2011年5月アーカイブ: Masablog

2011年5月28日

読書日記「チェルノブイリ原発事故(原題・故障)ーーある一日の報告」(クリスタ・ヴォルフ著、保坂一夫訳、恒文社刊)


チェルノブイリ原発事故 (クリスタ・ヴォルフ選集)
クリスタ ヴォルフ
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 「朝日の文化欄(5月18日付け)で、大江健三郎がこの小説を取り上げている」。友人・Mに教えられ、さっそく図書館のホームページで予約、書庫に収まっていたのをすぐに借りることができた。

 大江健三郎は、こう書いている。「福島原発の事故にあたって、私自身が見聞すること、家族の話すことの多くに、これは覚えていると既視感(デジャヴ)を抱いた根拠がこの本にあると気付いて・・・」
「デジャヴ」というのは、あまり聞いたことがなかった言葉だが、フランス語が語源らしい。辞書には「初めての経験なのに、かつて経験した感じがするような錯覚」とある。

 著者は、旧東ドイツを代表する女性作家。
 邦訳の表題は、えらく直截的な表現になっているが、東ドイツに一人暮らしをしている女性作家が、離れた場所で脳腫瘍手術を受けている弟を気遣いながらチェルノブイリ原発事故のニュースを聞いている、というのが小説のあらすじ。「破局的現在に至った文化の過去を反省する一日の報告」(訳者あとがき)だという。

 しかし読み進むうちに、福島原発事故の後、日本人の多くが味わったであろう″既視感(デジャヴ)"に出会い、ギョッとしてしまう。

 
いつもの習慣で歩きながら、毎日の昼食のサラダ用に、小さな、やわらかいタンポポの葉を摘んできたのですが、それはやはり棄てることにしました。別々の局に合わせてある小型ラジオも大型ラジオも、時報ごとに声を合わせて、生野菜は食べるな、子供に新しい牛乳を与えるな、と言い続けていますし。・・・中にはとんでもないことを考える人もいるもので、ある放送局のある町では、きのうのうちに、町じゅうのヨウ素錠剤の在庫がすっかり買い占められたそうです。


はっと気づいて、急いでベルリンへ電話しました。・・・きのうの午後は、もちろん子供たちと砂場へ行ったわよ。くやしいのは、そのあと身体を洗ってやらなかったこと。そう、お母さん、聞かなかった?子供が外から帰ってきたら、シャワーを浴びせるのよ。お風呂は皮膚をやわらかくし、毛穴が開くから、放射能をわざわざ体内に入れてやることになるの。考えすぎかしら?それならいいんだけど。


 
深夜、泣き声がしました。わたしはびっくりして、とび起きました。完全な怪物だ!と叫んでいます。・・・しばらくたってから、ようやく気づきました。それはわたしの声でした。わたしはベッドに座って大声で泣きました。・・・わたしは大声で叫びました。
 この地球に別れを告げることになるのでしょうか?そうなったら。あなた、さぞ、つらいことでしょうね。


 図書館でボランティアをしていたとき。返ってきた「ぼくとチェルノブイリのこどもたちの5年間」(菅谷昭著、ポプラ社)という本を思わず借りてしまった。

 チェルノブイリ事故によって、原発のあるウクライナ共和国だけでなく、北隣りのベラルーシ共和国は国土の20%が大きな被害を受けた。季節風で放射能の灰の半分が風下のベラルーシに運ばれたからだ。おかげで、小児性甲状腺ガンが増え続けるという悲惨な状況になった。

 筆者の甲状腺専門医である菅谷さんは、ベラルーシで暮らしながら、現地医師の訓練とこどもたちの甲状腺ガン手術に取り組んだ。

 
(入院しているこどもの)面会に来ている親たちが、悔やんでも悔やみきれない思いを抱えていることをぼくは感じます。
  あのとき、外で遊ばせなければ・・・。
  あのとき、キノコを食べさせなければ・・・。
  あのとき、イチゴをとりに森に連れていかなければ・・・。


