読書日記「縄文聖地巡礼」(坂本龍一・中沢新一著、木楽舎刊) - Masablog

2010年9月 8日

読書日記「縄文聖地巡礼」(坂本龍一・中沢新一著、木楽舎刊)


縄文聖地巡礼
縄文聖地巡礼
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坂本 龍一 中沢 新一
木楽舎
売り上げランキング: 5568
おすすめ度の平均: 4.0
5 縄文的思考
2 テーマは好きなのだが
5 縄文文化を基に、新しい世界感の提示
2 お約束どおりのアンチ原発
4 縄文的世界観に資本主義解体の契機を探る、現代文明批判の試み


 聖地を訪ねる旅がちょっとしたブームだそうである。
 インターネットの影響で誕生したという話題の小説やアニメの舞台を訪ねる「聖地巡礼」とはちょっと違う。日本人の心のふる里を求めて、古代から大切にされてきた祈祷の場所や国家神道の範ちゅうではくくれない神社や鎮守の森などを訪ねる旅が人気だという。新聞社が「聖地日和」という長期連載を組み、聖地への旅の特設コーナーを新設する大手書店まで現れた。

 このブログでも以前に、世界遺産の北海道・知床で「アイヌ民族・聖地巡礼」というエコツアーに参加したり、信州・蓼科の縄文遺跡、世界遺産・熊野古道の神社を巡る旅をしたりしたことを書いた。

 その延長線でこの本が気になって図書館で借りた。
 世界で活躍するミュージシャン・坂本龍一と人類学者であり宗教学者としても知られる中沢新一という異色の組み合わせが「縄文人の記憶をたどりたい」と一緒に旅をした際の対談集である。

 最初に中沢は、こう書く。
 縄文時代の人々がつくった石器や土器、村落、神話的思考をたどっていくと、いまの世界をつくっているのとはちがう原理によって動く人間の世界というものをリアルに見ることができます。・・・これは、いま私たちが閉じ込められて世界、危機に瀕している世界の先に出ていくための、未来への旅なのです。


 旅は、青森・三内丸山遺跡から始まり、諏訪、若狭・敦賀、奈良・紀伊田辺、山口・鹿児島を巡り、青森にもどる。

 諏訪では、諏訪七石の1つ「小袋石」(茅野市)を訪ねる。
 見るからに何かを発しているというか。地底に触れている感じが触れている感じがした」(坂本)
 「縄文の古層から脈々と続いているものというのは、深く埋葬されていているけれど、強いエネルギーを放つ磁場としてわれわれに影響を与え続けていて、・・・。そして諏訪の場合は、・・・それが地表に出てるんですね」(中沢)


 敦賀半島にある「あいの神の森」は、田の神とも漁の神とも言われる「あいの神」を祀り、他の祭祀遺跡も同居する太古から続く森である。森全体が墓地であった聖地のすぐ近くに原子発電所「もんじゅ」があることに2人は衝撃を受ける。
 「日本海は内海だった」と中沢は言う。「私たちは縄文というものを、ひとつの民族のアイデンティティに閉じ込めるのではなく、むしろ大陸側にも太平洋側にも大きく開いてとらえるべきで・・・」


 鬱蒼とした「なげきの森」に包まれた鹿児島・蛭児神社では、南方から渡来してこの土地を支配していた先住民族、隼人と天皇家の祖先である天孫族の関係に思いをはせる。
 隼人は大和政権に征服された民で、西郷隆盛はその末裔ですよね。なのに自分の祖先を征服した部族の王である天皇に、親しみを感じ、忠誠を尽くして戦う」(坂本)
 「天皇家の祖先である天孫族が朝鮮半島から渡ってきたとき、なぜ日向を拠点にして隼人族の女性を妻に迎えたのか。・・・背後には隼人族の経済力と軍事力の存在がおおきかった。天皇家としては、朝鮮半島とのつながりを強調するんだけど、もう一方で、隼人、つまりインドネシアから渡ってきた人々にもつながってるんですね」(中沢)


 青森で始まった旅は、青森に戻って終わる。
 縄文前期から中期の大集落である三内丸山遺跡と、縄文後期の環状列石(ストーンサークル)の小牧野遺跡を訪れ、その石組みの生々しさに興奮しながら対談は続く。
 あの環状列石のなかにいると、石を運んできて、お祈りをしている人たちの姿が見えるかのようで、・・・天上の世界を人工的につくろうとしている」(坂本)
 「縄文の研究は、過去だけじゃなくて、未来を照らす可能性がある。・・・この列島上に展開した文化には、まだ巨大な潜在能力が眠っていて、それは土の下に眠ってだけではなくて、われわれの心のなかに眠っている・・・」


 ▽最近読んだ、その他の本
  • 「ヒマラヤ世界 五千年の文明と壊れゆく自然」(向 一陽著、中公新書)
  • ヒマラヤ世界 - 五千年の文明と壊れゆく自然 (中公新書)
    向 一陽
    中央公論新社
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     「いつかはヒマラヤ・トレッキングを」と若い時から思い続けながら、実現できなかった。
    そんな郷愁めいた気持ちで、この本を手にしたが・・・。単にヒマラヤへの想いを綴ったものではない。地球温暖化と人間の行動への厳しい告発書であった。
     西からインダス川ガンジス川ブラマプトラ川。この3つの大河流域に世界の人口の1割以上、8億人が住んでいる。間接的には15億人がこの大河がもたらす水の恵みを受けている。白き神々の座・ヒマラヤ山脈と同様、この広大な大平原を著者は「ヒマラヤ世界」と呼ぶ。
     氷河の衰退に始まって、氷河湖の決壊による洪水の恐れ、氷河湖の汚染、森林伐採、食糧大増産のために枯渇したヒマラヤ始発の地下水、井戸水から検出される砒素、国家間の水争い・・・。今「ヒマラヤ世界」で起ころうとしている危機は、地球全体の崩壊につながると著者は警告する。

  • 「大人の本棚 夕暮の緑の光 野呂邦暢随筆選」(岡崎武志編、みすず書房刊)
夕暮の緑の光――野呂邦暢随筆選 《大人の本棚》
野呂 邦暢
みすず書房
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 NHKのBS放送が土日の朝に放映している「週間ブックレビュー」は、読書好きには評判の番組だ。ここで取り上げられた本の購読を図書館に申し込むと、たいてい予約殺到で何カ月か待たされる。
 野呂邦暢という芥川賞作家を浅学にして知らなかったが、編者の岡崎武志は、巻末の解説でこう書いている。
 野呂邦暢が小説の名手であうとともに、随筆の名手でもあった・・・。ちょっとした身辺雑記を書く場合でも、ことばを選ぶ厳しさと端正なたたずまいを感じさせる文体に揺るぎはなかった。

 表題にある「夕暮の緑の光」という30数行の文章。そのなかで野呂は、自分がなぜ書くことを選んだかについて、こう記している。
 それはごく些細な、例えば朝餉の席で陶器のかち合う響き、木洩れ陽の色、夕暮の緑の光、十一月の風の冷たさ、海の匂いと林檎の重さ、子供たちの鋭い叫び声などに、自分が全身的に動かされるのでなければ書きだしてはいなかったろう。

 1つ、1つのフレーズをかみしめて、もの書く人の繊細で真摯な感性を知る。


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