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2017年3月29日

読書日記「オオカミが日本を救う!」(丸山直樹編著、白水社)「日本の森にオオカミの群を放て」(吉家世洋著、丸山直樹監修、ビング・ネット・プレス刊)


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日本の森にオオカミの群れを放て―オオカミ復活プロジェクト進行中
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 このブログにも書いたが、シカの異常繁殖が日本の自然生態系を破壊している実態をかいま見たのは、2008年に北海道・知床を訪ねた時のことだった。

 知床の草地はエゾジカに食べつくされて、すでに「世界遺産・知床から花が消えてしまった」(自然ガイドのTさん)。

  
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ホテルの前庭に群がるオスジカ。見えている白い草花は食べない エゾジカに樹皮を食べられ、立ち枯れたイチイの木
       
 冬になると、ミズナラなどの樹皮をはぎ取り、樹木は枯れてしまう。街中の家屋の前の木々は、金網で覆われているが、葉っぱはほとんど食べられてヒョロリと立っている。
 明治時代に、開拓農民の家畜を襲うエゾオオカミが害獣として絶滅されたため、エゾジカの異常繁殖という自然循環のアンバランスを招いたのだ。

 「オオカミが日本を救う!」の編著者である丸山直樹は、東京農工大学名誉教授。シカの生態を研究するうち、自然生態バランスを維持する食物連鎖「頂点捕食者」である狼に注目、「日本オオカミ協会」を設立して「日本の自然崩壊を救うため、再びオオカミを導入しよう」と、呼びかけている。

 オオカミの再導入によって、シカやサル、イノシシの被害が減少し、里山や土砂の崩壊、流出などの自然破壊を防いだりすることができるという。

 オオカミは、群れで生活し、なわばり内の「頂点捕食者」として、シカやイノシシを食べ、結果的にシカなどの異常繁殖は防ぐことができる。

 しかし、オオカミが人を襲う恐れはないのだろうか。

 これについて編著者は「もともとオオカミは、人への恐れ、警戒感が強く、人との遭遇を避けようとする」という。食物が少なくなって、家畜を襲うことはあっても、健康なオオカミが人を襲った例は、世界的にも報告されていない、という。

 「日本の森にオオカミの群を放て」は、科学ジャーナリストの著者が、丸山氏らが進めているプロジェクトを平易に解説した本。知床なども、オオカミ導入の有力候補らしいが、丸山氏らは、第一候補として日光国立公園に的を絞っているらしい。

 アメリカのイエローストン国立公園では、1995年にオオカミを再導入して成果を上げているようだ。  ネット上で見つけた「オオカミってやっぱりすごい!」というページは、この公園の様子をこう伝えている。

 
 オオカミが捕獲するため、シカの数が減ったが、シカもオオカミに狙われやすい場所を裂けるようになった。
 鹿が近づかなくなったため、植物たちが息を吹き返した。シカに食い尽くされて裸同然だった谷あいの側面はあっという間にアスペンや柳、ハコヤナギが多い茂る森となり、すぐに多くの鳥たちが生息し始めた。
 ツグミやヒバリなどの鳴き鳥の数も増え、渡り鳥の数も大幅に増えた。
 木が増えたため、多くなったビーバーが作るダムは、カワウソやマスクラット、カモ、魚、爬虫類、両生動物など多くの生物の住処となった。また、オオカミがコヨーテを捕食することで、コヨーテの餌食となっていたウサギやネズミの生息数が増加し、それを餌にする「ワシ、イタチ、狐、アナグマなども増えた。
 川の特徴まで変わってきた。それまでの曲がりくねっていた川は緩やかな蛇行流となり、浸食が減り、水路は狭まり、より多くの水のたまり場ができ、野生の生物たちが住みやすい浅瀬ができるようになった。
 川の流れが変わり森林が再生されて、川岸はより安定し、崩れることも少なくなった。そして、川は本来の強さを取り戻し、鹿たちに食尽された谷間の植物たちも再び生い茂り始めた。植物が増えたことにより、土壌の浸食を抑えることにつながった。
 自然が蘇ったのだ。


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      冬のイエローストン公園の頂点にいる捕獲者たち

 日本の北海道標茶町虹別には、20数年前に移り住み、フェンスで囲んだ約2000坪の自宅森林で、14頭のオオカミを飼っている桑原さん夫妻がいる。

 一般の人向けの「オオカミの自然教室」も開いている。

桑原さんが呼ぶと、体重30キロのモンゴルオオカミが飛びつき、ほおをなめた。地面に寝転がり、腹をみせる。「親愛や服従のしるし」と、桑原さんは言う(2013年9月5日、読売新聞夕刊)

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  桑原さんらが飼っている狼たち

狼は、冬の季語である。
 参加させてもらっている「聖書と俳句の会」で昨年末に提出した句が、幸いにも入選した。

     「狼の遠吠え聞けり夢の森

 3月20日付け読売俳壇で3席になっていた栃木県の人の句。

     「日本の何処かで狼生きている」  

2017年2月28日

映画鑑賞記「沈黙―サイレンスー」(パラマウント映画、KAKOKAWA配給、マーティン・スコセッシ監督)、読書日記「沈黙」(遠藤周作著、新潮文庫)


沈黙 (1966年)
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 自宅の本棚で、遠藤周作の単行本「沈黙」を見つけた。なんと昭和41年、社会人になって2年目に初刊本を買っている。表装も現在、56刷を重ねている文庫本のものとは異なる。10年ほど前に多くの所蔵雑本と本棚を処分、寄贈したが、この本だけはなぜか残しておいたようだ。

 アメリカ映画の巨匠、マーティン・スコセッシ監督が、この作品を原作に28年かけて、映画 「沈黙―サイレンスー」を完成させたことを知り、日本封切の日に見に行った。

 隠れキリシタンが捕まって拷問を受けるシーンは、原作記の記述とほぼ同じだった。今年のアカデミー・撮影賞の受賞は逃したが、映像としての迫力はさすがだった。

 水磔(すいたく)という刑があった。

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 海中に立てた木柱に信者たちを縛り付け、満潮になると顔まで漬かる海水で「囚人は漸次に疲憊(ひはい)し、約1週間ほどすると悉く悶死してしまいます。