 
事故が起きた当時、お母さんはまだ一歳にならないターニャを連れ、(チェルノブイリから50キロしか離れていない)自分の実家でジャガイモの植え付け作業を手伝っていました。よちよち歩きを始めたばかりのターニャは、広大な畑の隅っこで、春の陽ざしをいっぱいに浴びながら、無邪気に遊びつづけていたのです。もちろんこのとき、原発史上最悪の爆発事故が起こったなどという情報は、村人のだれひとりとして知りませんでした。
 しかしその数カ月後、この村はあまりに高度に汚染されたため、政府の命令でただちに埋められ、地図の上からも消されてしまったのです。
 ・・・埋葬しなければならぬほどの村で、ターニャは遊びつづけていたのです。


 小説「「チェルノブイリ原発事故」の巻末には、反原発学者と知られた元原子力資料情報室代表の故・高木仁三郎氏の寄稿が掲載されている。

 
私の頭を悩ますのは、・・・各国政府やIAEAは、あの事故のことは過去の出来事と済ませてしまって、以前と基本的に同じような原子力計画をつづけていることである。・・・核の時代のツケがさまざまな形で混乱と霧を広がらせ、「次のチェルノブイリ」を予感させるような事例はいくらでもあげることができるが、ほとんどは世界全体によって見て見ぬふりをされているといってよいだろう。


 その高木さんが、16年前に書いた学術論文「核施設と非常事態――地震対策の検証を中心に―」(日本物理学会誌、Vol.50No.10,1995) が、今回の福島第一原発事故をピタリと予言していてネット上で話題になっているようだ。

「(地震とともに津波に襲われたとき) 原子炉容器や1次冷却材の主配管を直撃するような破損が生じなくても、 給水配管の破断と緊急炉心冷却系の破壊、非常用ディーゼル発電機の起動失敗といった故障が重なれば、メルトダウンから大量の放射能放出に至るだろう」


 もうひとつ。友人の岡田清治氏が、自分のホームページに書いていたように、福島事故発生直後にメルトダウンを予想した反原発学者の京都大学原子炉実験所助教・小出裕章氏が、今月23日の参議院行政監視委員会で参考人として陳述した。この 録画動画 の内容には戦りつさえ覚える。

 それを"文字起こし"した内容は、このブログに載っている。

 
失われる土地というのはもし、現在の日本の法律を厳密に適応するのなら福島県全域といってもいいくらいの広大な土地を放棄しなければならないと思います。
 それを避けようとすれば住民の被曝限度を引き上げるしかなくなりますけれど、そうすれば住民たちは被曝を強制されるという事になります。
一次産業はこれからものすごい苦難に陥るようになると思います。農業・漁業を中心として商品が売れないという事になる。そして住民達は故郷を追われて生活が崩壊していくという事になるはずだと私は思っています。


 福島のこどもたちが、甲状腺ガンの原因になる放射性ヨードを浴びないことを、そして放射能が風に乗って孫らのいる関東地域に広がらいようにと、ひたすら願う。

2011年5月25日

読書日記「震災歌集」(長谷川櫂著、中央公論新社刊)

震災歌集
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長谷川 櫂
中央公論新社
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 4月下旬の読売新聞朝刊と夕刊のコラムで、俳人の長谷川櫂さんが「震災に関した短歌集」を出版するという記事を続けさまで見てエッ!と思った。

 伝統派俳人と言われる著者が、句集でなく歌集を出すという。それも東日本大震災発生からたった12日間に詠まれた119首が収められるらしい。さっそくAMAZONに予約を入れ、出版直後の2週間後に届いた。

 
かりそめに死者二万人などといふなかれ親あり子ありはらからあるを


 
夥(おぼただ)しき死者を焼くべき焼き場さへ流されてしまひぬといふ町長の嘆き


 著者は、序文「はじめに」で、私自身も感じていたことをズバリと書いている。
今回の未曾有の天災と原発事故という人災は日本という国のあり方の変革を迫るだろう。そのなかでもっとも改めなければならないのは政治と経済のシステムである。


 
原発を制御不能の東電の右往左往の醜態あはれ


原発をかかる人らに任せてゐたのかしどろもどろの東電の会見


 「はじめに」はこう続く。
決して立派とはいえない首相が何代もつづくのは、間接民主制という政治家を選ぶシステムそのものがすでに老朽化してしまっているからではないか。


