読書日記「蜩ノ記 ひぐらしのき」(葉室 麟著、祥伝社刊) - Masablog

2012年3月30日

読書日記「蜩ノ記 ひぐらしのき」(葉室 麟著、祥伝社刊)


蜩ノ記
蜩ノ記
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葉室 麟
祥伝社
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 この本を知ったのは昨年末。和歌山の山小屋に夫婦で暮らす友人のブログ 「森に暮らすひまじん日記」でだった。

 その時にも気にはなっていたのだが、この1月初めに直木賞の候補になったのを知って図書館に貸出予約を入れた。16人待ちだったのが、先日やっと順番が回ってきて、一気に読んだ。無事、今年の直木賞に決まったから、私の後にはまだ70人近い購読希望者が待っている。

「森に暮らすひまじん日記」に書かれた、あらすじを借りることにしよう。

 九州は豊後の小藩で奥祐筆を勤める壇野庄三郎は、城内で刃傷沙汰を起こした。切腹は免れたが、山村に幽閉され、藩史の編纂を続ける元郡奉行戸田秋谷の監視と編纂の手伝いを命じられた。

 戸田は、前藩主の側室と密通した罪で幽閉され、10年後には切腹するよう言い渡されていた。それまでは藩史編纂が課せられ、命を区切られた人生を生きて行く。庄三郎が戸田の幽閉先に赴いたのは、切腹まで残り3年に迫っていた。

 庄三郎は、戸田の凛とした生き方に心を動かされ、不義密通にも疑問を持つようになった。妻と子供二人は戸田の生き方を信じ、切腹までの残された日々を見つめながら健気に生きて行く。

 「蜩ノ記」とは、山村に幽閉されて家譜編纂に携わってきた戸田秋谷が書いてきた日記の名前だ。
 
「夏がくるとこのあたりはよく蜩が鳴きます。とくに秋の気配が近づくと、夏が終わるのを哀しむかのような鳴き声に聞こえます。それがしも、来る日一日を懸命に生きる身の上でござれば、日暮らしの意味合いを寵(こ)めて名づけました」   


 庄三郎は、訪ねてきた親友・信吾に戸田を助けられないかと、無理を承知であることを頼む。信吾は、城内で刃傷沙汰を起こした当の相手だ。

 
「・・・ここに来て(三浦家譜)編纂を手伝ううちに、わたしは武士とは何なのかを考えるようになった」
 ・・・「御家(おいえ)には昔から対立や争いがあったようだ。時にそれは、村の百姓も巻き込んでいる。村に住んでみて、武士というものがいかに居丈高なものか、徐々にわかってきた」
 ・・・「しかし、戸田様はさような武士の在り方とは違って、百姓たちとともに生きようとなされておる。わたしはそのような戸田様の武士としての生き方に感じ入った。それゆえ、戸田様をお守り いたしたいと思っておるのだ」


 著者は、直木賞を受賞した際の1月18日付読売新聞「顔」欄で「編集者から武士の矜持(きょうじ)をと言われ、スッピンのストレートの思いを書いた」と、正直に答えている。そんな注文を小説に仕立てられるのは、さすがプロの作家である。

 物語は、百姓の息子で戸田の嫡男、郁太郎の親友である源吉が、お家の奉行の拷問を受けで死んだことでクライマックスを迎える。

 源吉のかたきを討つため、私欲で策を弄していた家老の屋敷に押しかける決心をする。庄太郎は「道案内をする」と、同行を申し出る。

 そっと出ていった2人を心配する妻と娘に、戸田は静かに答える。

 
「武士(もののふ)の心があれば、いまの郁太郎は止められぬ。檀野(庄太郎」殿は郁太郎を見守るつもりで追ってくれたのであろう」
 「檀野殿は武士だ。おのれがなそうと意を固めたならば、必ずなさずにはおられまい。檀野殿の 心を黙って受けるほかないのだ」


 郁太郎と庄太郎は、家老家に押し入り、見事な技で家老の助っ人を退け、家老が武士にあるまじき"命乞い"の言葉を出すまでに追い詰める。

 家老がどうしてもほしかった文書を手に家老宅に来た戸田は、家老の胸倉をつかみ、顔を殴りつけると、静かに話した。

 
「源吉が受けた痛みは、かようなものではなかったのでござる。領民の痛みをわが痛みとせねば家老は務まりますまい」


 郁太郎と庄太郎とともに、山村に帰った戸田は、約束されていた8月8日の朝。検分役の見守る前で、見事に切腹をしてはてた。

 読売「顔」欄で、著者はこうも答えている。

 「東日本大震災を経た今、日本人のありようが問われている。・・・日本人古来の生き方を描く時代小説だからこそ、できることがきっとある」



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