 熱湯をかける拷問もあった。裸にされて両手両足を縄でくくられ、杓子で熱湯をかけられた。それも、杓子の底にいくつもの穴を開け、苦痛が長引くようにした。

 棄教しようとしないポルトガル・イエズス会司祭2人の前に、どうしても"転ぶ"道を選ぼうとしない男女数人が筵巻きにされて小舟の上から、海に投げ込まれる。司祭の1人、 フランシス・ガルペは役人の手を振り切って海に飛び込み、同じように海中に沈む。

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フランシス・ガルペ  

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 牢に閉じ込められた司祭、セバスチャン・ロドリゴは、夜中に囚人たちが出すいびきのような耐えがたい声を聞いて寝られない。役人は「あれは、囚人たちのいびきではない」と、嘲るように言う。

 牢の前に掘られた穴に汚物が詰められ、囚人たちは逆さ吊りにされる。そのままでは、すぐに死んでしまうので、耳の後ろに小さな傷をつくり、そこから息が漏れていたのだ。

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セバスチャン・ロドリゴ

 ロドリゴの上司だった クリストファン・フェレイラは、この穴釣りの刑の耐えられず、棄教した。

 「日本のキリシタンがあそこまで拷問に絶えたのは、信仰のためだけだっただろうか」。一緒に映画を見た友人Mが言った。

   その答えが、原作にあった。

 
 ロドリゴが、イエズス会本部に送った書簡。
 「牛馬のように働かされ牛馬のように死んでいかねばならぬ、この連中ははじめてその足枷を棄てる一筋の路を我々の教えに見つけたのです」


   
 隠れキリシタンの女が、ロドリゴに話しかける。
 「 パライソに行けば、ほんて永劫、安楽があると(女に洗礼を授けた)石田さまは常々、申されとりました。あそこじゃ、年貢のきびしいとり立てもなかとね。飢餓(うえ)も病の心配もなか。苦役もなか。もう働くだけ働かされて、わしら」彼女は溜息をついた。「ほんと、この世は苦患(くげん)ばかりじゃけえ。パライソにはそげんものはなかとですね。 パードレ


 映画の封切前に、スコセッシ監督はNHKのインタビューに「この映画には、いくつかの"沈黙"場面がある」と答えていた。

 通辞(通訳の役人)から「あなたが転ばず、キリストの踏絵をふんで棄教しない限り、キリシタン5人の穴吊りの形は続く」と、ロドリゴは言われる。

 Exaudi nos,・・・Sanctum qui custodiat・・・
 (ラテン語)の祈りを次から次へと唱え、気をまぎらわそうしたが、しかし祈りは心を鎮めはしない。主よ、あなたは何故、黙っておられるのです。あなたは何故いつも黙っておられるのですか、と彼は呟き・・・。


   
 その時、じっと自分に注目している基督の顔を感じた。碧い、澄んだ眼がいたわるように、こちらを見つめ、その顔は静かだが、自信にみち溢れている顔だった。「主よ、あなたは我々をこれ以上、投っておかれないでしょうね」と司祭はその顔にむかって囁いた。すると、「私はお前たちを見棄てはせぬ」その答えを耳にしたような気がした。


   信徒たちへの拷問に耐え切れず、ロドリゴは、ついに転び、踏絵を踏む。

 
 多くの日本人が足をかけたため、銅板をかこんだ板には黒ずんだ親指の痕が残っていた。そしてその顔もあまり踏まれたために凹み摩擦していた。凹んだその顔は辛そうに司祭を見あげていた。辛そうに自分を見あげ、その眼はが訴えていた。(踏むがいい。踏むがいい。お前たちに踏まれるために、私は存在しているのだ)


 ロドリゴは棄教後、死刑になった岡田三右衛門という男の名前とその妻子を与えられ、江戸の切支丹屋敷に住んだ。

 三右衛門が64歳で死去した時。死に装束を着て棺桶に入れられた死体の胸元に、涙ひとつ見せない日本人女房は、懐紙に巻いた手刀を三右衛門の胸元に差し込んだ。同時に、なにかを置いた。

 カメラがアップする。柔らかい光に包まれて、ロドリゴがずっと手元から離さなかった藁で作った十字架が、死体の足元に浮かび上がった。

 スコセッシ監督が描く映像美あふれたラストシーンである。

 この場面は、原作にはない。三右衛門を監視していた切支丹屋敷役人の日記がたんたんと綴られて終わっている。

2017年1月31日

読書日記「俳句の海に潜る」中沢新一、小澤實著、株式会社KADOKAWA刊)


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 このブログにもUPした「アースダイバー」「大阪アースダイバー」の著者で人類学者の中沢新一と、読売俳壇の選者などを務める俳人の小澤實が、俳句ゆかりの地を何度か訪ねながら対談や講演をした。

   月刊「俳句」(角川文化振興財団刊)で随時掲載されていたのが、1冊にまとまった。中沢新一ファンとしては、読まないわけにはいかない。この人の話しは、あまりに感覚的過ぎて、スーと頭に入ってこないのが難点といえば難点だが・・・。

  「アースダイバー」というのは「カイツブリが海の底からくわえてきた土のかけらが陸地を作った」というアメリカ・インディアンの神話。この本の表題である「俳句の海に潜る」は、この神話から取ったらしい。

 中沢が、アースダイバー論を、そして「俳句はアニミズム(精霊信仰)である」と滔々とぶつのに対し、6歳年下の小沢が謙虚に教えを乞うように見える異色の俳句論である。

 「アヴァンギャルドと神話」と題した第4章では、2人は諏訪を訪ねている。

 諏訪大社発祥の地と言われる前宮に行き、「水眼」の清流を見て、縄文時代からの聖地を感じる。山梨で少年時代を過ごした中沢は、周りの大人たちから「甲斐から諏訪の周辺は縄文時代から変わらないのだよ」とよく言われたという。

