読書日記「旅に溺れる」(佐々木幹郎著、岩波書店刊)
詩人である著者が、これまで雑誌などに発表した旅についての著作をまとめたエッセイ集。旅に出て、その土地の人びとや祖霊、死者との共鳴の言葉がほとばしり出ている。
本と同じ「旅に溺れる」と題した北九州・平戸を訪ねた小文を読むと、著者の旅への想いが分かる。
観光コースにあるものはたいてい、現地に行くとなんということはない。しかし、だから行かないというのは、旅としてつまらない。俗なもののなかにこそ人間がいる。そして、そのまわりには必ず俗を越えたもの、俗を離れたものが発見できる。その発見が旅の面白さだ。
砂浜の先端の松林の先に小さな古びた神社があった。・・・入り江の風景は古代から少しも変わっていないのではないか。八百年ほど前の昔にワープしていくような気分になった。その瞬間、えも言われぬ旅の喜びが湧いてきたのだ。
「能役者に届いた赤紙」を破ってまで守り続けた山形県鶴岡市の「黒川能」 、たった一日、町の人のほとんどが狐に化ける新潟県阿賀町の「狐の嫁入り行列」、幕末の絵師・金蔵、略して給金の屏風絵が主役の高知県赤岡町「給金祭り」 、エイサーと呼ばれる沖縄の盆踊りが各地に広がっている「琉球國祭り太鼓」 、町の人が野菜を主役に仕立てる富山県福岡町の「つくりもん祭り」 、冬季オリンピックの正式種目にすることを真剣に狙っている北海道壮瞥町の「昭和新山国際雪合戦」 。
地域の人たちが暮らしのなかで、はぐくみ、仕掛けてきた祭り、催しの数々・・。読んでいるだけでワクワクしてくる。どうしても、一度は行ってみたくなる。
圧巻は、墓のない文化、鳥葬儀礼を訪ねるネパール、チベットへの旅だ。
鳥葬は・・・鳥(ハゲワシ)に死体を食べさせることで、人間がこの世でなし得る最後の施しを与え
るのである。
死体は聖なる場所である鳥葬場に運ばれ、ハゲワシが食べやすいように石で砕かれ、ナイフで切り刻まれる。・・・死者の魂はハゲワシによって天に最も近いところへ運ばれるのだ。食べ残された骨などは小さく砕かれたまま、鳥葬場で吹きっさらしになる。
死体は聖なる場所である鳥葬場に運ばれ、ハゲワシが食べやすいように石で砕かれ、ナイフで切り刻まれる。・・・死者の魂はハゲワシによって天に最も近いところへ運ばれるのだ。食べ残された骨などは小さく砕かれたまま、鳥葬場で吹きっさらしになる。
ネパールでは、チベット教徒などの火葬に出会う。
死体は薪の上で、まるでサンマを焼くように焼かれ続けた。男たちは長い竹を手に持ち、それを箸のように動かしながら、死体を折り曲げていく。頭蓋骨が最後まで焼けず・・・竹の棒で叩いた。中から脳味噌が流れてきて、柔らかいレバーが焦げるときのような音をたてた。
火葬に付すとき、死者は肉体から魂の世界へ旅立つ。地上にはなにも残らない。・・・この上、さらに墓など必要だろうか?
最近、日本人が疑問に思い始めたことへの1つの答えがここにある。
このブログの前回に紹介した「メメント・モリ」(藤原新也著、情報センター出版局)の写真が、映像のように目の裏に投影されてくる。
藤原 新也
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おすすめ度の平均:
最も影響をうけた本のひとつニンゲンは犬に食われるほど自由だ。(本文より)
色褪せない名著
生死論の古典
肉体的な写真本
▽参考・この本で紹介されている著書
・「牡牛と信号ーー<物語>としてのネパール」(山本真弓著、春風社刊)
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