読書日記「震災歌集」(長谷川櫂著、中央公論新社刊)
4月下旬の読売新聞朝刊と夕刊のコラムで、俳人の長谷川櫂さんが「震災に関した短歌集」を出版するという記事を続けさまで見てエッ!と思った。
伝統派俳人と言われる著者が、句集でなく歌集を出すという。それも東日本大震災発生からたった12日間に詠まれた119首が収められるらしい。さっそくAMAZONに予約を入れ、出版直後の2週間後に届いた。
かりそめに死者二万人などといふなかれ親あり子ありはらからあるを
夥(おぼただ)しき死者を焼くべき焼き場さへ流されてしまひぬといふ町長の嘆き
著者は、序文「はじめに」で、私自身も感じていたことをズバリと書いている。
今回の未曾有の天災と原発事故という人災は日本という国のあり方の変革を迫るだろう。そのなかでもっとも改めなければならないのは政治と経済のシステムである。
原発を制御不能の東電の右往左往の醜態あはれ
原発をかかる人らに任せてゐたのかしどろもどろの東電の会見
「はじめに」はこう続く。
決して立派とはいえない首相が何代もつづくのは、間接民主制という政治家を選ぶシステムそのものがすでに老朽化してしまっているからではないか。
おどおどと首相出てきておどおどと何事かいひて画面より消ゆ
かかるときかかる首相をいだきてかかる目に遭う日本の不幸
被災地からは遠く離れながらも、人々を不安に陥れている放射能汚染への恐怖を五七五七七に託す。
如何(いかん)せんヨウ素セシウムさくさくの水菜のサラダ水菜よさらば
降りしきるヨウ素セシウム浴びながら変に落ち着いてゐる我をあやしむ
見しことはゆめなけれどもあかあかと核燃料棒の爛(ただ)をるみゆ
避難所に押し込められ、じっと耐える東北人のこころ根を思う。
避難所に久々にして足湯して「こんなときに笑っていいのかしら」
被災せし老婆の口をもれいづる「ご迷惑おかけして申しわけありません」
なぜ俳句でなく和歌だったのか。筆者は「理由はよくわからない。『やむにやまれぬ思い』というしかない」としか語らない。
実は、長谷川櫂さんのことを少し存じ上げている。以前、新聞社に勤めていたころ、東京本社から出向して来られていて一緒に朝刊制作の仕事をしていたことがあった。
刷り上がった朝刊を見た後の午前2時半過ぎ。帰る方向が一緒で、時々タクシーに同乗した。その時、長谷川さんは俳句のことは一言も話されなかった。
東京に帰られて少しして、サイン入りの句集が送られてきて驚いた。あまりいい言葉ではないが、礼状に「エイリアンに遭った気分」と書いた記憶がある。
そして今回また「やむにやまれぬ思い」で歌集を出された偉才ぶりに遭うことになった。やはり「エイリアン」だと・・・。
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