 小澤も山梨出身の俳人、飯田蛇笏の「採る茄子の手籠にぎゆアとなきにけり」という句を取り上げ「茄子が単なる野菜ではなく、精霊そのものになっている」と話す。

 中沢は「現代は俳句の危機の時代」だという。

 
 俳句の主題はモノ。この非人間なるものにどうやって「通路」を作っていくかが俳句という芸術の本質。和歌、短歌は人間の世界、しかも根幹は文化だから、都市なんです。ところが、俳句は都市に非ざる世界が必ず広がって、人間ならざる世界と回路を作っていく。そういう芸術だから、むしろ抱えている危機は深い。


 小澤は答える。

 
 切字、文語とか、今の若い人には届きにくい。短歌はそれをほとんど捨ててしまって、若者が飛びつくような詩になっている。・・・切字、文語を使いこなせるようになるまでには、時間がかかってしまう。でも、俳句は切字、文語をどうしても捨てたくない。言霊的なふしぎな力がそなわっている。


 2人が諏訪に旅をした2か月前に、中沢は「俳句のアニミズム」と題した講演をしている。この講演の前に、中沢は小澤に「アニミズムらしい俳句」を10句選んでもらい、講演ではそのいくつかを論評している。

  凍蝶の己が魂追うて飛ぶ 高浜虚子

 「これをアニミズム的な詩と呼ぶことはできますが、じつは近代的なアニミズムです。魂が抜けて凍蝶になってしまった。宗教学の定義にしたがったアニミズムで、私としては面白くない」

  蟋蟀が深き地中を覗き込む 山口誓子

 「喩表現によって動物の人間化をおこそうとしています。しかし人間が自分の心の『深き地中』を覗き込むときには、人間は逆に蟋蟀に変化していくことによって、人間と非人間に共通する生命の深淵を覗き込むことになります」

  何もかも知ってをるなり竈猫 富安風生

 「猫は犬に比較すると人間の感情や思考に対して無関心で、その分より原始的な生き物だと言えます。その猫が『何もかも知ってをる』のですから、おそろしく原始的な知性に見つめられているわけです。平凡なようでこわい句です」

  泥鰌浮いて鯰も居るというて沈む 永田耕衣

 「地霊→鯰→泥鰌という、深から浅に向かう象徴的思考の運動の背景にあって、神話論的にじつに豊かな俳句だと感じます。泥鰌は水底に近く暮らす魚ですが、どこかトリックスターなひょうきんさがあって、水底と水面のあいだをいったりきたりします。その泥鰌が「底のほうには鯰もいるよ」と報告して、また身を翻して水底に戻っていきます。この鯰が地霊と組んで、地震をおこすのです」

  おおかみに蛍が一つ付いていた 金子兜太

 「まさに『東国』のアニミズム感覚です。蛍はお尻を光らせ、その蛍を体につけたおおかみは、目の力をもって存在の光をしめします。・・・私たちの中には、おおかみの目の光の記憶があるように思えます。たぶんこの目の光は、『東国』の自然の放つ霊妙な原始的エネルギーの化身なのでしょう」

 
 こういう目で俳句を見ていますと、俳句とアニミズムが根源的なところでつながっているということがよく分かります。アニミズムと言語の比喩的本質が強く結びついているような。古代的な芸術を残している民族は他ではあまり見かけません。しかもそれが前衛性(アヴァンギャルド)への道も開いている。


2016年12月28日

映画鑑賞記「ニコラス・ウイントンと669人の子どもたち」(マティ・ミナーチェ監 督)、 読書日記「キンダートランスポートの少女」(ヴェラ・ギッシング著、木畑和子 訳、未来社)


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 クリスマスの日。ナチスによるユダヤ人迫害に興味を持ち続けている友人Mに誘われて、この映画を見た。
 主役は、イギリス人のニコラス・ウイントン

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ユダヤ人を虐殺から救ったオスカー・シンドラー杉原千畝やこのブログにもアップした小辻節三以外にも、こんな人物がいたことを初めて知った。

 第2次世界大戦直前。ロンドンで株式仲買人をしていた29歳の時、かかってきた1本の電話がニコラス・ウイントンの運命を変えた。

 かけてきたのは、一緒にスイスにスキー旅行に出かける計画をしていたチェコの友人。ナチスによる迫害の危険が迫っており、プラハの街に住むユダヤ人を救援するために旅行をキャンセルしたい、という。

 よく事情が分からないまま、ニコラスはプラハに飛ぶ。そして、ユダヤの子供たちをチェコから連れ出す「キンダートランスポート(子供の輸送)」プロジェクトを始める。しかし、アメリカをはじめ各国はこの計画に冷たく、子供たちの受け入れを拒否した。
 ユダヤ難民の受け入れで、失業者がさらに増え、反ユダヤ主義が高まるのを懸念したのだ。
 ようやく受け入れを認めたのがイギリスだった。ただ、50ポンドの保証金を政府に払い、里親を確保すること、その費用はすべてニコラスらが立ち上げた民間団体が負担する、という条件を付けた。ニコラスは、ロンドンの自宅を事務所にし、プラハとロンドンの友人らに助けられて、旅行許可証や入国許可証を取得するための書類作成や里親を確保する仕事に没頭した。時には、許可証を偽造することまでした。

 そして、最初に200人の子どもを乗せた列車がプラハ・ウイルソン駅(現在のプラハ本駅)を出発、計8本の列車が仕立てられて計669人の子どもたちを逃し、彼らは生き延びた。

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 チェコでの帰属意識や財産、仕事を捨てきれなかったこともあったのか。残った親たちは、その後の第2次世界大戦の勃発によるナチ・ドイツ軍の侵攻で、強制収容所に送られ、ほとんどの人が亡くなった。

cap-03.jpgcap-032.JPG この映画の原案本となった「トランスポートの少女」の著者、ヴェラ・ギッシングも、この列車に乗った1人、当時10歳だった。
ギッシングは、この著書のなかで駅を出発した時のことをこう回想している。




 駅のホームでは不安な面持ちの親たちがあふれかえり、列車は興奮状態の子供たちでいっぱいでした。そこで繰り広げられていたのは、涙と、最後の注意と、最後のはげましと、最後の愛の言葉と、最後の抱擁でした。出発の笛がなると、私は思わず「自由なチェコスロヴァキアでまた会おうね!」と叫びました。その言葉に、私の両親もまわりの人も、近くにいるゲシュタポを気にして不安そうな顔になりました。汽車がゆっくりと動き始めると、多くの人びとの中、私の目には、身を切られるような苦しさを隠そうと必死に笑顔を浮かべる最愛の両親の姿しか入りませんでした。


   確かに映画でも、列車はドイツの軍服に囲まれていた。
 ナチが支配しているなかで、子どもたちだけでも、なぜ出国できたのか?

