2016年10月アーカイブ: Masablog

2016年10月26日

読書日記「人の樹」(村田喜代子著、潮出版社刊)


人の樹
人の樹
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村田喜代子
潮出版社
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 村田喜代子の新著を書評欄で見つけ、嬉々として読み始めたが「なんだ、これは!?」

  タンブルウイードという砂漠をクルクル回りながら生きるおかしな草や

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タンブルウィード

 ビッグバンで宇宙が始まった140億年前からという想像を越える年月を生き続けているサバンナ・アカシア

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サバンナ・アカシア

 人間と無理やり結婚させられるニームの木。自分の樹皮に男から接吻されて、その快感に眩暈をもよおしたりする・・・。

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ニームの木

 そんな名前も聞いたことがない木々が、人間たちと不思議な交流を繰り返す。
 なんとも"荒唐無稽"すぎて一度は本を放り出したが「これこそ、新しい村田ワールド」と、再度手にして引きずり込まれてしまった。

 
 「あたしは、シマサルスベリ」
 亜熱帯の生まれだけれど、ヨーロッパらしい寒い国の港の公園に植樹された。

 真紅色が美しい樹皮を持ち、春の終わりから秋まで白い小さな花を溢れるほどつけるから、昼食帰りの商社マンたちが、必ず見上げていく。

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シマサルスベリ



 アジア系らしい「冴えない男」が「あたし」に話しかけてきた。どこの国の言葉かはわからなかったけれど、なぜか言うことが理解できた。

 男が唐突に言った。

 「じつはおれ、昔、木だったことがあるんだ」「君と一緒に海を見下ろす丘に立っていたフェニックスだったんだ」


 男が突然、帰国することになった。仕事に失敗したらしい。大きな船のデッキから、あたしに手を振っているのが見えた。

 
 体がふわりと宙に浮いた。あたしは人間の女になっていた。桟橋に向かって走り、叫んでいた。
 「我爱你 我不要你离开我」(愛しているわ、私をおいていかないで)
 二人は中国生まれの恋人同士だった。

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フェニックス

 人間たちが森をめざしてやってきた。5つの担架を担いでいる。

   重い腸炎で死神に怯える男の子、結核で衰弱しきった若い女性、心臓と血行障害で喘いでいる老人、痛風の痛みで泣いている年寄り、働き過ぎで臓器が悲鳴をあげている中年の男。

 山の木が春から夏にかけて発散する大量の フイトンチッドの成分は百以上ある。ある成分は、ジフテリア菌さえ撃ち殺す。・・・森全体が病原菌の燻蒸所だ。・・・針葉樹や広葉樹では、吐き出す成分がみな違う。

 担架の列は、スギ林やマツ、ヒノキの森をゆっくりくぐりぬけ、クスノキの森に向かう。

   
 クスノキの幹は深い菱形の彫りが美しい。どっしりとして枝張りのおおきな大樹なのに、明るい緑色のヒラヒラした葉をつけている。陰気な針葉樹と違って、クスノキは晴れやかな森の巨人だ。


 担架の若い女の頬に血の気が戻ってきた。血行障害の老人が息子にしゃべり出した。「足の痺れがだいぶ治ってきた」。痛風の年寄りも、少し良くなったらしく泣き止んでいた。「お水が飲みたい」。男の子は、父親がせせらぎでくんできた水をごくん、と飲んだ。

 中年の男が苦しみ出した。スギもクスノキモハリエンジュも、コナラも、懸命に自分の精気を男の方に送った。

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クスノキ



 
 死は生の親である。死んだ亭主の顔に朝の荘厳な光が射している。女房の顔にも射しているぞ。
 そうだ、歩いて行け。そして生き続けてゆく者は、森の精気を一杯吸うのだ。


2016年10月 1日

読書日記「ルーアンの丘」(遠藤周作著、PHP研究所、1998年刊)


ルーアンの丘
ルーアンの丘
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遠藤 周作
PHP研究所
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 なぜか寝づらい日が続いた深夜に、テレビ録画で見ていて表題の本をテーマにしたドキュメンタリー(NHK制作)に引き込まれた。

 題材になっている「ルーアンの丘」は、作者が1950年に戦後最初の留学生としてフランスに渡った時に残していた旅行記「赤ゲットの仏蘭西旅行」と滞仏日記をまとめたものだ。作者の没後に見つかり、1998年に単行本になった。

 県立西宮北口図書館で司書の女性に見つけてもらい、一気に読んだ。

   フランスに同行したのは、生涯の親友となった 故・井上洋治神父ら4人。

 世話をしてくれたフランス人神父の尽力で、フランスの豪華客船・マルセイエーズ号に乗れることになった。ところが、遠藤が別に記しているのによると「船賃は最低の2等Cで16万円」。
 とても貧乏留学生に払える金額でなかったが、その神父の努力で「特別に安い部屋」に乗れることになった。

