2018年10月アーカイブ: Masablog

2018年10月31日

日々逍遙「小磯良平展」「武庫川・コスモス園」など

このブログが、管理システムの不調で約1ヶ月閲覧だけでなく、新しい記事の掲載もできなくなった(詳しくは、管理者n.shuheiさんの 10月22日付けブログで)。
 管理者の大変な努力で10月末には復旧したが、ブログ右側の「過去記事タイトルリスト」を見ると、11年もの読書、紀行記録が自分にとって貴重な財産になっていることに改めて気付いた。

 あまり好きな言葉ではないが、 "終活" の一環にもなるかと「日々逍遙」というコーナーも作ってみることにした。

2018年10月28日(日)
 阪急夙川駅で、昔テニスクラブで一緒だったYさんに20年ぶりにばったり。サングラスを外して見せた顔には、私同様それなりの年輪が刻まれていたが、テニスは相変わらず続けているという。2007年に中国にご一緒したKさんも同じテニスクラブらしいが、テニスを日課のようにしていたMさんは「もう、しんどくなった」と最近クラブを辞めたらしい。これも"終活"かな・・・と。

 待ち合わせた友人Mとポートアイランドの神戸市立小磯記念美術館へ。特別展「没後30年 小磯良平展 西洋への憧れと挑戦」が開催中で、全国の美術館から集められた代表作や新発見、初公開作など約130点が展示されている。

 見覚えのある兵庫県立美術館所蔵の「T嬢の像」や東京藝術大学が貸し出した「裁縫女」が、戦前の中産階級の生活を鮮やかに描きだして秀逸だ。

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 珍しいことに「娘子関を征く」「カリジャティ会見図」(いずれも国立近代美術館・無期貸与作品)など、かなりの戦争絵画が展示されていた。

 ちょうど、京都国立近代美術館で「没後50年展」が開かれている藤田嗣治は、多くの戦争絵画を描いたことへの非難に嫌気をさしてフランスに戻って、死ぬまで日本に帰らなかったということだ。小磯良平も自分の画集に戦争絵画を載せることを非常に嫌ったという。東京芸術大学教授として活躍した戦後の生活の中で戦争責任の声とどう決別したのだろうか。

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 戦後に描かれた「働く人びと」(小磯美術館寄託)という大作は、同じ油彩ながら戦前の作品とがらりと筆使いが違っている。なぜだろうか。

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 東京・赤坂の迎賓に飾られている「絵画」「音楽」の2作は、やはり小磯の迫力が満溢 した作品だ。この展覧会では、小さなカラー模造図が展示されているだけだったが、やはり本物が見たい、と思った。

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  【2018年10月16日(火)
 武庫川左岸(尼崎市)の「武庫川コスモス園」に出かけてみた。
 13日に開園したばかりで、まだ咲きはじめといった感じだが、7つの区画にピンク、白、黄色のコスモス約550万本が今年も元気に咲きそろおうとしている。昨年は、台風の被害を受けてほぼ全滅しており、2年ぶりに復活した風景だ。
 ここは、もともと旧西国街道を結ぶ「髭の渡し」と呼ばれる渡し場があったらしい。サイクリングロードなどが整備されている右岸・西宮市側に比べ、左岸は未整備なところが多く、ここもゴミの不当投棄で荒れていた。コスモスの名所に変身させた地元市民グループの努力をありがたく思う。

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2018年10月8日(月)
 久しぶりに、西宮市立北山緑化植物園に出かけた。まだ紅葉には早かったが、シューメイギク、コムラサキ、ミズヒキなどの秋の花が咲きそろっている。  カツラの木の下のベンチで休憩。カツラの大木を訪ねた鉢伏への旅を思い出した。
 
 秋晴れへ伸びる桂や幹太し


 まだ青いがカリンの実がたわわに実っている。自宅にカリン酒をつけているのを思い出し、帰って飲んでみた。澄んだ琥珀色をした、なかなかの出来だった。張られたレッテルに「2016年11月作成」とある。たしか、神戸女学院のシェクスピア庭園で収穫した実を漬けたのだと思う。

下のサムネイルをクリックすると大きな写真になります。
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2018年10月27日(土)
 2週間に1回の俳句講座(講師:池田雅かず「ホトトギス同人」、於・神戸六甲道勤労市民センター)の日。
 最初に講師が「鳴け捨てし身のひらひらと木瓜の花」という句を黒板に書き、主席者の評価を聞いた。「良い句」と思った人は1人、私も含めて残り20人弱は「良くない」に手を挙げた。

 実はこの句は、AI(人工知能)の作、だという。
 北海道大学の川村教授が、過去の俳句5万句をAIに詠み込ませて開発したソフト「一茶君」に「鳴」「木瓜の花」という兼題を与えて自動生成させたらしい。
 友人の1人は「なかなかいい句だ」と、高い評価をした。はたしてAIは、将棋、碁に続いて俳句でも勝利するだろうか。