 このことについて、「トランスポートの少女」の訳者である木畑和子・成城大学名誉教授は、映画のパンフレットで「当時のナチ政権がまずとったのは、ユダヤ人の強制的出国政策であった」と解説している。この政策の目的の1つは「ユダヤ人たちの資産を奪い、貧窮化したユダヤ人を大量入国させて、相手国の負担にさせることであった」

 子どもたちを乗せた列車は、ナチが支配する恐怖のニュールンベルク、ケルンを抜け、オランダのから船でイギリスに渡り、ロンドンに着いた。

 途中、オランダの停車駅では、民族衣装の女性たちがオランダ名産のココアと白いパンをふるまってくれた。
 この白いパンを食べたであろうヴェラ・ギッシングはしかし、著書のなかでは丸くて堅いチェコのパンを何度もなつかしがっている。

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 ニコラスのリストには、出国させるべき6000人の子どもの名前が載っていた。
 しかし、250人の子どもたちを乗せた9本目の列車が出発しようとした1939年9月1日、ドイツ軍のポーランド侵攻で第2次世界大戦が勃発した。計画は中止され、子供たちは強制収容所で死んだ。

 これを悔やんだニコラスは、彼の偉業についてけっして語ろうとせず、里親や助けた子どもたちとも会わなかった。

 それから50年後、1988年のある日。ニコラスの2度目の妻グレタが屋根裏部屋でほこりをかぶった1冊のスクラップブックを見つけた。そこには、ニコラスが救った子どもたちの住所などの詳細な記録が残っていた。

 ニコラスによって生かされた80人の"子どもたち"が見つかり、テレビ番組で対面した。

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 世界中で暮らす"生かされた"子どもたちと、その子や孫は約2200人に及ぶという。

 彼らや、ニコラスの行動に感動した多くの人々は、世界各地で様々なボランティア活動を始めた。それが"ニコラスの遺産"となって、今でも大きく広がり続けている。

 ニコラス自身も、自らの活動を多くの子どもたちに語り始めた。
 エリザベス女王からナイトの爵位を与えられ、チェコの大統領からも栄誉勲章を受けた。2015年、106歳で世を去った。

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 子どもたちが到着したロンドンの リヴァプール・ストリート駅前には、当時の様子を残した銅製の群像が立っている、という。

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2016年11月29日

読書日記・絵本「雑草のくらしーあき地の五年間―」(甲斐信枝 作、福音館書店刊)


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甲斐 信枝
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 2回目の白内障手術に出かける前の今月23日。NHKテレビで「足元の小宇宙 絵本作家と見つける生命のドラマ」という番組を放映していた。

 京都・嵯峨野に住む甲斐信枝さんという85歳の絵本作家が、雑草や草花、昆虫を子細に観察して絵本にしていくドキュメンタリー。「こいつら、可愛い」と話しかける姿に引き込まれた。

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 さっそくAMAZONに表題の絵本の購入を申し込んだ。ちょっと遅れて28日に、縦28・5センチ、横30センチの大型本が届いた。

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   なんと1985年発刊と30年以上も前に発刊され、多くの賞を受けたベストセラー絵本だった。

 絵本を開くと見開きのページで菜の花畑の真ん中にある広い空地の絵が、視力1・2に戻った両目に飛び込んできた。

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 甲斐さんは1979年春から5年間この空地を借り、入れ代わり立ち代わり生えては枯れていく雑草たちの栄枯盛衰を観察、水彩画にしてきた。

 最初に「土のなかからわきだすように」緑の葉を出したのは、メヒシバの大群。「ところどころにエノコログサもまじっている」
 エノコログサの穂をこどものころ"猫じゃらし"と呼んで、遊んだことを思い出す。どちらも、近所のどこの空地でも見つけられた草だった。

 一年草であるこれらの雑草は、夏から秋にかけてたくさんの種子を散らし「一生を終わって死んでいく」

 そこへ、向かいの土手からオオアレチノギクの種子が飛んできて芽を出し「寒い冬をのりこえて、大きく育って」いった。空地の主役交代だ。

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 このページに描かれているのは、3年目の春の雑草たち。

 この年の主役は、カラスノエンドウだ。「となりの草にまきついてひきよせ、・・・上から草たちにおおいかぶさって」他の雑草の命をうばっていく。
 この草の鞘を草笛にしてよく遊んだことを思い出す。

 夏になると、鞘が真っ黒になって「パチッ、パチパチッと、・・・ゴマをいるような音」で種をはじけ出し、秋には枯れて死んでいく。

 4年目の春。枯草に阻まれて芽を出すことができなかったカラスノエンドウにかわって「いちめんに花を咲かせたのはスイバの群れ」。表紙に描かれているのは、スイバの雄花と雌花だ。
 スイバは茎が酸っぱく、見つけると「スーイ、スイ」と言いながら口でかみ汁を飲んだものだ。いつもお腹がすいていた子供のころの思い出だ。

そして五年目の春のある日。
 荒れ畑の土が掘りかえされ、草がすっかりとりのぞかれた。
 すると、ぞくぞくと芽をだしてきたのはメヒシバ、エノコログサ。
 短いいのちを終わり、消えていったメヒシバやエノコログサは、
 種子のまま土の中で生きつづけ、自分たちの出番がくる日を、
 じっと待っていたのだ。


 甲斐さんは、草花や虫たちを正確に写し取るため科学絵本と呼ばれる多くの絵本を出している。いつも、雑草や草花、虫たちと同じ目線で描き切る、という。

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2016年10月26日

読書日記「人の樹」(村田喜代子著、潮出版社刊)


