  別荘の二階にある書棚を見て驚いた。ずらりと漫画本のシリーズが並んでいる間に、辻 邦生の「西行花伝」が立て掛けてあったのだ。

 実はこの本。数ヶ月前に友人Mが「ちっとやそっとでは読みきれないよ」と言われて貸してくれていた。この旅に持っていこうと思ったのだが、なにしろ厚さ4センチ強の箱入りハードカバー。ちょっと無理と思ってあきらめたのが目の前にある。

 別荘を辞し、松本に出たので、本屋を3軒回って、やっと文庫版を手に入れた。

 西行との出会い?は、まだ続いた。上諏訪でガンと闘っている古い知人を見舞い、下諏訪の「みなとや」という旅館に泊まった。

 この旅館の玄関に、鍵をかけたガラス張りの書棚が置いてあった。白州正子のなんと「西行」(新潮社)という本が並んでいる。

 白州正子は生前、この旅館にシーツと枕カバーを置いておくほどのファンで、鍵付きの書棚は、白州正子の著作がほとんど。それも、全部署名入り。うやうやしく「西行」をお借りして、ちょっとのぞき、帰宅してから文庫版を買った。

 なんだか西行に魅入られてしまったが、稀代の歌人を理解するのは、浅学菲才の身にあまる。3冊の本は、居間のワゴンでいつまでも積んどくが続いた。

 今月の初め、満開の桜を探しに、京都・西山の勝持寺、別名・花の寺を訪ねた。

 この寺は、西行が出家した後、しばらく庵をつくったところ、と伝えられている。自ら植えたと言われる「西行桜」(何代目だろうか、細い樹だった)でも有名。周りのソメイヨシノよりちょっと赤い枝垂桜だった。その前に立てられた板書に西行の歌があった。

 花見にと群れつつ人の来るのみぞあたら桜の科(とが)には有りける


 白州正子は「ひとり静かに暮らそうとしているところへ、花見の客が大勢来てうるさいのを桜のせいにしている・・・」と、おもしろがっている。この歌は「西行桜」という能にもなっているようだ。

 本殿の奥の桜の根元に寝転び、青空にいっぱいに広がった白い花びらと飛び交うメジロを見ながら「やはり桜は桜」と、意味不明の問いかけを西行にしたくなった。

 なんとか「西行花伝」を読み終えた。

 どう表現してよいのか。悠久の平安の叙情の世界にどっぷりつかった心地よさが残る。解説者も「伝記でも評伝でもない・・・。あとに残ったのは単なる伝ではなく『花伝』というものだった」と、よく分からないことを言っている。

 あなたも何が正しいかで苦しんでおられる。しかしそんなものは初めからないのです。いや、そんなものは棄ててしまったほうがいいのです。そう思ってこの世を見てごらんなさい。花と風と光と雲があなたを迎えてくれる。正しいものを求めるから、正しくないものも生まれてくる。それをまずお棄てなさい


 「西行花伝」の一節。辻 邦生の世界を楽しめた、としか言いようがない。

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 紅葉を訪ねて、11月の初めに信州・蓼科に出かけた。 昨年7月には、蓼科にある友... 続きを読む

コメント

生さんらしいコメントありがとうございました。

質問まともすぎて、すみません。

関係ないですが、先日、京都で見た河鍋暁斎展で見た「地獄図」、えらくおもしろかった。

真面目がスーツを着たmasajii

二河白道のこと

ネットや辞書で調べれば判るとおり、仏教的には火と水の河の真ん中に見える細い白い道のことですが、小生の思いはもっと俗物的。
人生の旅路の両岸に、欲望や傲慢や世間知やええカッコしいやごまかしやの河があり、いつもそれに落ち込んでいるイメージ・・・。だいだい、白い道などほとんど見えはしない。

『捨てる』という覚悟によって白い道は見えるはずのものだが、それは未来があった(はずの)若年のときはおおむね無縁で、いま老境になって先が知れている時にやっとその覚悟が少しできる・・・という風情のもの。

書くか否か小考したこの「回答」自体が、ま、ええカッコの河に落ち込んでいるわけだけれども、♪いいじゃないの、それが気分なら・・・。

まだまだ河に落ち込むことを楽しんでいる自分がいる。悟れはしない開きなおりか。それでも、地獄の門で閻魔のオジサンに「俺、一回だけ白い道を見たことあるけど」と自慢している己を夢想しております。わお。

真面目がスーツを着ている土井さんに、同じ目線で会話をするのが気恥ずかしく、ついついこんな与太を並べました。
    言  成  不  一      生嶋

 山荘のご隠居・生嶋大兄
 
 その節は、信州の別荘では、お世話になりました。

 あの時の本、やっと今頃になって、とりあえず文章に出来たという感じですが、生さんらしい分析力?にあふれた的確かつ、心情あふれたコメントに感謝しています。

 「なるほど、そういうことかもしれない」と、改めて自らの心根を見つめています。

 そう「無為の旅」。おかしな山っ気などにとらわれることなく、残りの人生を楽しみ、このブログを続けられたらと思います。

 ところで、改めて浅学菲才ぶりをさらしますが「二河白道」て、知りませんでした。

 ネットで見て、意味はなんとか分かりましたが、この言葉の趣旨は?

 「おそれず、わが道を行け」ということ?
それが分からず、戸惑いの日々ですが。  masajii

この「読後感想」に適切なコメントを思いつかないものの、筆者がなにやら西行の知りびとのように思えてくる。思考にはなるほど深い浅いという言い方もあろうが、感覚には深いも浅いも、重いも軽いもあるまい。その人が今感じている、それをてらいなく伝えようとしている・・・それが文字通り商売抜きなので、読み手はとてもすがすがしい思いになれる。
自らのために、このあとも無為の旅は続くのだろう。二河白道・・・。

再見。   生嶋誠士郎

  

森に暮らすひまじんさん

 さっそくのコメント、ありがとうございます。

 確かに、西行をからかう「西行」という落語があるようです。西行という人、歌人としての評価以外に、全国を行脚してただけに民間で卑俗な逸話がたくさん残っているそうです。
 「童子にやりこめられて恥ずかしくなって来た道を戻った、という西行戻しと呼ばれる逸話」「源頼朝が大嫌いで、接見してもらった金の猫を屋敷を出たところにいた童子にやってしまった」「各地に『西行の野糞』とかかれた口碑が残っている」・・・。

 ところで、信州に別荘を持っている「I」さんて、分かりませんか。
本人の了承を得ているのでばらしてしまいますが、大津時代の元サンケイの生さんです。近く、かれの著作を紹介させてもらうつもりです。

masajii

 栗の木の下、風に吹かれて西行を読む。なんて知性あふれる光景でしょう。私なんか、大衆小説をかたわらに、ヨダレたらしてうたた寝してますよ。
 願わくは花の下にて春死なん・・・西行を語るとき、よく引用される一節ですね。私の住む山は、いま山桜が満開です。まだ死ぬ気にはなりませんが、願わくは、山小屋のベランダで山桜を見ながら人生を終わりたい。
 西行をからかうような落語がありませんでしたか?創作落語かもしれませんが・・・。うろ覚えです。いや、勘違いかも。

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