2011年10月アーカイブ: Masablog

2011年10月19日

読書日記「春を恨んだりはしない」(池澤夏樹著、中央公論新社)、「日本の大転換」(中沢新一著、集英社新書)、「神様2011」(川上弘美著、講談社)

春を恨んだりはしない - 震災をめぐって考えたこと
池澤 夏樹
中央公論新社
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日本の大転換 (集英社新書)
中沢 新一
集英社 (2011-08-17)
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神様 2011
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川上 弘美
講談社
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 表題最初の「春を恨んだりはしない」の著者、池澤夏樹は、9月20日付け読売新聞の著者インタビューで「この半年は(東日本大震災について)考えているか、書いているか、被災地に行っているか。ほかのことはほとんどしていない」と語っている。
 
たくさんの人たちがたくさんの遺体を見た。彼らは何も言わないが、その光景がこれからゆっくりと日本の社会に染み出してきて、我々がものを考えることの背景になって、将来のこの国の雰囲気を決めることにならないか。
 死は祓えない。祓おうとすべきではない。
 更に、我々の将来にはセシウム137による死者たちが待っている。


そして池澤は「原子力は人間の手に負えないもので、使うのを止めなけばならない」と、次のように力説する。
 
原子力は原理的に安全ではないのだ。原子炉の中でエネルギーを発生させ、そのエネルギーは取り出すが同時に生じる放射性物質は外に出さない。・・・あるいは、どうしても生じる放射性廃棄物を数千年に亘って安全に保管する。
 ここに無理がある。その無理はたぶん我々の生活や、生物たちの営み、大気の大循環や地殻変動まで含めて、この地球の上で起こっている現象が原子のレベルでの質量とエネルギーのやりとりに由来しているのに対して、原子力はその一つ下の原子核と素粒子に関わるものだというところから来るのだろう。


 ここまで読んで、同じような考え方にふれたのを思い出した。

 震災直後に朝日新聞出版から緊急出版された宗教学者の中沢新一、神戸女学院大学名誉教授の 内田樹、経済関係の著書が多い平川克美の鼎談冊子「大津波と原発」のなかで、中沢はこんなことを話している。

「核力からエネルギーを取り出す核融合反応というものは、もともと太陽で行われているものです。・・・核分裂はようするに生態圏の外にある」「原子力は一神教的技術なんです」

 なぜ生態圏の外にあった反応を生態圏に持ち込んだから、原発は制御不能なのか?
  超自然的な存在である神と原子力を一神教という名のもとにひとくくりしてしまうのも、キリスト教信者のはしくれである身には理解しがたい・・・。

大津波と原発
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内田 樹 中沢新一 平川克美
朝日新聞出版
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 最近、その中沢が「日本の大転換」という本を出した。「大津波と原発」で言っていたことを敷衍しているらしい。各紙の書評欄でも次々取り上げられたので、読んでみた。

 中沢は、これまでの世界・社会は太陽の恵み(贈与)で成り立っていたのに、人間は原子炉のなかで"小さな太陽"を作ろうという無謀な試みをしようとして厳しいしっぺ返しを受けようとしている、と主張する。

 
太陽から放射される莫大なエネルギーの一部は、地球上の植物の行う光合成のメカニズムをつうじて「媒介」されることによって、生態圏に持ち込まれている。そうした植物や動物がバクテリアなどによって分解・炭化され、化石化したものが石炭や石油なのである。・・・
 ところが、原子炉はこのような生態圏との間に形成されるべき媒介を、いっさいへることなしに、生態圏の外部に属する現象を、生態圏のなかに持ち込む・・・。


 
津波によって、生態圏外的な原子炉と生態系をつないでいた、脆弱な媒介システムが破壊されたのである。むきだしになった核燃料は、臨界に達する危険をはらみながら、大量の放射性物質を放出し続けることとなった。そしてあらためて、人々の意識は、数万年かかっても処理しきれない、おびただしい放射性廃棄物を生み出すこの技術の、もうひとつの致命的な欠陥に注がれることになった。


 川上弘美の「神様2011」は、1993年に初めて書いた「神様」という短編を3・11後の世界に置き換えたものだ。放射能に汚染されて、人々は防護服を着、被爆量を気にしながら生きている。「神様」では2行で終わっている結びが5行に増えている。

 
部屋に戻って(熊の神様が作ってくれた)干し魚をくつ入れの上に飾り、眠る前に少し日記を書き、最後に、いつものように総被爆量を計算した。今日の推定外部被爆量・30μ㏜、内部被爆量・19μ㏜、推定累積内部被爆量178μ㏜・・・。


 池澤の「春を恨んだりはしない」のなかで、このブログでもふれた著書 「新しい新世界」で予言した世界をこう描いている。

   
進む方向を変えた方がいい。「昔、原発というものがあった」と笑えて言える時代の方へ舵を向ける。陽光と風の恵みの範囲で暮らして、しかし何かを我慢しているわけではない。高層マンションではなく屋根にソラー・パネを載せた家。そんなに遠くない職場とすぐ近くの畑の野菜。背景に見えている風車。アレグロではなくモデレート・カンタービレの日々。


 
人々の心の中で変化が起こっている。自分が求めているモノではない、新製品でもないし無限の電力でもないらしい、とうすうす気づく人たちが増えている。この大地が必ずしもずっと安定した生活の場ではないと覚れば生きる姿勢も変わる。
 これからやってくる世界は、どちらだろうか。

 川上の描く世界が、ますます″日常化"するなるなかで、池澤らが提言する世界を目指す努力がどこまでできるのか。これからを生きる孫たちを思う・・・。



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