読書日記「日本経済復活まで 大震災からの実感と提言」(竹森俊平著、中央公論新社刊)
5月中旬に大震災に関する経済書が次々と発刊された。3冊ほど買ったが、図書館で借りたこの本を"返済期限"というデッドラインのおかげで最初に読んでしまった。第一部は日記形式の「実感」篇、第二部が標準的な経済書スタイルの「提言」篇になっている。
「なんだ、上げ底か」と思ったが、この「実感」篇は予想外に興味ある内容だった。とくに「安全基準の想定外」というテーマについて、多くのページが割かれている。
筆者はまず、原発の耐震安全性についての毎日新聞の3月23日付け(インターネット版)記事を紹介している。国会審問で社民党の福島党首が、原子力安全委員会委員長の過去の発言を問いただしたところ「その委員長は、<07年2月の中部電力浜岡原発運転差し止め訴訟で、複数の非常用発電機が作動しない可能性を問われ『そのような事態は想定しない。想定したら原発はつくれない』と発言した>という」。
この発言からうかがえるのは、「どこ」までを想定範囲にするかは所詮、「どこか」までを範囲としないかぎり原発がつくれないために便宜的に決められたものであって、想定された「範囲」それ自体には、かならずしも絶対的な根拠はないという事実である。
要するに、日本の原発についての安全システムと、電力の供給についての安全システムは「想定範囲を超える規模の地震は起こらない」という前提にすべてが依存していた。それゆえ、ひとたびその前提が崩れ、事態がどんどん悪化していくと、次の防御が存在せず、管理が不能で、危機がひたすらするという仕組みになっていたのである。一つの前提に、国民の生命の安全と経済機能の安全とがすべて寄りかかっていたという点で、日本のシステムはまさに「一点張り」の仕組みだった。その「一点張り」が外れて、われわれの暮らしは重大な危機に晒されている。
そして筆者は、今回の原発事故についてニューヨークタイムズ、フィナンシャル・タイムなどが危機状況をずばずば報道している事実に着目する。これに対し、日本政府が「もし重大な事実を隠ぺいして発表した」とするなら、それは「首都圏の人口を退避させるのが不可能だから」ではないか?という大胆な推論を展開する。
しかし、日本政府が曖昧な発表をつづける一方で、海外のマスコミが真実の踏みこんだ報道をしているだとすると、重大なジレンマが生じる。そうした海外の報道を聞いて、それに基づいて行動を起こせるのは、金融界の人々、エリート、富裕層といったグループだろう。彼らは報道を知って、必要とあれば東京から退避する、他方で、日本政府の発表しか利用できない者は、その発表を信じて東京に残る。・・・
以前から気になっていた記事があった。6月12日付け産経新聞に載っていた国際原子力機関(IAEA)元事務次長、ブルーノ・ペロード氏への インタビュー記事である。
このなかで、元事務次長は「福島第1原発が運転していた米国ゼネラル・エレクトリック(GE)製の沸騰水型原子炉 マーク1型については、1970年代から水素爆発の危険性が議論されていた」と指摘、東京電力に対し、格納容器や建屋の強化を助言した、という。
しかし東電は「GEが何も言ってこないので、マーク1型を改良する必要はないと答えた」。自然災害対策を強化するというIAEA会合での約束も怠っており「東電の不作為はほとんど犯罪的」と、元事務次長は弾劾している。
先日、ある会合で原子炉の基本設計をしていた元電機メーカーの技術者・Mさんの話しを聞く機会があり、この記事について質問した。Mさんは「マーク1型の安全上の欠陥は以前から指摘されていたが、1つの原発を改良すると、すべての原発に及ぶことを電力会社は懸念したのですよ」と説明してくれた。
竹森教授の言う「『一点張り』の仕組み」から抜け出そうとしない、まさに"犯罪的"な思考が電力会社を支配しているのだ。
雑誌、 中央公論7月号が「『想定外』の虚実」という特集を組んでおり、 畑村洋太郎・東大名誉教授へのインタビュー論文「『 失敗学』から見た原発事故」が載っている。
そのなかで畑村教授は、まさに思考方式の転換を求めている。
通常、物事を進めるときには、大きな課題を分析し、小さな課題に落としこんで解決していく。これを「順演算」と呼ぶ。しかし、この思考方式では、「想定漏れ」が起きる危険性がある。
そこで必要になるのが「逆演算思考」だ。「事故は起こる」と最初に想定し、それを防ぐためには何をすればいいかを、スタート地点に遡りながら考えるやり方である。その結果、「順演算」では見えていなかった失敗の原因を探ることができる。「うまくいく」ではなく、「うまくいかない」から出発することでしか、「想定外」の事態は見えてこない。
そこで必要になるのが「逆演算思考」だ。「事故は起こる」と最初に想定し、それを防ぐためには何をすればいいかを、スタート地点に遡りながら考えるやり方である。その結果、「順演算」では見えていなかった失敗の原因を探ることができる。「うまくいく」ではなく、「うまくいかない」から出発することでしか、「想定外」の事態は見えてこない。
畑村教授は、このほど 今回の事故を調査・検証する委員会の長に就任した。原発肯定論者という見方もあるようだが、はたして"張りぼて"の安全神話を葬り去ることができるかどうか。
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