人の樹
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村田喜代子
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 村田喜代子の新著を書評欄で見つけ、嬉々として読み始めたが「なんだ、これは!?」

  タンブルウイードという砂漠をクルクル回りながら生きるおかしな草や

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タンブルウィード

 ビッグバンで宇宙が始まった140億年前からという想像を越える年月を生き続けているサバンナ・アカシア

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サバンナ・アカシア

 人間と無理やり結婚させられるニームの木。自分の樹皮に男から接吻されて、その快感に眩暈をもよおしたりする・・・。

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ニームの木

 そんな名前も聞いたことがない木々が、人間たちと不思議な交流を繰り返す。
 なんとも"荒唐無稽"すぎて一度は本を放り出したが「これこそ、新しい村田ワールド」と、再度手にして引きずり込まれてしまった。

 
 「あたしは、シマサルスベリ」
 亜熱帯の生まれだけれど、ヨーロッパらしい寒い国の港の公園に植樹された。

 真紅色が美しい樹皮を持ち、春の終わりから秋まで白い小さな花を溢れるほどつけるから、昼食帰りの商社マンたちが、必ず見上げていく。

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シマサルスベリ



 アジア系らしい「冴えない男」が「あたし」に話しかけてきた。どこの国の言葉かはわからなかったけれど、なぜか言うことが理解できた。

 男が唐突に言った。

 「じつはおれ、昔、木だったことがあるんだ」「君と一緒に海を見下ろす丘に立っていたフェニックスだったんだ」


 男が突然、帰国することになった。仕事に失敗したらしい。大きな船のデッキから、あたしに手を振っているのが見えた。

 
 体がふわりと宙に浮いた。あたしは人間の女になっていた。桟橋に向かって走り、叫んでいた。
 「我爱你 我不要你离开我」(愛しているわ、私をおいていかないで)
 二人は中国生まれの恋人同士だった。

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フェニックス

 人間たちが森をめざしてやってきた。5つの担架を担いでいる。

   重い腸炎で死神に怯える男の子、結核で衰弱しきった若い女性、心臓と血行障害で喘いでいる老人、痛風の痛みで泣いている年寄り、働き過ぎで臓器が悲鳴をあげている中年の男。

 山の木が春から夏にかけて発散する大量の フイトンチッドの成分は百以上ある。ある成分は、ジフテリア菌さえ撃ち殺す。・・・森全体が病原菌の燻蒸所だ。・・・針葉樹や広葉樹では、吐き出す成分がみな違う。

 担架の列は、スギ林やマツ、ヒノキの森をゆっくりくぐりぬけ、クスノキの森に向かう。

   
 クスノキの幹は深い菱形の彫りが美しい。どっしりとして枝張りのおおきな大樹なのに、明るい緑色のヒラヒラした葉をつけている。陰気な針葉樹と違って、クスノキは晴れやかな森の巨人だ。


 担架の若い女の頬に血の気が戻ってきた。血行障害の老人が息子にしゃべり出した。「足の痺れがだいぶ治ってきた」。痛風の年寄りも、少し良くなったらしく泣き止んでいた。「お水が飲みたい」。男の子は、父親がせせらぎでくんできた水をごくん、と飲んだ。

 中年の男が苦しみ出した。スギもクスノキモハリエンジュも、コナラも、懸命に自分の精気を男の方に送った。

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クスノキ



 
 死は生の親である。死んだ亭主の顔に朝の荘厳な光が射している。女房の顔にも射しているぞ。
 そうだ、歩いて行け。そして生き続けてゆく者は、森の精気を一杯吸うのだ。


2016年10月 1日

読書日記「ルーアンの丘」(遠藤周作著、PHP研究所、1998年刊)


ルーアンの丘
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遠藤 周作
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 なぜか寝づらい日が続いた深夜に、テレビ録画で見ていて表題の本をテーマにしたドキュメンタリー(NHK制作)に引き込まれた。

 題材になっている「ルーアンの丘」は、作者が1950年に戦後最初の留学生としてフランスに渡った時に残していた旅行記「赤ゲットの仏蘭西旅行」と滞仏日記をまとめたものだ。作者の没後に見つかり、1998年に単行本になった。

 県立西宮北口図書館で司書の女性に見つけてもらい、一気に読んだ。

   フランスに同行したのは、生涯の親友となった 故・井上洋治神父ら4人。

 世話をしてくれたフランス人神父の尽力で、フランスの豪華客船・マルセイエーズ号に乗れることになった。ところが、遠藤が別に記しているのによると「船賃は最低の2等Cで16万円」。
 とても貧乏留学生に払える金額でなかったが、その神父の努力で「特別に安い部屋」に乗れることになった。

 大喜びで、フランスの船会社の支店に4人で切符を買いに行き、マルセイエーズ号の模型を囲んで「俺たちの船室はどこだ、どこだ」と大騒ぎしていたら、フランス語の堪能な若い女性が「かなしそうな眼で見ていた」・・・。

   横浜港でマルセイエーズ号に乗り込み、切符を事務長に見せると、せせら笑って「船室は船の一番ハシッコだと答える。

 
皆さん、『奴隷船』という映画を見ましたか。船の端の地下室の光もはいらねえなかで、黒人たちがかなしく歌を歌っている。実に、ぼくらの船室はあそこだったんです。・・・寝床は毛布も何もねえ、キャンプベッドがずらっと並んでいるだけ。鞄をもってきた赤帽君が驚いたね。「あんた、これでフランスに行くんですか」


 港に着く度に、クレーンで荷物がドサット落とされ、船倉ホコリだらけ。食事さえ、自分たちで厨房に行き、バケツに入れて運んでこなければならない。

   シンガポールやマニラでは、日本人は上陸禁止。第二次大戦中の マニラ虐殺などの恨みを忘れらてはいない。しかし、港に着くたびにこの船艙に乗ってくる中国人、インドネシア人、アラビア人、サイゴンで降りた黒人兵は、みな笑顔で接してくる。「なぜ、中国人などを今まで馬鹿にしたり、戦争をしたりしたのだろう」・・・。

