読書日記「『たえず書く人』辻邦生と暮らして」(辻 佐保子著、中央公論新社)
故辻邦生氏の奥様である著者が書いたエッセー「辻邦生のために」(新潮社刊)を、数年前に読んだことを思い出した。
長く住んだパリのアパルトメントに、特別の許可を得てプレートをつけたことや、熊が大好きな辻邦生が大きなくまのぬいぐるみを自宅に届けさした話しなど、ともに歩いて作品を生み出していったお二人のエピソードがいっぱいつまっていた。
今回の著作は、名古屋大学名誉教授で、ビザンチン美術の専門家である佐保子夫人が、新潮社から刊行された辻邦生全集(全20巻)の月報のために執筆したもの。それぞれの作品が成立した契機や"種"を明かすという、辻邦生ファンにはたまらなくなる本である。
第四章「背教者ユリアヌス」の項には、こう書いてある。
映画狂(シネフイル)を自認する辻邦生には「砂嵐のなかをシルエットのように進むユリアヌスの葬列の最終画面は、すでに構想の段階から鮮明に焼きついていた」
「戦陣や隊列の組み方、砂嵐や吹雪のなかでの露営など、軍国主義時代のさなかに軍事訓練や剣道の稽古を経て育った<男の子>とはいえ、よくここまで詳細に戦闘の様子を描写できたものと驚嘆する」
「中学時代の『世界地図』の教科書をいつまでも大切な宝物にしていた辻邦生にとって、ローマ帝国の広大な領土を舞台とする『背教者ユリアヌス』ほど、各種の歴史地図や大地の起伏を描く鳥瞰図が有益だった作品はない」
第九章、第十章では「春の戴冠」についての秘話が明らかになっている。
「一九五八年、辻邦生のフイレンツエとの最初の出会いは、駅前で興奮のあまり鼻血を出したことに始まり、手についた赤い血の色と夏の盛りのカンナの赤い花が『春の戴冠』の原点となった」
「『背教者ユリアヌス』ですら、長すぎるという声が私の耳のも聞こえてきたが、『春の戴冠』はそれよりはるかに長大である。そのためか、再販が出るまで二〇年以上も絶版が続き、ついに文庫本にはならなかった。うちでは『背教者ユリアヌス』を『ユリちゃん』、『春の戴冠』を『ボチくん』と呼んでいた。『ユリちゃん』ばかり文庫本増刷の通知が届くため、『かいそうなボチ君』と言うのが口癖だった」
ところが第十章の最後に、こんな「付記」が載っていた。
「このたび中央公論新社から、本書の刊行(2008年4月)とあわせて、『春の戴冠』を文庫版四冊として刊行するという夢のような企画が実現されることになった」
中央公論新社に聞いてみると、すでに①②が刊行され、③は8月25日の予定。④は未定だという。文字の大きさは、どうだろうか。1977年の初版本(上・下)の字を追うのさえ、もうしんどくなっている。
第十四章の「西行花伝」は、このブログでも書いたが、この作品が辻 邦生の最後にして、最高の作品であることを知った。
「西行をめぐる多数の人びととの声を、転調・反復しながらひとつの大きな流れにまとめてゆく手法は、これまで試みてきたさまざまな小説作法の最終的な集大成のように思われる」
「ともあれ『西行花伝』が長い執筆活動の究極の到達点を示す作品になったことを、今は心から『これでよかった』と思っている」
「ともあれ『西行花伝』が長い執筆活動の究極の到達点を示す作品になったことを、今は心から『これでよかった』と思っている」
第二十章「アルバム、年譜、書誌など」に、こんなことが書いてある。
亡くなる前年の夏、二人は夕方になると、リヒャルト・シュトラウスの「これがもしかしたら死なのだろうか」という歌曲をよく聞いた。「最後の一週間あまり、山荘の窓から浅間山の方向をじっと眺めて座っていたとき、耳に聴こえていたのは、今から思うとこの最後の詩句だったのではないだろうか」
こんな本を読むと、著作とは別の世界をのぞかさされたような気がして、もう一度、一連の作品を読み返したくなる。困ったものである。
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