読書日記「孔乙己(kong yi ji)、魯迅著、藤井省三訳、光文社古典新約文庫」
毎週金曜日の午前中、神戸中国語言学院(神戸華僑総会内)での中国語教室の新しい课本(科目)が、この小説だった。
课本では、この小説の背景などについて、若い学生2人が話し合うという設定だが、おもしろそうなので、帰りに近くのジュンク堂本店に寄ってみた。
中国語教室の陈老师(先生)には「中国語で読みなさい」と言われたが、とりあえず「阿Q正伝」なども収録されている短編集の邦訳文庫本を買った。
「孔乙己」は、文庫本でたった10ページ。1919年、魯迅38歳の時のほぼ処女作らしいが、訳者は「構成、文体とも見事な出来映え」と、ベタほめしている。
魯迅の故郷である紹興を模した街に咸亨酒店という紹興酒の造り酒屋がある。
咸亨酒店
この酒屋は、魯迅の叔父が開業した店で、今でも営業しているらしい。そのカンターで一人、ボロボロでつぎはぎだらけの长衫(chang shan、男性が着る単衣の中国服)を着て、椀で酒を飲む背の高い常連客がいた。定職もなく貧乏なその男は、盗みをしては殴られた傷が絶えず、周りの客から「孔乙己」とあだ名で呼ばれ、バカにされていた。
长衫は、もともとインテリが着るものだったが、1911年の辛亥革命で清朝政権が終わりをつげ、世の中の価値観がガラリと変わるなかで、金持ちだけが长衫を着るようになり、彼らは、カーテンで仕切られた奥のテーブル席でご馳走を肴に酒を飲んでいた。
しかし、インテリの見えが捨てられない「孔乙己」は、短い服を着た労働者が酒を飲むカンターで、ただ一人长衫を着て茴香豆(ういきょうまめ、そら豆をういきょう=八角で煮込んだもの)を肴に、1椀か2椀の紹興酒の熱燗を飲む。話す言葉を「なり・けり・あらんや」の文語調で終わらせ、相手を煙に巻いていた。
长衫 茴香豆
そして、カンターの中で、お燗の番をする小僧に「『回』という字には,いくつの書き方があるのを知っとるか」とインテルぶるのを辞めなかった。
「回」という字は「囘」「囬」などとも書くらしい。
「孔乙己」は最後には、盗みが見つかって足を折られ、手でいざるようになり、酒場からも姿を消してしまう・・・。
当時の社会状況を理解できない「孔乙己」を主役にしながら、魯迅は清朝末期の「封建社会」を批判している・・・というのが、この小説の真意らしい。
現在でも、紹興の咸亨酒店の前には长衫を着た「孔乙己」の銅像があり、観光客の人気になっているという。
たった10ページだが、ひょんなタイミングで、魯迅の名作に出会うことができた。
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