 イタリア・ストロンボリイ 火山の火柱をデッキから見ていた時、ボーイの1人が「北朝鮮軍が南に侵入した」と1枚の紙きれを渡してくれた。

 神学生のI君(故・井上洋治神父)は、よく甲板のベンチでロザリオを手にお祈りをしていた。

 Ⅰ君は帝大の哲学科を今年出て、日本に修道会の カルメル会を設立することを自分の一生の使命として、遠くフランスのカルメルで修行する決心をしたのです。もう一生家族にも会えない。全ての地上のものを捨て、孤絶した神秘体の中に身を投じる君をぽくは真実、怖ろしく思いました。彼の体は強くない。寂しがりやで気が弱い・・・。そんな彼が人生の孤絶、禁欲ときびしい生の砂漠を歩いていくのを見るのは怖ろしかったのでした。暗い甲板の陰で、ぽくは黙って彼の横に座りました。

 「君、こわくない」
 とぼくはたずねました。
 「もう御両親や御姉弟にも会えぬのだね。もう一生、すべての地上の悦びを捨てねばならぬのだね」
 「少しこわいね。何かちょっと寒けがするような気持だ」
 と彼はうなだれました。


 マルセイユに入港、パリ経由で北仏・ルーアンの駅に着いた。この街に住む建築家・ロビンヌ家で、夏休みの間、ショートステイさせてもらうことになっていた。
 改札口で、中年の美しいマダム・ロビンヌに迎えられた。間もなく、ロビン家の11人の子どもがバラバラと集まってきた。遠藤がどの出口から出てくるか分からないため、前夜から1人ずつ張り番をしていた、という。

 最初にマダムに慣れないこと、不満なこと、困ったことは、何でも話すようにと約束させられた。そして、自分の子どもとして教育するという。

 日本では、ものぐさではどの友人に引けを取らなかったのに、髪をきちんと分け、靴は少しでも汚していると夫人に叱られた。特に、食事などのマナーは厳しかった。

 「食事中葡萄酒を飲む時、前もってナプキンで口を拭くこと」
 「食事中、黙ってはいけません。話さないのは礼儀ではありません」
 「煙草を半分吸って捨てるなんて、アメリカ人のすることです」

 「もう、我慢できないと」と言ったら、夫人は答えた。
 「あなたが大学に行ったら、大学生は無作法に食事したり話したりするでしょう。・・・しかし、典雅に物事をふるまえた上で野蛮に友だちと話せる大学生と、全く無作法な大学生とは違います」

 ある日、長男・ギイやガールフレンドのシモーヌなどとピクニックに出かけた。合唱やダンスを楽しみながら、彼らと空襲や離別の繰り返しだった、わが青春を比較してみた。
 そして、インドの乞食の少女の黒くぬれた眼、マニラの海の底に失われていった青春・・・。

 急にパリに行きたくなった。
  サン・ラザール駅に着いたのは午後6時半を過ぎていた。1つの教会の祈祷台に、倒れ込むように跪いた。

 神様、ぼくは、あなたを何にもまして愛さねばならぬことを知っています。しかし、ぼくは、今、人間を愛し始めたのです。ぼくが、永遠よりも。この人間の幸福のために力をそそぐことはいけないことでしょうか。人間の善きものと美しきものを信じさせて下さい。神様、ぽくに真実を、真実として語る勇気をお与え下さい。・・・自然があれほど美しいのなのに、人間だけが、悲しい瞳をしていてはいけないのです」


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ロビンヌ家の人々と遠藤周作(左端から長男・ギイ、遠藤、マダム・ロビンヌ、末っ子のドミニック)


2016年8月30日

読書日記「おひとりさまの最期」(上野千鶴子著、朝日新聞出版刊)「上野千鶴子が聞く 小笠原先生、ひとりで家で死ねますか?」(上野千鶴子、小笠原文雄著、同刊)

おひとりさまの最期
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 ほぼ1年前の出版で、一読した後、何度かパラパラめくっては放置していた。 元東大名誉教授の有名な社会学者の 著書にしては、ルポと自分の論理が入り組んで、なんだか読みづらいのだ。

 ただ、妻に先立たれ、3人の子供たちも東京に永住しそうな独居老人として、病院や施設でなく、自宅での「おひとりさまの最期」が迎えられたらと思っている。今後の参考になろうかと、再読してみた。

 著者は、前著 「おひとりさまの老後」(文春文庫)で、独居老人に子どもらが同居を申し出てくるのは「悪魔のささやき」と表現。子どもに「わがまま」と言われてもあくまで一人暮らしを貫くのが、幸せな最後を迎えられる最善の道と強調する。
おひとりさまの老後 (文春文庫)
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 同居したばかりに、老後のプランを乱されることがあまりに多く、最後は「介護に疲れた」「自分の時間も持てない」など、子ども側の勝手な?都合で施設や病院に送り出されてしまう。

 しかし、病院は「死は敗北」と考える場所である。救急病棟の延命治療で心臓が止まりかけたかけた心肺を蘇生しようと無理な圧迫して、意識もない老いた患者の肋骨を折ってしまうこともある。しかも家族は ICUから遠ざけられ、呼吸停止を医師が確認して「ご臨終です」と通告されるまで会えない。食欲がなくなれば、無理にでも生かそうとして意識のない患者の胃に穴を開け、栄養物を流し込む。

 施設も、死期が近づくと、高額を払って入った自室から出され、介護居室に移されるか、 病院に搬送されるケースが多いらしい。

 しかし、施設看取り160例を経験した石飛幸三医師の 「『平穏死』のすすめ 口から食べられなくなったらどうしますか」(講談社文庫) によると、「終末期に痛み緩和のためのモルヒネを使用したことは一度もない」という。
「平穏死」のすすめ 口から食べられなくなったらどうしますか (講談社文庫)
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 末期になると、脳から麻薬物質のエンドルフインが出て、モルヒネと同じ作用をするそうだ。だから苦しくないそうだとか。これが「老衰の大往生です」。

 政府も、在宅看取りの方向に重点を移し出した。病院や施設の新設を抑え、在宅診療の医師にわずかながら加算を認める方針を打ち出した。増え続ける医療費削減の一環だ。

 
 一方で「死ぬのは病院で」という「常識」を打ち破ったのは。・・・まず患者たちでした。そんな、無茶な、という「常識」をくつがえして、家に帰った患者たちは、死にかけているのに食欲を取り戻して元気になった、とか、あと数日と思われていたのに何か月も生きるとか、寝たきりだったのに歩き出したとかの「奇跡」を次々と起こしています。
 医師たちが自分たちの及ばない住宅の効果、・・・に目覚めていくのは、そういう経験の蓄積を通じてでした。


 しかし、ここで著者は、大きな疑問符を示す。

 これまでの住宅看取りは、家族の介護力があってのものでした。住宅医療を実践する頼もしい医師たちはようやくあちらこちらに増えてきましたが、・・・家族のいないおひとりさまのわたしのような者は、どうしたらよいのでしょうか?