2018年10月15日

読書日記「死の島」(小池真理子著、文藝春秋刊)



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 著者の本を読むのは久しぶりだ。
 いくつかの新聞書評子が、この小説を取り上げているのを見て、図書館に予約した。借りられるまでに4ヶ月かかった。

 文芸編集者として出版社に勤めていた澤登志夫は、定年後カルチャーセンターで小説の書き方を教えていた。腎臓にがんが見つかり、それが骨に転移した。いかに死を迎えるかを考えるようになり、カルチャースクールをやめた。

 以前、熱烈に愛し合った貴美子が63歳で死んだことを知った。膵臓がんだった。
  貴美子は、ただ一人在宅のままで死んだ。選んだのは 終末期鎮静(ターミナル・セデーション)だった。最期が近づいた時、点滴も経管栄養も行わず、延命のための措置を一切やめた上で鎮静剤を投与してもらうと、深く眠ったまま苦痛のない死を迎えることができる。

 
(貴美子の死を知らされ)わけのわからない感情がこみあげてきた。・・・
 まとまりのつかない気持ちのまま、ふとんに顔を押しつけて低く呻き声をあげた。涙は流れなかったが、胸がいつまでも震え続けていた。・・・それが自分でも気づかない種類の、深い感動によるものだとわかるまで、長い時間を要した。


   「『死んだら、澤さんに渡してほしい』と言われた」と、遺族からスイスの画家、 アルノルト・ベックリーンの解説本を渡された。ベックリーンの代表作 「死の島」のカラー図版が巻末に折り込まれていた。

死の島      
 島に向かう一艘の小舟には、・・・光によって照らし出された棺には、白装束姿の人物の陰がやわらかく落ちている。
 登志夫は・・・自分自身の亡骸が、その中に入っていて、今にも静かな水音と共に、永遠の安息を約束してくれる島へと運ばれていくような気がした。・・・
 小舟に揺られて、おれも行くことにするか、と彼は思った。・・・
 ああ、いい気分だ、と彼はひとり、声に出して言った。安心するよ。


 カルチャースクールの教え子だった宮島樹里は、この図版を見て「自分がこの絵の中にいて、あの小舟に乗っているみたいな」気がすると言った。
 「だから、『死の島』なんだろうね」と澤は言った。「遅かれ早かれ、みんないずれは、小舟に乗ってその島に行くんだからな。例外なく、一人残らず」

 澤は、定年後に軽井沢の近くの町に小さな別荘を買っていた。

 
 ベランダに面した窓から望むことのできる、遠い山々の青い稜線や、こんもりと生い茂る常緑樹の群れ。そこに降りつもって世界を白く染めあげていく雪。鉄製の薪ストーブの中で赤々と燃え続ける薪のにおい。静まり返った夜、月明かりに照らされて青白く見える雪原。その上に点々と残された動物の足跡・・・
 そこに出向きさえすれば、あの方法でおそらく確実に計画を実行に移すことができる。・・・万事においてぬかりはない。・・・


 クリスマスまじかの病院定期検査で、がんがさらに肺に転移していることが分かった。

 
 「先生、よいお年を・・・」
 医師は少し驚いたように彼を見たが、即座にうなずき「澤さんも」と言った。少し離れたところに立っていた若い女性看護師が、誰もいない虚空にむかってさびしい微笑を投げるのが見えた。


 15年ほど前。登志夫は、ある作家に同行してベテランの医師を取材したことがあった。「苦しまずに自殺する方法」について話題が向いた時、この医師は3つの方法をあげた。

 1つは塩化カリウム、2つ目はプロポフォールなどの麻酔導入剤を静脈に入れるやり方。しかし管理が厳しくなって、これらの薬を手に入れるのは医師でも難しい。3つ目は「脱血死」という方法。点滴チューブを腕の血管にさし、上腕部を縛って輸液用のコックを開くと、静脈の血が外部に流れ出す。コックを開く前に、睡眠導入剤とアルコールを飲んでおけば、意識がなくなり、苦しまずに死ねる。

 主治医から、別荘の近くの開業医を紹介してもらった。在宅医療をしている、ということだったが、別荘での点滴治療は断られた。しかし、風邪を引いて駆けつけた医師に点滴をしてもらえた。

 
 流れ出た血を受ける青いポリバケツをベッドの左側に置き、ウイスキーのマッカランで睡眠導入剤のマイスリー、サイレース各2錠を流しこみ、駆血帯で左上腕部を縛り、点滴のコックを静かにひねった。
 CDからチェロが低く響き、時折、ストーブの薪が激しく爆ぜた。・・・意識が少しずつ薄れていった






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