 
おどおどと首相出てきておどおどと何事かいひて画面より消ゆ


かかるときかかる首相をいだきてかかる目に遭う日本の不幸


 被災地からは遠く離れながらも、人々を不安に陥れている放射能汚染への恐怖を五七五七七に託す。

如何(いかん)せんヨウ素セシウムさくさくの水菜のサラダ水菜よさらば


降りしきるヨウ素セシウム浴びながら変に落ち着いてゐる我をあやしむ


見しことはゆめなけれどもあかあかと核燃料棒の爛(ただ)をるみゆ


 避難所に押し込められ、じっと耐える東北人のこころ根を思う。

避難所に久々にして足湯して「こんなときに笑っていいのかしら」


被災せし老婆の口をもれいづる「ご迷惑おかけして申しわけありません」


 なぜ俳句でなく和歌だったのか。筆者は「理由はよくわからない。『やむにやまれぬ思い』というしかない」としか語らない。

 実は、長谷川櫂さんのことを少し存じ上げている。以前、新聞社に勤めていたころ、東京本社から出向して来られていて一緒に朝刊制作の仕事をしていたことがあった。
刷り上がった朝刊を見た後の午前2時半過ぎ。帰る方向が一緒で、時々タクシーに同乗した。その時、長谷川さんは俳句のことは一言も話されなかった。
 東京に帰られて少しして、サイン入りの句集が送られてきて驚いた。あまりいい言葉ではないが、礼状に「エイリアンに遭った気分」と書いた記憶がある。

 そして今回また「やむにやまれぬ思い」で歌集を出された偉才ぶりに遭うことになった。やはり「エイリアン」だと・・・。

2011年5月17日

読書日記「三陸海岸大津波」「関東大震災」(吉村 昭著、文春文庫)、「津波災害――減災社会を築く」(河田惠昭著、岩波新書)

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 震災のただ中にいた阪神淡路大震災の時と、なぜか違う。東北大震災の惨状を毎日のテレビを見聞きしながら、いつまでも心が落ち着かない。死者を悼み、復興を願う以上に、なぜまたこんな被害に遭遇してしまったのかという思いがふつふつとわき上がる。

 東北大震災直後にできた書店の特設コーナーをウロウロしていて見つけたのが、吉村 昭の文庫本「三陸海岸大津波」。1970年に旧中央公論社から旧題「海の壁」として出版され、2004年の文春文庫になって以来5万冊が出ていたが、この2カ月で15万冊を増刷する大ベストセラーになってしまった。明治から昭和にかけて三陸海岸を襲った津波の生存者などを訪ねて取材した事実、証言に圧倒される。
 この15日の朝日新聞書評欄でも「ひたすら『事実』だけが語られていながら、かといって単に客観的な『記録』とは異なる、・・・これは『記録=文学』なのだ」と書かれていた。

 
六十歳の木村トラという女性は、突然流れこんできた海水に驚いて十歳と五歳の孫を首にかじりつかせ鴨居にとびついた。水は見る間に上昇して顎(あご)にまで達した。
これまでと観念した時、家が浮き上がって流れ出した。沖にさらわれれば一命はなかったのだが、幸いにも家が石づくりの井戸の台にひっかかって止まった。・・・トラは、孫を抱えると家を飛び出し、屈強な男子でも上がることのできない背後の絶壁をよじのぼって死をまぬがれた。


死体の多くは、芥や土砂に埋もれていた。・・・掘り起こしても死体が発見されない場合が多い。
そのうちに経験もつみ重ねられて、・・・。死体からは脂肪分がにじみ出ているので、それに着目した作業員たちは地上に一面に水を流す。そして、ぎらぎらと油の涌く個所があるとその部分を掘り起こし、埋没した死体を発見できるようになったのだ。


三陸沿岸を旅する度に、私は、海に向かって立つ異様なほどの厚さと長さを持つ鉄筋コンクリートの堤防に眼をみはる。・・・が、その姿は一言にして言えば大袈裟(おおげさ)すぎるという印象を受ける。
 私は、その対比に違和感すらいだいていたが、同時にそれほどの防潮堤を必要としなければならない海の恐さに背筋の凍りつくのを感じた。


 その防潮堤でさえ、今回の大津波は乗り越えてしまった。
 私が住む芦屋市は、確率60%で東海・東南海・南海同時地震が襲う可能性がある地域である。市関連機関が住民に配った資料では、我が家は海抜15メートル地区。今回の震災直後に再選された市長は、避難路などを見直す動きなどまったく見せない。