 在宅医療を実践している専門家たちは、在宅看取りのための4つの条件の1つとして、「介護力のある同居家族の存在」を必ず挙げるという。
 それも老老介護(高齢者が介護する)や認認介護認知症者が介護する)でない、元気な妻か夫、嫁か娘、息子が在宅に同意してくれること、だという。

著者は「(この)条件では、わたしのようなおひとりさまには、やはり在宅死のハードルは高いのか、とがっくり」と言いながら、こう続ける。

 これまで、在宅介護と家族介護は同義に語られてきました。ですが、第一にこれだけ単身世帯が増えると、お年寄りが家にいたいというのはかならずしも家族と共にいたい、という意味と同じではないこと、第二に嫁ではなく娘や息子による介護が増えると、家族介護と言っても別居顔族が通勤介護にあたる例が増えてきたことで、在宅介護=家族介護=同居介護という等号が崩れてきた事実があります。主たる家族介護者といっても、同居介護者とは限りません。単身世帯に別居家族が通勤介護できるなら・・・そこに他人が入っても同じ。


 結論からいえば、在宅ひとり死の条件は、(1)24時間対応の巡回訪問介護、(2)24時間対応の訪問看護、(3)24時間対応の訪問医療の多種連携による3点セット。これさえあれば可能です。


 こういうしくみを事業にしてしまったのが、定時巡回・随時対応型の短時間訪問介護です。一日4回とか必要なら6回、15分から20分までの短時間訪問で巡回し、それに加えて緊急コールがあれば24時間対応します。
 滞在時間がいかにも短いと感じられるかもしれませんが、15分あれば手際よくおむつを換えて体位交換し、後片付けして退去できます。・・・施設でやっていただける介護をおうちに配達する・・・ようなもの。


 終末期になれば、定時巡回のあいまに、息を引き取ることもあるだろうが「ひとり暮らししてきたのだから、ひとりで逝くのはいっこうにかまわない」と思えたら「在宅ひとり死は可能です」。

 ただ、在宅看取りを実践してきた小笠原医師によると「ふしぎなことに、ひとり暮らしのひとがひとりのときに逝くことはめったにない」のだそうだ。後半では、在宅医や訪問看護ステーションが増えない理由を分析しているが、私がネット検索したところ、複数の医師を置き、24時間訪問医療を実施しているところが、複数あった。

 「上野千鶴子が聞く 小笠原先生、ひとりで家で死ねますか?」は、前著の約年半前の著作。上野千鶴子が、日本在宅ホスピス協会会長である小笠原に、一問一答形式で、在宅おひとり死についてきめ細かく聞き出している。

そのなかで小笠原医師は、睡眠薬の力を借りて夜間に深い眠りに入る「夜間セデーション」、尿道留置カテーテルなどのノウハウを紹介している。

そして同医師は、医学教育そのものを変えて行かなければならない、と小笠原医師は著者の質問に答えて強調している。

「高度医療を施すべき患者と、自宅でゆっくり過ごして人生の質を高めてもらったほうがいい患者をきちんと分け、どちらの大切さも教えていかないとだめだと思います」

2016年7月31日

読書日記「孔乙己(kong yi ji)、魯迅著、藤井省三訳、光文社古典新約文庫」

孔乙己
孔乙己
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(2012-10-04)


 毎週金曜日の午前中、神戸中国語言学院(神戸華僑総会内)での中国語教室の新しい课本(科目)が、この小説だった。

 课本では、この小説の背景などについて、若い学生2人が話し合うという設定だが、おもしろそうなので、帰りに近くのジュンク堂本店に寄ってみた。

 中国語教室の陈老师(先生)には「中国語で読みなさい」と言われたが、とりあえず「阿Q正伝」なども収録されている短編集の邦訳文庫本を買った。

 「孔乙己」は、文庫本でたった10ページ。1919年、魯迅38歳の時のほぼ処女作らしいが、訳者は「構成、文体とも見事な出来映え」と、ベタほめしている。

魯迅の故郷である紹興を模した街に咸亨酒店という紹興酒の造り酒屋がある。

咸亨酒店
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 この酒屋は、魯迅の叔父が開業した店で、今でも営業しているらしい。そのカンターで一人、ボロボロでつぎはぎだらけの长衫(chang shan、男性が着る単衣の中国服)を着て、椀で酒を飲む背の高い常連客がいた。定職もなく貧乏なその男は、盗みをしては殴られた傷が絶えず、周りの客から「孔乙己」とあだ名で呼ばれ、バカにされていた。

 长衫は、もともとインテリが着るものだったが、1911年の辛亥革命で清朝政権が終わりをつげ、世の中の価値観がガラリと変わるなかで、金持ちだけが长衫を着るようになり、彼らは、カーテンで仕切られた奥のテーブル席でご馳走を肴に酒を飲んでいた。

 しかし、インテリの見えが捨てられない「孔乙己」は、短い服を着た労働者が酒を飲むカンターで、ただ一人长衫を着て茴香豆(ういきょうまめ、そら豆をういきょう=八角で煮込んだもの)を肴に、1椀か2椀の紹興酒の熱燗を飲む。話す言葉を「なり・けり・あらんや」の文語調で終わらせ、相手を煙に巻いていた。

