読書日記「「忘れても、しあわせ」(小菅もと子著、日本評論社刊)、「寂寥郊野」(吉目木晴彦著、講談社刊)、「ターニングポイント」(松井久子著、講談社刊) - Masablog

2010年12月17日

読書日記「「忘れても、しあわせ」(小菅もと子著、日本評論社刊)、「寂寥郊野」(吉目木晴彦著、講談社刊)、「ターニングポイント」(松井久子著、講談社刊)

忘れても、しあわせ
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きっかけは、友人Mに誘われて先日見に出かけた映画「レオニー」だった。

 世界的な彫刻家、イサム・ノグチ の母、レオニー・ギルモアの生涯を描いた作品だが、松井久子監督、「ユキエ」折り梅」に続く3作目の作品だという。

 「ユキエ」はテレビの再放送で何度か見ていたが「折り梅」は知らなかった。DVDチェーンのツタヤにもなかった。大手映画館を通さない自主鑑賞会で100万人を越える観客を動員した作品らしかった。あきらめていたら、今月はじめ、たまたま芦屋市が人権週間の催しで「折り梅」の上映と松井監督の講演会を催すことを知って出かけた。

表題、最初の「忘れても、しあわせ」 は、その映画折り梅」の原作だ。

 夫と2人の子どもと暮らす平凡な主婦・もと子が義母と同居を始めた直後から、義母の認知症(痴呆)が始まる。

 「私の自由を奪ったあんたを殺してやりたい。私の胸の内がわかるか。心に突き刺さっている。私はあんたの胸を突き刺して殺してやりたい」
 泣きながら向かってきた。手に持っていたヘヤーブラシを私に投げつけ、
 「首をしめてやりたい」と両手を私の首に回した。


 絵画教室に通い出したことが、救いだった。
 「やるじゃん!」義母が描いているのをはじめて見ての私の偽らざる感想だ。淡いブルーと茶系の貝がひっそりと並んで、うまいなーーと思った。


 しかし、義母の暗さは治らない。
 口から出るのは、ためいきと「何のために生きているのか。私はあやつり人形だ」という言葉。


 仏壇の数珠がない。財布がない。「あんたたちがとった」。お菓子の盗み食い、徘徊・・・。

 旅行先の自然の中の義母の表情は、あまりに自然だった。
 「そうだ、治そうと思うのでなく、今できること、感じることをそのまま私が受け止めればよいのだ。・・・「母になろう」。そう決心する


 義母・マサ子さんは、大きな公募展「東美展」に入選、個展を開くまでになり、おだやかな日々が訪れた。たくさんの人に支えられた結果だった。

著書には、マサ子さんが絵を書いておられる様子や個展風景の写真があるが、ご本人の描かれた絵は載っていない。

しかし、映画「折り梅」の公式サイトのなかに、ちゃんとマサ子さんのコレクションがたっぷりと掲載されている。映画のように画像が鮮明でないのは、ちょっと残念だが・・・。

マサ子さんは、006年10月、90歳で亡くなった。最後まで人としての尊厳を重んじた医療を受け、たくさんの人や自分が描いた作品に囲まれての最後だった、という。

第1作、「ユキエ」の原作である「寂寥郊野」は、平成5年上半期の芥川賞受賞作品。

朝鮮戦争で来日した米国人のリチャードと結ばれた幸恵は、30年過ごしたルイジアナ州バトンリュージュで、突然アルツハイマー病に見舞われる。老いる2人が直面する"寂寞"感が胸を打つ。

この「寂寥郊野」という表題からは最初、なにかおどろおどろしい印象を受けた。
しかし読んでみて、米国。ミシシッピー河西岸に「ソリテュード・ポイント」という農作地帯があり、「寂寥郊野」はその邦訳であることを知った。この地で起こった農薬汚染問題が、この老夫婦を悲劇へと追い込んでいく重要な伏線になっている。

 ユキエは、訪ねてきた息子たちに言う。 
「つまり父さんは、私のこの状態を何か不当なことだと思っているのね。・・・でも、私は人間というものは、そんな具合にできていないように思うのよ・・・」


当時の芥川賞選者の1人、古井由吉は、こう選評している。
 今回はまっすぐに、吉目木晴彦氏の「寂寥郊野」を推すことができた。落着いた筆致である。急がず迫らず、部分を肥大もさせず、過度な突っこみも避けて、終始卒直に、よく限定して描きながら、一組の老夫婦の人生の全体像を表現した。なかなか大きな全体像である。しかも、たっぷりとした呼吸で結ばれた。主人公夫妻の、意志の人生が描かれている。このことは私にとって妙に新鮮だった。


 「ターニングポイント 『折り梅』100万人がつむいだ出会い」は、3つの映画を監督した松井久子さんの自叙伝。
20代は雑誌のライター、30代は俳優のマネージャー、40代のテレビプロデューサーを経て、50代になって映画監督という転職に恵まれ、挑戦を続けている。

「ユキエ」のシナリオを依頼した新藤兼人監督に、監督もとお願いに行ったところ、こう言われた。
 「これは私の映画じゃありません。あなたの映画ですよ。自分で撮らないでどうします。誰かに任せてしまったら、あなたの考えとまったく違う映画になってしまいます。それじゃ困るでしょう」 ・・・
「自分で撮りなさい。女の人が、もっと撮ったらいいんです」


この言葉が、松井さんを変えた。
3作目の「レオニー」は、映画化を決心してから完成まで7年をかけた。

 


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