 「津波災害――減災社会を築く」の著者、河田惠昭(よしあき)さんは、京都大学防災研究所長を経て、現在は関西大学安全学部長。 「阪神・淡路大震災祈念 人と防災未来センタ」長を兼務しておられる。
 この本は、昨年2月に発生したチリ沖地震津波をきっかけに、昨年12月に出版された。初版の帯封には「必ず、来る!」というコピーが躍り「まえがき」にも「東海・東南海・南海地震津波や三陸津波の来襲に際して、万を越える犠牲者が発生しかねない」と書かれ、いささかセンセーショナルなのではという批判もあったそうだが、不幸にも専門家のカンはピタリと当たり、その警告は生かされなかった。

 この本には、今回の東北大震災で我々がテレビを通して目にした惨状が津波への正常な知識があれば防ぐことができた"人災"であることを、無残なほどあらわに予見している。

高さ五メートルの防波堤に高さ八メートルの津波が押し寄せた場合、津波はこの防波堤を乗り越える。そのとき変化が起こる。防波堤に津波が衝突すると、海底から深さ五メートルまでの津波の水粒子が防波堤で止められて前に進めなくなる。その瞬間、海底から五メートルまでの津波の運動エネルギーは位置エネルギーに変換される。このため、防波堤上で海面が三メートルよりもさらに盛り上がって通過することになる。
そして、防波堤を超えた瞬間に水塊が三メートル以上の落差をもって港内側に落下するので、激しく防波堤の脚部を洗うことになる。下手をすると海底の洗掘が発生し、防波堤が横倒しになってしまうことが起こる。


三陸沿岸は「宿命的な」津波常襲地帯であるといえる。それは、湾岸地域が津波を増幅させる屈曲に富んだリアス式海岸だからというだけではない。遥か沖合の水深数千メートルの海域が津波を集中させる海底地形となっているのである。これは、近地津波はもとより、太平洋沿岸各地で津波が発生し、遠地津波として伝播してくるとき、必ずこの海域で増幅することを示している。このように沖合で津波が増幅し、沿岸でも増幅するという津波の「二重レンズ効果」が三陸沿岸では起こる。


 そして、津波についての正確な知識を周知し、日頃から訓練していれば、避難さえすれば助かる「生存避難」につながる、と強調。「車で避難して渋滞に巻き込まれたら、徒歩で避難する」など、具体的なルールの徹底を繰り返して警告している。

 しかし、こんな記述もある。
したがって、津波防波堤のある大船渡、久慈(工事中)や釜石を除いて、世界屈指の津波危険地域であると言える。

防災危機の専門家でさえ、今回の"想定外"の津波は想定できなかった、ということだろうか。それだけに、今回の災害にすごさに「背筋が凍る」思いを新たにする。

 最後の第4章に書かれた「もしも東京に大津波が来たら・・・」にも、震えが来る。
津波はん濫が最初に襲うのは臨海コンビナートである。津波のはん濫水もしくは一緒に移動する船舶が、石油精製施設、化学物資合成施設やそれにつながるパイプ群を破壊し、ここから出火する危険がある。もっとも怖いのは致死性の有毒ガスの漏出である。


 
私はかねてから『水は昔を覚えている』と主張してきた。昔、海だったところや湿地帯だったところに市街地が発達しても、いったん、洪水や高潮、津波はん濫が起こると、・・・また海や湿地帯に戻るということである。

 ゼロメートル地帯や江戸時代に湿地帯や海中に位置していた約70もの地下鉄の駅が水没する危険がある、という。

 吉村 昭の「関東大震災」は、これらの予想がすでに現実に起こったことであることを如実に示す歴史証言である。

 本所被服廠で、避難者が持ち込んだ家具による火災で死んだ3万8千人のひとたち、浅草・吉原公園の池で幾重にも重なって死んでいった500人近い娼婦たち、累々たる死体を処理した事実を記載する1章・・・。
   そして、根拠のないデモの広がりによる日本人の暴動で死んだ朝鮮の人たち、この震災をきっかけに殺された社会運動家・ 大杉 栄。

 忘れていた、そして忘れてはいけない震災の歴史を、これらの本で記憶を新たにする。



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