长衫                茴香豆    
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 そして、カンターの中で、お燗の番をする小僧に「『回』という字には,いくつの書き方があるのを知っとるか」とインテルぶるのを辞めなかった。

 「回」という字は「囘」「囬」などとも書くらしい。

 「孔乙己」は最後には、盗みが見つかって足を折られ、手でいざるようになり、酒場からも姿を消してしまう・・・。

 当時の社会状況を理解できない「孔乙己」を主役にしながら、魯迅は清朝末期の「封建社会」を批判している・・・というのが、この小説の真意らしい。

 現在でも、紹興の咸亨酒店の前には长衫を着た「孔乙己」の銅像があり、観光客の人気になっているという。

 たった10ページだが、ひょんなタイミングで、魯迅の名作に出会うことができた。

2016年6月21日

読書日記「焼野まで」(村田喜代子著、朝日新聞出版)

焼野まで
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村田喜代子
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 なぜか、 村田喜代子の本を見つける、読みたくなる。

   このブログの 「村田喜代子アーカイブ」には、5冊を記録してもらっているが、そのほかに流し読みした本を合わせると10冊近くになるだろう。
 この人の、ちょっぴり奇怪、怪奇的で、ユーモアあふれる文章と構成になんとなく引かれてしまう。

 表題の本は、このアーカイブにもある 「光線」という著書が土台になっている。
 4年前に書かれた「光線」は8つの短篇で構成されていた。2011年3月の東北大震災の直後に著者が子宮がんを患い、鹿児島にある 「オンコロジーセンター」(UMSオンコロジークリニックと改名)に通って、四次元ピンポイント放射線照射治療で完治させるという構成は、「焼野まで」でも一緒だった。「光線」での体験が4年経って、この長編小説に昇華されたようだ。

 著者は、自ら罹った子宮がんだけでなく、知り合いが視神経に絡みついて外科手術ができない脳腫瘍や腹部大動脈を呑み込んだ膵臓がんを、この治療法で完治させた。それだけ、著者の四次元ピンポイント放射線照射治療に対する信頼は厚い。

 ガンはいびつな形をした立方構造をしているらしい。生きている臓器は微妙に動くので、従来の二次、三次元照射では、照射する位置がずれ、正常な臓器を痛めたりする。

 そこで、オンコロジの稲積院長(UMEオンコロジークリニックの 植松稔院長がモデル)は、刻々と時間差でガンの部位を追跡する四次元照射法を考案した。
 それも機械任せではなく、稲積院長が東京から連れてきた5人の放射線技師の「精密な手」がガンを逃さず、追いかける。

 主人公が、初診で会った稲積院長は普通の医者とは異なり、ワイシャツにベストだけのラフな格好で「理系の技術者のよう」だった。

 主人公が通っていた病院から持ってきた画像をざっと見ると、院長はあっさりと言った。
 「大丈夫、このガンは消せますよ」・・・「放射線は正確にかけると、(がんは)消えるものなんです」・・・「放射線は粉に似ていますから、粉を降りかけるんだというふうに思ってください」

 しかし、このような新しい治療法は、一般の人や病院にはなかなか受け入れてもらえない。

 オンコロジーセンターで知り合い、銭湯に一緒にいく仲になった乳がんだという三十歳後半らしいの女性は、こんな経験をした、という。

 「主治医に、セカンドオピニオンを受けたいので、画像を出して欲しいと頼むと、紙袋ごとフイルムを床に放られました」
 それで、しゃがんで・・・画像を拾っていると、頭の上で医者の声がした。
 「死に給え・・・」

 著者の女性主治医は、すぐに画像をそろえてくれたが、こう付け加えた。
 「お出でになるのを止めることはできませんが、どうぞ向こうの先生に即答なさらないでください。何も決めないで、とにかくまた帰って来てください。放射線では消えないのです」

 大学病院婦人科病棟勤務の看護婦である娘には、こんな言葉をぶつけられて、母子断絶となった。
 「あのね、子宮体がんに放射線は効きにくいの。絶対効かないと言ってもいい。・・・選択肢はただ一つ。手遅れにならないうちに切る。それにもう躊躇する理由はないでしょ。要らないじゃない、その齢で」

 ただ、毎日、平服のまま10分弱の放射線治療をうけるだけだが、主人公にはつらい体験がつづいた。

 
 五月三日でここへ来て七日経った。 一日二グレイ収線量)づつ振りかけて、総量十四グレイだ。ただしⅩ線は放射線源のない、身体をすり抜けていくだけの光の失だから、体に降り積もっているわけじゃない。毎日はらはらと粉雪が降る。降った雪は一日で溶けて消える。そして明くる日はまた明くる日の粉雪がはらはらと降る。
 そういうことだとわかっているのに、体は少しずつ消耗していく。食欲がなくなるのと、照射直後の下痢で体重が二キログラムほど落ちた。それなのに体が重くなっていく。頭が重い。肩が重い。背中がずっしりと重い。手が重い。足が重い。重くてだるい。身の置き所のない倦怠感に襲われる。寝ても起きても体を持て余す。


 苦しんでいる間に色々な幽霊に会う。夢のなかの出来事の描写は、村田喜代子の真骨頂である。

 
 センターに通うために借りたウイクリーマンションでぼんやりしていると、焼島(モデルは、鹿児島・ 桜島)のとある店先に立っていた。奥から姐さん被りの年寄りが出てきた。なんと「私の祖母である」
 「お帰り、和美。きつかったじゃろ」。三十六年前に亡くなった祖父と、三十年前に亡くなった祖母と三人で竹藪の小屋で夕食のお膳を囲む。「音のでない映画のようだ」


   グレイ量を五まで増やして六日間。やっと、治療が終わる。

 
 竹藪の小道に入ると、祖父母の住む小屋が見えて来た。  「まあ、何事なの?引っ越しみたい」・・・「おうその引っ越しをするとじゃ」・・・「お前の治療ももう終わる頃やから」
 はたちそこそこの娘が出てきて、祖母が抱いた( 水子)の人形を抱き取った。
 そんならわしらは先に去ぬるぞ」。祖母が言う。・・・娘が振り返って、にっこり微笑んだ。
 自分の母だとふっと気付いた。