 大喜びで、フランスの船会社の支店に4人で切符を買いに行き、マルセイエーズ号の模型を囲んで「俺たちの船室はどこだ、どこだ」と大騒ぎしていたら、フランス語の堪能な若い女性が「かなしそうな眼で見ていた」・・・。

   横浜港でマルセイエーズ号に乗り込み、切符を事務長に見せると、せせら笑って「船室は船の一番ハシッコだと答える。

 
皆さん、『奴隷船』という映画を見ましたか。船の端の地下室の光もはいらねえなかで、黒人たちがかなしく歌を歌っている。実に、ぼくらの船室はあそこだったんです。・・・寝床は毛布も何もねえ、キャンプベッドがずらっと並んでいるだけ。鞄をもってきた赤帽君が驚いたね。「あんた、これでフランスに行くんですか」


 港に着く度に、クレーンで荷物がドサット落とされ、船倉ホコリだらけ。食事さえ、自分たちで厨房に行き、バケツに入れて運んでこなければならない。

   シンガポールやマニラでは、日本人は上陸禁止。第二次大戦中の マニラ虐殺などの恨みを忘れらてはいない。しかし、港に着くたびにこの船艙に乗ってくる中国人、インドネシア人、アラビア人、サイゴンで降りた黒人兵は、みな笑顔で接してくる。「なぜ、中国人などを今まで馬鹿にしたり、戦争をしたりしたのだろう」・・・。

 イタリア・ストロンボリイ 火山の火柱をデッキから見ていた時、ボーイの1人が「北朝鮮軍が南に侵入した」と1枚の紙きれを渡してくれた。

 神学生のI君(故・井上洋治神父)は、よく甲板のベンチでロザリオを手にお祈りをしていた。

 Ⅰ君は帝大の哲学科を今年出て、日本に修道会の カルメル会を設立することを自分の一生の使命として、遠くフランスのカルメルで修行する決心をしたのです。もう一生家族にも会えない。全ての地上のものを捨て、孤絶した神秘体の中に身を投じる君をぽくは真実、怖ろしく思いました。彼の体は強くない。寂しがりやで気が弱い・・・。そんな彼が人生の孤絶、禁欲ときびしい生の砂漠を歩いていくのを見るのは怖ろしかったのでした。暗い甲板の陰で、ぽくは黙って彼の横に座りました。

 「君、こわくない」
 とぼくはたずねました。
 「もう御両親や御姉弟にも会えぬのだね。もう一生、すべての地上の悦びを捨てねばならぬのだね」
 「少しこわいね。何かちょっと寒けがするような気持だ」
 と彼はうなだれました。


 マルセイユに入港、パリ経由で北仏・ルーアンの駅に着いた。この街に住む建築家・ロビンヌ家で、夏休みの間、ショートステイさせてもらうことになっていた。
 改札口で、中年の美しいマダム・ロビンヌに迎えられた。間もなく、ロビン家の11人の子どもがバラバラと集まってきた。遠藤がどの出口から出てくるか分からないため、前夜から1人ずつ張り番をしていた、という。

 最初にマダムに慣れないこと、不満なこと、困ったことは、何でも話すようにと約束させられた。そして、自分の子どもとして教育するという。

 日本では、ものぐさではどの友人に引けを取らなかったのに、髪をきちんと分け、靴は少しでも汚していると夫人に叱られた。特に、食事などのマナーは厳しかった。

 「食事中葡萄酒を飲む時、前もってナプキンで口を拭くこと」
 「食事中、黙ってはいけません。話さないのは礼儀ではありません」
 「煙草を半分吸って捨てるなんて、アメリカ人のすることです」

 「もう、我慢できないと」と言ったら、夫人は答えた。
 「あなたが大学に行ったら、大学生は無作法に食事したり話したりするでしょう。・・・しかし、典雅に物事をふるまえた上で野蛮に友だちと話せる大学生と、全く無作法な大学生とは違います」

 ある日、長男・ギイやガールフレンドのシモーヌなどとピクニックに出かけた。合唱やダンスを楽しみながら、彼らと空襲や離別の繰り返しだった、わが青春を比較してみた。
 そして、インドの乞食の少女の黒くぬれた眼、マニラの海の底に失われていった青春・・・。

 急にパリに行きたくなった。
  サン・ラザール駅に着いたのは午後6時半を過ぎていた。1つの教会の祈祷台に、倒れ込むように跪いた。

 神様、ぼくは、あなたを何にもまして愛さねばならぬことを知っています。しかし、ぼくは、今、人間を愛し始めたのです。ぼくが、永遠よりも。この人間の幸福のために力をそそぐことはいけないことでしょうか。人間の善きものと美しきものを信じさせて下さい。神様、ぽくに真実を、真実として語る勇気をお与え下さい。・・・自然があれほど美しいのなのに、人間だけが、悲しい瞳をしていてはいけないのです」


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ロビンヌ家の人々と遠藤周作(左端から長男・ギイ、遠藤、マダム・ロビンヌ、末っ子のドミニック)




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